目標の決定

 湖の淵に腰かけて足を下ろす。

 冷たい湖の水に足首のあたりまでが浸かって心地いい。シオンが子狐の姿で膝に乗ってきたので軽く撫でてやりながらひなたぼっこをする。

 レンは念願の水着姿である。

 しかも黒の露出多めなタイプ。ある意味、男の頃から憧れだった。こんな水着、スタイルに自信がないととても着けられない。せっかくスキルで体型を安定させられるようになったのだから着ないと損だった。

 男子だった頃にはまさか自分が着ることになるとは思わなかったが。


「背中の翼もこういう時には難儀なものね」

「ミーティア」


 褐色肌の美少女が肌を着衣を濡らした状態で近づいてくる。

 ファンタジー世界の住人であった彼女的に「水浴びは裸でするもの」らしいのだが、同時に「姫の裸はみだりに晒すものではない」ということで浴衣のような薄い衣を纏っている。

 当然、濡れた布地は肌に張り付いて見事なボディラインを強調、さらにはうっすら透けてある意味「裸よりもエロい」光景になってしまっているが、まあ、例によって今、この湖には女子しかいないので問題はない。


「そっちは楽しんでるみたいだね」

「ええ。入浴もいいけれど、やっぱり水浴びは格別ね。ここの水は綺麗だから猶更だわ」


 言ってその場にしゃがみ、手のひらでお椀をつくる彼女。しばしそれを見つめた後「ちょっと悪戯してやろうかしら」とでも考えたのかレンたちを見てくる。敏感に察したシオンが「やめてください」と視線で訴えると、しぶしぶ水を湖に落とした。

 と、ミーティアの褐色肌へ対照的な白さを誇る細い腕が巻き付く。

 後ろから抱きついたフーリはお姫様へと胸を押し付けながらレンたちに微笑みかけて、


「湖、みんなで来られて良かったねー」

「そうだね」


 オーガとの戦いに明け暮れている間に季節はあっという間に春から夏へ。八月に入って本格的に暑くなってきたのを受け、レンたちは湖へと泳ぎに来ていた。

 周りには同様に水に浸かりにきた女子のグループがいくつもある。山の方は今年中にできそうな勢いだが、いまだ海の方は目途すら立っていない状況。水で遊べるのはここと川くらいなので大人気だ。


「海ね。そっちはさすがに私も見たことないのよね」

「あ、そうなんだ?」

「ええ。だって海の近くは緑が少ないでしょう?」

「あー」


 すぐ近くに森があるようなところも皆無ではなかったような気がするが、確かにあんまり記憶にない。おそらく、一部を除いた樹木は塩に弱いのだろう。そうなると森に住む種族であるエルフやダークエルフにとって無理に行く場所ではないのか。


「海エルフとかいないのかな?」

「海はマーメイドやシーマンなんかのテリトリーね。さすがの水の精霊魔法じゃ奴らには敵わないんじゃないかしら」

「さすがファンタジー、いろいろいるなあ」


 そのうちこの世界にも人魚系の種族が現れるのだろうか。


「下半身が魚になってしまうと生活が大変そうですね……。わたくしはまだ地面を歩くことはできましたが、それもままならないわけですから」

「確かに。水がないところじゃ長時間生きられそうにないか。普通の家じゃお風呂を占領してもらうしかないね」


 それこそこの湖か、あるいは神社傍の水場にでも住んでもらうしかない。その間に専用の池かなにかを作って移動してもらう感じか。


「服も水着じゃないと着られなさそう」

「慣れたら裸でも気にならなくなるんじゃない? シオンちゃんも狐の時は服とか欲しがってないし」

「そうですね。あまり裸に慣れ過ぎると人間に戻った後に難儀しそうですが……」


 人間に戻った後。

 悩みを思い出したレンは思わず遠い目をしてしまった。フーリにミーティア、シオンまでもが「あー」という顔をして、


「……本当、どうしようね」

「そうね。私としてはあなたたちは悩み過ぎだと思うけれど。十年や二十年かかったところでそれが何? とは言えないんでしょうね、人間の場合」

「うん」


 今、レンたちは「このまま突き進む」か「いったん長めの準備期間を置く」かという選択に迫られている。

 準備期間は長めも長め、妊娠・子育ても視野に入れるのだから少なくとも年単位だ。もちろんその間もダンジョンへまったく潜らないわけではなく、手の空いている二、三名でレベル上げがてら資金調達には向かうことになる。そうやっていれば自然とレベルも上がるという計算なのだが。

