第四章 第16話 ザハド訪問三日目 その1

 今日は、この町ザハドにやって来てから三日目。


 少しずつ、いろんなことが分かってくるのが嬉しい。


 今、私――山吹やまぶき葉澄はずみ――の目の前に広がっているのは、もうすでなつかしい授業風景だ。


 そう言えば授業参観なんて、もうずっとしてないんだな……。

 自分が教師であることすら、なかば忘れていた。


 どうやらこちらの学校では指導案しどうあんはないみたい……。


 だけど、こうして参観時によくやっていたように、紙をはさんだクリップボードを片手に子どもたちが勉強する様子を見ていたら、何だかいろんな感情がき出してきたみたいで――


 ――気が付いたら、涙が勝手にほっぺたをつたっていた。


「ちょっと、山吹さん、大丈夫?」

 隣に立っていた黒瀬くろせさんが、驚いた声でささやく。


「もしかして、心配なの?」


 どうやら彼女に勘違いをさせてしまったみたいだけど、実際そっちの方も心配ではある。


八乙女やおとめさんなら大丈夫だと思うよ。熱もなかったし、食欲はそれなりにあったみたいだし」

「うん、分かってる」


 予定では、今日の午前中は昼の会食に備えて外出はせず、セラウィス・ユーレジアの中にあるスコラートというところを見学することになっている。


 スコラートが何なのか分からなくても、取りえずは決まったことに従うしかなかったけど、まさか学校のことだったとはね。


 ――今日の会食には、サブリナの図解によれば、ここの領主様であるリューグラムきょうのもっと上の地位の人が来ると言う。


 今回の訪問の眼目がんもくが有力者との面通めんどおしである以上、避けては通れぬイベントだというのは分かっているけど……正直なところ気が重い。


「ウグザラウ、セファデラートン」


 ……その原因が、これ。


 言葉が通じないことが、これほどストレスだとは思わなかった。


 サブリナたちとは割と楽しく交流できていたことで、ちょっと甘く見ていたかも知れない。

 全然役に立てる気がしないのだ。


 ――一応いちおう私は、八乙女さんと一緒で通訳のような役割を期待されて、ここに来ているはず


 それがまったく果たせていないとは思わないけれど、少なくとも初日の会食で私はほとんど何も出来なかった。


 サブリナたちとならあんなに楽しく出来ることが、お偉いさん相手だとまるで役立たずの私……。


 自分が何もしなくても、食料確保やら町内視察の約束やら、大事なことがちゃんと決まっていくのを見て、流石さすがに落ち込んでしまった。


 あの晩、黒瀬さんには大分慰められた。


 そもそもリーダーは校長先生なんだから、飲みニュケーションでも何でも、トップ同士で合意ができるんならそれに越したことはない、とかね。


 まあ半分事実、半分慰めなんだろうけど、いろいろ話してやっと私も気を取り直すことが出来た。


「ユニタオーナ? アデルードレ……」

「えっ」


 気が付くと、小さな女の子が私の前に立っていた。


 心配そうな顔で「ルハラ」と言いながら、私の顔を指さしている。


「涙なんて流してるから、心配してくれてるんじゃない?」

「あっ」


 私はあわててハンカチを取り出して、涙をぬぐい取った。


わたしオーナ大丈夫よマロースありがとうね


 しゃがんで女の子に礼を言うと、彼女は嬉しそうに自分の席に戻っていった。


 ――それにしても、よく見ると一風変わった授業風景だ。


 一斉授業のようにも見えるけれど、机間巡視きかんじゅんしをしてみると子どもたちが取り組んでいる課題はてんでバラバラ。


 一応、どの子も算数っぽいものをやっているようではある。

 もしかして、習熟度別学習みたいな感じなのかな。


 それに、さっきの子みたいに自由に私のところに来てみたり……それが特に怒られるでもなく。


 カッカッカカッカッ。


 ――それと、この音。


 どこかの歴史博物館で見た記憶があるんだけど、これって石板せきばん石筆せきひつってやつじゃないのかな。


 テキストは紙製みたいだから、紙がないわけじゃなさそうなのに……まあそのテキストも全体的に茶色っぽくてかなり使い込まれてる感じがする。


 もしかしたらここでは、紙は結構な高級品扱いなのかも知れない。

 サブリナたちが私たちのスケッチブックや油性ペンを見て、目をみはったのも理解できる。


 ――この後、いま前に立っている先生たちと少し、歓談かんだんの時間が予定されてると聞いた。


 どうやら私たちが教師だという情報も伝わっているらしい。


 いつもだったら、こういう情報交換の場はむしろどんとこいなのに、言葉の壁の前でどうしても気後きおくれして立ちすくんでしまっている自分が、仕方ないけどどうにももどかしいのだ。

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