券売機

あべせい

券売機



 午後3時過ぎ、とあるカレーショップにネクタイを絞めたサラリーマン風の男性が入ってくる。

 店内はU字型のカウンター席のみで、数名の客がいる。

 注文する前にチケットを購入するシステムらしく、自動ドアのすぐそばに1台の券売機が設置されている。ネクタイの男性が食券を購入しようとして券売機に近付くと、1人の女性に制止された。

「ここはダメ。あっちを使ってください」

 なるほど、その券売機と向き合う形で、もう一方の壁沿いに同じような券売機がある。

 ネクタイの男性はそちらで食券を買って注文をすますと、女性が制止した券売機が見える位置のカウンター席を選んで腰掛けた。

 彼を制止した女性は、20代後半。黒縁のメガネをかけ、パリッとした紺色のスーツをうまく着こなしている。しかし、その姿勢はおかしい。券売機の下周辺をキョロキョロと見回している。

 そして、カウンターの中にいる女性店員に声をかけた。

 女性店員の胸には「薮下弥生」の名前が。

「すいません。いま、お金を落したンです。ここ、この下……」

 忙しそうに動き回っていた弥生は、

「店長!」

 大声で厨房の奥に向かって叫んだ。

 と、カウンター席からそのようすを見ていたネクタイの男性は、丸椅子から降りると、眼鏡の女性に近寄った。

「ちょっと失礼……」

 そう言い、上着の内ポケットから、伸縮式のアンテナのような細い棒をとりだした。

 そして券売機の前に屈むと、その棒を券売機と床のすきま、約3センチの空間に差し入れ、左右に動かした。

 いきなり大きな声で、

「お客さん、ナニやってンですか!」

 ネクタイの男性が振りかえると、40才前後の小太りの男が険しい顔で、一段高いカウンターの中から睨みつけている。

 弥生と同じユニホームを着ている。男の名札には「熊川申仁」の文字。

 ネクタイの男性は、険しい顔の熊川を店長とみたが、棒を動かすのをやめずに、

「この下に落としたコインを取っているンだ」

 すると、熊川は、

「困るンです。そんな勝手なことをされては」

「勝手なこと?……」

 ネクタイの男のコメカミが、ピピッと引きつった。

「アッ、出てきたわ」

 眼鏡の女性が、叫ぶ。

 券売機の下から押し出されてきたらしく、500円玉が2個、券売機そばの床に現れた。

「そォ……」

 しかし、ネクタイの男は、一向に棒を動かすことをやめようとしない。

 熊川は、憤然として、

「お客さん。聞こえないンですか。やめないと業務妨害で110番するゾ!」

 すごンだ。

 ところが、ネクタイの男性は、券売機の下を尚も棒で探りながら、

「まだ、まだまだ、ある……」

 500円コインの隣に、10円玉が3個、仲良く並んだ。

「あらッ……」

 眼鏡の女性の顔がパッと明るくなった。

 女性は、床にしゃがむと、500円玉1個と10円玉を1個、拾い上げた。

「ありがとうございます。これです、わたしが落としたお金……」

「そォ……」

 ネクタイの男性は、関心がないようすで、棒を動かし続ける。

「あのォ、もういいンです。見つかりましたから……」

 女性の声で、ネクタイの男性は、ようやく立ちあがる。手にしている細い金属棒は、綿ぼこりにまみれている。

「まだまだ、ありそうなンだけどなァ……」

 券売機の横の床を見ると、500円玉が1個に、10円玉が2個、50円玉が4個、5円玉が2個、1円玉が5個、並んでいる。

 熊川はカウンターから出てくると、無言でそれらのコインを拾い出した。

「キミは、ここの店長かい?」

 ネクタイの男性が、床にかがんでいる男に尋ねる。

 熊川は、不愉快そうな顔でネクタイの男性を振り仰いだ。

「そうです。ただの店員に見えますか?」

 憎まれ口をたたく。

「キミ、そのお金をどうするつもりだ?」

 熊川は拾い上げたコインをズボンのポケットに無造作に入れて立ちあがった。

「このお金は、こちらで管理します」

「それは当然だけど、落とし主が現れたら、どうする?」

「どうする、って?」

「本当の落とし主がどうか確かめて、間違いがなかったら、返却するンだろう?」

 熊川は、心底いやァな顔をした。

「当然です。私、仕事がありますから」

 言い捨てると、カウンター奥の厨房に消えた。

「当然か。まァ、いいだろう」

 ネクタイの男性は、そうつぶやくと、元のカウンター席に戻った。

 眼鏡の女性が遠慮がちに近寄り、

「どうも、ありがとうございました」

 と頭を下げる。

 ネクタイの男性は、

「失礼ですが、あなた、食事はこれからですか?」