 当然、攻略にかかる時間は増える。


 ──初期転移者たちの寿命、というタイムリミットが気になるところだ。


 このまま突き進むのはかなりリスクが高い。

 少なくともレベル上げは必要だろう。ある程度安全に突破できるようにするためには今まで以上に経験を積む必要がある。

 なるべく時間をかけず、となると「週二回」だった探索をもっと増やさなければならない。極端な話、週七まで増やせばレベルアップのペースは三倍以上だ。

 もちろん、そんなことをすれば心にも身体にも大きな負担がかかる。

 ただ、異種族パーティであるレンたちならやってやれないことはない。


「さすがに無茶よ。できないことをやろうとするのは愚かだわ」

「さすがに毎日ダンジョンに行く気はないよ。でも、ここに腰を据えるつもりで行くかどうかは本当に考えたほうがいい」


 今までだって考えていなかったわけではない。

 ただ、わりと順調に攻略できていたので「このまま一気にいけるんじゃないか」という思いがあった。それが四十階の戦いによって「普通に攻略してもあと十年かかるんじゃないか」という思いに変わってしまったのだ。

 先を見据え続け、レベル上げと綱渡りを繰り返して十年はさすがに辛い。

 ミーティアがわざと聞こえるようにため息をついて、


「どうしてあなたたちがそこまで頑張るの? 別にできる範囲でやればいいじゃない」

「人間だからだよ。ここで諦めたら、日本に帰れない人がぐっと増えるかもしれない。新しく召喚されてくる人も」


 ダンジョンの難易度はどんどん上がる。

 賢者の言っていたような人海戦術を取らないのであれば、強力な個の力で突破するしかない。そして、おそらくそれができるのはレンたちだ。

 英雄めいたパーティが他に出てきてくれれば任せてもいいのだが。

 レンたちが街の人たちから期待視されまくっているのを見る限り、そう簡単には行きそうにない。来年以降の転移者に賭けるというのはあまりにも無責任すぎる。


「ちゃんと目指し続けないと、どうでも良くなっちゃう気もするんだ」


 今のレンたちには長い寿命がある。

 普通にしていれば人間よりもずっと長く生きられる。おまけにレンに関しては人間だった時から大きく姿が変わってしまっている。

 今から男に戻ったとして喜べるか、普通に生活できるかというとかなり怪しい。これがさらに数年経ってしまえばおそらく「ダンジョンはクリアしたいけど人間に戻りたくはない」という気持ちに変わるだろう。

 そうなったら日本に帰る理由がない。


「……まあねー。帰れなかったら帰れないで別にいいかな、っていうのはあるよね」


 フーリが目を細めて空を見上げる。木漏れ日が眩しい。


「そりゃ、お父さんやお母さん、友達には会いたいけど。みんなが高校生とか社会人になっている中、私たちだけ高校中退。……だったらいっそ、戻れないなら戻れないで諦めちゃった方が楽じゃない? って思ったりする」


 若者故の感覚かもしれない。あるいは、これも異種族になったせいか。

 街の人の多くは「帰れるなら帰りたい」と言っている。年月によって故郷への想いが強くなっているのかもしれない。

 誰だって死を意識したら心残りを晴らしたくなる。


「なら、それでも戦おうとするのはどうしてよ」

「アイリスのため、でしょう?」


 答える声は背後から聞こえた。

 振り返ると、そこにはよく似た二人の少女──もとい、少女と女性が立っていた。共に金髪碧眼でよく似た顔立ちながら、女性の方は少女よりもはっきりと耳が尖っている。

 アイリス、そしてアイリスの母親だ。

 少女の方はどこかしゅんとしており、親に叱られた子供のようだ。

 アイリスの母は微笑んで、


「アイリスから聞きました。レンさんたちが今後の身の振り方で悩んでいる、と」

「……はい」


 レンたちとしても少々決まりが悪い。指摘された通り、ダンジョンを攻略したい一番の理由はアイリスのため。それをさらに突き詰めるとアイリスの両親──特に父親のためになる。

 エルフとしては若い、それでもレンたちよりはずっと長く生きている女性は全てわかっているという風に頷いて、


「私たちのことはお気になさらず。皆さんは皆さんのしたいようにしてください。これは私だけでなく、夫も同じ意見です」

「でも、それは」


 彼女はともかく、アイリスの父はもう二度と日本に帰れないかもしれない。

 当人たちにレンたちの想いが知られれば「そこまで頑張らなくていい」と言われるのはある意味当然だ。レンだって立場が逆ならおそらくそう言う。自分たちのために他の誰かがそこまで頑張るなんておかしいと思う。

