最終話 怪盗バロニス、今宵も参上
「えっ……」
待たせたね、と部屋に入室したわたしに、彼女は表情を引つらせる。
「ごめんね、シルヴィ。これは君にとって嫌な記憶を思い起こさせる姿かもしれないけど」
マントを翻してみせると唖然としたように目を見開いた彼女はポツリと呟く。
「か、怪盗バロニス……」
どうして……と口元に手を添える彼女は、どうやらまばたきをすることさえ忘れてしまったようだ。
そんな姿さえも愛らしくて可愛い。
「わたしが本物の怪盗バロニスなんだよ」
「えっ、ええええ!?」
繊細なその姿からは想像できないほどの驚きっぷりにわたしも笑ってしまう。
彼女はノエルとして過ごす日々を得てからずいぶん表現が豊かになった。
「怖がらせてごめんね、シルヴィ。それでも君にはこの姿を知っておいてほしいんだ」
ただ単に夜な夜な遊び歩いていたわけではない。他の人になんと言われようと、彼女にだけは誤解してほしくない。
「ちょっと外に出ようか?」
いい?と彼女に触れると、頷く彼女の頬が桃色に染まる。
ゆっくりと抱きかかえ、わたしは右手に力を込める。
「君の施してくれた看病のおかげかな? わたしも実は妖精の力を使うことができるんだよ。とても感謝している」
瞬時に現れた妖精の道に足を踏み入れ、誰にも言っていないけどね、と笑いかけると彼女は困ったように両手で顔を覆う。
「シルヴィ?」
彼女もアイリーンの魔術で異空間を渡っていたと聞いていたから大丈夫かと思っていたが、怖がらせただろうか。
「あ、あの、む、無理です……」
「そうか。ごめんね。じゃあ引き返すからもう少しだけ……」
「で、殿下が眩しすぎてこれ以上近くで見ていられません!!」
「えっ?」
耳まで真っ赤になって小さくなる彼女を今すぐにでも自分のものにしたくなる衝動を必死にこらえ、
「じゃあ、もう少しだけこの道の先に進んでも大丈夫?」
そう問いかけたわたしを誰か褒めてほしい。
こくこくと頷く彼女に安堵する。
「見ていられませんと言われてもね、いずれはもっと近くで見てほしいんだけどね」
照れ隠しに漏れたその言葉は彼女をさらに動揺させ、わたしは再び大きく反省することとなる。
だけど、もっともっと見てほしいと思うのはわたしの我儘だろうか。
「で、殿下……」
「ん? なんだい?」
叶うものならそろそろ名前で呼んでほしいところだけど、わたしはいろいろと彼女を苦しめた分だけ頑なに呼ばれる『殿下』という言葉の壁に耐えることを心に決めている。
「あの、お忙しいところ、いつもありがとうございます」
チラリと見えた彼女の瞳は潤んでいて、どこまでも忍耐力を試されているようにしか感じられなかった。
「問題ないよ。むしろもっと会いたいくらいなのだけど、アイリーンの魔術にはさすがのわたしも敵わないからね」
大げさにため息をつく真似をすると、彼女はふふっと笑いをもらす。
まるで花が咲いたようだ。
「わたくしは、アイリーン様を尊敬しています。美しくて優しくて、逞しくて、憧れの存在です」
「ノエルとアイリーンはとても仲が良かったからね。アイリーンも妹のようだとよく話して聞かせてくれていたよ」
散々自慢も交えて、いつもよく聞かせてくれた。
「わたくしは、ノエルになるまえ、ずっとあの方に嫉妬をしておりました」
長いまつげを伏せて、彼女は瞳を曇らせる。
「お恥ずかしい限りです。今ではとっても申し訳なく思っていて、でも、これがわたくしの懺悔です……」
あなたがこの姿を教えてくれるのなら、と彼女の大きな瞳がわたしをとらえる。
「そんなことを言ったら、わたしだって何度妹の騎士に嫉妬したことか」
「え? ロジオンのことですか?」
「そうだよ。君はわたしには見せない顔を彼には見せるから」
今日は格好いいところだけを見せる予定で、こんな余裕のない恥ずかしい話をするはずではなかったのだけど、致し方ない。
「君を支えてくれていた彼には心から感謝をしているけど、君がまず最初に助けを求めたのが彼だとわかったときも絶望を通り越して力が大暴走するところだったよ」
「そ、そんな……申し訳ございません……」
「はは、大丈夫だよ。その力はしっかりと魔物に向かって使わせてもらったからね。おかげで君を連れ戻しに行けた」
「あっ……ではやっぱりあのとき、わたくしを助けに来てくださったのは、殿……わぁっ!!」
言いかけて彼女はその瞳をまた大きく見開き、あたり一面を照らす夜景に宝石のようにキラキラとした光を放つ。
「ここは……」
「以前、君を迎えに来た場所だよ」
勇者と巫女に出会った、あの日の夜に。
「あのとき君は意識がなかったから。もう一度この景色を二人で眺めたいなぁと思って」
どうかな?と、視線を向ける彼女はうっとりとその光景を眺めていた。
「ミコトさんが教えてくれた高台です。まさか、わたくしにもこんな日が来るなんて……」
光を宿したその瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「殿下とこうしてまた共に同じ時を過ごせるのは夢のよう」
わたしの胸に頬を寄せながら、彼女は微笑む。
「シルヴィ……」
「あ、殿下ではなく、今日は怪盗バロニスでしたわね」
書きたいシーンがまた増えたわ、ときゃっきゃっとはしゃぐ彼女はきっとわたしが浮かべた悲観的で複雑な表情に気を使ってくれたのかもしれない。
「バロニスに大切なお姫様をさらわれたら今度も間違いなく心の狭い第四王子はすごい形相で君を連れ戻しにやってくると思うよ」
「あら、わたくしの殿下はとてもお心の広い素敵な方ですわよ」
くすくすと笑う彼女にわたしも思わず口角が上がる。
「じゃあ今日は逢引のようだね」
そのままゆっくり彼女の涙で濡れた頬に手を添えると、彼女はピクリと跳ね上がりわたしに視線を向ける。
「シルヴィ」
また拒否されたらそれはそれで仕方がないと思いつつも、彼女が抵抗しないのをいいことに、わたしは彼女の桃色の唇にそっと自分のそれを重ね合わせる。
ふんわり香るカモミールの香りと幸せな気持ちが入り混じり、また胸が熱くなる。
「愛してる」
泣きそうになって思わず口にした言葉に対し、彼女は血色の良い頬をぷっとふくらませる。
「そ、そのようなお言葉は殿下のお姿で言っていただきたかったですわ」
「何度だって言うよ」
「わたくしは心臓がもちそうにありません」
「ノエルが素敵な文章で表現してくれるのを楽しみにしているよ」
「こ、このシーンはわたくしだけのもの。ほ、他の方にはお見せしませんわよ!」
ああ言えばこう言う。
まるで
「シルヴィアーナ姫、ようやくこうしてあなたを奪いに来ることが叶いました」
そう告げて指先に唇を落とすと、彼女はまた泣きそうに顔を歪ませ、そしてくしゃっとした笑顔を見せてくれた。
あの頃と変わらない。
「もう離すつもりはないからね」
もう二度と。
色のついた世界が再びわたしに微笑みかけてくれた。
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