第147話 花嫁到着
小一時間ほどたった頃、ふたたびリンダが部屋に押し入って来た。
彼女は『ヴェロニカは礼節を欠いた態度ばかり取る』と声高に訴えていたわりに、自分自身は祐奈たちに対してずいぶん身勝手な振舞いをしている。
「――聖女様、どうなりましたか?」
「どうなりましたか、とは?」
「ミクロスと話して、縁談をどう壊すか具体的に決められたのですよね?」
「いえ」
「何をしているのですか! 早くしないと、もう花嫁が到着しますよ」
リンダに怒られてしまった。祐奈は『雑巾がけが遅いわよ! モタモタしないで』と叱られたメイドの気分だった。
「到着は明日の予定ではなかったですか?」
「ヴェロニカが一人、馬でこちらに向かっていると連絡が入りました」
普通に馬車で移動していれば翌日には着くのに、焦れてしまい、馬に乗り換えて一人駆けつけるとは、ずいぶん活動的な女性である。
――出入口の扉付近に控えていたリスキンドが口を挟んだ。
「なんか今、花嫁さんが到着したみたいだよ。下がバタバタしている」
祐奈はソファから立ち上がり、扉のほうに向かった。当然護衛役のラング准将、カルメリータ、ついでになぜかわんこのルーク、そして怒りっぽいリンダもついて来た。
リスキンドが扉を開けてくれたので、廊下に出る。
祐奈たちにあてがわれているのは東翼の二階である。少し進むと、吹き抜けの玄関ホールを見おろせるところに行き着いた。
――ヴェロニカがちょうど玄関ホールに入ってきたところだった。
緩やかにウェーブのかかった濃い金色の長い髪。奥二重なのだろうか……瞳は切れ長で涼しげである。とはいえ緩やかに目尻が下がってもいるので、見ようによっては柔和にも感じられた。
ヴェロニカは圧巻の美女だった。造形の美しさも抜きん出ているのだが、背がすらりと高く、見事なプロポーションをしているので、とにかく迫力がある。
彼女は首に存在感のある革製のチョーカーを着けており、手に握られているのは、乗馬用の鞭。
祐奈は手摺に掴まってヴェロニカを見おろしながら、半目になっていた。
ていうか……彼女って絶対、あっち系の人だよね……。
――出迎えたミクロスが険しい顔付きで彼女を睨み据えている。血の気が上がり、顔が赤らんでいた。
「女性が一人で馬に乗り、駆けつけるなんて、よくないぞ。何を考えている」
「あら、びっくりね。躾をするのは私であって、あなたではなくてよ」
「君って人は――」
「黙って。あなたは私に叱られた時は『申し訳ございません』としか言ってはだめなの。何度も同じことを言わせないで。聞き分けのない駄犬には、お仕置きが必要かしらね? ――ほら、跪きなさい」
彼の顔色がどんどん赤みを増していく。今では耳まで赤くなっていた。
リスキンドは手摺から身を乗り出してその様子を眺めていたのだが、なんだか口笛でも吹きそうな顔付きである。
――リンダはといえば、もう半狂乱の状態だった。ツインテールを揺らしながら、祐奈に縋りつき、訴えてくる。
「と、止めてください! こんな無礼が許されていいわけがない!」
「いえ、あの、でも……」
祐奈はとても気まずい思いをすることとなった。
「早く止めて!」
「大変言いづらいのですが、あの二人……」
なんと言ったものかと言葉が続かなかった。するとリスキンドが横から助け舟を出してくれた。
「――ちゃんと見てみなさいよ。あの二人、どう見ても両想いじゃないか」
「はぁ? あなた何を言っているのよ! 寝ぼけているの?」
「ミクロスのあの発情しきった顔といったら……。ていうか、俺も強気な女の子にいじめられている時、あんななのかしら。……ちょっと反省」
リスキンドは複雑な心境のようだった。
***
リンダは茫然自失で、今の出来事が、すっかり足にきてしまったようである。フラつく彼女を支えてやり、祐奈たちは自室に戻ることにした。
ソファに落ち着き、香りの良いお茶を飲みながら話をした。
「ミクロスさんはヴェロニカさんからもらった手紙を、寝室にしまってあると言っていました。――それで私は、『嫌いな相手から送られて来た手紙なら、すぐに捨ててしまいそうなものだけれど』と思ったんです。少なくとも自分が一番安らげる寝室という空間には置かないのではないかと。おそらく彼は寝る前にいつもヴェロニカさんからの手紙を読み返していたのだと思います」
「あんなふうに扱われて、なんで好きでいられるのか……」
リンダは理解不能らしく、眉根をきつく顰め、嫌悪感すら滲ませている。
「ヴェロニカさんは三度目にミクロスさんと会った際、『私の大切なものが欲しければ、跪いて乞うことね』と言ったのですよね? 『大切なもの』というのは聖具のことではなく、ヴェロニカさん自身のことを指していたのではないですか? ――ミクロスさんはそれを理解していて、彼女が欲しいから、言うとおりにした」
