君の居ない目覚めに


 目が覚めると、秋の終わりだというのに酷く汗をかいていた。二時間くらい寝ていたのだろうか、日はすっかり傾き、窓の外のオレンジ色が部屋にまで入り込んでいた。最近は日の短くなる速さが一日ごとに早まっているのが感じられる。七時過ぎまで明るかった夏の日は、まだまるで昨日のように感じられる。もうこのまま、秋は冬に駆け込んでいくのだろう。

 もう何度も同じ夢を見ているが、いつも君を失うまで見ているものが夢だということに気が付かない。残酷な話だ。夢から逃れるように目を覚ましても、現実で夢の続きが待っているのだから。いや、君を失うまで気が付けないだけ、寧ろ幸せなのかもしれない。幸せな思い出に、幸せなまま浸っていられるのだから。


 夢を見始めた当初は、夢から覚めても君が居ないことに悲観してしまうようなこともあった。しかし、ここ最近はそんなことも無く、昼寝後特有の気怠さだけが体に残る。君が消えたことを悲しんでいない訳ではない。君が居ないことに慣れてしまった、と言うほうが近いのかもしれない。それでも僕は、君が居ないことを受け入れられている訳ではない。体を起こして窓の外に目をやると、一羽のカラスが石垣の上に止まっていた。

 

 僕は未だに信じられないんだ。君が、所謂「ありがちな終わらせ方」をしたことを。君が、僕に愛想を尽かせて何も言わずに出ていくとか、そんなありきたりなことをするとは思えないんだ。君は、そんなつまらない人間じゃないだろ。君がそんなつまらない人間だなんて僕は信じたくないんだ。

 しかし同時に、君がこの家から居なくなったという事が紛れもない事実である以上、僕の足は竦む。一度君に会って話を訊きたいが、もし君が僕のことを忘れていたら、他の人の手を握っていたら、本当に、単に愛想を尽かせただけだとしたら、僕はその時何を思うのだろうか。


 部屋を出て、台所に行きコップに水を注いだ。一息で飲み干そうとしたが、途中で噎せた。シンクの淵に両手をつき激しく咳き込んだ。コップは床に落ちて音を立てて割れた。相当奥まで水が入ってしまったのか、なかなか咳は収まらず、仕舞いには嗚咽をして下瞼に涙が溜まっていた。僕は、もう訳がわからなくなってしまって、シンクにもたれかかってそのまま泣いた。ついさっきまで見ていた鮮明過ぎる夢の所為か、噎せた数倍の時間が経っても涙が収まることはなかった。


 なんで君は此処に居ないんだろう。なんで君は何も言わずに出ていったのだろう。君は幸せじゃなかったのだろうか。幸せだと思っていたのは、僕の方だけだったのだろうか。君はもう、覚えていないだろうか。あの春の約束を。満開の桜を見ながら言った言葉を。


 あぁ、やはり慣れてなどはいなかったんだな。必死に、心が壊れないようにただ気を張っていただけだったんだな。


 この秋が終わり冬が来れば、君が僕の前から姿を消して一年になる。もう一度冬が来れば二年、三年、そして五年、十年と僕はいつか君のことを忘れていくのだろうか。君のことなんてひとつも考えずに、この一人で住むには広すぎる家の中で暮らしていくのだろうか。君の顔も、匂いも、声も、笑い方も、仕草も、約束のことも、散歩道も、神社も花火も川も雪も全て忘れて生きていくのだろうか。それでも僕は、僕を僕と呼べるのだろうか。僕の魂から君を差し引いたら、そこには何が遺るのだろうか。

 君はいつか、「私たちはもう一度出会うんだよ」と言っていた。その言葉はきっと、僕の妄言とも受け取られかねない言葉に対する気の利いた返答だったのだろう。

 それでもだ。そうだ、もういっそ、君に会いに行ってしまおうか。傷つくだとか、壊れてしまうとか、そんなことが怖くて足が竦むとか全て投げ出して。どうせ、このまま居ても僕はもう一度君のことを失うかもしれないんだ。ならばもう、全てを捨てて君にもう一度だけ会いに行ってしまったほうが良いだろう。

 たった今思い出した君の言葉と、さっきの酷い嗚咽と涙が僕の心を幾分か自棄な方向へと運んでいた。

 きっと、これは曲解なのだろう。君の言おうとしていたことは、そう言うことではないのだろう。しかし、妄言に対する返答など、どう受け取っても自由だろ。僕は、今、現世で「もう一度」を起こしにいく。

 窓の外に目をやると、また一羽のカラスが石垣にやってきた。暫くして、先に止まっていたのと番になり、南の空へ飛んでいった。僕は今から、君に会いにこの家を発つ。「もう一度」を、この人生で起こしにいく。


 君は何処だろう。








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