第三章

三十一年目の召喚と新しい仲間

 平凡な男子高校生だったのに、ある日突然異世界に召喚されてサキュバスにされた少年(今は少女)──レンの朝は早い。

 街のどこかでニワトリが鳴くのと、食事の支度のために魔法で火を起こす必要があるからだ。

 では、レンが朝に強いかというと実はそうでもない。

 エナジードレインによる「食いだめ」が可能なうえ、人と一緒に寝ている時はだいたい朝まで「お腹いっぱい」の状態なので起きる必要があまりない。外的要因によって起こされるか、強い意志の力で目覚めなければ二度寝三度寝は余裕である。

 なので、誰かと寝るとたいていレンの方が遅く起きる。


 その日も、目覚めると間近にフーリの瞳があった。


「おはよ、レン」


 他でもないレンの腕に抱きしめられたまま、幸せそうに微笑む彼女。

 お互いに一糸纏わぬ姿なのは昨夜の名残だ。

 けっこう疲れる行為だったはずなのだが、少女の肌はむしろつやつやしている。男は吐き出し、女はその分満たされる……そんなエロ漫画でありそうな光景が真実なのだということを、レンは異世界に来てから知った。


「おはよう、フーリ」


 微笑みを返し、腕を離す。

 代わりに少女の頭に手を伸ばして弄ぶようにすると「もう、髪乱れちゃう」と抗議された。


「どうせ一回整えないとだめだろ」

「じゃあ、私もレンの髪で遊ぶ」

「わ、馬鹿やめろ」


 サキュバスになって以来、毛先を整える程度でばっさり切ったことのない髪はかなり伸び、特に縛っていない今はシーツの上に好き放題に広がっている。異種族パワーなのか特に痛む様子がないのは助かるものの、長い分だけいじられた時の被害は大きい。

 しかし、止めろと言って止めてくれるフーリではなく、彼女は毛糸玉にじゃれる子猫のごとくレンの髪を触り倒した。

 こうなったらさらに反撃するしかない。

 指を相手の髪ではなく脇へとのばし、くすぐるように動かす。手先の器用さは自慢のひとつだ。フーリはすぐに笑い声を上げ、手を離した。


「もう、こら、やめなさい」


 頬を両手で包み込まれて、キスをされる。

 舌を絡め、数秒で離れると再び笑いあった。


「なんか爛れちゃってるね、私たち」

「これくらい普通だろ。……好きでもないやつとはこんなことできない」

「ん。そうだね。好きだよレン」

「俺も、フーリのことが大好きだ」


 暖かくなったせいでベッドの上がより心地良くなり、ついつい起き上がる機会を逃してしまう。

 そろそろ身支度を整えるべきだが、もう一回くらいキスをしてもいいか……と思ったところで、部屋のドアがノックされた。


「ご主人様、フーリさん。起きていらっしゃいますか? お待ちかねのイベントが始まりましたよ」

「え、本当?」


 慌てて身を起こした二人はいつもより手早く身支度を終えて家の外に出た。

 視線を向けるのは街の中央、神殿の方向。

 すると、


「わ、光ってる」

「光ってるな」


 夜のうちに始まったのか、神殿はぼんやりと、しかし確実に光を放っていた。

 賢者から聞いていた召喚の準備段階。

 カレンダーは六月中旬。まだかまだかと待っていたがとうとう始まったらしい。


「なんかちょっとわくわくするね」

「ああ。ちょっと不安もあるけど」


 神殿が光り始めたらダンジョン探索は休みにしよう、と決めていた。この二、三日はのんびり過ごして新しい転移者の来訪を待つことにする。

 逆に大人たち、特に賢者は忙しくなる季節だ。

 五月あたりから空き家が掃除され、初心者向けの物資がたくさん準備されていた。レンたちが新人と大きく関わることはおそらくないだろうが、果たしてどうなることやら。



   ◇    ◇    ◇



 野次馬をしに行きたいような、関わらないで済むならその方がいいような。

 微妙にそわそわした気分になりつつ数日が経ち、神殿が「あの時」と同じ強烈な輝きを放つのを見た。

 しばらくすると輝きは消え、いつもの神殿の姿が戻ってくる。

 無事かどうかはわからないものの、ともかく召喚自体は終わったらしい。


「これで夜も安心して眠れますね」


 こちらで生まれ育ったアイリスは慣れっこなのか、発光の終了に対してそんな身も蓋もない感想を口にしてくれた。

 昼でも夜でも光りっぱなしだったので寝る時邪魔だったのは確かである。特に昨夜なんて「どうにかならないのかこの光」と若干イライラした。


「あと何年かしたら俺たちも慣れてそういう感想になるのかなあ」

「かもねー。お正月とか節分とかと同じ感覚?」


 ともあれ光も消えたことだし、明日あたりからまたダンジョン探索を再開することにする。

 二十一階からダンジョンはまた厳しくなった。もちろんニ十階ほどの難易度ではないものの、新しく敵として登場したリザードマンはゴブリン以上の体格とオーク以上の俊敏さを併せ持ち、なおかつ巧みに武器を使いこなす強敵だ。

