第12話 対峙する


「お母様……!」


「ソフィア!! 貴様……! どういうつもりだッ……!!」




「…………」




 広々とした3階のバルコニーにアグニとみられる人物と奥様の姿があった。アグニは奥様を人質に取っている。奥の方には公爵と、使用人たち、それにルカの姿も僅かに見える。ちょうど第一騎士団の面々も集まってきて、バルコニーの下からわあわあ言っているけれど、アグニには動揺の欠片もない。目立つバルコニーに出てこんな騒動を起こしているというのが私にはすでに理解できなかった。 


 疲労困憊の奥様は昨日生まれたばかりの赤ちゃんを抱いている。ああ、奥様があのままぶっ倒れるんじゃないかって気が気じゃない。昨日に引き続きまた人質に取られるなんて、不運続きでさすがに可哀想だわ。大体出産終えたばかりみたいなものなんだから、ゆっくり休ませてあげなさいよ!








「……フレア・ローズ・イグニスはどこだ」




「!!!」




 まさかの私をご指名!?


 私は騎士団員たちの影に隠れて、こっそり抜け出そうとしてジーク殿下に捕まった。




「お呼びだぞ?」


「断ります! 嫌ですわ、あんなのとまた向き合うなんて。もう私はああいうのとは関わらないと――」




「やはりフレアがこれを仕組んだのか……!!」と公爵。




 はああ? なんでそうなるの!?


 思考が飛躍しすぎてびっくりだわ。寝起きだからって大丈夫かあの男。




 私の顔がよほど面白かったのか、ジーク殿下が「ぶはっ」と吹き出した。


 ……今初めて素の顔を見られた気がするわね。どうでもいいけど。






「何が目的だ!! フレアと何を企んでいる!!」


「……雇い主は別だ。あの子供と望むのは、殺し合い」






 ……は?






「あの化け物と殺し合わせろ。それさえかなうなら何でも教えてやる。雇い主のことも俺の知りうる全ての情報を渡すこともいとわない。あの子供はどこだ。早く出せ」








 ぴくぴくと口の端が引き攣る。


 今、あいつ、なんつった? 殺し合わせろ? 冗談じゃない、正気の沙汰とは思えないわね。


 やっぱり逃げよう、ほとぼりが覚めたら出てこればいいわ、と思ったら






「出さないならまずはこの女を殺す。子供も一緒に」






 はあ!?


 ふっっざけんじゃないわよ!! 私が苦労して助けた命を何勝手に奪おうとしてるわけ!?


 ぎりぎりと歯を噛みしめればうっかり乳歯が砕けそうになって焦る。




 でもアグニの言葉で、公爵もようやく私の無実を理解したらしい。何やら部下と話した後、アグニの方に顔を向けた。


「殺し合わせるなど……できるわけがない。まだ十歳の子供だ。だから――」




 てっきりすぐ差し出されると思ったのに。ちょっと意外ね。だからってなんとも思わないけど。




「ならばまずは子供からだ」




 公爵の言葉を遮ったアグニは……






 奥様の腕から、事もなげに赤子を奪った。






「なにをっ……!!」


「やめてっ!!!」






 


 え。


 宙にぽんっと放り出された。赤ちゃんが。昨日、生まれたばかりの――








 頭が理解するよりも先に、私は壁を駆け上がっていた。


 バルコニーの柵に足をかけて飛び上がる。赤ちゃんを空中でキャッチして、くるくる回転しながら柵の上に着地した。




「うッ……」




 思わず変な声が出た。


 赤ちゃんって思った以上に柔らかい! 柔らかすぎる!! できるだけそっと腕に抱いたけれど、大丈夫!? これ、崩れちゃったりしてない!? うあああああ腕がぞわっとする。柔らかすぎて同じ人間とは思えないっ……




「ちょっとあんた! 赤ちゃんを放り投げるとかどういう神経してるわけ!? こんな柔らかいものを雑に扱うとか信じられないんだけど!?」




 アグニを睨み付ければ、男の目には煌々とぎらつく光が宿っていた。




「言っとくけど私は殺し合わないわよ、そういうの興味ないから!」


「この女を殺す、と言っても?」


「はっ、女子供を人質にして脅すしかできないなんて。ほんと情けない男ね。どうでもいいけどこの赤ちゃんをその人に渡さないといけないから放しなさい。もしあんたがそんな馬鹿なことをしようとしても、私はあんたの挑発に乗るつもりはないからね」


「怒りは、人の力を――」


「増幅させやしないわ。嬉しいことがあるならまだしも、こんなことされたところで、やる気も出ないんですけど」


「…………」




 私がそう言うと、アグニは意外にあっさりと奥様を放した。まだ震えている奥様に、こんなことがあってもすやすやと眠る赤子を託す。はあ、ようやくほっとした。




「……では、お前の喜びそうなことをすれば殺し合いに応じるか」


「は?」


「例えば……お前の最も憎む人物を殺せば」


「……え」




 返事より先にアグニの胸がぐわっと膨らんだ。


 それを、私は昔、見たことがあった……






 彼の口から火が噴き出される。






「なっ……!!」






 公爵が息をのむ。


 その火は迷いなく公爵とルカに向かって放たれていた。荒れ狂う業火の塊が空気を焼きながら襲いかかる。


 


 見たことがあった。確かあの、私を「ババア呼ばわり」していた目つきの悪いあの男。あいつも確か……こんなことを……










「……ッ!! こ、れは……」


「はッ、はあ……」






 チリチリと髪が傷んだ。顔も熱い。


 どうしてくれんのよ、私の美貌が……




 公爵の手から奪った剣を構えたまま、私はアグニを睨み付けた。






 奴の口の端がいびつに歪んで、頬が紅潮している。歓喜、という言葉が一番適切かしら。あの男、この状態を見て喜んでいる。……こわっ。


 ああ、腹が立つんだけど。なんなの、その気持ち悪い笑い方。






「フ、レア……お前が、やったの、か……!?」






 今更驚かないでよ、面倒くさい。


 私は棒立ち状態の役立たず背後にいる公爵を睨み付けた。目が焼かれなくて良かった。さすがの私でも失明したら元に戻らないかもしれないから。羽織っていた上着は無残な状態だし、やっぱり助けなんて入らなければ良かったわ。彼らの前に立ち塞がったせいで、炎の熱気にあてられて顔も髪もぼろっぼろ! 治療すれば痕なんて残らないでしょうけど、あーもー、痛い痛いいったい!!




