第12話 帰省

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 王都へ向かう前に、俺たちは一つの別れを済ませる必要があった。シビルが赤ん坊だった頃から連れ添ってくれた家族……イビルバッファロー達だ。


 牧場暮しの長い彼らだが、俺達がいつ帰ってこれるか分からない状態で、ここに閉じ込めておく訳にはいかなかった。今まで飼ってきておいて、傲慢だとは思いつつ、野生を取り戻してもらうほかなかった。


「今までありがとう。元気でな」


「……バイバイ、みんな」


 俺とシビルは、囲いの外に牧草をたっぷり置いてから、牧場の閂を外した。しかし突然の自由を理解できなかったのか、それとも牧場の快適さに慣れすぎたのか、バッファロー達が出ていく気配はない。


「まずいな……野生を失っている。このままだと文字通りの飼い殺しだぞ」


「……あ!」


 どうしたものかと頭を悩ませていると、一頭の大きな老バッファローが、シビルの前までやってきた。10年以上牧場を守ってきたこの牛は、既にミルクを出す事ができなくなっている。


「モーモー……!」


 シビルの呼び名が、そのままこの老バッファローの名前になっていた。


 シビルにとって、モーモーは大事な家族の一員だった。初めてのペットであり、友であり、そして……乳を分け与えてくれる母親だった。


「……モーモー!私、モーモーのこと、忘れないよ!絶対、絶対忘れないから!また会おうね!」


 モーモーはシビルに背中を撫でられたあと、その手をペロリと一度だけ舐めた。そして大きな鳴き声を一度上げると……他の牛を引き連れて、丘の下に広がる森の中へと消えていった。


「……ぐすっ……うぅっ……!ごめんね……モーモー……!ありがとうっ……今まで、ありがとう!」


「大丈夫だ。あいつはとても賢い。俺達が帰ってきたと分かれば、きっと戻ってきてくれる」


「うん……!早く帰ってこようね、パパ……!」


 モーモー。シビルが優しく、思いやりを持つ子に育ったのは、きっとお前のお陰なのだろう。お前のミルクがなければ、俺も栄養不足で長くなかったはずだ。




 ありがとう、モーモー。お前が仲間たちと共に良き老後を過ごせることを願っている。そして、出来れば、また一緒に暮らそうな。




 別れを済ませた俺たちは、リシャールが借りてきた馬車に乗って、王都へと向かった。


 廃村跡と王都を直線で結ぶと、ちょうど魔王城を通る形になる。


 これまでは魔王城の横を堂々と通ることができたため、最短距離であれば王都まで徒歩でも2か月ちょっとで到着できた。勇者の力を失ったリシャールが、王都まで出稼ぎに行く選択肢を選べたのもそのためだ。


 だが魔王復活の予兆によるものか、魔王城の周辺が再び瘴気に包まれたため、王都へは魔王城を大きく迂回しての旅となった。特に最近は魔獣が凶暴化しているのもあり、油断ならない旅路になった。


 尤も道中の魔獣程度であれば小隊長殿はもちろんのこと、シビルや俺の相手にはならない。ロックのみ未熟ではあったが、総合的な戦闘力という意味では、このパーティーは十分に備えている。


 しかしシビルは騎士でも手こずる強力な魔獣を狩ったことは何度もあったものの、対人戦闘の経験は皆無であり、魔王と戦う以上その経験を積んでおく必要はあった。


 例え相手が魔王であろうと直接介錯させるつもりは無かったが、魔王を前にして攻撃の手を緩めるようでは、シビルの命が危ない。


 ロックに至っては対人戦闘以前に、シビル以上に戦闘経験も膂力も足りておらず、まず基礎を固めなくてはならない。やることは山積みだった。




 小隊長殿の馬車があるとはいえ、迂回のためそれなりに時間がかかる旅程であったため、俺と小隊長殿はその道中で子供たちを指導した。


 シビルは魔法を中心に訓練をしていくことになった。シビルにとっては不本意だったかもしれないが、魔王譲りの角に込められた魔力は絶大で、これを活かさない手はない。


 現状、次代の勇者が戦力としてどこまで伸びるかが未知数である上、まだ騎士団の戦力も以前ほどには回復していない今、シビルの魔法は十分貴重な戦力と言えた。


「敵の詠唱を放置しない!敵の魔力の流れを感じたらすぐに牽制しろ!」


「は、はい!」


「無詠唱魔法を感覚だけで連射するな!狙いを定めたらすぐに魔力量を調整し、無駄打ちを減らせ!詠唱で魔法のイメージを固められない分、魔力を余分に消耗していることも忘れるな!感覚の7割程度の威力を意識しろ!」