 罠もまた増えたため注意して攻略しないと大けがを負いかねない。新しい感覚に慣らすためにもコツコツとした攻略が必要だ。


「そろそろお昼だね。アイリスちゃん、準備しよっか」

「はい。今日は何にしますか?」

「そうだなあ……サンドイッチとか?」


 食材が限られるので料理のレパートリーはそう多くないものの、生活費に余裕ができてきたことで安定して買える食材も増えてきた。

 初心者割引の終了で食生活が逆戻りしないことを願いつつ、レンはメイの方を振り返って、


「なあ、メイ。なにか手伝うことあるか?」

「午前中の家事は終了しました。ご主人様は座っていてください」


 ひなたぼっこをしているゴーレムの少女はいつも通り、若干冷たいとも取れる淡々とした口調で返してきた。ちなみにいつもこうなので別に怒っているわけでもなんでもない。なんだかんだ半年以上も一緒にいるのでレンたちももう慣れた。

 ただ、座っていろと言われてもなんだか昭和のお父さんをしているみたいで落ち着かないのだが──と。


「すまない。レンたちはいるか? 話があるのだが?」


 レンがそわそわしながら食事の支度を見守っていると、家の入り口の方から珍しい声がした。


「お? 賢者のおっさんが向こうから来るとか珍しいな」

「タイミング的にまた変なお願いっぽいね。レン、出てもらえる?」

「ああ、もちろん。……メイ、一応ついて来てくれるか?」

「お任せください」


 ひなたぼっこ用にレンの服を着たゴーレムの少女を後ろに従え、ドアを開ける。


「ああ、良かった。きちんと家にいてくれたか」

「どうしたんだよおっさん。……特にその腕の中のやつとか」


 賢者は一人だった。

 てっきり誰か連れているかと思ったので拍子抜けした直後、レンは彼が正確には一人じゃないことに気づいた。

 人は連れていないが、一匹の動物を抱いていたのだ。

 若干神経質そうな中年のおっさんが大事そうに動物を抱きかかえている図。なかなかに似合わない。

 すると賢者は困ったような表情を浮かべて、


「ああ。は少々訳ありでな。君達に守ってもらえないかと思って連れてきたのだ」

「彼女」


 嫌な予感というか、話の筋が読めてきたというか。

 じっと見つめると、それ──若干焦げた黄色というか黄みがかった茶色というか、つまりはをした生き物は、はっきりとした意思を感じられる澄んだ瞳でレンを見返してきた。


「初めまして。このような格好で申し訳ございません。こちらであれば今のわたくしでも違和感なく受け入れてくださると伺ってまいりました。恐れ入りますが、あなたがレンさまでいらっしゃいますか?」

「ああ、俺がレンだけど……」


 猫と変わらないサイズの子狐から明瞭な日本語が発せられたことについ目を瞬いてしまう。


「もしかして、君も元日本人──さっき『祝福』をもらってそんな姿になったのか?」

「ご明察です。突然のことで、わたくしとしても戸惑っているのですが……」


 しゅん、と、耳と目を伏せる彼女。


「可愛い」


 思わず呟けば、斜め後ろにいたメイも同じことを同時に呟いた。

 それを聞いた賢者はふっと笑って、


「やはり、君たちなら大丈夫そうだ。……ひとまず中で話をしたいのだが、構わないか?」

「ああ。そういうことならもちろん」


 ちょうどもう少しで昼食が出来上がる頃あいだ。

 フーリたちも交えて相談するためにも中へ入ってもらい、人数分の食事を用意する。

 事情を聞いたフーリたちも新たな異種族が人型すらしていないことに目を丸くしたものの、それはそれ、とすぐに順応して子狐しょうじょの分の食事に気を配ってくれる。


「サンドイッチだと食べにくいよね? 小さく千切ってお皿に並べればいいかな?」

「お手数をおかけいたします。そうしていただけると大変助かります」


 床の上だと話しづらいし、テーブルの上に乗ってもらうのもどうかと思ったので、レンが抱き上げてサンドイッチを運んでやることにした。

 狐を抱きしめるのは初めてだが、ふわふわとした毛並みがなんとも心地いい。

 フーリたちも抱きたがったものの、ここは食事量が少なくて済むレンが適任。役得というやつである。


「さて。……既に想像がついているだろうが、彼女は今年召喚されてきた新たな転移者の一人だ。ステータスに表示された種族名は『妖狐』」

「この世界はいわゆるファンタジーだと思っていたのですが、和風や中華風もありなのですね」

「異世界だからな。我々の基準による線引きなど無意味かもしれん。……そもそも、エルフやサキュバスが我々の知識と似通っている時点で、この世界の種族が再現されているのではなく、我々の常識を基に新たに種族を『創って』いるのかもしれん」


