13.オズボーン殿の親切
第124話 旅人
祐奈を追い、ベイヴィアに辿り着いた若槻陽介は、町の入口で奇妙な男と出会った。
身軽な旅装に身を包んだその男は、四十歳前後だろうか。中肉中背で、表情に乏しい。
「――青年よ。探しものか?」
男は薄汚れていたし、金持ちには見えなかった。底辺に近い暮らしをしていそうなのに、それでも最低限の品格は失っていないように見えたので、陽介は彼に強い警戒を覚えながらも、無視せずに足を止めていた。
「ええ、まぁ、そうですね」
「私は君の手助けができると思う」
「……そうは思えませんけどね」
陽介は早く町に入りたいと考えていた。――先日立ち寄った都市で、祐奈の目撃情報を得ている。祐奈と直接話したというウェイトレスから、ベイヴィアに向かったようだと教えられた。陽介も慌ててベイヴィアを目指し、やっと辿り着いたのだ。
祐奈はもうここを旅立ってしまっているかもしれないから、急ぎ情報を集めなければならない。――ここからさらに東に向かったのか? あるいは南に下ったのか? それとも北を目指したのか?
「私はオズボーン殿から伝言を預かっている」
「はぁ……? 誰?」
外面(そとづら)は良いほうなので、しばらく会話に付き合ってはみたのだが、もうそろそろ限界だった。眉根を寄せ、ぞんざいに返す。足のほうはもう彼を無視して歩き始めていた。
旅人の傍らを通り抜けようとしたところで、ポツリと告げられる。
「――君は若槻陽介、だろう」
愕然とした。
陽介は改めて男の顔をまじまじと見つめた。知人のはずはない。陽介はこちらの世界に来てまだ日が浅いし、こんな男には会ったこともない。
「あんたは誰だ?」
「私が何者であるかは重要ではない。私はオズボーン殿の使いの者だ。彼は君を祐奈に会わせてくれる」
「どういうことだよ?」
「不可思議な出来事について、原因を知ろうとするのは無駄だ。こういうものだと割り切ったほうがいい」
「割り切ったら、祐奈に引き合わせてくれるってのか?」
「そうだ」
「じゃあ会わせてくれ」
「残念ながら、彼女はもうこの町にいない」
「なんだよ、畜生」
思わず舌打ちが漏れる。
日本に居た頃は、よくもあんなふうに祐奈のことを自由にさせていたものだと、自分自身に改めて腹が立ってくる。こちらに来てから――いや、彼女を失ってから、ずっとそのことばかり考えていた。
一刻も早く彼女に会わねばならない。そして彼女の心と体に刻み付けてやらねば。僕がいないと生きられないのだと、彼女に教え込まなければならない。
それに単純な話だが――ただ会いたかった。会いたくて、会いたくて、たまらない。姿を見たい。声を聞きたい。触れたい。深く触れたい。
昔は直接的な接触を極端に避けていた。一度始めてしまえば、止まれなくなると分かっていたからだ。
とはいえまぁ、陽介の性格からして、手加減してやる義理も感じていなかったのだが、彼からすると関係を進められない、ちょっとした障害のようなものもあったのだ。――それは母の存在だった。
祐奈はもしかすると、若槻家での居候生活で、陽介の母(祐奈から見て伯母)が、少し彼女に対して意地悪だと感じていたかもしれない。異様に干渉してくるし、厳しくあれこれ注意してくるし、いつも家に居て目を光らせているものだから、まるで息が抜けないと。
確かに母はいつも家に居た。以前はそうでもなかった。祐奈を引き取る前までは、社交的に飛び回っていたのだ。
ではなぜ母は家に居るようになったのか? ――それは陽介を警戒していたからだ。
別に彼女は息子を憎んでいるわけではない。その逆だ。愛ゆえだと思う。けれど彼女は息子を信用してはいなかった。
母は息子が従妹に手を出すのが、なんとなくいやだったようだ。ヤキモチというよりも、彼女なりに禁忌のような感覚があったらしい。『亡弟の娘を引き取った』までは美談になるけれど、その後『自分の息子が彼女に手を付けました』となると、なんとなくイメージが良くないと考えたのだろう。
母は祐奈に対し『部屋には必ず鍵をかけるように』としつこく念を押していた。入浴時間も厳しく制限していて、うっかりした事故(陽介が偶然浴室に入ってしまうというような)を防ぐことに腐心していた。
旅行にも行かず、祐奈を、そして陽介を監視し続けた。
陽介は自由のない生活を窮屈に感じるとともに、楽しんでもいた。待てば待つほど、あとの喜びも増える。祐奈の体を服の上から想像するのも、楽しいといえば楽しかった。
まだ裸も見ていない。脱がせて、直接触れたら、どんなに気持ちが良いだろうか……。
陽介は喉の渇きを覚えた。
ふと視線を感じ、顔を旅人のほうに戻すと、彼がこちらを興味深そうに眺めていることに気付いた。
「――連れて行ってくれ。祐奈の元へ」
「私は助言を与えるだけ。君は一人で進む」
「あ、そう。じゃあどこへ行けば?」
「北へ。目指すはカナン」
「カナン……」
「北上する道には危険がある。途中、老婆が経営する宿があるが、そこには泊まらず、通過するように」
「野宿しろって?」
「そうだ。君が老婆に気に入られるとは思えないからな」
「大きなお世話だ」
「代わりにこれを」
赤銅色の鈴を渡される。
「これは何?」
「お守りだ。それがお前の身を守り、北へのルートを無事抜けさせてくれる」
「ずいぶんご親切だな」
「カナンに着く前に死なれては困ると、オズボーン殿は考えている」
「カナンに着いたら、どうしたらいいわけ?」
「着けば分かる」
旅人はそう告げ、もう用は済んだとばかりに去って行った。「おい」と呼び止めてみたけれど、彼はもう振り返らなかった。
***
陽介は日本に居た時に乗馬をした経験があったので、こちらの世界に来てから、そのことにかなり助けられた。
北上するルートは、道幅が狭く、徒歩か馬でしか通行できない。陽介は急ぎカナンへ向かう必要があったので、馬に乗れなければかなり不自由しただろう。
彼は気前の良い金持ち女を垂らし込み、快楽を提供する代わりに小遣いをもらって、馬を一頭調達した。そしてそれに乗ってひたすら先へと進んだ。
不思議な旅人に言われたとおり、途中で宿を見つけたのだが、彼はそれを避けた。
なんとなく気になって宿のほうを眺めながら馬を駆っていると、建物からコソコソ忍び出てくる老婆の姿が見えた。――彼女はなぜか熊の毛皮を背負っていた。
ふと老婆が顔を上げ、通りを馬で走るこちらのほうに視線を寄越した。樹木や柵があいだにあるので、互いの距離はかなり開いている。視線が絡んだのはほんの一瞬であっただろう。
――若槻陽介は視線を前方に移し、馬の腹を蹴って速度をさらに上げた。
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