第125話 オズボーン×若槻陽介


 カナンに着いたのは昼過ぎのことだった。


 石造りの頑丈そうな建物が多く、黄土色が強い。大昔に時間の流れそのものが止まってしまったかのような、奇妙な印象を与える町だった。


 馬を預けたあと、若槻陽介は町を歩いてみることにした。


 中央の広場はそれなりに活気づいていて、人の出入りも激しいようだ。……彼女はどこにいるのだろう……


 視線を巡らせていると、低い石塀に腰かけていた少年が、こちらを意味ありげに眺めていることに気付いた。


 十六、七歳だろうか。プラチナブロンドの髪を肩口で切り揃えた、絵に描いたような美少年である。パッと見で印象があまり良くないと感じた理由は、こちらに向けられた少年の視線があまりに無遠慮であったせいだろうか。――小馬鹿にしたような、からかうような目付き。他者に対する最低限の礼節さえ欠いている。


「どうも、お兄さん」


 彼が話しかけてきた。見た目の印象どおり、遠慮がない。


「君は現地の人?」


「どう見える?」


 なんだこの受け答え。――面倒になり陽介がだんまりを決め込んでいると、少年の笑みが濃くなった。猫が鼠に飛びかかろうとしている時の目付きだと陽介は思った。


「お兄さんは現地の人じゃないよねぇ? ていうか、この世界の人じゃない」


「お前……」


「ちゃんと伝言は届いたようだね、ここに来たということは」


「……あんたがオズボーン殿か?」


 旅人は『オズボーン殿から伝言を預かっている』と言っていた。自分はこんな子供に呼び出されたというのか?


「そうそう、僕こそがオズボーン殿だよ、若槻陽介くん。初めまして」


 にっこりと笑う彼の顔は、陽気というよりも、なんだか禍々しいようにも感じられた。



***



 陽介はオズボーンの隣に腰を下ろした。石が積まれただけの低い塀は座り心地が良いとはいえなかったが、自分だけ立ったままでは会話がしづらい。


 陽介が腰かけるのを待って、オズボーンが尋ねてきた。


「祐奈のこと、知りたい?」


「オズボーンは祐奈と……」


「親しいっちゃ親しいし、そうでもないっちゃそうでもない」


「知り合いではあるんだな?」


「そうだね。まぁ色々と」


 含みを持たされ、なんだかイラっとしてしまう。祐奈が男と知人関係にあるだけでも面白くないのに、それがこんなに顔の良いやつならば、尚更。


「ああ……祐奈のことで君をからかうのは、やめておこうかな。君って冗談が通じなそうだし」


「どういう意味だ」


「嫉妬深い男は面倒臭いってこと。祐奈もそう言ってたろ?」


 陽介はなんとも言えず黙り込んでしまった。――もちろん、祐奈がそんなことを言うはずはない。陽介が嫉妬深いことすら知らなかったはずだ。


 しかし彼女の性格からして、確かに嫉妬深い男は好かないだろう。というかそもそも彼女は、理不尽に攻撃を仕掛けてくるような相手を好まない。


「自覚はあるんだろう? 彼女に対するアプローチを失敗した、っていう」


「そうは思えないな。祐奈が僕に一目置いているのは確かだ」


「それって単に苦手なだけだろ。嫌ってすらいない。それってある意味、絶望的じゃない?」


「どう違うんだ。苦手と、嫌いと」


「嫌いならまだ脈はあるかも。それが反転した場合に、好意に変わる可能性もあるから。けれど苦手ってことは、生理的に受け付けず、距離を置きたいと考えているわけだよ。――君はさ――祐奈の優しい世界から、締め出されてしまったんだ。彼女は君のこと、そもそも眼中にない」


「そんなことはない。祐奈と一番親しい男は、僕だ」


「日本に居た時はそうだったかもね。でもまぁ、『親しい男』ではなく、『一緒に住んでいた底意地の悪い親戚』ってことで、物理的に距離が近かっただけの話だけど」


「あんたは僕を『過去の男』扱いしたいようだが、こっちの世界に親しい男ができたっていうのか?」


「それは僕に訊かれても困るなぁ。祐奈に会ったら直接訊くといい」


「いつ会える?」


「もうすぐ」


 オズボーンは微かに瞳を細め、含み笑いを浮かべている。何がそんなに楽しいのか、陽介には理解できない。オズボーンは終始こちらをからかって小馬鹿にしているような態度なので、話しているとフラストレーションが溜まってくる。この場から立ち去らずに我慢しているのは、ひとえに祐奈のためだった。


「――それよりも君は、祐奈の物語を聞くべきだ。彼女がこちらに来てから、何があったのかを」


 オズボーンが語り始めた。祐奈の物語を。


 三十四年に一度迷い込む聖女。彼女は誤解を受け、惨めな扱いをされた。


 そして魔法。――魔法!