「そんなはずはないわ。ミクロスがあんなふしだらで意地悪な女を好きになるなんて」
「――私はヴェロニカさんが意地悪だとは思いませんでした」
「なぜ? 手袋でミクロスの頬を打ったのよ!」
「それを聞いた時、私は『あれ?』と違和感を覚えたのですが……」
「相手に屈辱を与える行為よ! 男同士なら決闘になっているところだわ」
「けれど憎からず思っている同士なら、意味合いが変わってくるかもしれませんよ。少し過激ではありますけれど。……ヴェロニカさんは確かその時、手袋の上から指輪をしていたのですよね?」
「ええ」
「ギグでは、女性が男性を殴るのも普通だと言っていましたよね。もしもヴェロニカさんが本気でミクロスさんに腹を立てていたのなら、指輪をしたまま拳で殴っていたと思います。けれど彼女はわざわざ手袋を脱いで、それで彼の頬を叩いた。指輪をまず外して、手袋を脱いでと、二度手間になるのに、わざわざそうした。つまり、彼が怪我をしないように配慮したわけです」
「でも……でもミクロスは、彼女と怒鳴り合いの喧嘩をしたのよ。ヴェロニカのほうはミクロスに惚れていたかもしれないけれど、彼のほうは彼女が大嫌いだったはず」
リンダは唇をわなわなと震わせている。どうしても納得できないし、リンダはミクロスのことを好きだったようだから、自分がフラれたことを認めたくないのかもしれない。
リンダが今言ったのは、二度目の面会の件だろう。――晩餐の席でヴェロニカがジャガイモを皿の上でグシャリと潰し、それを初めミクロスに押し付けたのだが、彼が手を付けないので、ニックのほうに与えたのがきっかけとなった騒動。
その後晩餐が終わってもミクロスは怒り冷めやらず、ヴェロニカの部屋に怒鳴り込んだらしいが……。
「それはヤキモチだと思いますよ」
「はぁ? 誰が、誰に?」
「ヴェロニカさんが手ずから潰したジャガイモは、結局弟のニックさんが食べたのですよね? ――ミクロスさんはその後、弟さんを国外に追放しています。二年という長期の予定で。ミクロスさんはヴェロニカさんが弟に関心を移すのではないかと勘繰って、慌ててしまったのではないですか?」
ヴェロニカが潰したジャガイモを、ミクロスがすぐに食べようとしなかった理由は、好きな女性から甲斐甲斐しく世話を焼かれて感動していたのか、あるいはものすごく照れていたのか、そのどちらかだろう。
喜びを嚙みしめていたのに、小悪魔な彼女が意地悪にもその皿を取り上げ、さらにはミクロスの弟に与えたもので、彼のほうは怒りがスコンと突き抜けてしまったのではないか。
「……どうして? ヴェロニカはあんなに失礼な態度ばかり取っていたのに……」
「そもそもあなたが不快に感じたという彼女の言動の数々は、文化の違いということで説明できるかもしれません。彼はギグの風習をよく調べていたから、ヴェロニカさんの真意をすぐに悟ることができた」
「初対面の時、ヴェロニカは足を組んで偉そうだったわ」
「アターベリーでは礼を欠いた行為に映っても、それが当たり前の国もあるんですよ。リラックスしてあなたに気を許していますという意思表示になることもある。――ジャガイモをフォークで潰した行為も、マナー上は特に問題はないかと」
たとえば音を立てて蕎麦をすするというのも、日本の文化では普通のことだが、海外では理解されづらい。自国内ではそうでも、それが万国共通のルールというわけではない。それは逆もしかりだ。自分の常識内では『ありえない』ことでも、その他大勢からすると当たり前だったりする。
足を組んでいた件と、ジャガイモを潰した件が、本当にギグでは問題ないとされている行為なのか、祐奈は知らない。――けれどヴェロニカ姫は王族なのだ。それをミクロスが許したのならば、リンダにどうこう言う権利はないように思われた。
「鳥の生肉をこれみよがしに食卓に並べた件は?」
「それについてはよく分かりません。調理前の材料を見せるのが、ギグのマナーなのかもしれませんし……あるいはそれに関しては、ヴェロニカさんなりのユーモアだったのかも。『ギグではなんでも生で齧っていると、あなたは思っているのでしょう?』とからかったのかもしれませんね」
祐奈は小さく息を吐き、リンダに決定的な事柄を告げた。
「結局、相性が良かったのだと思います。――ミクロスさんは、女性にイジメられるのが好きな人なんじゃないかと」
「――は、あの、なんですって?」
「そしてヴェロニカさんは、男性をイジメるのが好きな人」
「つまりね」
とリスキンドがなぜか話を纏めにかかった。
「あなたの出る幕はないってこと」
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