 ともかく、レアな種族を引いてしまったせいで彼女は狐になってしまったわけだ。


「一見して人に見えないのは困りますね。事情を知らなければ私、狩ろうとしていたかもしれません」

「か、狩られるのは困ります」

「待てアイリス。子狐を狩ったところで肉も毛皮もたかが知れているだろう。捕らえて育て、頃合いを見て仕留めるべきだ」

「おい待ておっさん。効率の話はよそでやれ」


 すかさずツッコミを入れると賢者は「しまった」という顔で咳ばらいをした。


「すまない。……ともかく、そういうわけでここに連れてきた。異種族は奇異の目で見られやすいが、彼女の場合は極めつけだからな」

「ああ。人型してないってのはある意味俺より困るかもな……」


 翼と尻尾と美貌のせいでやたらと目立つレンだが、それでも大まかに人の形は取っている。一目見て意思疎通が可能で、対等に話すべき相手だとわかるのは大きな利点だ。

 しかし、狐の姿では「たかが動物」と無意識に侮られ、軽く見られてしまいかねない。そこまで行かなくとも通行人に蹴っ飛ばされたりすることはあるだろう。


「あの、レンさまは元男性、なのですよね? 元に戻る方法はなかったのですか?」

「完全に元に戻る方法、っていうのは残念ながら見つかってないんだ」

「人間に種族変更するアイテムは存在する。私も所持しているが、それを用いたとしてもレンの『性別』が戻る保証はない。容姿もな」


 二度の変更よりも一度の変更で留めておく方が元の姿に戻れる可能性はまだ高い。


「君の場合も残念ながら似たようなものだ。その姿からアイテムで人間に戻った場合、容姿が元の姿なのか『現在の姿を基にした人間体』なのか保証できない」


 例えば金髪に近い髪の和風美少女になってしまうかもしれない。それでもいい、というのならとりあえず人間にはなれるが、いつか日本に帰れた時に苦労する覚悟が必要だ。

 狐の姿になってしまった少女はため息をついて、


「……運命というものはままならないものですね」

「あまり気を落とさない方がいい。その姿と力はダンジョンに潜り、生活費を稼ぐにあたっては役立つだろう。異種族は揃って多彩かつ強力だからな」

「異種族──」


 少女の顔がレンへと向けられる。


「ああ。人間じゃない、ってわかりやすいって意味では俺が一番かもしれない」


 何しろ翼と尻尾である。


「あのおっさんも価値観が特殊なだけで悪いやつじゃないんだ。ここに連れてきたのも単に君が心配だったからだろ」

「……レン。君は私の事をマッドサイエンティストか何かだと勘違いしていないか?」

「似たようなものだろ実際」


 賢者が「解せぬ」といった感じの表情で黙った。

 そんな二人のやり取りを見つめていた妖狐の少女は「あの」と声を上げて、


「わたくしからもお願いします。わたくしをここへ置いていただけないでしょうか?」

「ああ、それはもちろん──」


 いいよな? という確認のために仲間たちを見ると、みんな「もちろん」と笑顔で頷いてくれる。


「困ってる子を放っておけるわけないよ」

「はい。寝床も食事も困ると思いますし、傍に誰かいた方がいいです」

「最年少の座を譲れなさそうなのは残念ですが、反対する理由はありません」


 レンとしても、ここまで話を聞いてしまったら情が移る。

 礼儀正しい良い子のようだし、なにより可愛い。


「でも、大丈夫か? 友達と別々に暮らすことになるけど」

「はい、承知しております。……友人を貶すつもりはありませんが、彼女たちも混乱のさ中にあります。姿が全く変わってしまったわたくしは重荷になってしまうでしょう」

「そっか。しっかりしてるんだね……。私だったら泣き出しちゃうかも」


 悪い意味ではなく、心底感心するようにフーリが呟くと、


「突然いろいろなことがありすぎて感覚が麻痺しているのかもしれません。それに、こうして心配してくださる方にめぐり合えましたから」


 いい子過ぎる。

 いい子過ぎて一人にはしておけない。レンは深く頷いて最終決定を下した。


「是非うちで暮らしてくれ。……えっと、名前を聞いてなかったな。あだ名でもいいから教えてくれないか?」

「はい。わたくしは紫苑と申します。こちらではファーストネームで呼び合うのですよね? でしたらシオンとお呼びください」

「わかった。よろしく、シオン」


 こうしてパーティに妖狐・シオンが加わることになった。

 種族変更に関してはひとまず保留。賢者は「必要であればアイテムは提供する」と言ってくれたので急いで決める必要もない。気持ちの整理をつけるためにも先に他の問題を片付けることに。

 さっそく寝床をどうするかなど相談を開始──しようと思ったら、


「ありがとう。何か困った事があればこちらにも相談してくれ。……で、だ。彼女の件とは別にもう一つ相談があるのだが」

「まだなにかあるのかよ。お前、俺たちを便利使いしすぎだぞ」

「そうだよ賢者さん。もう帰っていいよ」

「そういうわけにもいかないのだ。良いから聞いてくれ。解決しなければお前たちも困ることになるかもしれん」


 そこまで言われては聞くしかない。

 レンたちは賢者のさらなる相談に耳を傾けることにした。

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