 火は消えた。いや、消した。発火能力の力は使ってない。ていうか、人の出した火を消火させる力なんて私はもっていない。






 振るった剣の斬撃で火の勢いを殺し消し去った。






 さすがの私も腕がじーん、てなる。


 もう少し体が成長していたらそうでもなかったと思うけど、化け物とは言え十歳の体にはキツい。第一、この体はちゃんと鍛錬していない。お嬢様としての教育しか受けてこなかったのだから当然だけど。






「フレア、お、お前は……」


「勘違いしないでよ、クソ親父!!」




 気づいたら怒鳴っていた。キッと睨み付ければ、公爵が目をパチパチさせる。




「私はあんたを助けた訳でも何でもない! ただここで死なれたら寝覚めが悪いってだけ!! あんたのことなんてもう父親ともなんとも思ってないから!!」






 もしかしたら、小説の運命が動き始めていたのかもしれない。本来昨日死ぬはずだった父親に、死に神がつきまとっているのかも。でもそんなのどうでもいい。ただ目の前で焼死なんて見たくないだけ。……大体、ルカも傍にいる。この子はまだ子供だし、死ぬにはちょっと早すぎる。






 ただ、それだけ。




「……なぜ助ける? お前はその男を憎んでいるはずだ。フレア・ローズ・イグニスは父親に嫌われている。だからそいつを殺せばお前は喜ぶだろう?」




 やっぱりこの目の前の男は、頭のネジが一本どころか十本くらい外れてるのね。




「はっ、ふざけんじゃないわよ。あんたみたいな殺人鬼と一緒にしないで。憎いくらいで命を奪うような馬鹿が、私はいっちばん大っ嫌いなのよ……!! 人の命の重みを知らないあんたのような人間には一生わからないんでしょうけどね……!」






 私は剣を構えた。


 今の私には体力がない。消耗戦なんて持ち込まれたら勝ち目はない。仕留める。一発で。いやせめて二発で。そう何度も剣を振るいたくないし、私はこんなことせずにさっさとふかふかのソファに座ってお茶を飲みたいのよ……!!!




「…………ッ!!!」




 アグニが警戒したけれど、その口元は変わらず楽しそうにニヤついている。




 ああ、その間抜け面のままぶった切ってやりたい。








「――ッ、――!!」








 駆け抜けた一閃のまま、私はバルコニーから宙に飛び出していた。


 受け身を取って地面に転がる。顔を上げれば、すぐにアグニも柵に足をかけて私を見下ろしていた。みぞおちの辺りを抑えているけれど……意識はある。てことは失敗か。




「……チッ」


「フレア様!! 早くお逃げ――」


「うっさい邪魔すんじゃないわよ!! 怪我したくなかったら離れて!! 次で仕留める!」




 私を保護しようとしたのか僅かに近寄った騎士団長の言葉を怒鳴り返す。すると面白いくらい周りの団員たちが殺気だった。「遂に頭が――」「この事態が理解できてないのか!?」「あの馬鹿娘を早く避難させろ!」――ああ煩い。馬鹿は余計よ。そうよね、ここからじゃ上の様子はよく見えないわよね、アグニに放り出されて落ちてきたように見えたのかもしれないけど、ちゃんと受け身を取ってるところにもう少し着目してくれない? バルコニーに駆け上がったところを見たなら、わかるじゃん、ほら、いろいろと!








「黙れ!!!」








 アグニの大声が響いた。




「邪魔するな……俺とこいつの、殺し合いだ」






 奴が飛び上がる。受け身も取らず、両脚で着地。地面がビキビキと音を立てて割れた。


 ……ほんと、化け物みたい。ちょっと引くんですけど。


 


 


 殺し合いでしか生きる意味を見いだせない、可哀想な生き物。




 私も、一歩間違えればこうなってたのかしら。


 はあ……なってたでしょうね。小説ではそんな感じだった気がする。


 父親を死に追いやり、ああこんな簡単なことだったんだって気づいた小説の私は……その後、人の死に鈍感になる。自分のためなら人の命をなんとも思わないし、現に王太子殿下を奪われそうだと思った時は主人公を何度も殺そうとした。








 そしていつも孤独だった。




 




 あんたもそうなんでしょう? 可哀想に。


 でも仕方ないわね、こればっかりは。あんたは運が悪かったのよ。出会うべき人に出会えなかった。かといって、そのためにあんたを終わらせるのは、私の役目じゃない。






 呼吸を整え、剣を構える。奴を真正面から捉える。ふう、と息を吐いて整えれば、昔よく口にした言葉が自然と出ていた。








「……――」








 揺れる大地を駆け抜けた。


 アグニの拳は硬い。振り下ろされるそれはまるで刃のようだった。筋肉が硬化し人の体の限界を超えている。無数の攻撃を全て弾き、懐手前で踏み込む。飛び上がり、その勢いのまま剣を振るった。




 彼の背後まで通り過ぎたところで、振り返る。


 ぐしゃりと、その場に崩れ落ちる音がした。


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