第三章 第133話 蜘蛛の糸

「なるほど……では、可能な範囲で私の知ることをお話ししましょう」


 彼女が到着するまでの出来事について久我くが純一じゅんいちの説明を聞くと、マルグレーテ・マリナレスは真面目な顔をしてこころよけあった。

 最初に現れた時にまとっていた濃灰色のうかいしょくのフード付きローブはとっくに脱ぎ去ってしまったようで、今は黒光りする革鎧かわよろいのようなものを身につけていた。


「まず、ヤオトメ・リョースケとクガ・ルナの二人の行方ゆくえですが、ザハドの宿で襲撃を受けました」

「っ!」


 息を呑む一同。

 張りつめた空気の中、とりわけ久我英美里えみりの顔色は、紙のように白い。


「しかし私が対応し、無事に二人を逃がしました。二人は、馬車に乗ってピケという町に向かいました」

「ピケ……?」

「ピケは、ザハドから見て北にあるとても大きな町です。通常は馬車で数日かかるところにあります。ザハドの領主の本拠地ですね」


 たちばな響子きょうこの疑問に、マルグレーテはすらすらと答える。

 次に質問したのは、英美里だった。


「あ、あの……どうして、その……八乙女やおとめ先生と瑠奈るなは、ピケへ?」

「オーゼリアという町へ向かう船に乗ることが目的です。その町にあるヴァルクスへ向かい、八乙女さんノス・ヤオトメが望む情報――その端緒たんししょつかむために、あるじめいもと、私が手配しました」

「望む情報、とは?」

「日本へ帰還きかんする方法です」

「ええっ!」


 マルグレーテ以外の全員が声を上げた。


 ――日本へ帰還する、方法。


 皆が喉から手が出るほど欲している情報の手がかりが、思わぬところから突然飛び出した。

 かがみ龍之介りゅうのすけたちが去り、一度は失われたと思っていた手がかりが。

 響子が興奮して問い掛ける。


「そ、そんな情報があるのですか!? マリナレスさん」

「あくまで『端緒を掴むための情報』です。私も詳しくは知りません」

「ああっ! もしかして!」


 次に声を上げたのは、いつきだった。


「どうしたの!? 樹くん」

「いや、あのっすね。これ、ボイスレコーダーの内容にも関係する話で……うーん、どうしようかな……話すべきかめとくべきか」

「ちょっと! 何でそんな出し惜しみするの?」

「加藤せんせー、これはっすね……いやまあ、どうせ鏡せんせーはその前提・・・・でいるだろうし、今さらかな……」

「諏訪さん、思わせぶりな言い方はめてください。マリナレスさんの情報の話に関係あるのなら、私たちにとって非常に重要なことなのではありませんか?」

「すいません、教頭せんせー。勿体もったいぶってるわけじゃないんすよ。重要な話なのは間違いないんすけど……多分、これ聞いてしまったら――」


 真剣な表情で、樹は一度言葉を切った。


「――きっと鏡せんせーの『殺すリスト』にもれなく載ることになります。校長せんせーや八乙女せんせーとおんなじように」

「えっ……」


 絶句する響子。

 他の者たちも。


 ――殺すリスト。

 日本でなら、ごく親しい仲間同士でなかば冗談めいて使うこともあるかも知れない、物騒な言葉。

 平和な国とは言え、真顔でそんなことを口走ればただでは済まないかもしれないが、少なくともそう言われて死に直結するような状況は、ごくまれなことだろう。


 しかし、ここ・・は違う。


 何しろここにいる全員が、実際に仲間が死に、暴力の嵐に酷く傷つくさまの当たりにしているのである。

 日本にいればたちの悪い冗談で済むようなことでも、ここでは紛れもなく起こりる現実であり、軽々けいけいに聞き流せる話ではないのだ。


「それでも聞きます? って言おうとしたんすけど、恐らく鏡せんせーは残った僕たちが知ってしまった・・・・・・・というていで行動するでしょうから、言っても言わなくても同じことだって思いました。で、聞きます? 皆さん」


 皆がお互いに顔を見合わせる。


「じゃあ、聞きたくない人は一旦いったん席を外してもらって――」

「確かめるなんて必要ないと思うけど」


 樹の言葉をさえぎるように答えたのは、椎奈しいなあおい


「だって、もう鏡さんは十中八九、私たちを排除すべき敵と認識しているんでしょ? だったらもう、実力行使に出られることを前提に、対策を考えなければならない――それが現実だと私は思う」


 葵は、やる気満々という感じである。

 全てを「ちから」で解決できるとまでは思っていないのだろうが、困難には立ち向かおうとする武道家の一側面を持つ彼女らしい、現実に即応した態度と言える。


「仰る通りだと思いますよ、椎奈さん。私たちはきっと、好むと好まざるとに関わらず、すでに踏み出してしまっているのでしょう。時にはスピード感が必要なことも否定しません。この辺は不本意ながら、鏡さんの言うことにも一理あります」


 葵の方を向いて、うなずきながら話を続ける響子。


「でも、それでも私は可能な限り、皆さんの意見を聞きながら進んで行きたいと思っています。意見がぶつかることはいいのです。ですが私はこれ以上、誰一人として取りこぼしたくはない……たとえ決断力にとぼしいと言われても、です」


 葵は響子の顔を見て、首を縦に振った。

 響子がそういう性格であることを、葵も理解しているのだ。

 それ故に、普段から調整役として非凡な手腕を発揮していることも。

 

「教頭せんせーのことを、誰もそんなふうには思ってないと思うっす。お気持ちもよーく分かります。だから皆さん、妙な遠慮や忖度そんたくをしないで、どんどん意見や考えを出し合いましょう。 ――と言うわけで、八乙女せんせーたちと帰る方法についての話に戻していいっすか? 教頭せんせー」


