身の上話を聞くようです その2
「あの時、いざ相手を殺そうとした瞬間、突然動悸が激しくなった。手がガタガタと震え、刀の切っ先が定まらない。その内に刀を持っていることすら難しくなった。胃がむかむかし、吐き気までこみ上げてきた。俺は暗殺を一旦中断し、その場でうずくまるしかなった」
クロウシは「だが」と続ける。
「もう一度やり直そうにも、身体がまるで言うことを聞かない。今から自分が人間を殺す。誰かの命を奪う。そう考えた途端に、さっきの情けねえ状態に戻っちまう。何度かそれを繰り返してから、ようやく俺は悟ったよ」
どうやら自分はどうしても人間を殺すことが出来ないらしい。
そのことを理解し、思い知ったクロウシは、任務を放棄してその場から逃げ出した。
人を殺すぐらいならまだその方がマシだという結論に至ってしまったらしい。
だが、そのまま里に戻るわけにもいかなかった。
理由の一つは〝任務の失敗〟。これはもちろん論外である。
下手を打って事が露見したり、相手方に捕まったりという最悪の事態ではなかった。
とはいうものの、失敗という結果に変わりはない。
その責任は絶対に取らされることになる。最悪の場合は自分の命で。
さらに、理由のもう一つ。
己の、どうしても人を殺すことが出来ないという性質。
こんな〝欠陥〟を抱えた忍はありえない。存在を許されるはずがなかった。
思い返せば今までの任務でも何度か敵と接触し、戦闘になったことはある。
しかし、相手を殺したことは一度もなかった。
いつも見事に無力化し、それで捨て置いていた。
そんな風に戦うこと自体は出来るから、気づけなかった。
忍である以上、誰もが躊躇なく人を殺せる。
暗殺という仕事も請け負う以上、そうでなければならない。
だというのに、よりにもよってこの自分が。
一族の長の子供であり、将来を期待され、天才としてもてはやされてきた――そんな自分が『人を殺せない』という、忍として最大の欠陥を抱えている。
そんなことが知られては、皆の笑い物になることは間違いなかった。
あれだけ〝天才〟として自信満々に、横柄に振る舞ってきたクロウシが実は忍としてはてんで使い物にならない。
誰もが掌を返して自分を馬鹿にし、蔑んでくるだろう。
それは想像するだけでも身を焼かれるほどの屈辱だった。
しかし、それだけならばまだいい。
笑い物になり、馬鹿にされても、生き延びられるのならマシかもしれない。
問題はそんな欠陥を抱えた忍の存在を一族が、実の親である長が、認めようとしなかった時だ。
異物として、出来損ないとして、冷酷に排除されることになったとしたら。
……最悪だ。
もっと最悪なのは、その可能性を
忍の〝掟〟は厳しい。特に、一族に危険を及ぼす者に対しては。
たとえ実の我が子であってもそれは例外ではない。
いや、むしろ一族の長であるからこそ厳正な処罰を下してくるだろう。
もはや里に自分の居場所はない。それはまず間違いがなかった。
だから、クロウシはそのまま里に戻ることなく
自分の仕事。自分の立場。自分の運命。今までの自分という人間。その全てから。
逃げ出したクロウシは、そのまま当て処のない放浪の旅に出るしかなかった。
先にも言ったように、忍の掟は恐ろしく厳しい。
中でも、里を抜け、一族を抜け、忍という運命から抜けようとする者――それに対する処罰の苛烈さは相当なものであった。
容赦なく追っ手を差し向け、草の根分けてでも探し出し、執拗に命を狙ってくる。
一族を抜けた忍、それ自体が最も一族にとっての危険分子となりかねないのだから当然といえば当然である。
なので、もちろんクロウシにも追っ手が向かってくる。
一族に仇なすつもりはクロウシには毛頭ないものの、そんなことは向こうにとってお構いなしである。
弁明など聞く耳も持たず、ただ確実に始末しようとしてくるのみだろう。
だから、クロウシはただひたすらに逃げ続けるしかなかった。
見つからないように息を潜め、追っ手を振り切り、時には撃退しながら。
そうしてその内に向こうが疲弊し、やがては諦め、手が届かなくなるくらいに遠くまで。
海を渡り、山を越え、砂漠を抜け、森を潜り。
東の果てから、その逆方向の果てに到達してしまうほどに。
そんな風に無我夢中でクロウシは流れに流れた。
故郷、家族、仕事、運命、責任、人生、追っ手。
自分を取り巻いていたあらゆるものから背を向けて逃げ出すようにして。
「……そんで、ようやくこんなとこまで流れ着いちまったってワケ」
これまでの長ったらしい
おどけたように、ぺろりと舌を出しながら。
まるで他人事のような態度。
あるいは、そう振る舞わないと向き合えない過去なのかもしれないが。
確かに、ほぼ自業自得とはいえ中々壮絶な人生である。
カティも、スタルカまでも、それを茶化す気にはなれなかった。
果たして何と感想を述べてよいものやら。
結局思いつかなかったし、慰めや同情なんぞを向こうも求めてはいないだろう。
