災厄を助けるようです その2
ニタニタと歪んだ笑みを浮かべながら男はそう言うと、ボソボソと何事かを念じた。
「――――ッ!? あッ、あああぁぁ!!」
男がそうすると同時に、突然スタルカが悲鳴を上げた。
驚きや恐怖ではない、何らかの痛みを与えられた者が上げる類の悲鳴だった。
「なっ――!? おい、どうした!?」
その悲鳴に驚いたカティが振り向き、一体スタルカの身に何が起こっているのか確認しようとしてくる。
苦しそうに呻きながら震えるスタルカは、何かに耐えるように自分の身体を抱いている。
カティは恐る恐るその身体にそっと触れてきた。
スタルカが今何かしらの苦痛を感じていることに気づき、その原因を探ろうとするように。
「これは……」
そして、どうやら見つけたらしい。
すっぽり身体を覆うフード付きのマントを着込んでいるスタルカ。その首回りの下にある、スタルカの首に直接はめられている何かに。
「そぉうだ! 『隷属の首枷』だよぉ! そいつをはめられた奴隷は主人の命令に逆らえねえ! 何故なら主人はその首枷を通して、簡単に〝苦痛〟というお仕置きを奴隷に与えられるんだからなぁ!」
カティがそれを見つけたらしいことに気づいた男がそう叫んだ。してやったりとでも言うように。
スタルカが首にはめているのは、まさしく男が言ったとおりの物であった。
『隷属の首枷』。簡素で飾り気の少ない、金属製の無骨な首輪。
だが、立派な魔術道具である。しかも、それなりに広く出回っているものであった。
その効果は男の語ったとおり。
隷属の契約を結んだ奴隷にこれをはめると、主の側が念じるだけでこの首枷を通して思い通りに苦痛を与えられるようになる。
奴隷の売り買いが未だ一般的なこの世界において、反抗的な奴隷に対して用いられることが多いものだった。
しかし、広く出回っているとはいえ、決して安いものではない。普通の奴隷には滅多に使われることはない。何か余程の事情がある特別な奴隷でもない限りは。
つまり、スタルカは
故に、奴隷として売り飛ばされた一番最初の時からこれをはめられていた。
そして、主が代わってもその首枷は外されることなく引き継がれた。
首枷から与えられる痛みは主の側が自由に調整出来たが、一番軽いと言われたものでもスタルカにとって尋常ではなかった。
その気になれば相手を死に追いやるほどの痛みを与えることも出来るとも聞かされた。
スタルカはこれまでの主達から何度もそんな苦痛を与えられてきた。そうすることでスタルカが命令に反抗しないように。反抗したらどうなるのかを教え込むように。
その〝痛み〟そのものと、痛みの記憶に脅されてきたこと。それがスタルカに奴隷として主人に従順に生きることを選ばせている原因の一つだった。
大人でも心折れて従うようになるほどの痛みと恐怖に子供が逆らえるはずもない。
痛みから逃れる方法も、素直に命令に従う以外になかった。
それ以外を考えることも、実行することも出来なかった。
そんな風に、逃れる術のない
一人で生き抜く勇気と自信がない、臆病な性格に。
「…………ッ」
そして、今またその苦痛が、スタルカを強制的に従わせようとしていた。
望まぬ命令に。本当はやりたくなんてないことに。
「お嬢ちゃん……」
カティの声が聞こえた。こちらを不安そうに気遣う声。
先ほど首枷から全身に与えられた痛みはもう去っている。
しかし、苦痛の残滓に呻きながら、涙を浮かべた瞳でスタルカはカティを見上げる。
「あぁ……」
声にならない声がこぼれてしまう。
カティの表情は、本気でこちらを心配しているものだった。
スタルカが痛みに苦しんでいるのを同じくらい痛ましく思っているように、悲しげなそれ。
この痛みを与えられている自分に、そんな顔を向けてくれる人間は今まで一人もいなかった。
これを自分に与えてきた人間はみんな、残忍な薄ら笑いを浮かべていた。ニタニタと笑いながら、自分が苦しむ様を面白そうに眺めていた。
それなのに、この人は違う。この人だけは違った。
苦しむ私を心配して、自分の心まで痛めている。
そんな、初めて出会った優しい人を、私は。
「――――ッ」
撃ちたくない。絶対に、それだけは嫌だ。それだけはしたくない。
それなのに、私の心は、身体は、どうしてもこの痛みに逆らえない。
「どうしたぁ~? 早くしろよ」
「~~~~ッ」
急かす男の言葉と共に、またもスタルカの全身に激痛が走る。
たった数秒。しかし、スタルカの心を折るには十分過ぎた。
痛い。撃たなきゃ。痛い。死んじゃう。撃たなきゃ。私が。
スタルカの思考はそれ一色に染まりかける。
だが、まだどうにかそれに抵抗しようとする心も残っていた。
それがスタルカの中で激しくせめぎ合う。
撃たなきゃ。撃ちたくない。撃たなきゃ。撃ちたくない。
「…………っ!」
心中でせめぎ合いを続けながら、スタルカはいつの間にかボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
痛みの残滓に悶える身体。それは座ったままでいることすら出来なくて、みっともなく地面にうずくまっている。
その姿勢で、スタルカは嗚咽する。
痛みで泣いているのではなかった。
初めて心の中に生まれた『悔しい』という感情がそうさせていた。
悔しい。自分の弱さが。
自分に与えられる痛みから逃れたいあまりに、誰かを手にかけることを考えてしまう。
それも、初めてこんな自分を気遣ってくれた人間を。優しさを向けてくれている人間を。羨望すら抱いてしまうような人間を。
そんな相手を犠牲にしてでも、この苦痛から逃れたい。逆らうことが出来ない。
そんな自分の浅ましさと弱さが悔しかった。
そんなことをせざるをえないような境遇にある自分自身も。
そんな生き方を選んできてしまった自分の選択も。
全てが悔しかった。悔しくてたまらなかった。
こんな風に、人目もはばからずに泣いてしまうほど。
必死で心を押し隠して、無感情な人形のように振る舞ってきたのが、ボロボロに崩れてしまうほど。
「オイオイ、誰も〝泣け〟なんて命じてねぇぞ~? 仕方ねえ、三度目いっとくかぁ?」
「――――っ」
そんな男の言葉が聞こえて、スタルカは再び身を固くする。
ぎゅっと目をつぶって、恐怖に震えた。
すぐにでもやってくるだろう三度目の苦痛に対するものではない。
その痛みを感じたら、もうこの命令に抗うことが出来なくなる。
カティを撃ってしまう。
それを予感して、恐ろしさに震えるしかなかった。
もうダメだ。スタルカの頭の中がそんな言葉で埋め尽くされる。
その時であった――。
「――いいぜ」
スタルカの耳に、そんなカティの言葉が届いたのは。
「オレを撃て、スタルカ」
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