「どうぞ」


「じゃあ、ボイスレコーダーの話を聞かされて困るひと――――いないみたいっすね。なら、マリナレスさんの話に関係するとこだけ、まず話を……いや、直接聞いてもらった方がいいっすね」


 そう言うと、樹は職員室を出て行った。

 そして次に彼が戻ってきた時、その手には、職員なら見慣れたボイスレコーダーが握られていた。


 ――――――――

 ――――――

 ――――

 ――


    ◇


 一同は、またしても驚愕のあまりに言葉を失うことになった。

 ここ数時間で驚くべきことが多すぎて、いい加減麻痺してしまいそうなものだが、それほどに樹がもたらした情報の衝撃は、大きかったのである。


朱:「まさか……私たちが転移した原因が、鏡さんにあった……なんて」

沙:「でも、ほんだゆうご? すみれ? 苗字も違うし、そもそも鏡さんの奥さんの名前はすみれじゃない。それに、子どもは娘さんが一人だったはずよね……」

美:「いや、それよりどうして、そのゆうごと言う子が……こっち・・・に?」

七:「でも……そう言うことなら、鏡先生がこのことを知られたくなかったと言うのも、確かに分かる気がする……」

樹:「そもそも、そのゆうごって人が僕たちを転移させたってことは……日本へも転移させられるかも知れないってことっすよ」

葵:「マリナレスさんの、えーとあるじ? アウレリィナさんって人が校長先生にいろいろ教えてくれたってことは、その人にいろいろ聞けばいいってことなの?」


 話の重大さに驚きながらも、興奮気味に交わされている会話のすべてを、純一じゅんいちは苦労しながらもマルグレーテに通訳している。

 マルグレーテ自身も「感受フェクト」が発動しているので、飛びっている言葉の意味するところを、何となく分かっているのだ。


「あなたたちがこの世界に転移してきた理由は、その小さな機械の言う通りで間違いありません。遠目にではありますが私自身、この目で見ていましたので」


「ええっ!?」


「そして……本来カガミ・リュウノスケだけを転移交換させるはずだったのに、結果として多くの人たちを巻き込んでしまった理由が、魔法ギームが暴走したからと言うのは正確ではありません。アウレリィナ様の話では、突然二人の少年がカガミのそばに現れたからということです」


「少年、二人?」


 その言葉にほとんどの者が、彼らと近しい少年たちの顔を思い浮かべた。


「そのまま転移交換をおこなえば、中途半端に発動範囲に入った者の身体は切断されてしまいます。それを避けるために、ユーゴ様は無理やりに範囲を広げました。しかし、あまりに唐突で想定外の事態であったこと、そして行使した魔法ギームの難易度が元々きわめて高かったこともあって、なかば制御を失うことになってしまった――ユーゴ様のかたわらにいたアウレリィナ様はそうおっしゃっていました」


「確かにあの時、天方君と神代君が突然、職員室に入ってきた……」

「そしてすぐに、鏡さんのところに……」


 当時、その様子を一番近くで見ていた葵と美咲が、つぶやき声でこぼす。

 そう言えばあの子たちは、一体何のために……?


 思わぬところで最も知りたかった疑問の一つ――転移の原因――に対する答えが、今明らかになった。

 それが、新たな謎を呼ぶことにもなった。

 ただ、その回答を追求するのは、後回し。

 大切なのは、日本へ帰れるかも知れない、その情報。


 ――しかし、それに対するマルグレーテの答えは、一同を落胆させるものだった。


「残念ながら、意識を失ったユーゴ様は今日こんにちまでずっと目覚めぬまま、今も眠り続けています。それに……仮にお目覚めになったとしても、アウレリィナ様は再び同じ術を行使することをお許しにはならないでしょう」

「そんな、どうして!?」


 如月きさらぎ朱莉あかりが、悲鳴のような声を上げる。


「人の身で行使するには、あまりに高度で困難な魔法ギームだからです。例えるなら高空こうくうから落ちてくる巨大な城を丸ごと、ただ一人の生身なまみで支えるようなものなのでしょう」


「……!」


 誰もが、その場面を想像して息を呑んだ。

 そんなこと、出来るわけがない。

 例え数を万人まんにんに増やしたとしても、その分圧死体あっしたいが増えるだけだろう。


「実際、今回についてもユーゴ様は相当な無理を重ねました。ほんの至近距離ならともかく、世界をまたいで魔法ギームを行使したためしなど、過去にさかのぼっても聞いたことがありません。術そのものはたまたま成功しましたが、次も同様にいくかどうかは未知数なのです」


「……」


「それに……アウレリィナ様が心配されるのは、ユーゴ様のお身体だけではありません。転移交換される対象・・も、なのです。もし術が上手くいかなかった場合……一体どうなってしまうのか、見当がつきません。危険極まりない術なのです」


「……」


「そして、もうひとつ。術をおこなう際、ユーゴ様は二つのものを利用しました。この禁足地という場所と、すれ違いエルカレンガと言う現象です。場所はともかく、今後すれ違いは――もう起きることはないのです……」


 思わぬところから現れた希望の糸だったが、それはあっと言うにその手からすり抜けて、あるいは途切れてしまった。

 彼らの落胆ぶりは、それはひどいものだった。

 始終しじゅう冷静冷徹なマルグレーテが、思わず慰撫いぶの言葉をかけたくなるほどには。

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職員室転移 ~先生たちのサバイバルと、会議と、恋愛と、謎と、いろいろ~ 夏井涼 @natsui_ryo

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