第三章 第132話 償う方法

 上野原うえのはられい、そして御門みかど芽衣めいの二人がこの場にいない。

 しかも、見知らぬ者たちが突然現れ、二人と共に瀕死の天方あまかた聖斗せいとまで連れ去ってしまっている。

 そのことを思い出した加藤かとう七瀬ななせが彼らの行方を尋ねると、それに手を挙げたのは、たちばな響子きょうこだった。


「去りぎわに上野原さんから伝えられました。『しばらく戻りませんけど、心配しないでください』と」

「ええっ! 初耳っすけど……」

「皆さんに伝えるひまがなかっただけです」

「で、どこに行ったんすか? あの子たちは」

「あの子たちって、上野原さんは樹くんとそんなに年齢とし変わんないでしょ?」


 七瀬が突っ込むと、樹は眉を八の字にして答えた。


「もう、混ぜっ返さないでくださいよ、加藤せんせー。上野原さんとは三つも違うんすから、あの子・・・でいいんす」

「ふーん」


 何となく口をとがらせている感じの七瀬を見て苦笑しながら、響子は答えた。


「行き先まで聞いていません。あっと言う間に出て行きましたから。恐らく、ザハドの人たちだとは思うのですが……」

「確かに見た目はそんな感じだった……すね。てか、僕たち以外の人は大抵たいていこっちの人っすよね」

「まあ、そうでしょうね」

「なら、あの二人が無事ってことなら、僕から提案があります」

「どうぞ、諏訪すわさん」


 さきほどまで重苦しい雰囲気に包まれていた室内が、何となくいい意味で弛緩しかんしてきたように、誰もが感じ始めていた。

 ひとつせき払いをして、樹は続けた。


「えーっと、ほかに何か言っときたいことがある人、いますか? ……いないようっすね。まああればあったで、その都度しゃべってください。それじゃ提案しますよ――――皆さん、いろいろ、一度たな上げしちゃいましょう!」


「……」


「まず整理するっすよ。これ、めちゃ大事っすから。 ――教頭せんせー」

「はい」

「校長せんせーを亡き者にしたのは誰っすか?」

「……確定してはいませんが、かがみさんか壬生みぶさんのどちらかでしょうね」

「OKっす。じゃ次、瓜生うりゅうせんせーや天方君たちをひどい目に遭わせたのは誰っすか? 如月きさらぎせんせー」

「えっ」


 突然指名されても、響子はさらりと答えたのに、朱莉あかりは戸惑ってしまう。


「それは……私がそもそもの原因を――」

「ほらほら、事実は正確に切り分けないと。僕が聞いたのは、酷い目に遭わせたやつらの名前っすよ?」

「……謎の人物……さっきの――マルグレーテ・マリナレスさんが『人形ニナ』と呼んだ少年と少女の二人、です」

「そうっす。で、付け加えるとしたらけしかけたのが鏡せんせーってとこっすか。さっきも言いましたけど、教唆きょうさ犯は正犯と同じ刑が科されますからね。で、次はー……ん?」


 皆が微妙に自分から視線を外しているような気がして、樹は首をかしげる。


「あれ、何か皆さん、緊張してます? ははあ……まあ授業だといつも指名するほうっすからね、たまには生徒の気分もいいんじゃないすか?」

「……樹くん、ちょっと調子に乗ってない?」

「乗ってるわね」


 席は大分だいぶ離れてるが、七瀬と椎奈しいなあおいが視線を合わせてこくりとうなずく。

 あわあわする樹。


「え? いやいや、別に調子に乗ってるわけでは――」

「いいから先に進めて、樹くん」

「ちょっと言ってみたかっただけなのに……じゃあ加藤せんせー」

「むっ」

八乙女やおとめせんせーが追放されたのは、誰のせいっすかね」

「えっ、それは……賛成したみんなの責任って話でしょ?」

「ブーっす。まあ半分正解っすけ――」

「ちょっと! 今なんて!?」

「……え? 何てってブーっすけど……?」


 樹と七瀬のり取りを聞きながら、こめかみを押さえる響子。


「場の空気をやわらげようとしてくださるのはありがたいのですが、そういうのはお二人の時にしてください。加藤さん、分かってるとは思いますけれど念のため。諏訪さんはあなたに『ブス』と言ったわけではありませんよ」


「えっ……あれ、そうなんですか?」

「えっ、どういうことっすか――あっ!」


 二人の答えに、響子はため息をつきながら先をうながした。


「諏訪さん、半分正解と言った意味を速やかに述べてください」

「え、あ、はい。えーっとっすね、僕たちに責任の一端いったんがあるのは確かなんすけど、そうなるための舞台装置や演出計画を作り出したのが、ほかならぬ鏡せんせーたちってことっす。ですよね、純一じゅんいちさん、英美里えみりさん」


