第118話 祐奈、怪しい薬を飲まされる


 祐奈はミリアムに手を引かれ、彼女の部屋に連れて行かれた。


 ラング准将の前で醜態を晒した件が尾を引いており、いまだ茫然自失状態の彼女。当然、着替えをする元気もなく、大判のリネンを体に巻きつけたままの姿だ。


 ミリアムはちょこちょことこまめに動き、浴場に置きっぱなしにしていた祐奈の着替え類やヴェールを回収してきて、台の上に置いた。しかしそれを急かして身に着けさせるわけでもなく、ぼんやりしている祐奈の髪を丁寧に乾かしてやり、櫛を通した。


「さぁ――元気が出る薬をやろうね」


 ミリアムは棚から酒瓶を出してきて、小卓の上に置いた。グラス、マドラーも並べる。


 それから引き出しを開けて、謎の小瓶を引っ張り出し、それも小卓の上に置いた。


 ミリアムは器用な手付きで酒をグラスに注いだ。そして小瓶の中身も少々。……考えを巡らせてから、もう少々追加。


 マドラーで混ぜ混ぜしながら祐奈のほうに近寄って来る。


「――ほら、飲んで」


「これは?」


「今のあんたに必要なものだよ」


 祐奈は判断力が鈍っていたし、ミリアムのことは(悪質な趣味は置いておいて)根っこの部分では信頼していたので、素直にグラスの中身を煽った。


 祐奈は疑問に感じるべきだったかもしれない。ミリアムは謎の小瓶から何かを足していたし、それをマドラーで念入りに混ぜていたのだから。


「これ……お酒ですか? ラムみたいな」


「色々入っているよ。フルーツとか、あれこれ。でもそんなに強くないだろう?」


「そうですね。飲みやすい。でも……」


「でも、なんだい?」


「お酒はラング准将が飲んじゃだめって……」


「彼は護衛だけれど、あんたの保護者じゃないだろう? 大人と子供という関係性じゃないんだ。あんたには酒くらい自由に飲む権利はあるよ」


「でも私、前にラング准将に抱っこされて」


「おっと、思いがけず面白い話になりそうだね。――何? 酔ってしなだれかかったのかい?」


「えっと……酔ってフラフラしたの。強いお酒をいきなり飲んだせいで、よろけてしまって……。酔ってこうなると危険だし、それを覚えてもいないだろうと彼に言われてしまって」


「てことは、あんたは酔うと記憶が飛ぶんだね?」


「そう。ラング准将はそれをよくは思っていないみたい」


「まぁ確かに、危ないっちゃ危ないね……」


「よろけた私を彼が後ろから抱っこして、私も甘えて彼にしがみついたものだから、『こうなるから、他の人がいる時に飲んではだめ』って」


「……あたしゃ婆ぁだけど、ちょっとキュンとくる話だねぇ……それで?」


「酔っていても、他の人にはしない、って言いました」


「実際、そうなの?」


「しない。絶対しない」


「どうして?」


「えっと……内緒」


 ミリアムはもう一杯同じものを作って差し出してきた。


「ほら、いいから飲みな。飲まないと気分転換できないし、いつまでも夕食の席に戻れないだろう? ラング准将がお腹を空かしているよ」


 そう言われてしまうと、祐奈も弱い。なんだか迷惑をかけている気持ちになってきた。


 ……度数はそんなに高くないみたいだから、もう一杯くらいなら、そんなにひどくは酔わないかな? それに酔ったとしても、ミリアムは同性だから、たとえ祐奈がミリアムの前で羽目を外したとしても、ラング准将も『はしたない』とは思わないだろう。


