第151話 猫と窓


 外したヴェールはラング准将が持ってくれた。そうして反対の手は、祐奈のほうに差し出され、二人は手を繋ぎ、満たされた気持ちで道を上がって行った。


 今日泊まるのは宿ではなく、丘の上にある屋敷らしい。


 少し遅くなってしまったので、玄関先に出てソワソワと待っていたらしいカルメリータが、やって来た祐奈とラング准将の姿を認めた。


 カルメリータは頬を上気させ、ラング准将が手に提げている外されたヴェールを眺め、素顔を晒している祐奈に視線を転じた。――感極まった様子で祐奈に抱き着く。


 互いに心のこもったハグをして、自然と笑みが零れた。


 騒ぎに気付いて扉を開けて出て来たリスキンドは、抱き合う二人を眺め、肩を竦めてみせた。口元に楽しげな笑みを浮かべながら。


 そして足元には、首を反らして祐奈を眺めている、白黒の可愛いルークが。


 いくらか興奮が治まったらしいカルメリータが抱擁を解き、一同、家の中に入る。


 窓からはあたたかな光が漏れている。――表の通りを上機嫌に歩いていた一匹の野良猫が、屋敷から漏れ出ている灯りに気付き、足を止めてそちらに視線を向けた。


 ――窓枠で四角く切り取られた、中の景色。


 暖炉にはオレンジの火が焚かれ、温かい飲みものが配られて、テーブルゲームをしている皆の姿が。室内は、にぎやかで、思い遣りに溢れていた。それはとても幸せそうな一場面に見えた。


 猫はピンと耳を動かしながら、まぁるいお目目で彼らを眺めていたのだが、近くをバッタが飛んで行ったのでそちらに関心が移り、ピョコンと跳ねて、尾を揺らしながら駆けて行った。


 ――猫が去ったあとも、しばらくのあいだ団欒は続いた。



***



 女性陣が寝室に入り、寝静まったあと……


 リビングに居残ったリスキンドは、はす向かいにいるラング准将に封書を手渡した。ラング准将は三人掛けのソファに、そしてリスキンドは一人掛けの肘掛け椅子に腰かけている。


「――これが届いていました。俺がロッジに到着した時には、すでに」


 ラング准将は封書を眺めおろした。


「オズボーンからだな」


 開封し、目を通す。いかにもオズボーンらしい手紙で、ご機嫌伺いも挨拶も抜きで、いきなり本題に入っている。




『あなたは誇り高い人だから、ご自身のことならば、敵前逃亡しようなどとは考えもしないでしょう。


 けれど祐奈のこととなると、どうかなと思ったので、忠告をしておきます。


 ――勝負の席には着くべきだ。


 そうしないと後悔することになりますよ。挑みもせずに、ただ死ぬことになるから。


 どうせ死ぬ運命だとしても、戦って死んだほうがいいでしょう?』




 そのあと、そう述べた根拠が綴ってあった。オズボーンにしてはかなり真面目に伝えようとしていると感じた。


 要点を絞って、かなり丁寧に記してある。




 34年に一度の聖女来訪は、建物の維持管理にたとえるなら、ただの簡易清掃のようなもので、それ自体にあまり意味はない。――つまり、大規模修繕や、配管の詰まりを解消するようなことは何もしていないからだ。


 986年に一度、聖女が二人やって来るのは、それが世界の安定に必要であるから。


 986年に一度の、この行事のほうがむしろメインなのだ。


 この際は、聖女の魔力を極限まで搾り取る必要がある。そうすることで向こう千年の世界の安定が保たれる。


 これこそが配管清掃のようなものであり、大量の魔力を押し流すことにより、管の詰まりを解消するのだ。


 聖女の生命が尽きる時、魔力放出が爆発的に高まるので、これを利用する。――聖女は一人、必ず死ななければならない。


 犠牲者が一名の理由は、残る一人はウトナにて聖典の音読をする役目があるためだ。聖典は音読されることで、魔力の巡回を促す。乱れたものを、平らにならし、世界に馴染ませることができる。


