第4話 焦る
あーもう、腰が痛いわね……。
まるで田植えでもしているみたい。水底に手を滑らせながら、私はルカのペンダントを探していた。
別に、いきなり人助けに目覚めた訳でも何でもないから。これをしていれば王宮に行けなかった理由になるし、可愛いルカの手助けをしていたならあのお父様もそんなに怒れないだろうってだけ。つまり彼を利用するためにやっているに過ぎない。
ちら、とルカの様子を窺うと、顔を真っ赤にして一生懸命探している。
空を見上げると、陽が傾き始めていた。そんなに時間が経った訳でもないと思うけど、そもそも探し始めた段階で遅かったし、仕方ないか。
一日が長すぎる。再婚を知って王太子から暴言を受けて前世思い出して今は田植え……じゃない、ペンダント探しだ。
「後は私が探しとくから、あなたは一旦屋敷に行ったら?」
「え? でも……」
「いろいろ忙しいんじゃないの? あなたがずっといないんじゃ、あなたのお母様も心配すると思うけど」
「そう、ですね……」
ルカは迷っているようだ。私に後を任せるのが不安なのはすごくよくわかる。ちゃんと探してくれなさそうだよね、うん。
「ちゃんと探すって約束するから。……ほんとに」
「あ、ありがとう、ございます……」
まだ信じているようには見えなかったけれど、彼は深々と礼をして走って行った。たまにチラチラとこちらを振り返っているところを見ると、私への信頼は地の底よりも低いんでしょうね。
やれやれ、探すわよ、探しますよ~。ルカを虐めたらお父様から雷を落とされるし、あの子ならまだ懐柔できそうだしね。あの子の母親はどんな人だったかしら。ルカによく似て、おどおどした感じの人だったように思うから、喧嘩する心配はないかもね。
ロケットペンダント、かあ……。
いいなあ、お母様からのプレゼント。私は親からプレゼントなんてもらったことない。前世も、今世も。お父様には生まれた時から嫌われていたし、お母様はお父様を振り向かせることに夢中で私のことなんてほったらかしだったし。
「はあ……」
いっそ、処刑される前に行方をくらませちゃう?
私の人生、今の時点でけっこう詰んでるし、これから本邸での私の居場所なんてどこにもないわけだし。お父様と新しい奥様がイチャイチャして、ルカが愛されて、新しく子供も生まれて……。そこに、私が入る隙間なんて一寸もないじゃない。
小説のフレアはよく耐えたわね。
私だったらこんな環境、耐えられ……あれ?
何か、一つ忘れているような……
そもそもイグニス公爵って……お父様だったっけ?
「あれ……?」
ぽつんと出てきた疑問は、次第に大きくなって私の心の中を占めていった。いや、あり得ない。イグニス公爵がお父様じゃないなんて、あり得ないのに……。
何か、大きなことを忘れているような……。気持ち悪い。もうちょっとで出てきそうなのに、あとちょっとのところで出てこない。
私はうんうん唸りながら夢中で手を動かした。
コツン。
硬い金属の感触がして、私はそれを手に取った。
陽光に煌めく、つるりと美しい質感。金ぴかだけど、表面には赤い薔薇の緻密な文様が刻まれている。ルカの探していたもので間違いないだろう。ほっと安心はしたけれど、私はどす黒い靄のようなものがますます胸に広がるのを感じた。
何か、とても大切なことを忘れている。
間違いなく。
「ペンダント……イグニス公爵……」
……そうだ。
六年後、近衛騎士の主人公はイグニス公爵とも知り合うようになった気がする。そうそう、公爵は明るくて朗らかな主人公に淡い思いを抱くようになって、彼女を初恋の人と……え、お父様、ロリコン? 相手は十六の少女よ? いやいや、それはないか。あの人は新しい奥様一筋でしょ? 初恋っていうのもありえない。じゃあ、小説のイグニス公爵って……
『このペンダントを見るたび、僕は母に責められているように感じるのです』
「あ……」
思い、出した。
思い出すのが、遅すぎた。
そうだ、小説のイグニス公爵はお父様じゃない!
フレアの義兄、ルカのことだ!!