なので、カティはその代わりに次の質問に移る。
「……お前がこんなところまで流れてきた
訝しげに目を細めながら、カティは尋ねる。
「そこまで腕が立つらしいのに、どうしてこんなしょうもない、ゴロツキと同レベルの悪事に手を染めるほど落ちぶれてんだ? ガキの頃から厳しい鍛錬を積んで、故郷じゃエリートだったんだろ? そんだけの力量なら、冒険者として身を立て、真っ当に金を稼ぐ方法なんざいくらでもあるように思うがな」
カティのその質問を聞いたクロウシは、何故かフッと笑ってみせた。
「それにも、俺の過去と同じくらい深い事情があるのさ」
その笑顔を貼り付けたまま、クロウシは語り出す。
「ようやくこんな果ての果てまで流れ着いてきて、〝流石にここまで来れば安心だろう〟と俺は思ったよ。もう追っ手も俺を探しには来ないだろうってな。やっと、腰を落ち着けられると思った。平穏に暮らせるかもしれない。俺は数年ぶりに、心の底から安堵したよ」
そのせいで気が緩んだのがよくなかったんだろうな。
そう続けると、声のトーンを若干落としてクロウシは語る。
「数年間ずっと続いた逃亡生活から解放された俺は、気づけばテイサハの街で〝豪遊〟していた。
それどころか、である。
「
クロウシはそこまで語ると、キリッと真剣な表情になって言う。
「だから、こんな追い剥ぎ紛いの悪事に手を染めてでも一攫千金を狙う必要があったのさ」
「結局清々しいほどにお前が人間のクズなだけじゃねえか」
カティはジトっとした目で睨みつけつつ、冷たい声でそうツッコむしかない。
スタルカに至ってはもはや極寒の吹雪のような目つきでクロウシを睨んでいる。
やけに重苦しい過去から始まった
呆れて物も言えなくなりそうだった。
クロウシの方でも重々そのことは自覚しているらしいが、それでも平然としているのはもはや開き直りの境地にあるのだろう。
最初に話すのをやけに渋っていたのも今なら理解できる。
こんな、あまりにも情けなくてみみっちい話、誰も積極的に明かしたくはないだろう。
それをここまで
「なるほどな。だから、こんな偽物の刃を使ってたってわけだ」
竹の刃が中程までで破裂した刀を手に取って眺めながらカティは言う。
「まあね。質草に取られたのは刃の部分だけだったから、応急処置として代わりにそうしてた。今となっては本物を使ってなくて良かったと心底思ってるけど」
「ハッ、そもそも本物だったとしてもお前は
「まあ、そこは……女の子の二人組なんてちょっと脅してやれば大人しく金を差し出してくれるかなぁ~……なんて、期待してたんだけど……」
カティがそんな皮肉をぶつけると、クロウシは馬鹿正直にそう白状してきた。
もうやけっぱちな気分になっているのかもしれない。
「……はぁ。それで、聞きたいことは全部聞けたか? 俺としちゃ、これ以上話せるようなことは何もないぜ。もう十分だろ?」
結局、そんな身の上話の結びとして、クロウシは大袈裟な溜息を吐くとそう言ってきた。心底うんざりしているような様子で。
「満足したなら、今度は俺の方から聞かせてくれよ。あんたらこれから俺をどうするつもりだ? いい加減、それが知りたいねぇ、こっちは」
それから逆にそう問いかけてくる。
完全に開き直って、まったく悪びれない態度。
まるでわざと煽っているようですらあった。
あまり明かしたくない己の過去を洗いざらい喋らされた。それに憤っているのだろうか。逆ギレもいいとこだが。
「……お姉ちゃん。やっぱりこんなクズ野郎、警吏に突き出そうよ。その方が世の中のためだよ。こんな最低最悪な人間、野放しにしてちゃダメ」
「司法に突き出すまでもなく今まさに言葉の刃で処刑されてる気分なんですが!?」
限りない蔑みを込めた声で、スタルカがカティにそう進言してくる。
そのあまりにもストレートな罵倒の言葉には流石のクロウシも真面目に傷ついているようであった。
「ふーむ……」
一方、スタルカの進言を聞いてもカティはまだ思案する姿勢。
顎に手を当て、クロウシを眺めながら何やらじっくりと考え込んでいる。
「……いや。やっぱり、そうだな」
しばらくそうした後で、カティは唐突にそう呟いた。独り言のように。
カティの謎の熟考ぶりにスタルカとクロウシは揃って不思議そうな目を向けてきている。
そんな中で、カティはクロウシに向かって尋ねる。
「お前、助かりたいか?」
「そりゃ……無傷でこのまま解放していただけるならそれに越したことはありやせんが……」
「違う違う、そうじゃねえよ。今の借金から何から含めた
カティは立ち上がり、クロウシの目の前まで近寄る。
それからしゃがみ込んだ。
唐突なその言葉に怪訝そうな顔のクロウシ。それと真っ直ぐ目を合わせながら、告げる。
「助けてやってもいいぜ、クロウシ。お前がオレの仲間になるってんならな」
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