 くい、と二杯目を流し込む。カッ、と喉がやけるような感じがした。湯冷めしかけていた体が温まってくる。


「あれ……すごくいい気分」


「そうだろう。ちょっと薬も入っている」


「なんの薬ですか?」


「軽い催淫(さいいん)剤」


「さ……え、何?」


「ちょっと開放的になる薬だよ。人懐こくなるし、人恋しくなる」


「そう……恋しくなるとどうなるの?」


「人の体温を感じたくなるから、すり寄ったり、抱き着いたり」


「え、困る」


「なんでさ?」


「ラング准将のところにこれから戻るでしょう? 馴れ馴れしく抱き着いたら、だめです」


「だめじゃないさ」


「だめだと思う」


「大丈夫、大丈夫。そうひどいことにはならない。これはそんなにヤバい薬じゃないから。ただ、ちょっとこう……垣根がなくなる感じ」


「垣根がなくなるの?」


「まぁ、あんたにとっちゃいいことさ。甘えてキスしたくなったり」


「えー……私がラング准将にキスしたくなったら、どうするの?」


「すればいいんでないかい?」


「嫌がられない?」


「嫌がられないさ。――彼がそこで止まれるかどうかは、あたしは知らんけども。でもまぁ大丈夫だろう。お前さんが酔ったままことを進めるのは、もったいないから絶対しないはず。……あの男、密教の厳しい修行を受けている僧侶よりも、よほど自制心が強いよ」


「それ、すごい。彼、何をそんなに我慢しているの?」


「これだよ」


 ミリアムは祐奈が羽織っていたリネンをさっと取り払った。明かりに照らされた若い娘の肢体は、見事なバランスで、老婆の穢れた瞳には眩しいほどだった。


「おっと、あらためて見ると、こりゃあすごいね。あたしが男だったら、我慢はしないねぇ」


「いきなり裸にして、ひどい……」


「あたしも鬼じゃない。すっぽんぽんでやつの前に放り出したりはせんよ。いかがわしくない、ちゃんとした服を着せてやろう」


 ミリアムがにんまりと笑った。


「えーとそれで、そうだ。さっきの質問。なんで他の男にはしなだれかからないんだい?」


 訊かれた祐奈は楽しい気分になってきて、にっこりと笑って答えた。


「だってラング准将に甘えてしまうのは、彼のことが好きだからなの。彼に触られても嫌じゃないけど、他の人にされたらいやだから、拒否します。彼以外の男の人には、絶対に抱っこされない」


「そうかい。そのまま彼に言ってやんな」


「うーん……でも困らせちゃうかも」


「喜ぶと思うよ」


「えー……喜ばないと思う。でも……彼は優しいから、怒りはしないかな? そっか、嫌いって言われるわけじゃないから、嫌な気分にはならないよね? 褒めているもんね。じゃあ……彼に好きって言うかどうか、ちょっと考えてみます」


「そうかい。……薬が効いてきたね。でなきゃ好きって言うかどうか考えるなんて、あんたの性格からして言うわきゃないしね」


 ミリアムは医者のように祐奈の様子を観察して、そんな呟きを漏らした。


 そしてどうでもいいことであるが、祐奈は以前、酔ってラング准将に「大好き」とうっかり漏らしているのだが、本人はその部分をまるで覚えていないのだった。



***



 祐奈は下着をつけるように言われてそれに従いつつ、ミリアムの話に耳を傾けていた。


「――三十四年前、あたしはベイヴィア大聖堂の前司教に呼ばれてね。当時、ウトナを目指していた聖女と会うことになった」


 半裸で真面目な話を聞くというのは、なんとも奇妙な状況ではあるのだが、ミリアムからテキパキと事務的に下着を手渡されると、つい従順に従ってしまう。なんというか、病院で看護師の指示に従っているような状態だった。


 それから今の祐奈が素直すぎるのは、薬を飲まされていることも原因ではあったかもしれない。ただし開放的になってはいるものの、頭の働きが鈍くなっているわけではないので、会話することに不自由はなかった。