なぜ彼が幼くして公爵位を継がねばならなかったのか。それは……
お父様が亡くなるからだ。
今日、これから。暗殺者に狙われて……
いや違う! 狙われるのは奥様だ。奥様が殺され、屋敷には火を放たれ、お父様は彼女を助け出そうとして命を落とす。
サアっと血の気が引いた。
思い出してみれば、瞬く間に小説の記憶が蘇った。
まずい、まずい、これはまずい! しかもこのままだと、もしかしたらルカまで……? 嫌な想像が頭を駆け巡る。どうしよう、どうしようとパニックになりかける頭を、深呼吸でどうにか落ち着ける。
……落ち着いて考えてみれば、私が何かする必要はないんじゃないだろうか。だって、関係ないし。あの幸せな家族に何があったって、私には関係ない。私は別に家族でもなんでもないんだから。ここでじっとして、事が終わるまで待っていればいいんじゃない? 運が良ければ皆助かるかもしれないし、それに、それに……
『父親が罪人の、呪われた子、呪われた血』
ルカを蔑む声が頭の中で蘇る。
その言葉は、そのまま私の心を突き刺した。
……ああもう、本当に邪魔。前世の記憶があるせいで、余計なことに心を乱される。
ルカの心を刺すあの言葉は、そのまま前世の私へ向けられたものと同じだった。
ルカの母親は、元々イグニス公爵家の娘で、お父様とは幼い頃からの付き合いだった。反対する者なんて誰もいない、祝福された婚約だった。
けれどある日、街に出かけた彼女は、無法者の男に襲われてしまう。
男はその後、その罪を問われて処刑されたけれど、すでに彼女の腹には新しい命が宿っていた。そうして生まれたのが、ルカだった。彼女は自らお父様から身を引いた。汚されてしまった自分に彼の隣は釣り合わない、と言って。
遠い帝国の令嬢であったお母様は、お父様に一目惚れして、以前から執拗に結婚を迫っていた。彼女が、あの男を使ってルカの母親を襲わせたのだと……そう噂されるのに、時間はかからなかった。本当にそういうことをしそうなほど浅はかで、欲深い女性だったのだろう。帝国からの圧力もあって、お父様は国のために泣く泣くお母様と結婚した。
お母様は亡くなり何年もの時が流れ、そして今日ルカの母親とお父様はようやく結ばれる。晴れて夫婦になる。でもそのことをよく思わない人がいた。彼らにとってルカの母親は汚れていて、イグニス公爵夫人には相応しくないと言うことらしい。
だから屋敷の引っ越し日である今日、一番混乱の生じやすい今日を狙って暗殺者を放つのだ。
…………
前世の私の母親は、異国の男に襲われた。
母親は小さな村に暮らす普通の農民。男は船に乗って流れ着いたのか、言葉も介さない異人だった。うら若く美しい乙女だった母親には、婚約者だっていた。でもその事件で婚約は破棄され、母は汚れていると嘲笑されるようになった。
生まれてきた私は、不運なことに父親と同じ、金の髪に青い目に白い肌を持っていた。『鬼子』と呼ばれ、石を投げられ蔑まれた。
誹謗中傷に疲れた母は、「こんな気持ち悪い鬼子を産んでしまってもう生きていけない」と、ある日無理心中を図った。私を抱いたまま荒れ狂う川に身を投げた。母はその後亡くなったが……私は、助かってしまった。母の亡骸を置いて、私は逃げ出した。
「……はあ」
嫌になるほど、似た境遇。
でも私はあんたが羨ましい。私は親に愛された記憶がないから。あんたは……ルカは、こんな綺麗なペンダントを貰うくらい、愛されている。良かったね、父親に似なくて。父親に似ていたら、きっとあんただって……愛して、もらえなかったよ。
いっそ、このペンダント貰っちゃおうかな。
綺麗だし、ルカがもし死んじゃったら必要ないし…。
私は今度こそ幸せになるのよ。誰かのためじゃなくて、自分のためだけに生きるの。処刑なんて絶対ご免だし、平凡でも幸せに生きてみせるの。もう二度と剣なんて……
『お母様が、誕生日にくれた、大切な…』
…………
………………あーあ。
ほんと、嫌になっちゃう。
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