第126話 魔法行使時にラング准将が介入した可能性
「さて――君はすっかり自分をさらけ出せたことだし、僕らはもう親友同士といってもいいよね」
オズボーンの語り口には何一つとして真実の響きがなかった。怪しげなセミナーの主催者が語る、嘘偽りばかりの文言みたいだと陽介は考えていた。
彼は陽介のことを友達だなんて思ってもいないし、好意の欠片も持っていない、それははっきりしている。
けれど別に構わなかった。彼がこちらを親友呼ばわりし、その上で何をしてくれるのか――それが肝心だったから。
「それならば友情の証が欲しいね」
「いいだろう。君には特別に、いいものをあげる」
彼はポケットに手を入れ、そこから黒いキューブ型の何かを取り出して、こちらに押し付けてきた。
陽介はそれを手のひらに乗せて眺めたあと、親指と人差し指で角を挟み、目線の高さまで持ち上げてみたのだが、それがなんであるのかまるで見当もつかなかった。
「それを祐奈に渡してくれる? 彼女にとっては重要なアイテムだ。『君を助けるかもしれないし、殺すかもしれないもの』――そう伝えて欲しい」
「訳が分からない」
「彼女にはそれで通じる」
……本当か? と陽介は訝しんだ。
「そもそも僕はどこで彼女と会えばいいんだ? 祐奈が泊まっている宿はどこ?」
「彼女はもうすぐこの町に来るよ」
「まだここにはいないのか?」
「そう」
「なぜ到着予定だと知っている?」
「彼女はカナンから国境を越えなければならない。結局ここへは来ないと」
「この黒い物体は、オズボーンが自分で渡せばいいじゃないか」
「それはぁ、直接渡せない理由があるんだよー」
「どんな理由だ?」
「昔、彼女にしたある行為が、そろそろ問題になっている頃かなぁって……。絶対怒っていると思うんだよ」
「祐奈が怒るなんて考えられない。相当なことをしても許してくれるはずだ」
「祐奈っていうか、護衛のほうが許してくれないだろう」
「何をしたんだ」
「無理矢理ちゅーした」
背筋が冷たくなった。陽介は真顔でオズボーンを見返した。……冗談か? そうだろう? きっと、からかっているんだ……。
「君だって、したことあるだろ?」
尋ねられ、陽介は絶句してしまった。――どうしてオズボーンは当たり前のように『したことあるだろ?』なんて訊くんだ? そしてどうして自分は祐奈にキスをしたことがないんだ? ――ああ、クソ――確かにしておくべきだったよ!
「おやぁ? まさかしたことないの? 嘘だろぉ? 意外ぃ、びっくりするほど奥手だねぇ、君」
「貴様――」
「あ、ちなみにぃ。祐奈は今、ハイパーイケメンなラング准将という人物に護衛され、旅をしている。――頭の中でハイパーイケメンを想像してみて? ――OK――本物はその五百倍、イケメンだ。気を強く保て、陽介。さらに君にとっては悪いニュースだが、ラング准将は物腰も君とは真逆のタイプで、紳士かつ誠実な男だ。僕に対する怒りは一旦忘れて、ラング准将対策に全てを注ぎ込むことをオススメするよ。君はラング准将を出し抜かなければ、祐奈を手にすることはできない。そうだなぁ……ラング准将に当てつける形で、日本に居た時の二人だけの思い出話とかをチラつかせると効果的かもね……。まぁ頑張って」
「本当に頑張ってと思っているのか?」
「思っているよぉ。僕としてはラング准将がぎゃふんというところ、見てみたいし」
「ラング准将とやらが嫌いなのか?」
「嫌いだね。とにかく嫌いだ。果てしなく嫌い」
それを聞いた陽介は思わず鼻で笑ってしまった。ここで笑われると思っていなかったのか、オズボーンの眉が複雑な形で顰められた。
「……なんだい? その笑い方」
「いや、さっきお前に言われたことを思い出していたんだよ。――嫌いならまだ脈はあるかも、ってやつ。確かにお前が口にした『嫌い』は、反対の意味に聞こえる」
オズボーンが顔を顰めたのだが、それは彼が初めて見せた、素に近いリアクションだったかもしれない。だからオズボーンにとってラング准将とやらが、かなり重要度の高い人物であるらしいと分かった。
――しかしまぁ気に入らない。祐奈と一緒に旅をしているラング准将は、顔が良くて、こちらとは真逆のタイプだって? つまりは親切な態度で、祐奈に寄り添っているわけか?
