第150話 XXX
――変化に富んだ都市だと思った。
繁華街は活気があるのに、かといってごちゃごちゃもしていない。通りの幅が適度に確保されているため、そう感じるのだろうか。
海岸の際にまで建築物が立ち並んでいる。海は青が濃く鮮やかだった。瀟洒で開放的で、リゾート地のような雰囲気がある。
祐奈たちはカフェでお茶を飲んだあと、内陸部に入っていった。
少し奥に入るだけで、途端に静かで牧歌的な風景に変わる。――妖精などが出てくる童話の挿絵になりそうな、可愛らしく、素朴な家並みが続いているさまは、眺めているだけで、なんともいえず心が和んだ。
川辺を二人で歩いた。とても静かな環境だった。
祐奈は例の百問を一つずつ消化していった。
「好きな季節は?」
「秋です。寂寥感が好きで」
ああ……なんだか分かる気がする。ラング准将は夏というイメージではないかも。
「祐奈は?」
「夏ですかね」
「意外ですね」
「そうですか?」
「――なんとなく、春かな、と」
彼はそういったイメージをこちらに対して抱いているのだな……と思うと、なんだか不思議な感じがしてしまい、祐奈は自然と笑みを浮かべていた。
「私の住んでいた国には『夏休み』というものがあったんです。長期の休暇だから、いつもワクワクして。……そのせいですかね? 夏になると、ちょっとテンションが上がります」
そういえばラング准将に質問をする習慣が始まってから、祐奈も自分のことを話すようになっていた。――何かを尋ねると、彼は丁寧に答えてくれたあとに、『祐奈は?』と関心を示してくれることが多くて。
互いに少しずつ、過去を語り、趣味嗜好を語り――そういった輪郭から、人柄を知っていく。
二人のあいだには『ウトナへの旅』という共通した目的があって、道中、劇的な事件にも遭遇してきた。力を合わせて乗り越えてきた。
けれどこうして穏やかに語り合うことで、それだけではないのだと、確認することができた。
――ふとした折に隣を見ると、彼がいることで、ホッとできる。交わされる他愛ない会話。無意識に零れ出る笑み。
――彼の声が好きだ。ずっとずっと聞いていたいと思える。
「祐奈のご両親はどんな方でしたか?」
「母は善良な人でした。買いものに行って、店員さんに会計してもらって、『どうも』と頭を下げるような人で。いつも誰かからしてもらったことに対し、感謝していました。以前……ラング准将に同じようなことで褒めていただきましたが、母の背中を見て育ったから、似てしまったのかもしれませんね」
「いつも祐奈のことを見ているので、親御さんの話を伺うと、あなたを通してイメージが浮かぶ。親近感を覚えます」
日本に居た時に、ラング准将よりも長い期間関わった人は大勢いた。けれど彼のように深く自分を理解してくれた人がいただろうか? ふとそんなことを思った。
買いかぶるでも、見下すでもなく、ただありのまま受け止めてくれる人。
「お父さんは?」
「父はちょっと変わった人でした。皮肉屋なところがあって、物事をおかしな角度から眺める癖があるというか。本人の性格が結構面倒くさいのに、自身は面倒事が大嫌いで、粘着質な相手にからまれたりすると、目が死んでいましたね。でも……可愛いところもあって。母には頭が上がらなかったんです」
以前は亡くなった両親のことを語るのがつらかった。大好きなあの人たちは、もういないんだなと思ってしまうから。
――だけどこうして思い出を語ってみると、不思議とこれまでになく、父母を近くに感じることができた。記憶の中にいる彼らのことを、祐奈が慈しみ、言葉に出して語ることで、消えることなく生き続けるのかもしれない。
――いつもそばに。大好きだった。
「あなたはお父さんとお母さん、そのどちらにも似ている」
「……そうでしょうか? 私って面倒なやつですか?」
祐奈は父のことが好きだが、『似ている』と言われるとなんだか微妙に感じてしまう。
「一筋縄ではいかない感じですね。私は手を焼いています」
「ひどい!」
笑み交じりに咎めると、ラング准将は微笑みながらこちらを流し見るのだった。
「ラング准将から見て、私は皮肉屋ですか?」
「それについてはノーコメントで」
