第13話 初めての帰り道

「はい、こちら報酬の600ゴルになります」


 ユーリは受付嬢から6枚の硬貨を受け取り、ギュッと握りしめる。

 子どものお小遣い程度の報酬。

 だが、それはユーリが生まれて初めて、いや、前世も通じて初めて、受け取った労働の対価だ。

 露天商のおかみからもらった野菜も嬉しかったが、この報酬は社会が認めたものだ。

 労働の価値を、役に立ったことを認められたのだ。


「どうだ、クロード。凄いだろっ!」


 ユーリは無邪気に笑う。

 こんな笑顔が見られるなんて、前世の自分に言っても信じてもらえないだろう――クロードはそう思いながら、笑顔で応じる。


「では、帰って夕食にしましょう。ミシェルが待ってますよ」

「なあ、クロードよ。ちょっと寄り道しようではないか」

「寄り道ですか? もちろん、構いませんが」

「仕事中に気になった場所があってな」

「承知しました。おつき合いたします」

「ついて参れ」


 ギルドを出た二人は、大通りを進む。

 クロード宅には周り道になる方向だ。


「それで、どちらへ?」

「『くしゃーき』だ。知っておるか?」

「くしゃーき、ですか? いえ、存じません」

「そうかそうか。クロードも知らんのか」


 ユーリは勝ち誇ったように、満足気な笑みを浮かべる。

 二人は夕方の喧騒の中、街を歩いて行く。


 通りには屋台が並ぶ。そのうちの一軒。

 食欲をそそる匂いに吸い込まれるように、ユーリは向かっていく。


「おう、ここだ」

「へい、らっしゃい。お嬢ちゃん、串焼きくしゃーきいるかい?」

「ほら、これがくしゃーきだ」

「串焼きでしたか……」

「なんじゃ、知っておったのか」


 ユーリは少しつまらなそうな顔をするが、鼻をくすぐる肉の焼ける匂いと香ばしいタレが焦げる香りにすぐに機嫌をよくする。


「おっちゃん、1本いくらだ?」

「300ゴルだよ。何本にする?」


 屋台のオヤジはニカッと笑う。

 だが、ユーリは「……300ゴル」と暗い顔をする。


 今日一日、一生懸命働き、疲労困憊になって得た報酬が串焼き2本分。

 現実の厳しさを思い知らされた。


「ユーリ様、ここは私が立て替えましょうか?」

「いや、いらん……。おっちゃん、2本くれ」

「あいよ。ほら、美味しいぞ」

「ありがと、おっちゃん」


 ユーリは手の中で汗ばんでいた6枚の硬貨を渡し、串焼きを受け取る。


「まいど~」


 オヤジの声を背に、二人は屋台を離れる。

 なんの変哲もない、ありふれた串焼きだ。


「ほれ、其方そちの分じゃ」

「いいのですか?」

「ほう、余からの下賜を躊躇ためらうとは、其方そちはずいぶんと偉くなったのだな」

「失礼いたしました」


 心から侘びて、串焼きを受け取る。


「ふふっ、冗談だよ。クロードお兄ちゃん。お兄ちゃんがいなかったら、途方に暮れてたからね。そのお礼だよ」


 ユーリは茶化してみせる。

 だが、その心に偽りはなかった。


「いただきます」

「まあ、待て」


 口をつけようとしたクロードを制す。


 屋台で売っているのは、手軽に食べれるものばかり。

 周りを見れば、人々は歩きながら食べている。

 ユーリもそうしようかと思ったが、考えを変えた。


「どこか、座れる場所はないか?」

「では、こちらに」


 せっかくの串焼きを、しっかり味わいたかったのだ。

 二人はしばらく歩き、落ち着いた場所のベンチに並んで腰を下ろした。


「待たせたな」

「いえ」

「いただこうじゃないか」

「いただきます」


 鼻いっぱいに匂いを吸い込み、がぶりと食らいつく。

 串焼きは行儀よくかしこまって食べるものではない。

 豪快にかぶりつく――それこそが、正しい食べ方だ。


 一日の重労働の後に味わう、濃いタレと油の滴る肉。

 ユーリはあっという間に一本を食べ尽くしてしまう。


「あっけないのう……」


 名残惜しそうに串を凝視し――はしたないとは分かっていても、残ったタレをペロペロと舐めた。

 一方クロードは、ひと口ひと口ゆっくりと串焼きを噛みしめ食べる。


「なんじゃ、もったいつけおって」

「陛下からの下賜品ですので」


 先ほどの意趣返しだ。

 ユーリが「ぷっ」と吹き出すと、クロードもつられて笑った。


 そのとき中途半端に食欲を刺激されたせいだろうか、ユーリのお腹が「くぅ」となる。

 恥ずかしさに顔を赤らめると、クロードは――。


「召し上がりますか」


 と串焼きをユーリの口元に近づける。

 ユーリはそれをまじまじと見つめる。


 葛藤した。

 心は反対する。

 だが、身体は賛成だ。


 結局、勝利したのは――。


「臣下の忠義、受け取らんわけにはいかんな」


 言い終わるや否や、ユーリは串を奪い取り、パクパクと食いつく。


「ふう。余は満足じゃ。大儀である」


 いくら皇帝ぶってみても、微笑ましいだけだった。


「ユーリ様、失礼します」

「うむ?」

「タレがついてますよ」


 クロードは口元を拭う。

 吹き出しそうになるのを必死でこらえながら。


「むっ、子ども扱いするな」

「と申されましても、年相応の振る舞いですよ」

「ふん」


 ユーリは顔をそむける。

 恥ずかしさを見られないように。


 そして、ひと息ついた後、一日を振り返ってボソッとつぶやく。


「庶民の生活とは、こんなに厳しいものだったのか……」


 皇帝には見えなかった下々の暮らし。

 どちらが過酷か比べるのは不可能だ。


 だが、ユーリはひとつだけ気がついた。


 ――彼らの笑顔だ。


 生活は苦しい、労働は厳しい。

 だが、それでも、彼らは笑う。

 困難を誰かのせいにせず、黙って受け入れる。

 受け入れたうえで、笑って見せる。


 人々の笑顔がユーリには眩しかった。

 ユーリは夕陽に向かって立ち上がる。


「ミシェルが待っておるのだろう」

「はい、腕によりをかけて待っております」

「急ぐぞ」

「御意」


 立ち上がったクロードに向かってユーリが手を伸ばす。

 それを見て、一瞬、ためらったが、クロードはその手を握る。


「む」


 ユーリは無意識だったのだろう。

 クロードの大きく硬い手のひらで、自分の幼い身体を思い出す。

 そして、気づかぬうちに、幼女のように振る舞っている自分に。






   ◇◆◇◆◇◆◇


次回――『三人で夕食をともにする。』

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