だけどそれは彼が護衛だからだろう? 結局、仕事だからそうしているだけ。
祐奈だって自分が相手にされていないと気付けば、またこちらに戻って来る。陽介は固くそう信じていた。
オズボーンはラング准将の件でからかわれたことを根に持ったのか、鼻の付け根に皴を寄せ、しばらくのあいだ半目になって陽介を眺めていた。しかしやがて気持ちの整理をつけたらしく、表情を元に戻して口を開いた。
「とにかくまぁ……僕が親切だったってことだけは、覚えておいて欲しいね」
「どこがだよ。終始おちょくっていたじゃないか」
「親切というのはね、先ほどまでのアドバイスに加え、これからすることも含まれている」
「え?」
「優しい祐奈は、怪我をしている君を見たら、きっと回復魔法をかけてくれる。仲良くなれるきっかけを作ってやろうってわけさ」
「だけど怪我なんかしていない」
「――これからするんだよ」
オズボーンがにんまり笑って塀から腰を上げる。彼がいつの間にか棍棒を握っていることに陽介は気付いた。
悲鳴を上げる間もなかった。
オズボーンに容赦なく額を殴られ、地面に倒れ伏す。逃げようとしたところで、二撃目が来た。肩の骨にひびが入ったかもしれない。
陽介を殴っている最中、オズボーンは無邪気に笑っていた。
誰か――誰か助けてくれ!
無意識のうちに叫んでいた。人出はかなりあるにも関わらず、誰も助けに来てくれない。陽介の叫び声は三撃目で掻き消された。
叩きのめされ、地面に頬がつく。視界がグニャリと歪んだ。赤――目に入った鮮血が視界を赤く染める。
彼はそのまま意識を失った。
***
オズボーンが棍棒を放り出して歩き出すと、離れた場所でそれを見ていた枢機卿が怒気を孕ませて近寄って来た。
「――どういうつもりだ!」
「必要なことをしたまでですよ」
オズボーンが足を止めずにそう返して来たので、枢機卿は彼と並んで歩く形となった。
「どこが」
「奇妙な現象が起こっています。確認が必要です。――キューブと回復魔法の相性を見たい。祐奈の魔法が未知すぎるので、観察が必要になる」
「しかし……変なことをして、また異世界から誰か来たらどうする気だ?」
「それはありえない」
「なぜそう言い切れる」
「理論的にありえないからです。前回はあくまで、カナン遺跡内という脆弱な空間だったからこそ、あのような結果になったのだと思います。どのみちそう――回復魔法の新しい使い方ではあった。しかしあくまでも、石板の力を借りただけ」
「石板の力を借りたという言い方はおかしい。あの時、聖典が力を貸したわけがないのだから」
「しかしローダー→カナンの向きでは、現実に、転送ルートはあらかじめできていたわけです。理論的にいえば確かに逆流は不可能なのですが、奇跡的に彼女はルートをこじ開けられた。カナン――つまり出口側から一つずつ逆向きに辿っていったんでしょうね。ええと、そうだな……壁面がツルツル滑る深い井戸を思い浮かべてください。落ちるのは簡単だが、その逆は? 井戸の底にいる状態で、道具もなく地表まで上がって行けますか? 無理でしょう」
「考えられない。しかし彼女はやってのけた」
「そう――しかし考え方を変えてみれば、井戸内の移動であるだけマシということになる」
「確かに……生き埋めにされていたら、到底地表には上がれそうにないが……」
「そういうことです。とにかく前回はあくまでも井戸の中を移動しただけのこと。カナン遺跡またはローダー遺跡以外なら、絶対にそれは起こりえない。この世界で脆弱なポイントは、この二地点だけだから」
