貴女がくれたその一冊に

 紆余曲折を経て、劉は食堂に辿り着いた。


 しかし、彼にとっての壁は言語だけではない。


 多くの困難が姿を隠し、彼ににじり寄っていたのである。


「食券購入必要……!?」


 そう。

 ここでは地球のお金が使えないのだった。

 完全にその辺りを失念していた劉は地球の小銭を握り締め、異世界食券販売機の前で右往左往してしまう。

 この世界のお金など持ってはいない。

 しかし腹は減っている。

 どうすればいいのか。


「どうやらあたしの出番のようね」


「其声!」


「そう、貴方の親愛なる隣人。フィア・サンブラージュよ」


「蜘蛛男! 否 面白女……!」


 腕を組んだ小柄な美少女が突如生えてきた。


 突如生えてきた少女は、正方形の紙幣を何枚か劉の手に握らせる。


「はい、これこっちの世界のお金ね。たぶん三食分くらいにはなると思うから、遠慮なく受け取って。同郷のよしみよ」


「謝謝茄子……!」


「あ、そういえば、今朝までの話で話し忘れてたんだけどさ。このゲーム、あたしは完全版じゃなくて無印から入ったんだけど、デフォルトネームから変更すると攻略対象がボイスで主人公の名前呼んでくれなくなんのよね……いやまあ、それは別に珍しいことじゃないんだけど。崖から原作主人公が落ちるじゃん? で、『○○!』って攻略対象が主人公の名前呼びながら助けようとしてくるじゃん? そこまでフルボイスだったのが名前変えてたせいで急にセリフボイスなくなるじゃん? そこで微妙に現実に引き戻されて『スン…』ってなるあの感じがちょっと苦手なのよね……」


「急早口」


「同意してくれんの? ありがと。やっぱあんたはあたしの親友になれる器……」


「会話不可 我妥協 君満足肯定 好放題話放題大歓迎 我黙聞」


 機嫌良さそうに、フィアは笑っている。

 なんでこの子こんなに顔が良いのにこんなに微妙に残念な感じなんだろう、と劉はちょっとだけ思った。


「じゃ、あたしは原作ストーリー始まる前に味方増やしてくるから、じゃね」


「頑張~」


 フィアが手を振りながら劉から離れていく。

 向かう先は食堂の片隅。

 妙に人目を引く者達が、何人かそこに固まっていた。

 その者達が『原作キャラ』、ということなのだろう。


 このゲームは前半戦が終わると、一気に血みどろの内戦が勃発する。

 それまでに仲間を集めておかないと、エンディングから倫理が消える。

 劉は何も知らないのでのほほんとしているが、元日本人で原作知識を持っているフィアからすると、あんまりシャレにならない状況なのかもしれない。

 ひょっとすると。

 後半戦に備えてひいこら走り回っているフィアにとっては、何の気兼ねもなく接することができる劉孟徳こそが、唯一無二の救いなのかもしれない。


「お食事ですか?」


「! 菅田将暉似少年 名前名称理解不能 我髪青不成 難儀……」


「こちらに来て忙しないでしょうし、たぶん憶えてもらっていないと思うので、改めて自己紹介させてください。ラウェア・ロパープレアです。アマーロ・ルヴィオレッツの執事をしています。この前は主人がだいぶ失礼を……」


「顔良少年 未来確実大躍進 携帯電話広告出演 御姉様方大狂乱……」


「……実は、お礼をしたくて。アマーロお嬢様はあなたと出会ってから変わりました。失ったものも多くありましたが、取り戻したものもあるように見えます。それに、お嬢様を恨んでいた生徒から庇っていただいたそうで……それは本来僕の役目であるのに……なんとお礼を言ったらいいのか……」


「! 今気付 声緒方恵美似 不味 是不味 御姉様方 狂死確定」


 主の危機を救ってくれた男に、どう返礼すればいいのか。

 悩んでいた少年だったが、劉が食券で困っていることに気がつく。


「食券 食事内容 理解不能」


「あ。もしかして、食事をしたいのに食券で何を買えば良いのか分からないんですか? ああ、確かに。僕らは食券の文字列だけでどういう食事かすぐ分かりますけど、リュウ様だと文字さえ読めないので完全に訳分かりませんよね。今の食堂って絵の付いたメニューなんて置いてないですし、困ったな。ええっと、この一番上のやつが、一番人気のメニューで、肉と根菜を煮込んだスープに、輪っかの形に練り上げた穀物を入れて、塩とスパイスを入れたもので……」