 なんと馬鹿げているんだと陽介は笑い出しそうになった。言うに事欠いて、魔法とは!


「お前の目的はなんだ? 金目当てで僕に接触してきたのか?」


 陽介が問うと、オズボーンは心底不思議そうに小首を傾げてみせた。


「逆に訊くけどさぁ、君、金を持っているわけ?」


「そんなには持っていない」


「でも無一文で迷い込んだわりに、上手いことやっているみたいだよね。小綺麗な格好をしているし、それにカナンへは馬で来たのだろう?」


「そうだが、なぜ分かった?」


「徒歩ならまだ辿り着いていないさ」


「ああ、確かにね」


「路銀はどうやって稼いだの?」


「臨機応変に」


「具体的に教えてよ」


「ちょっとした仕事を手伝ったり、こちらに来た時に身に着けていたものを売ったり。珍しいものだから、高値で売れたよ」


「ふぅん……君は息を吸うように嘘をつける人なんだね」


「嘘じゃないさ」


「だめだめ、良い子ちゃんぶっても通用しないよ。君が悪い子ってのを、僕はちゃんと知っているんだ」


 オズボーンが悪戯にこちらを流し見て、ふふん、と鼻で笑うので、陽介はカチンときた。


「僕の何を知っているっていうんだ」


「そりゃもう色々……祐奈をどうやってイジメてきたか、とか?」


「祐奈に何か訊いたのか?」


「いいや。あの子からプライベートな話を聞き出せるほど、僕は信用を得ていない」


「じゃあ――」


「とにかく君のやり口ってなんていうか……真綿で首を締めるっていうのかなぁ……祐奈も可哀想にね。あんたみたいな面倒なのに目を付けられて」


「オズボーンは霊能力があるのか?」


「そういうの、信じる?」


「さぁ……だけどお前は色々知り過ぎている」


「力があるかと問われればYESだが、君が祐奈にしてきたことは、そんな能力を使わなくても簡単に推察できる」


「どうして」


「祐奈が親を亡くした話は知っているんだ。彼女がハリントン神父に話したからね」


 ハリントン神父って誰だと思ったが、陽介は続きを聞きたかったので、そこの部分は流すことにした。オズボーンが続ける。


「――しかし親を亡くした子が皆、あんなふうに他人の顔色を窺って生きていくわけじゃないだろう? そこにはなんらかの原因があるはずだ」


「それが僕のせいだと?」


「元の世界にいた時に、彼女の下地が作られた。――祐奈の自尊心を叩き折った、意地悪な『誰か』が身近にいたのだろう。祐奈はああ見えて芯がしっかりしているし、思考も柔軟なので、本来ならば切り替えは早いはずなんだ。それにも関わらず、彼女は周囲から価値がないように扱われると、すぐに『そのとおりだ、自分はだめだ』と受け入れてしまった。――でもね。ここで重要なのは、彼女自身の口から、『自分がこうして後ろ向きな性格になったのは、意地悪な従兄のせいです』と語られていないことなんだよ。つまりだ――君の中では大事なことでも、彼女にとってはそうでもなかったってこと。君ってやつは、血液中のゴミみたいなものだね。腎臓でろ過され、排出されて、それで終わりだ」


 オズボーンの語った内容は、毒そのものだった。彼は陽介の急所を心得ていて、容赦なくそれを抉ってくる。


 陽介はオズボーンに利用価値を見い出していた。――オズボーンを味方につけるのは無理でも、もう少し食い下がる必要がある。


 陽介は祐奈を手に入れなければならない。そのためにはこちらがいくらか腹を割って、オズボーンの信用を得て、有利な情報を引き出すのだ。


「――確かにさっき僕が語った、路銀を稼いだ方法は嘘だよ。僕の倫理観は普通と違う。他人に同情も共感もしない。無害なふうを装って、女を引っかけ、金を巻き上げてきた。この世界に来た晩に、善良な女を騙してやったよ。彼女が母親のために貯めておいた薬代を、情け容赦なく、根こそぎ奪ってやったんだ」



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