「しかし祐奈はこれからカナンに来るんだぞ!」
「陽介と対面するのは、遺跡『外』です。カナンの町中ならば、空間的にそこまで脆弱ではないから問題はない」
「それでもキューブを渡す必要はなかったはずだ。重要な聖具だぞ!」
「僕はキューブが内包する矛盾が気になっています。なんだろう……何かがおかしい。しかしキューブと回復魔法の相互作用では、カナン・ローダー間の逆行どころか、異世界の扉が開くはずもないんだ。やはり理論的にありえない。……祐奈の魔法はどうなっているんだろう? そもそもなぜ逆行中に自我を保てた? 順番としては、逆行が起きたから、バランスを取るために世界に穴が空いたのだから、やはり逆行を起点に考えるべきだ」
「――ラング准将が関係しているのでは?」
枢機卿に指摘されたことは、完全にオズボーンの不意を突いた。
「でも彼は……魔法を使えない」
「逆行中は介入できたのかも。扉をこじ開けたのは確かに祐奈だが、その後緻密で大胆な制御が必要だったなら、それを可能にできそうなのは彼だけだ。――ありえない仮説か?」
「……いいえ」オズボーンは微かに瞳を細めた。「それならば確かにありえる」
なんとも忌々しい……とオズボーンは考えていた。そしてなんと愉快なのだろう。
一方の枢機卿は怒り心頭だった。
「これは大問題じゃないのか。ラング准将が介入できるならば、全てが変わってくる」
「何も変わりはしません。そう――だけど、そういうことか――聖典は最終決戦の場をウトナに設定し直しました。僕は不思議だったんです。カナンからなぜ撤退したのかが」
「聖典は不測の事態を避けようとしたのか?」
「たぶんね。カナンでことを起こすと、また奇妙な展開になるかもしれない。とにかくカナン遺跡は空間的に不安定なので、ここは避けたほうがいい。ウトナならば絶対に大丈夫。ラング准将はただの護衛に過ぎず、魔法になんらかの影響を及ぼすことは不可能だ。――祐奈は確かに幸運でした――カナンではね。けれどもう他力本願は許されない。彼女はラング准将の力を借りずに、自力で勝つしかない」
「それはどう考えても不可能だ」
「そうですね。――祐奈は確実に死にます。ウトナで」
***
「そういえば、聖具の回収は無事済んだのか?」
枢機卿の問いに、初めてオズボーンの足が止まった。彼はげんなりしたように天を仰ぎ、そして枢機卿のほうに視線を戻した。
「……使いの者をやったんですが、遅かった」
「どういうことだ?」
「ベイヴィアで先を越されました。――すでに祐奈が習得済だ。もうあそこのは使えない」
「……そうか、まずいな」
「望ましい事態ではないが、問題はないでしょう」
オズボーンがそう言うのを、枢機卿は少々疑わしい気持ちで聞いていた。
とはいうが……そもそもカナン遺跡でも『問題はない』はずだっただろう? しかし、どうなった? 祐奈はありえない逆流を起こし、ローダーに飛んだし、今も生きている。
一方、アリス隊の護衛は全滅。当初の予定どおりならば、このような犠牲を払う必要はなかった。
決戦はウトナに持ち越し。全てが中途半端な状態だ。
……しかしまぁ、それであっても祐奈には勝てる見込みがない。確かに、それはそうなのだろう。
なぜならば、聖典が祐奈の勝利を望んでいないのだから――。
13.オズボーン殿の親切(終)
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