「そのつもりでしたが、こんなことがあったので、ほかでとります」

「それがいい。ぼくもいま同じことを考えていたンです。この近くに、もっといい店があります。一緒にいかがですか?」

「はァ?……」

 眼鏡の女性は、戸惑っている。

 しかし、ネクタイの男性は強引だった。

「さァ、行きましょう。すぐそこです」

 ネクタイの男性は、女性を押し出すようにして一緒にドアの外へ。

「お客さん、トンカレー、できました!」

 店員の藪中弥生が、外に出ていく男に大声で呼びかける。

 男は、振り向きもせず、

「それ、キミにプレゼントするよ」


 5分後。

 カレー屋から300メートルほど離れたファミレスのテーブル席に、眼鏡の女性とネクタイの男性の姿があった。

「やっぱり、そうか。おかしいと思ったンだ」

「あなたもお仕事で、あの店に行かれたのですか?」

「そうだけど、その前に、互いに自己紹介しょうよ。ぼくは、進学塾『東京スクール』赤塚校で講師をしている来杉一員(きすぎかずお)」

「券売機の下を探るのに使ってらしたの、あれは授業で使う差し棒だったンですね」

 来杉は、内ポケットから、短くした差し棒を取りだし、

「これは塾で使う商売道具。で、あなたは?」

「わたしは、携帯電話会社『OA』赤塚支店の光下三月(みつしたみつき)です」

「OAって、あのカレー屋の4軒先にある店だろう?」

「そうです。同僚が朝、カレーを食べに行って、うっかり券売機の前でコインを落としたンです。それで拾おうとして券売機を動かそうとしたら、あのデブ店長から、『揺すらないでください。エラーになって、タイヘンなことになる!』って、どなられたから、同僚は怖くなって逃げて帰ってきました……」

 三月は腹立たしそうに話す。

「そのとき同僚が落としたのが、5百円玉が1個に10円玉が1個。それでキミがわざと10円玉1個を落として騒いだ……」

「ほかの同僚に聞いたら、わたしも落としてそのまま帰ってきたことがある、ってひとが何人もいたンです」

「そうなのか……」

 来杉は、窓の外を見て考えている。

「それにしても、異常ですよ。あの熊川という店長は。券売機を少し動かすくらい、何が困るというンですか。何か秘密があるンです。それを知られたくないから、券売機に人を近付けないようにしている」

 しかし、来杉の反応は鈍い。

「どうかされました?」

「いや、あのカレー屋にはいろいろ問題があってね。塾に来ている生徒から、よくない噂を聞いている」

「例えば?」

「例えば、何も食べずにトイレだけ借りていくお客が何人もいるとか」

 三月は興味深げに聴いている。

「閉店後も、ひとの出入りが絶えないとか……」

「わたしも見たことがあります。残業で遅くなって零時近くにあの店の前を通ったら、シャッターが半分だけ開いていたンです。で、気になって腰を屈めて中を覗くと、女性の店員が小さな明かりをつけて、券売機のそばでゴソゴソやっていました」

「女性、って、籔中って名前の子がいたよね」

「きょういた、同じ女性です」

「藪中弥生って女性が、券売機のそばで?」

「ええ。わたしが見ているとわかると、慌ててシャッターを床まで下ろしちゃいましたが……」

「そォ……」

 来杉は、三月の利口そうな目を見ながら考えている。そして、

「明日、あの店の券売機が交換されるそうだ」

「どうして、そンなことをご存知なのですか?」

 来杉、それには答えず、

「光下さん、あの店の閉店は何時ですか?」

「午後11時のはずです。系列店のなかにはもっと遅くまでやっているお店があるらしいけど、この辺りは住宅街だから、って聞いています」

「今夜、あの店長はいろいろやるはずだよ」

「来杉さん。あなた、どういうひとなンですか?」

 来杉は、内ポケットから携帯ラジオ風の受信機をとりだすと、コードで繋がっているイヤホンを示し、

「これ聴いてみて。そうしたら、わかるよ」

「ラジオなんか、興味がないンですけど……」

「でも、これはおもしろいよ……」

 三月は、疑いながらも、イヤホンを耳に入れた。

 とたんに、三月の顔色が変わる。

「これ、なんですか!」

「ぼくが塾の講師をしているのはウソじゃないけれど、大学時代の友人が、あのカレーショップチェーンの本部に勤めている。その友人に頼まれて、この一月、あの店を調べていたンだ」

「エッ」

「あの店長は、採用されて5年だけど、ギャンブルが好きで、この数年特にひどくなった。去年奥さんに逃げられてからは、止めるものがいないから、勤務のない日は競馬場や競艇場に入り浸りだ」