「はいっ!」


 シビルは俺以上に魔法を使うセンスに優れていたものの、当たり前だが戦術眼に欠け、経験も不足している。必死になりながら無詠唱の中級魔法を駆使しているが、俺が使う無詠唱の下級魔法と、短縮詠唱の中級魔法の前に翻弄されていた。


 確かに中級魔法を無詠唱で使えるシビルの才能は非常に秀でており、鍛えれば上級魔法の詠唱短縮も可能かもしれない。


 だが人より恵まれた魔力量とセンスの副作用というべきか、感覚に任せて魔力を過剰に消費する傾向にあった。


 例えばファイアランスという中級魔法を使う際、必要以上に大きな槍を作ってしまう上、それが本人の想定を超えた規模になってしまうことが多々あった。


 さらにイメージが曖昧なまま発動しようとするものだから、中級炎魔法ファイアランスを構えている間に下級氷魔法アイスニードルを撃たれたり、ライトの魔法で目くらましをするだけで、その膨大な魔力は大気に霧散してしまう。


 無詠唱魔法の弱点はこの魔法イメージの脆弱さにあり、シビルはもろにその弱点を晒していた。詠唱魔法であれば多少の妨害があっても保持できるが、一対一でそれを使い分けるには経験と熟練を要求される。


 威力についても早く安定させる必要がある。昔、下級炎魔法ファイアボールの威力が並のファイアランスを超える新兵がいたが、本人がその才能を過大に見積もった結果、2年目の魔族討滅戦で乱戦中の魔力切れによって戦死している。


 逆に周りの反応を見て「自分のファイアボールが弱すぎるのかも」と卑屈なほど自己を過少評価したものは、周りの声に耳を貸すことなく過ごし、己の才能を伸ばす機会を見失った。


「うう……私、才能無いのかな」


「お前に足りないのは才能ではなく、勉強と経験だ。焦らずに鍛錬を積みなさい」


「……うん、わかった」


 成長期に自分の実力を見誤ることほど恐ろしいものはない。そして自分が持つ才能やセンスと言ったものは、正しく把握出来ないことには活かすことは出来ない。


 特に、命のやり取りが絡む技術となれば、何が得意で何が苦手なのかは俯瞰して見られないと死に直結する。シビルには王都に到着する前に、それをよく叩き込む必要があった。


 一方で――


「65!66!67!」


「遅い!あと5分で終わらなかったら、腹筋100回を追加で課すぞ!」


「くっそー!こんなんで本当に強くなれるのかよー!」


「黙ってやれ!口よりも体を動かさんか!」


 ――ロックはひたすら基礎鍛錬を繰り返していた。体が出来上がる前に剣術を教えても、結局成長後に剣のリーチが変わり、同じ要領で使えないということになりかねないからだ。


 魔王がいつ完全に復活し、この世に蘇ってくるかはわからないが、剣のテクニックを学ぶのはギリギリまで延ばす必要があった。最悪、技術については聖剣がフォローしてくれるであろうことを考えると、やはり基礎体力と知識をつけることが最優先だ。


「100!!どうだ!?」


「ふんっ、ギリギリ間に合ったな。一休みするか?」


「するか!すぐに剣の稽古だ!今日こそは一本取ってやるからな!」


 それでも本人のモチベーションを切らないためにも、俺と小隊長殿が交代で模擬戦を行い、戦闘のノウハウについては指導を行った。間合いのとり方、魔法との戦い方、足の動かし方といった、体の成長とは無関係な、しかし重要な基礎の数々を刻み込んでいった。




 馬車を使ったにも関わらず、王都に到着したのはおよそ2ヶ月後だった。俺にとっては12年ぶりの帰省である。




「わあ……!大きい村だね!私の家より大きい建物がいっぱい!これが王都なの?」


「ああ。これくらいの大きさになると、村ではなく街と呼ぶんだ。はぐれたら大変だから、パパの手を離すなよ」


「うん!」


 久しぶりの故郷であり、ある意味12年越しの凱旋だったが、俺の心が安らぐ光景は何も残されていないように見える。唯一娘の屈託のない笑顔だけが、ここに来てよかったという実感を与えてくれた。


 ……ブラン王国。かつて勇者を排出し、魔王を倒した後、その勇者を遇さなかった愚かな国。リシャールが俺の村に来たときから、俺はこの国と国王に対する忠誠心を完全に失っていた。


