最終章-12 連れ去られたアルベール
こうなってみると、七年前にアルベールが濡れ衣を着せられたカンニング事件も、ジャンが黒幕だったに違いない。ジャンは自分が勝つためならば、なんだってする男なのだ。
急ぎ手を打たなければならないが、今この場にヴァネル伯爵はいない。父は伯母の夫である公爵閣下に火急の用で呼び出され、出かけてしまっている。その代わりに伯母が主催者代理を務めているのだが、騒ぎが起きている一角にはいないようだ。先程まであの辺りにいたのに、どこへ行ったのだろう?
とにかくここはイヴが対応しなければならない。現場に向かおうとしたところで、なぜかアルヴァ殿下にグイと腕を引かれた。
「――今は抵抗しないほうがいい。君も従犯だと疑われかねない」
耳を疑った。アルベールが拘束されているのだ。潔白だと知っている――いや、信じているイヴが、今彼のために声を上げなくて、どうするのだ。
「疑いはすぐに晴れる。大丈夫だ」
アルヴァ殿下が慰めるようにそう言ってくれるのだが、イヴからすると『本当に?』という気持ちだった。殿下は他人事だから、そんなふうに落ち着いていられるのでは?
こんなことがなくたって、ランクレ家の評判は最悪なのだ。
現実はこうだ――懐中時計の盗難事件が実際に起きており、被害者は評判の良い名家のご婦人。そして被疑者を拘束したのは、隣国の貴族社会ではそこそこの発言権を持つベイツ卿という紳士なのである。とどめにアルベールは皆の前でポケットを探られ、盗難品がそこから出てしまっている。これを引っくり返す手立てなど、果たしてあるのだろうか。
アルヴァ殿下と悶着しているうちに、アルベールはジャンとベイツ卿に連行される形で、会場内を歩かされ始めた。大広間から廊下に出る動線が、イヴのすぐそばを通る道筋だったので、彼が段々とこちらに近づいて来て、やがて彼女の傍らをかすめるように通り過ぎる。
アルベールがいつもの優美な物腰で、真っ直ぐにイヴを見つめ、
「お嬢様、心配なさらないでください」
と告げてきた。
「あなたが無罪だと、私は知っているから」
イヴのほうも気丈に彼を見つめ返した。
アルベールは終始落ち着いた態度で、衆人環視の中、会場を連行されていても恥じることなど何もないとばかりに堂々と振舞っていたのに、イヴのたったこれだけの台詞に不意を突かれ、一瞬だけ彼の端正なおもてに素の感情が浮かんだ。
不意打ちのように無防備な表情を浮かべた彼であったが、一拍置き、口元に淡い笑みを乗せる。それは間近にいるイヴだけが確認できた程度の、微かな変化であった。
急なことで、手錠も縄も準備してあるわけもなく――(もしかするとジャンは準備したかったのかもしれないが、もし持っていたとするなら、それこそ不自然である)――アルベールを真ん中に挟んで、ジャンとベイツ卿は彼をどこかへ連れて行こうとしていた。
アルベールの歩く姿は動作が美しく堂々としていたので、まったくもって連行されていく罪人には見えなかった。
むしろ目をギョロつかせて落ち着きなくあちこちキョロキョロと眺め回しているジャンのほうが、よっぽど姑息な小悪党みたいだと考えたのは、きっとイヴだけではないだろう。
――ベイツ卿がイヴのすぐ傍で足を止めた。
何かと思って顔を顰めながらそちらを見れば、彼はアルヴァ殿下を見かけたために立ち止まったらしいと分かった。自国の王族に自らの口で経緯の説明をしたいのだろう。普段はただただ怒りっぽくてみっともない人だけれど、上に媚びるのは上手いらしい。
ベイツ卿はアルヴァ殿下の元に留まる姿勢を見せ、ジャンのほうを振り返って、
「あとは一人でできるな」
というようなことを告げている。ジャンがそれに対し、得意げな顔で頷いているのが、まったくもって憎たらしい。
拳を握ってパンチして、鼻の骨をへし折ってやろうかと、イヴは半ば真剣に悩んでしまった。
去って行くアルベールを見送る余裕すらないイヴは、伯母の姿を探すことにした。ここまでの騒ぎになっているのに、あの人がまるで出て来ないというのもおかしい。
――するとその時、探していた伯母の姿が、視界の端を掠めた。なぜか母屋に通じるほうの廊下から、こっそり会場に入って来たのだ。彼女はベルベットの平らな宝石ケースを、鞄の中にそっと押し込んでいる。――急ぎ母屋からあれを持ち出し、小脇に挟んでここまで来たはいいが、人が大勢いる場所に出たことで、剥き出しのままではマズイと気づいたのだろうか。
伯母はそのまま人混みに紛れて、どこかへ消えてしまった。
「そんな……」
あのベルベットのケースは、アルベールが西の国からもらった例のエメラルドだ。あれをどうして伯母が、あんなふうにコソコソと持ち出したのだろう? そしてイヴが知る限りでは、伯母はあれがヴァネル邸にあることを、知らないはずだった。――でも違った?