 ただ、だからといって諦められないのも事実。

 しかし、


「レンさんたちだけが背負うことではありません」


 アイリスの母は少しだけ語気を強めてきっぱりと言った。


「アイリスにもそう言いました。もちろん気持ちは嬉しいですが、それはアイリスやレンさんたちが私たちのことを思ってくれていること自体に対してです。みなさんが無理をしてまでダンジョンを攻略しようとすることは望んでいません」

「お母さん」

「もちろん、日本に帰れれば嬉しいでしょう。ですが、そのために誰かが辛い思いをしたり怪我をしたり、亡くなったりすれば、ただ喜ぶだけというわけにはいかないでしょう?」


 同じようなことを諭されたのだろう。アイリスも強くなにかを言うことはできないでいる。アイリスの母が言ったことは正論だ。

 先にタイムリミットが来る側からの意見だからこそ重みもある。


「そもそも、どうしても帰りたいと言うのならその当人が身体を張るべきでしょう。……いざとなれば私にもその覚悟はあります」

「あら、戦うの? たかだか三、四十年しか生きていないエルフの癖に」

「必要とあらば。私も元は人間ですからね」


 年齢で言えばミーティアのほうが上なのだろうが、大人なのはアイリスの母のほうだった。親だから、というのもあるだろうし、人間は精神的に成熟するスピードが速いからというのもあるだろう。

 彼女は少し悪戯っぽく微笑んで、


「娘たちももう全員、手がかからなくなりました。下の子たちもダンジョンに興味を示しているようですし、いっそのこと母娘三人で挑戦しましょうか」

「それは……あのおっさんが大喜びしそうですけど」

「賢者様は放っておいて構いません。大事なのは、レンさんたちに『他人に期待してもいいのだ』と知っていただくことです」


 今なお攻略を続けている先達もいる。

 後輩たちだってそれぞれに頑張っている。その中にはレンたちの存在によってダンジョンに潜り始めた者も交ざっている。

 レンたちだけが頑張る必要はない。


「それを踏まえて考えてみてください。……アイリスが我が儘を言うようならもう一度叱りますので、遠慮なく言ってくださいね」

「……ありがとうございます」


 家に帰った後、アイリスは「すみませんでした」とぽつりと言った。


「私もどうしていいかわからなくなっちゃって。レンさんたちに不満があったわけじゃないんです」

「ありがとう、アイリス。大丈夫だから落ち着いて」


 今にも泣きそうな少女をなだめ、リビングに落ち着く。

 ちなみにメイは川のほうで石を食べていた。合流した彼女は「ご主人様の判断に委ねます」と一言である。嫌なことは嫌だと言う子なのでこれは本心だろう。信頼されている、ということなのかもしれない。

 しばらくして落ち着いたアイリスは「もう大丈夫です」と言って、


「お母さんに叱られちゃいました。……お父さんを日本に帰したいのは変わりませんけど、無茶をしてまで頑張るのは止めようと思います」

「そうだね。わたしもそれがいいと思う」


 頷いて答えると、フーリが「それって、つまりどういうこと?」と首を傾げた。


「お休みするの? それとも続けるの?」

「ん……もうしばらく続けてみない? もちろんレベル上げは挟むけど、ダンジョンに行くのは今まで通り週二回。十分に強くなってから挑戦して、五十階までクリアしてからまた考えよう」


 判断を先延ばしにしただけ、とも言える。

 ただ、五十階まで到達できればキリがいいのも事実だ。若手がそこまで到達した、という事実が残れば後続も出てくるかもしれない。しばらく休むにせよ、再開する時に「あと半分だ!」と思うのと「あと半分以上あるのか……」と思うのでは気分も違うだろう。

 仲間たちも反対はしなかった。


「いいんじゃない? 力を蓄えながら、と言うのであれば反対する理由はないわ」

「だね。ぶっちゃけ、いきなり子育てしろって言われても『まだ早くない?』って思っちゃう感じだし」

「わたくしも賛成です。休む前に行けるところまで行っておきましょう」

「誰にも破れない五十階到達記録を打ち立てておきましょう。そうすれば当分の間ドヤ顔できます」

「ありがとうございます、レンさん。私もたくさん頑張りますね……!」


 こうして、レンたちは目標を「五十階攻略」に定めた。

 ネイティブ世代がクラスレベルを得た今、果たしてそこではなにが得られるのだろうか。

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