 スラムの惨状を改善せず、貧富の差を是正せず、利用できるものは骨までしゃぶり、利用できないと分かれば捨てる。結局、この国はその程度のものだ。皮肉にもそれは、スラム時代の俺と似ているようにも見える。


「ひいい!?」


「うそっ!?見て、あの角……魔族なの!?」


「なんておぞましい肌色なんだ……!」


 王都を歩く民たちが、娘の肌と片角を見て小さな悲鳴を上げた。それに気付いた娘は、俺の手を強く握りはしたものの、毅然として前を見ている。自分に恥じることなど無いと胸を張るかのように、美しい姿勢のまま歩いている。


 俺もまた、娘の姿を誇らしく思った。シビルはどこに出しても恥ずかしくない、賢くて優しく、可愛らしい女の子だ。見た目だけで全てを決めつけるお前達には、恐らく一生分からないだろう。


 自分自身がかつて、誰よりも魔族を憎んでいたことを棚上げしてしまうほど、俺の気持ちはシビルの父親であろうとしていた。


「魔族が王都に何の用だ!出て行け!さっさと死ね!」


 青年の一人が、シビルに向かって大きな石を投げつけてきた。俺は咄嗟にシビルを庇ったが、その石は俺に当たる直前に、小隊長殿による両手剣らしからぬ豪速の一閃で粉と消えた。


 小隊長殿は切り払った両手剣ツヴァイハンダーを轟音とともに突き立てる。それだけで舗装された街道が揺れるばかりか亀裂まで走り、石を投げた青年のみならず、周囲の人間の何人かが腰を抜かした。


「うわっ!?……え……ま、まさか……第一騎士団のヴィルジール・フォーレ小隊長!?」


「俺の息子と孫娘に手を出すことは許さん」


「まごむすめ!?で、でも、そいつは魔族で……!?」


「血は繋がってなくとも俺の息子で、息子が育てた娘なら俺の孫娘だ。魔族だから何だ?文句があるなら今すぐ言ってみろ。俺が直々に相手をしてやる」


 青年相手に全く容赦のない闘気と殺気が放たれた。いや、それはシビルを蔑視していた者全員に向けられたものだ。普段は民に優しく、身分を問わず気さくに接する彼らしからぬ迫力は、その落差も合わさって壮絶な威力を発揮した。


 …………凄まじい迫力ではあるが、要するに孫をいじめられたお祖父ちゃんが怒っただけなんだよな。王都までの道中で、すっかり精神がシビルのお祖父ちゃんになってしまっている。


 まあ、こういう真っ直ぐなところが、この人らしいんだけどさ。


「孫に甘すぎますよ、親父さん。やり過ぎです。シビルが目を丸くしてます」


「…………行くぞ」


 苦笑する俺を見ることなく、耳を赤くしたまま早足で歩き去る小隊長殿を恐れ、人の波が真っ二つに割れた。


 シビルは震える青年に「怖がらせてごめんなさい」と曖昧な笑みでおじぎをすると、孫娘のためにハッスルしたお祖父ちゃんの後を付いていく。どうやら今はお祖父ちゃんの手を握りたいようだ。


 ロックは自分よりも遥か年上の青年に軽蔑の目線を送ると、何も言わずに師の後に続いた。


「……父がすまなかったね。ちなみに俺は魔族に妻と子供を殺されたんだ。君もそうなのかな?」


 青年の前にしゃがんで話しかけると、青年は信じられない物を見るように震えながらも首を横に振った。どうやら、俺よりはずっと恵まれた環境で生きてきたようで、ほんの少しだけ羨ましい。妬ましくはないが。


「俺達は復活した魔王を倒すためにここへやって来た。それが終わったらすぐに王都を出ていくつもりでいる。だからあまり不用意に周りを煽らないでくれるとありがたいな。俺の娘と、君自身と、この国のためにもね。もちろん、俺も父と同じ気持ちだよ。……斬られたのが石だけで良かったな」


 俺はそれだけ言うと、完全に色を失った青年の返事を待たずに、小隊長殿の後に続いた。やり過ぎだと苦笑こそしたが、恐らく小隊長殿がいなければ、俺はあの青年に対して剣を抜いたかもしれない。


 自分が思っていた以上に、娘の敵となりうる存在に酷薄になりつつあるらしい。かつて相手が魔族というだけで残酷になれた俺が、今では同じ理由で娘を虐げる存在にこうも敵意を感じるとは。全くなんたる傲慢、なんたる利己主義。俺でなければ殺してやりたいほど愚かな存在だ。


 俺とシビルの敵じゃなければ、パパ同士良い酒が飲めたかもしれないな?どうなんだ、まだ見ぬ魔王様よ。




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