「ミリアムさんはどうして呼ばれたんです?」


「聖女に問題があってね。――ベイヴィアに着くまでの拠点で、二人の護衛騎士を拷問したらしい、と」


 聞いていた祐奈はびっくりしてしまった。歴代の聖女は清らかで美しく、万人から尊敬されていたものと思い込んでいたのだ。


 祐奈は歴代の聖女が皆好色で俗物だったという事実をいまだ知らずにいるのだ。


「拷問……ですか?」


「耳を斬り落としたそうだよ」


「ひどい……どうしてそんなこと。護衛騎士から、よほどひどいことをされたのですか?」


「いいや。聖女が激高したのは、つまらない理由だったと聞いているよ。些細なことで耳を斬り落とされたら、たまったもんじゃないよね。――ベイヴィア大聖堂は事態を深刻に受け止めていてね。聖女が滞在する期間に何かあってはいけないと、あたしに助けを求めてきたんだ。あたしはちょっとした能力も持っていたから、普通の人より察しがいいところを買われたわけだね。それに前司教とは友達だったしさ」


「前司教とは、『賢者』と呼ばれた人ですか?」


 ベイヴィア大聖堂のロッド修道士が、前任の司教にも仕えたことがあり、その人は『賢者』と呼ばれていたと語っていたような気がする。


「ああ、そうだよ。よく知っているねぇ」


「ベイヴィア大聖堂のロッドさんから伺いました」


「ロッドね……あの牙を抜かれた狼か」


 あんまりな表現だが、彼はワイルドな見た目とは対照的に大人しい性格をしていたので、言い得て妙だと感じた。祐奈はつい笑ってしまった。


「ひどいです」


「ロッドも何度かここへ来たことがあるよ」


「そうなんですか?」


「ほら、ベイヴィア大聖堂は、ローダー遺跡とカナン遺跡、両方の管理をしているだろう? カナンに行くにはここを通るからね」


「なるほど」


「あんたはあの男とは合いそうだね。なんとなく」


「優しいし、いい人だと思いました」


「おお、そうかい。ラング准将はあんたがそう思っていることに気付いていた?」


「なんでラング准将がここで出てくるんですか?」


「そりゃあ出てくるさ。あんたがロッドに好意を抱いて、ラング准将はなんて?」


 しつこいなぁ……と祐奈は思ったが、年長者にそう言うのもなんなので、よく考えてみた。


「ええと……私がロッドさんに格好いいと言ったら……」


「ちょいとお待ちよ。お前さん、ラング准将の前でロッドの容姿を褒めたのかい? 意外とひどい女だね」


 祐奈はムッとしてしまった。


「私が悪いの?」


「ああそうさ。悪女だよ」


「私は悪女じゃないです。ロッドさんはキツい性格の女性から『あなたは顔しか取り柄がない』と言われたらしく、傷付いていたようなので、『あなたは格好良いし、性格も良いのだから、欠点がなくてうらやましいです』って伝えたの。親切心から出た発言なのだから、咎められるようなことじゃないでしょう?」


「ラング准将は怒らなかった?」


「怒ってはいない。でも……」


「でも?」


「ショックです、って言われた。ロッドさんとは会ったばかりなのに、容姿を褒めたから、って。私それで……ラング准将にすごく悪いことをした気分になって……焦ってしまったの。もうみっともなく取り乱して、彼に縋って、あなたのほうが私は……と言ったら、慌てている私を見て、彼は可笑しそうに笑っていた。からかわれたのだと、やっと気付いて」


「それって本当にからかわれていたのかい?」


「そうでしょう?」


「人が冗談交じりに何かを言う時は、意外とそこに本心が込められているものだよ。彼だって半分は本気だったかもしれない」


 ミリアムがじっとこちらを覗き込んでくるので、祐奈はその可能性について考えてみた。……そして『馬鹿馬鹿しい、ありえない』という結論に達した。


「まっさかぁ」


 祐奈がへへ、とお気楽に笑い飛ばすもので、ミリアムは腕組みをしながらそれを眺め、ラング准将のことを少々気の毒に思った。


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