「ギャンブルってそんなに儲かるンですか」

「ギャンブルで家を建てたという話は聞いた事がない」

「だったら……」

「そうだ。その資金をどうしているかだ。店長だから、手取り20数万。残業代をいれても高がしれている」

「お店の売上げに手を……」

「それはどうか。お客が出したお金は、すべて店の券売機に入る。いくら券売機が収納したかは、品川の本部にリアルタイムで届くシステムになっている」

「だとしたら、あと考えられることは……」

 三月がハッとしたように来杉を見つめる。

「その秘密が券売機に隠されている。それを今夜確かめようと思うンだ」

「おもしろそう。でも、危なくないですか?」

「徐々に興味が湧いてきたようだな。一緒にやるかい?」

「ごめんなさい。今夜は、約束があって……」

 三月は下を向く。

 来杉は、そんな彼女を見て、妙な感覚に襲われた。

 おれは以前から、彼女のことは知っている。いつもOAの店の前を通るとき、アクリルのドア越しに、カウンターで接客している彼女を見ていたから。5人いる女子従業員のなかでは、おれのいちばん好みのタイプだ。きょうも、彼女がカレー屋に入るのを見てから、あとに続いて入った。店長の調査は、夜で十分だったのに、彼女の色香に迷わされて。余計なことをしたのかも知れない。これが災いのもとにならなければいいが……。


 午後10時35分。カレーショップ「奈良屋」赤塚店から、30メートルほど離れた路上に、一人の男が現れた。来杉だ。

 来杉はイヤホンを耳に当て、受信機のスイッチを入れる。しかし、何も聞こえない。

「やっぱり……」

 来杉は機器のチャンネルを切りかえた。こんどはよく聞こえる。

 来杉は奈良屋に入った。昼間いた藪中弥生が、カウンターから身を乗り出すようにして、

「お客さん、11時で閉店ですが、よろしいですか」

 来杉は黙って頷く。

 券売機を見ると、「故障」の貼り紙がしてある。おかしなことだ。

 しかし、

「口頭でご注文ください」

 弥生の声で、来杉は注文をすませると、カウンター席に腰掛け、店内を見渡した。

 ほかに客は、来杉と向かう合う位置に、来杉と同じ年恰好のスーツ姿の男が一人いるだけ。下を向いたまま、静かにスプーンを動かしている。

 10時55分。

 来杉は注文したカレー定食には、ほとんど手をつけていない。弥生はさきほどから、妙な顔をしてチラチラ来杉を見ている。

 来杉は立ちあがり、トイレに行った。

 トイレのドアを開ける際、厨房を覗くと、ガスレンジの陰で、店長の熊川がだれかと言い争っている。

 来杉はトイレに入るとドアを閉め、受信機の音量を最大限にした。

 店長と女性の声が聞こえる。女性の声は明らかに三月だ。

「そんなことができるわけがないだろう。おれは上の指示に従っているだけだ」

「じゃ、わたしの取り分がどうして前より少なくなったのよ! わたしにだって、いろいろ都合があって。これ以上、危ない橋は渡れない……」

「おまえは、そんな嫌味が言いたくて、きょうの昼、用もないのに、券売機でヘタな芝居をしたのか」

「いいえ、あれは本当のこと。職場の同僚が、この店の券売機の下には、いろんなものが隠されている、って」

「ナニィ」

「同僚が前に、お金を落としたことがあって券売機の下を覗いたら、ポリ袋のようなものが貼りつけてあるのが見えた、って。だから、わたしがそのことを確かめに来たってわけ。あんた、わたしのほかに、いろいろおかしなことをやってるンじゃないの?」

