平凡な日常

 静香が務める教科書の副読本には、前述のように歴史の一ページが刻み込まれている。


「ったく、本当に面倒くせえ連中だよな」

「本当だね……」


 さっき薫が点けたテレビではこの第三次戦争をモチーフにしたドラマが流れ、明らかにCGとしか思えないチープな爆発が画面を占拠している。そこにはこれまたありきたりなメイクで焦げ跡を再現したようなエキストラが逃げ惑い、主役が呆けた顔で犠牲者たちを見つめている。まったく安っぽさを極めたような、十年以上前のドラマを真剣に見る住民が何人いるのだろうか。

 この第三次戦争の終わった年に生まれた薫からしてみればただの歴史の一ページであり、学生時代の苦い思い出でしかなかった。そのJF党とやらの出展から党首から歴史まで覚えさせられ、必死になってテスト用紙に書いていた。未だにそれにどれだけの意味があるのか薫はわかっていない。

 静香も静香で、JF党が何をしたかったのか、なぜ熱狂的なほどの支持を集めたのかとんとわからない。

「あたしがこの仕事に就いてるのは、それこそ飯が食いたいからだよ。もちろん町をきれいにするのも大事だけどさ、それ以上に金だよ、金」

「私はそれもまた正しいと思う」

「汚ねえ所を誰かがやんなきゃいけねえとか言うけど、そういうのってお体裁だよな」

 ゴミ処理と言うトップクラスの汚い役目は、かなりの高給取りになっている。

 町が作られた当時でも、第一次・第二次産業への偏重がややおとなしくなった現在でも、この町の富裕層のひとつの稼業であり目標だった。他にも清掃業も仕事場に因るが高く、特に高いのはトイレだった。家を建てたければトイレを15年磨けとも言われているほどであり、実際最低の学歴からトイレ掃除のみに従事して部屋を買った人間もこのマンションに四人いた。もっともその代わりにそれらの仕事はそれなりに狭き門となっており、薫がゴミ回収員の職を得たのも数倍の倍率を突破した結果だった。




「そんで話飛ぶけどさ、お前赤ちゃん欲しくねえか」

「えーと……」

 そんなある種のエリートがテレビを切りながらぶつけて来た言葉に、静香はそのエリートが思ったほどには動じた素振りを見せなかった。

「そうかそうか、じゃ今度一緒に行くか」

「うん、私、薫の子どもならいいかなって」

 こうした子づくりの相談は、正直珍しくもなんともない。先ほどのような辛気臭い政治色満々のドラマと違い、町内で人気の高い恋愛ドラマ及びホームドラマでも出産の展開はだいたいこうだった。

「でもいよいよ私も親になるとなると仕事、やめなきゃいけないかもね」

「ああいいよ、あたしが金は何とかするから。お前さんのおかげでそれこそ絶対飯に困らねえ程度には蓄えもあるしよ」

 薫も静香を愛していた。どうしても浪費家になってしまいがちな自分の手綱と財布、さらに胃袋までも握っていてくれる静香は頼れるパートナーであり、この静かにならば自分の子どもを任せられる気がした。

「…正直、今の仕事あんまり未練ないし」

 そしてわずかに間を置いた静香の返事に、薫は完全に確信した。

 こいつは親になりたがっている、と。

「それで何人欲しい」

「えっと……」

「とりあえずは一人でいいんじゃねえ?」

 その場で一気に人数まで話を進めて行く。その気になればいっぺんに三つ子でも四つ子でも抱けるが、そんな事をするのは本当の富裕層の婦婦だけであり、一般婦婦と自称する二人には遠い世界だった。

 もっとも薫は先にも述べたように高額所得者だし、高校を出てすぐ勤め始めてからもう十年になるから二十八歳である。ちなみに静香は二十六だ。これは初めて子供を持つ婦婦の年齢としては平均より二歳ずつ下であり、その点だけ見ても普通と言い切るのはいかがなものかと言えなくはない。もっとも、四十五十どころか七十八十でも子供を授かれるから平均年齢が上がっているだけであり、最多数や中間値でいけば二人の年齢は平均と言って差し支えない。


「でさ、いろいろ手続きとか大変なんだろ」

「うん、さっきも言ったけどさ、私仕事辞めようかって思ってるからさ」

「そうか、少しは出るんだろ」

「まあね。薫のひと月分ぐらいは」

「さすがにそんな安かねえだろ、金も町がくれるんだし、なあ」


 そんなある意味で平均的で、ある意味では特別な婦婦の会話が夜に溶けて消えて行く。


 全く平凡な日常が、そこにあった。

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