「何言少年 理解不能」


「ああ、ダメだ通じてない、僕はダメなやつだ……恩を返すチャンスなのに……」


 食券販売機の前でうろうろし始めた劉とラウェア。

 お嬢様をエスコートしながら食堂に入ってきたメイドが、そんな二人を見て、思わずぷっと吹き出した。


「見てくださいお嬢様。執事見習いの少年と異邦人の御方が食券販売機の前で右往左往してますよ。お金で買えない面白光景ですね」


「こら、ルチェット」


「! 御嬢様! 貧乳!」


「フレン様、ルチェット様! よかった、僕の役目はここまでだ……リュウ様をお任せします……!」


 さささ、とラウェアは去っていく。


「戦場で守ってた姫を勇者に託すみたいな顔してどっか行きましたね、あの少年」


「アマーロの下で執事しててあれだけひねくれずに育ったのは奇跡ね。でもたぶん根っこのところがちょっと変人なんだろうけど……」


「御嬢様! 御勉強 御疲様 勤勉貴女素晴 勤勉貴女格好良 才色兼備」


「? ああ、お腹が空いてるから何か食べさせてほしい、みたいな? 遅れてごめんね、授業が終わってから先生を手伝って教材を片付けていたの」


 なんやかんやで状況も相まって、フレン達もさっくりと現状を把握する。


 劉の腹がかなりでかい音で鳴り始めたので、フレンはくすっと微笑んだ。


 高嶺の花の擬人化があったらこうなんだろうかと、見る者にそう思わせる、そういう微笑みだった。


「やっぱりね。こうなる気がしてたの」


「流石お嬢様。あそこまでやる意味があったのか実は怪しんでましたし、正直お嬢様はちょっとアホかもと思ってましたが、ドンピシャで当たりましたね」


「ルチェット、今月の給与査定楽しみにしてなさい」


「助命嘆願します。助命嘆願を受け入れてください、お嬢様」


「?」


「さ、リュー、これを見て」


 フレンは得意気な表情で、ふふんと鼻を鳴らし、地球で言うファイルケースのような、けれどどこか違う構造の、本のようなものを開いた。

 そこには、写真、写真、写真。

 文章など一切なく、調理前の食材の写真と、調理の過程の写真と、完成した料理の写真が所狭しと並べられていた。


 『材料』、『過程』、『完成形』の三つの写真を並べることで、この世界の文字が読めず、食文化を知らず、食材を知らない者にも──当然、完全にではないが──ある程度どの料理がどんなものか理解させる、食のカタログ。

 それは、文字が読めない異世界人のための一冊だった。


 これは肉の丸焼きにスパイスをかけたものだと、見れば分かる。

 これは肉と野菜を辛く煮込んだスープだと、見れば分かる。

 これは新鮮な野菜に胡麻のようなものを磨り潰して作ったドレッシングをかけたサラダだと、見れば分かる。

 そんな、フレンの優しさが詰まった一冊だった。


 劉が『これを食べたい』と指差せば、フレンかルチェットが代わりに頼んでくれるということなのだろう。

 それは、山程あるを一つ取り除く、それだけの優しさではあったが、劉にとっては、心の底から嬉しく思う優しさだった。


「聞いてくださいよリューさん。いや今髪束が黄色なので聞いても分かんないかもですけど。お嬢様、この食堂のメニュー全部作らせて、その全部を撮影水晶で事細かに撮って、それでこれ作らせたんですよ。そのくせ『作って貰った食事を残してはいけないわ』とか言い出すからメイドと執事総出で食べきったんですよ? もう大変も大変で。わたしなんて食べ過ぎたから体重が心配で……」


「え? よかったじゃない、脂肪がつくなら」


「わたしの場合は腹につくんですよ……! 食えば食うだけ胸と尻に肉がつく公爵家の血筋とは違うんですっ……!」


「んなっ……! わ、私はダイエットもしてるから、お母様と比べればずっと細いでしょ! どこ見てるのよ! 何が見えてるのよ!」


「真理」


「哲学者なの?」


 わちゃわちゃしている主従。


 劉は貰ったものをぺらぺらとめくって、胸の奥が熱くなってくるのを感じた。


 感謝の気持ちが溢れ出しそうになるのを、ぐっと我慢した。


 そうして、フレンとルチェットに丁寧に礼をした。

 直立し、胸の高さで左の手の平に、右の拳を合わせる。

 それを額の高さまで上げ、ぐぐぐっ、と、思い切り腰を折り、頭を下げるだけ下げていく。

 そうしてから頭を上げ、感謝の言葉を述べた。


「謝謝茄子」


 拱手きょうしゅ長揖ちょうゆう

 俗人が貴人に対する礼節として行う、中国の伝統的な礼である。

 紀元前1046年から紀元前256年頃、周王朝の時代に生まれたという敬意の示し。


「感謝されてますよ、お嬢様」


「なんだか少し照れくさいわ」


「公爵令嬢が何言ってるんですか、堂々としててください」


 言葉は通じずとも、伝わるものはあったらしい。


 ふっ、と、美少女主従が微笑む。


「じゃあ、一緒に食事を摂りましょうか。二人は何にするの?」


「わたしは……贅肉に打ち勝つため、サラダだけにしておきます……」


「御嬢様 同物食希望 貴女好物食物知希望」


 今日も、また一つ。


 異世界に召喚された男の不安が、消えていく。


 消してくれる人達が居て、いつもその人達は微笑んでいる。


 そうして明日もまた一つ、男の不安は消えていくのだろう。

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