結局、悪戯な笑みが返されただけだった。
それからのんびりと周囲を散策した。
時間が濃密に流れているようで、それでいてあっという間だった。楽しい時は早く過ぎる気がする。
質問が一つ、一つ、と重ねられ、いよいよ九十九個目になった。
「旅が終わったら、ラング准将は王都にお住まいになられるのでしょうか?」
「そのつもりでしたが……」
彼が視線を彷徨わせた。物思う様子で、微かに瞳が揺れているように感じられた。
「――祐奈は?」
「私は……こんな町に住めたらいいなって思いました。でもそれってたぶん……『今度どこそこに旅行に行きたいな』というような感覚なのかもしれません。私の本当の希望じゃなくて」
「あなたの望みを教えてください」
祐奈は足を止め、彼と向かい合った。口を開きかけ……勇気が出せずに、閉じる。奇妙な間ができた。
――一歩踏み出すことの怖さ。そして感謝の気持ちも。
彼と出会えて良かった。そのことがとても嬉しい。
「私の望みは、あなたへの百個目の質問に関係しています。――ラング准将に訊きたいことがありまして」
「どうぞ」
彼の瞳は真摯で、この上なく優しかった。
「――質問の前にお願いが。私に対して、正直でいてくれますか? 気を遣って欲しくないの」
「分かりました」
百個目の質問は決めてあった。
ラング准将との約束では、百個質問を終えたら、ヴェールを外すというものだった。
――けれど百個目のその問いは、素顔で。彼の目を見て、尋ねたい。
川のほとりで、夕日が赤く水面に反射している。空の果てのほうは次第に藍が深くなり、ひっそりとした気配が迫っていた。
――あなたと二人きりで、こうして向き合っている。
祐奈はヴェールに手を触れ、一気にそれを取り払った。黒の紗が目の前から消え去る。
二人のあいだを隔てていた余分なものがなくなって、ありのまま向き合ってみれば……なんてことはない。
あなたは変わらずここにいる。
彼が息を呑んだのが、こちらにも伝わってきた。
「――好きです」
言葉に出した途端、愛おしい気持ちが溢れて、泣きたくなってしまった。
「すごく好きです。あなたのいる場所が、私の帰りたい場所なんです。……あなたの気持ちを聞かせてください」
「正直に?」
「ええ」
ものすごく緊張していた。祐奈は彼を見つめ――そして驚いた。
彼がこの上なく幸福そうであったからだ。いつも端正で隙のない彼が、ほっとした様子でこちらをただ見つめ返している。
彼は珍しく無防備になっているようだった。夕日が反射して、彼の美しいアンバーの瞳が、神秘的に輝いていた。
「私も好きです。心から。――ずっと好きだった」
ふと気付けば彼の腕の中にいた。
祐奈は喜びを感じるよりも、生来の慎重さがここで顔を出し、ちょっと待てよ……と考えていた。
これはその……本当に男女間の好きで合っているのだろうか? 旅の仲間として好き、というオチではないよね?
「九十九個目の質問でヴェールを外しましたね。あなたがそれを外すのを待って、私のほうから気持ちを伝えたかったのに」
彼の声が上から響く。抱きしめられているので声が近い。
「ごめんなさい」
今度は彼が微かに笑みを漏らした気配。
腕の中にいると互いの顔が見えない。祐奈はしどろもどろになって続けた。
「じ、じゃあ、さっきの百個目をなしにして、やり直していいですか? ……あのぉ、念のための確認なのですが……これって男女間の『好き』で合っています? 友情的なやつじゃなくて……」
祐奈は一瞬解放され、あいだに距離が少しできたので、彼の顔を見上げることとなった。けれど解放されたのはほんのわずかな時間で……
「……もう言葉はいらない」
ふと気付けば彼にキスをされていた。
刻々と薄暗くなってくる景色の中、二人のシルエットが一つに重なる。
彼のキスはなんというか……もう言葉にならない……と祐奈は思った。
しばらくして解放された時、寂しさを覚えたのは祐奈のほうだった。それでどうしても我慢できずに、飛び込むように彼に抱き着いてしまった。
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