イヴは激しく混乱し、その場に根が生えたように立ち尽くしていた。
ジャンが会場をあとにする前に、
「――これより、ヴァネル邸の家宅捜索を取り行う!」
と声高に宣言した。もう訳が分からない。
老嬢の懐中時計一つという、つまらない(と言い切ってしまっては失礼かもしれないが)盗難騒ぎに乗じて、ヴァネル邸を家宅捜索しようというのか。しかもすでに懐中時計は発見されているにも関わらず、だ。
一体、彼になんの権利があるというのだろう。普通ならこんなことはまったくもってありえないのだが、ジャンは当家の親戚筋であるし、加えて隣国では身分も高い。そんな彼が『身内の不祥事を正す』というていで押し進めているので、なぜか彼の主張が受け入れられてしまっている。
それに本夜会には開催前から、『闇オークションなるものが開かれるらしい』とのおかしな噂が流れていた。そんな事情も合わさって、会場全体に、『家宅捜索をされるだけの、なんらかの理由があるのでは?』『親戚筋の彼は、勇敢にもヴァネル家の不正を正そうとしているのでは?』という疑念が生まれつつあるようだった。
流れが傾けば、もう止めようもない。あとでこの判断が大問題になるとしても、今は流されるように、ジャンの思惑どおりにことが進んで行く。
イヴも警備兵に拘束されてしまった。彼らは本来、この夜会の警備をしてもらうためにこちらが雇った人間なのだが、いつの間にかジャンやベイツ卿が買収を終えていたらしく、イヴに対しても敵対的だった。
アルベールを連れて行かれる前に、ジャンと話したい――そう思ったのだが、すべてが遅かったようだ。ジャンとアルベールの姿は、すでに会場から消えていたからだ。
ジャンが家宅捜索を行うと訴えていたのは、カルネ婦人の懐中時計の盗難とはまるで関係がないところに狙いがある。少し前からジャンとベイツ卿を苦しめていた、例のエメラルド盗難事件を、ここで蒸し返すつもりだ。現物さえ出てくればどうでにでもなると思っているに違いない。
そもそもジャンはどうして、エメラルドが当家にあることを嗅ぎつけたのか?
――ああ、そうか、あの時の会話! 原因に思い至ったイヴは、自らの迂闊さを呪うことになる。
何日か前の話になるが、イヴはエメラルドの首飾りについて、アルベールを問い詰めかけたことがあった。あの時確か近くにはジャンがいて、アルベールに止められたイヴがすべてを口にすることはなかったのだが、小狡いジャンのことだ――あのやり取りからヒントを得て、真相に辿り着いたのかもしれない。
彼の狙いは実に良いところを突いていた。本来ならば、イヴがもらったエメラルドの首飾りは今もこの屋敷にあったはずで、家宅捜索でそれが見つかっていれば、イヴは終わりだった。
――けれど宝石は出てこない。なぜならば、伯母さまがどさくさに紛れて、持ち去ってしまったからだ。
では彼女が味方か? と問われれば、それも微妙だった。もしかするとジャンが言っていたとおり、伯母もなんらかの事情で金に困っていて、宝石を掠めとるチャンスを虎視眈々と狙っていたのかも。
もう何も信じられない。考えれば考えるほど、袋小路に追い詰められて行くのに、考えるのを止められない。頭の中で手がかりを追っていなければ、発狂しそうだった。
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