 しかし音読の際、残された一名も魔力を吸い取られるので、全てを失う。以降、魔法は使えなくなる。


 結局、聖典に都合が良いから、一名はただ生かされるというだけで、死なない程度に魔力は奪われてしまう。つまり世界の存続に必要なエネルギーは、二名分なのである。


 ――本来、祐奈はカナンで死ぬ運命だった。それはいつもそうなのだ。


 聖女の一人はカナンで死す。


 それが奇妙な顛末で、後ろ倒しにされた。


 だから今回の決着は、ウトナで。




 ――祐奈が決戦の場に現れない場合、本格的に世界の崩壊が始まる。これは遠い未来の話ではない。


 祐奈はカナンで若槻陽介を異世界に押し返してしまった。あの一件で亀裂が生じているので、世界はこれ以上、形を保つことができない。終末はすぐに訪れるだろう。


 ――逃げたところで、どのみち祐奈は死ぬ。その他大勢も巻き添えにして。


 それならば、戦って生き残るという、僅かな可能性に賭けるべきだ。




 聖典はアンを勝たせるつもりだ。二人の聖女のうち、押し負けたほうが死ぬことになるが、アンの背後には聖典がついているので、どうあっても祐奈に勝ち目はない。


 それでもアドバイスを一つ。――できるだけ魔力を温存した状態で、決戦に臨むといい。


 健闘を祈る。




「祐奈っちには、このこと――」


 リスキンドが言い淀んでいるので、ラング准将は、


「私から話す」


 と返した。


「それからもう一つ報告事項が。今日町ブラしていて仕入れた情報なんですが、ウトナ近辺でキナ臭い動きがあるようです。――ならず者たちが集まりつつあるとか」


「祐奈が到着した際にぶつけて、魔力を消費させるつもりだな」


「アンは狡猾ですね。――アリスという替え玉を立てて、彼女を便利に利用していたのに、それをあっさり切り捨てたことで、そういう人間だっていうのは分かっていましたけど」


 多勢に囲まれたとしても、祐奈は極大魔法を行使して突破できるが、それを広範囲に放つことで、消耗も激しくなる。最終決戦前に祐奈の魔力を半分程度にまで削っておけば、アンの勝利はさらに確実となるだろう。ただでさえ祐奈よりもあちらのほうが魔法の扱いに長けているというのに、この念の入れようといったら。


「――こちらの体制が整うまで、時間を置きますか?」


「時間はもうない。数日程度の遅れなら問題はないが、通常の旅程から、さらに半月でさえも延ばすのは無理だろうな」


 オズボーンの手紙にも記されていたが、若槻陽介を押し返した時に開いた亀裂のせいで、待ったなしの状況になっている。動物的な本能とでもいおうか、ラングも嫌な空気は肌で感じていた。


「でも、じり貧ですよ」


「負け戦に力を貸そうという、もの好きがいるとも思えないからな」


 それに現実問題として『ヴェールの聖女』の評判が悪すぎる。


 ラングから見て、彼女は王都出発以降、実に見事に務めを果たしてきたと思うのだが、そういったささやかな評判が広まるには時間がかかるだろう。やはり王都シルヴァースでの、ショー絡みの醜聞は、インパクトが絶大だった。


「味方同士小さく固まって、包囲を素早く突破するしかない。祐奈を消耗させられないから、誰が倒されたとしても、魔法は使わないように彼女に約束させねば」


「我々は玉砕覚悟ですね」


「お前は抜けろと言いたいところだが……」


 少数精鋭で突破する作戦なのだ。リスキンドには居てもらわないと困る。――負け戦の指揮を取るというのは、込み上げてくるものがあった。


「やめてください」


 二人静かに見つめ合う。……それだけで千の言葉を交わすよりも、気持ちが通じた。


 これまで共に戦ってきた。その絆が根底にある。


「……一日が重いな」


 ラングが酒の入ったグラスを手の中で動かす。琥珀色の液体が淡く輝いて見えた。


「だけど悪くない気分だ。――あなたは昔、俺に言ったことがあったでしょう。『後悔しないように生きろ』と。俺はあなたに会うまでは、退屈な人生を送っていましたよ」


「どう死ぬかより、どう生きたか」


「良い人生だった。これから最低最悪なピンチを迎えるでしょうけれど、それでも――あなたがいる」


 これ以上ない言葉だった。ラングは微笑み、リスキンドと酒を酌み交わした。


 ――その夜、一人になったラングは遅くまで手紙をしたため、丁寧に封をした。そうして翌朝、それらを各都市に向けて送った。





 17.『99』(終)


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