 英美里は従来通り、七瀬や朱莉と一緒に低学年部の島に座っていたが、純一は英美里の隣りの席に移動していた。

 雨降って地固まる――と言うべきか、久我夫妻のあまりかんばしくなかった夫婦仲が改善に向かうきざしを見せていることに、樹はほっとしている。

 純一と英美里は顔を合わせ、お互いに小さくうなずくと口をひらいたのは夫のほうだった。


「そう……ですね。初めからそう言うけでしたね。あの裁判では、たとえどんな結論が出ようと、八乙女先生はいずれ消す・・ことになっていましたから」

「消す……っすか。じゃあ刺客しかくが送られててもおかしくないってことになりますね」

「いや、実際送られてるみたいですよ。僕は結果は聞いてませんが」

「マジすか……やっぱり穏やかじゃないっすね……」


 英美里が驚いた顔をしている。

 どうやら彼女は、刺客の件については知らなかったらしい。

 途端に表情を蒼ざめさせていた。


「あなた、それ本当なの!?」

「ああ……そうらしい」

「それじゃ……瑠奈るなは……」

「さっきも言ったけど、どうなったかは僕も知らないんだ……すまん」


 純一がうつむく。

 職員室の雰囲気が、再びずしりと重量を持ち始めた。


「さっき……鏡さんが去りぎわに何か言ってたようですが……」

「教頭先生。あれは多分、瑠奈むすめのことを言ったんじゃないと思います……」


 ――気の毒にな……あの食堂の娘とやらは。


 龍之介は、そう言い残していた。

 食堂の、と付け加えているから瑠奈のことでないのは明白だが、それなら一体――――同じ疑問が一同の脳裡のうりをよぎる。


「……あの、皆さんが考えていることは……分かります。でも、すみませんがそれについては先に妻と話をさせてください。のちほど、皆さんにも必ず説明しますから……」

「では、そのようにしましょう。それで諏訪さん、諸々もろもろのことを棚上げすると言った意味、説明の続きをお願いします」


 沈痛なおも持ちで言う純一の言葉をさっと拾い、響子は話を樹に戻させた。


「了解っす。まずここまでで僕が言いたかったのは、校長せんせーの件も八乙女せんせーの件も、瓜生せんせーたちのことも、要するに全部ぜーんぶ鏡せんせーたちのせいってことっすよ」


「でも……」


「別に責任逃れしようって意味じゃないっすよ、不破せんせー。ちゃーんと謝った上で、誠実に行動すべきだと僕も思います。でもっすね、僕たちが謝るべき、償うべき人たちは今どこにいますか?」


「謝るべき、人たち……」


「校長せんせーはもういません――――って、いやいや、いないから謝らなくていいなんて言うつもりはないっすから! 皆さんそんな怖い顔しないでくださいよ!」


「……」


「で! 八乙女せんせーも瑠奈ちゃんも、瓜生せんせーも黒瀬せんせーも、早見はやみさんも天方君も神代かみしろ君も今ここにはいないんすよ。だからびたくても詫びることは出来ない。だからって、後ろめたいからって何にもしないで足踏みしてても、どうにもならないじゃないっすか! それなら、次に会えた時に全力で謝ればいい。つぐないだってその時にするべき。それまでに僕らで出来ることを目いっぱいやる。そう言いたいんすよ、僕は!」


「――なるほど、理解しました」


 樹の、渾身こんしんの訴えから十秒ほどの静寂のあとで、響子が言った。


「諏訪さんの考えについて、意見のある方はいますか?」


 誰も、何も言わない。


「異論がある方は?」


 誰も、何も言わない。

 樹は立ったまま、ごくりとつばを呑みこんだ。


「では彼の意見に賛成する方は、挙手してください」


 ――――――――

 ――――――

 ――――

 ――


    ◇


 ――

 ――――

 ――――――

 ――――――――


「――それでは、議題はこんな感じでよろしいですね」


 いつきの提案は、今後の行動指針としてとりあえず全会一致で可決された。

 職員室前方の黒板には、これから確認すべき事項が箇条書きで列挙されている。


――――――――――――――――――――――

 ◎学校メンバーで確認すること

 ・ボイスレコーダーの内容の確認(諏訪)

 ・一連の事件について、元執行部として知っていること(久我夫妻)


 ◎マリナレスさんに確認すること

 ・八乙女さんたちの行方と安否について

 ・瓜生さんたち五名の行方と安否について

 ・上野原さんたちの行方について


 ◎上記を踏まえて

 ・私たちの今後について

  ※マリナレスさんのアドバイスを参考にしながら

   ・必要なら新たな班編成(業務の洗い出し)

   ・衣食住を満たす方法

   ・日本への帰還方法

   ・レアリウスへの対策

――――――――――――――――――――――


「マリナレスさんが戻ってくる前に、私たちだけで確認できることには、ある程度の結論を出しておきたいと思いますが――」


 橘響子の言葉が終わらないうちに、職員室のドアをノックする音が聞こえた。

 そのまま誰の返事も待たずに、ドアがく。


 そこには、たった今名前が上がったばかりのマルグレーテ・マリナレスが、よそおいを変えて立っていた。

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