「バカいえ! いまでも、タイヘンなンだ。いいから、ここに来られては困る。早く、帰ってくれ!」

「いや、帰らないわよ。上のひとに会わせてくれるまで。納得できないうちは絶対に!」

「オイ、弥生、閉店だ。店を閉めろ!」

「店長、まだ2分前ですけど……」

「いいから。いまいる客には、帰ってもらえ。2分くらいなンだと言うンだ」

 声が少し遠り、

「お客さん。ごめんなさい、閉店です」

「エッ……」

「もう一人、トイレに入ったのがいただろう。外からノックして追い出せ」

 そのとき、表のドアが開く音がする。

「もう閉店です」

 ところが、大きな足音がする。複数だ。

「お客さん、閉店なンです!」

「キミか。熊川というのは」

 来杉は、妙な展開に、すぐにトイレから出た。

 バリッとしたスーツを着ている割には、冴えない顔をした50代の2人連れの男が、熊川と対峙している。

「いったい、何のご用ですか」

 そうは言ったが、熊川にはわかっているようだ。

 2人連れの一人が、A4の紙切れを突き出し、

「詐欺容疑で逮捕状が出ています」

 2人は警察手帳を示す。赤塚署の刑事だ。

 三月が厨房からこそこそと現れ、来杉をチラッと見てから、彼の横を足早に通り過ぎようとした。

 すると、

「あなた、光下三月さんですね」

 刑事の一人に声をかけられ、三月はグィッと立ち止まる。

「キミにも来てもらうよ」

「エッ……」

「我々はあなたがこの店に入るまで、外で待っていたンだ。あなたが携帯電話の新規の顧客の中から、高齢者ばかりを選んで、その住所と電話番号、家族構成までメモしたリストを、その都度、この熊川に手渡していた。わかるね」

 三月は無言だ。愛くるしい顔が、いまは醜く歪んでいる。

「おかげで、この赤塚一帯は、急に振り込め詐欺被害がふえて、我々は本庁からきついお小言を頂戴している」

 いつの間にか、店の外には警察車両が駐車していて、赤色ランプを回転させている。

 2人の刑事に挟まれ、熊川と三月がパトカーに向かって歩いていく。

「店長! お店はどうするンですか」

 残された弥生が、ドアの外に向かって大声で叫ぶ。

 歩道から熊川が振り向いて、

「いまから、キミが店長だ。本部にはそう言っておく。キミにはその能力があるからね」

 熊川は寂しい笑顔を残して、パトカーに消えた。

 弥生は、投げやりな口調で、

「そうですか」

 つぶやくが、あまり驚いたようすを見せないで厨房に行くと、閉店作業に集中する。

 店内にいたもう一人の客が来杉に近寄り、小声で話す。

「来杉、どうなっているンだ」

「松矢、それはおれのセリフだ。あの店長が違法ドラッグをこの店で販売していたのじゃなかったのか。おまえがそう言うから、こんな時間に手伝いに来たンじゃないか」

 2人の声が厨房の弥生に届いたらしく、

「お客さん、ご覧の通り閉店ですから、お帰りください」

 来杉と松矢に呼びかけた。

 松矢は弥生をチラッと見てから、

「おれはたいへんな勘違いをしていた。あの店長が振り込め詐欺の片棒を担いでいたとは知らなかった」

「松矢、それじゃ、おれは帰る。この埋め合わせは、キッチリしてもらうぞ」

 来杉がドアの外に出た。

「お客さんもお帰りいただけますか」

 厨房から弥生が松矢に言った。

 時計は、11時を5分以上過ぎている。

 松矢は、この店が、違法ドラッグの取引場所になっていると思っていた。しかし、間違いなら仕方ない。もう用はない。

 松矢が来杉の後を追って出ようとしたとき、風采のあがらない男が、ふらりと店に入ってきた。

 弥生はその男を見ると、

「お客さん、ごめんなさい。もう閉店です」

 しかし、男は、酔っているのか、乱暴な言葉つかいで、

「閉店だから来たンだ。早く、寄越せ。金は持っているゾ!」

 男の目はうつろだ。足がふらついている。

 松矢はドアの前でハッとした。

「来杉、待てッ! たいへんな間違いをしていた」

 外に出ていた来杉がその声で戻ってきた。

 松矢は「故障」の券売機に近寄り、ポケットからカギ束を取り出すと、その1本を券売機のカギ穴に差し込む。

「お客さん、何をするンですか!」

 厨房から弥生が血相を変えて駆けてきた。

「キミ、ぼくは『奈良屋』のエリアマネージャだよ。顔を知らないのは当然だろうけど」

 松矢はポケットから社員章を取り出して弥生に突き付ける。

 弥生は途端に青くなった。

「待ってください。その券売機は開けません」

「どうしてだい。中に、違法ドラッグが入っているからか?」

「それは……」

「毎晩遅くまで店に残り、シャッターを半分まで降ろした状態でドラッグを売っていたのはキミなンだな」

 松矢はそう言いながら、携帯で110番している。

「この券売機は優秀なンだ。いつ開閉したか、全て記録される。本部にもリアルタイムで届く。閉店作業を終えてから、夜間金庫に入れるため券売機の現金を数えて集計する。この店を出るのは、11時半としても、11時10分前後に、5回の開閉は多過ぎるよ」

 弥生は悪びれず、

「だって、このお店、ほかに適当な隠し場所がないンだもの。トイレのタンクを使ったこともあったンだけれど、袋が破れたことがあって。券売機の下と後ろも試したけれど、怪しまれて。だから、中に……」

 来杉は、真剣に弁解する弥生を見ていて、あいた口がふさがらない。

                 (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

券売機 あべせい @abesei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る