第六章 第06話 衝突

「ほっといてって言ってるでしょ!」


 ん? 何だ?


 夕ご飯の後、俺――八乙女やおとめ涼介りょうすけ――はいつものように夜風でも浴びようかと、職員玄関に向かっていた。

 靴をき替え、さあ外に出ようというところで、西の方向から怒りに満ちた声が飛んできたのだ。

 こういうたぐい声音こわねを、転移してきてからこっち、そう言えば聞いたことがなかった。


今時分いまじぶんは、女性の入浴時間のはずだけど……)


 お風呂が正式稼働かどうするようになり、夕飯の片づけをしている間に「湯殿ゆどの当番」がお風呂の準備をすることになった。


 浴槽よくそうにお湯を張るのは夕飯前から始める。

 後は、脱衣所や洗い場を軽く掃除しておくぐらいか。


 日によってまちまちなところはあるけど、基本的には女性陣が全員入った後に、俺たち男衆おとこしゅうの番になる。


 何かトラブルでも……と思っていたら、こっちに向かって芽衣めいが走ってきた。


「おっと」

「あ、ごめんせんせー」


 この時間、外は真っ暗だ。

 街路灯がいろとうとかないしね。


 だからたとえLEDランタンを持っていても、他にちょっと気を取られていれば人影に気付かないこともあるんだろう。


 芽衣は俺にぶつかりそうになって一言謝罪しゃざいすると、そのまま吸い込まれるように玄関に入っていった。


「何だったんだ、あいつ……ん?」


 五メートルほど先にランタンを持ったまま項垂うなだれている影がある。

 近付いてみると、澪羽みはねが静かにたたずんでいた。


 何かのしずくが、ランタンに照らされて落ち、地面をらす。

 濡髪ぬれがみのせいかと思ったそれは、涙だった。


 彼女の肩は、ふるえていた。


    ◇


「少しは落ち着いたか?」

「……はい」


 両手でマグカップをかかえたまま、澪羽がうつむいて答える。


 今は、俺たちのこよみで言うと三月のなかばだ。

 どうもここは日本みたいに明確な四季はないらしい。


 最初に魔法班で集まった正月の頃さえ、寒さを感じることはなかった。


 ただ、雨季うき乾季かんき二季にきなのかどうかはともかく、夜の風呂上りに外の風にさらされていれば流石に風邪をひきかねないわけで、俺は声を上げずに泣きじゃくる澪羽を連れて、職員室の応接スペースまでやってきたのだ。


 澪羽のマグの中身は、お馴染なじみのただのあしたば茶だけど、あったかいものをお腹に入れたせいか、少しずついつもの彼女らしさを取り戻しつつある。


「無理に聞き出そうってつもりはないけどさ、よかったら話してみないか?」

「……」


 原因はまるで分からない。


 でもさっきの芽衣の様子から考えれば、彼女との間に何かしらのトラブルがあったであろうことは明白だよな。


 ほっといて! みたいなことを芽衣が言ってたように聞こえたけど……まあよく分からないうちからあれこれ勝手に邪推じゃすいするのもよくない。


 ――待つか。


 それにしても、最近の芽衣の様子に特におかしなところはない気がするがなあ……。

 芽衣が食料物資班にいた頃はよく知らないけど、外交うちの班になってからは二人が一緒に過ごすことも増えたってのに……。


「……」


 俺は芽衣や澪羽に対して、今更いまさら先生かぜを吹かせようなんて気はさらさらない。


 それでも、もし何らかのシグナルをはっしていたのなら、気付いてやれなかったことに申し訳なさを感じてしまう。


「……あの」


 とは言え、仮に気付けたとして、俺に何かしてやれただろうか。

 教師だって、別に万能の存在ってわけじゃない。


 大体、教えみちびいてやろうなんて俺のガラでもないし……とにかく最初から押し付けはいかんよな。

 大事なのはカウンセリングマインドよ。


「……先生?」


 そもそも、生徒指導に唯一の正解みたいなものなんてないんだよ。


 よくクラスで問題行動を起こした生徒を、先生が追いかけてくみたいなシーンがあるだろ?


 まあそういうことがどうしても必要な時だってあるかも知れないけど、あれって置いてかれたクラスの他の生徒たちのこと、下手したら軽んじてるって思われてもおかしくないと思う。


 物分かりのいい生徒ばっかりじゃないからね。

 だから大事なのは、普段から信頼関係を構築こうちくす――


「先生!」

「うおっ!」


 見ると澪羽がほっぺたをぷうとふくらませている。

 どうやら涙はすっかりかわいているみたいだ。


「八乙女先生……お話を聞いてくれるんじゃないんですか?」

「え? ああうん、もちろん。話してくれるんなら」


 じっと俺の顔をにらむ澪羽。

 何だろう……こういう強気な感じの彼女は珍しい気がする。


 まあ、あれだ。

 何にしても話をしてくれる気になったのなら、それにしたことはない。


「芽衣とケンカでもしたのか?」

「……はい。ケンカって言うか、私が一方的に嫌われただけですけど」


 俺の問いかけに、澪羽はそう答えてひとみせる。


 一方的に、か。


 澪羽が芽衣に何かしたってことなのか。


「心当たりはあるの?」

「……はい」

「こないだザハドからお客さんたちが来た時、ドッヂボールとかバドミントンとか、一緒に楽しそうにやってたように見えたけど」

「はい、まだその時は……」

「お客さんって言えば、夜に子どもたちだけで集まったんだって? リィナから聞いたんだけど、すごく楽しかったって言ってたよ」


 澪羽の肩がぴくっと動いた。

 そのまま何も答えない。


 ……この時に何かあったみたいだな。

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