第32話 ハルが泣けた

「しゅてーたしゅたぐ……?」

「そうよ。国や種族に関係なく皆持ってるわ。ギルドに登録している人だとギルドタグとも言うわね。自分の情報が全て見られるものなの。自分自身で気付いていなかったスキルでも表示されるわ。とても便利な物なんだけど、他人には全部見せては駄目よ。身分証明にもなるから、最低限の項目だけ表示する様に自分で設定するのよ」


 ほぉ〜、ハルはまだあまり意味が分かっていない。


「実際に見れば分かるわ」

「かーしゃま、長老に会う時はおりぇらけ?」

「リヒトが付き添うわよ。でも、その前に陛下に御目通りしないといけないのよ」

「陛下……皇帝?」

「そうね。お父様のお兄様ね。そこまではお父様や私も一緒よ。お父様の事だから陛下とお話するより、ハルに付いて行くと言い出すかも知れないわね。ウフフ」


 あー、確かに言いそうだ。


「かーしゃま、陛下に会わないとらめか?」

「そうね。ハルちゃんはまだ小さいでしょう? リヒトが、引受人になるの。保護者みたいな感じかしら。この家がハルの実家になるのよ」

「え……おりぇ、迷惑かけりゅのはいやら」

「まあ、迷惑なんかじゃないわよ! とても嬉しい事なのよ。ハルちゃんは嫌かしら?」


 嫌じゃないと首を横に振るハル。

 ただ……素直に甘えられないのがハルだ。


「ハル、あなたは自由だと言ったでしょう? 思った事を言ってくれれば良いのよ。それを聞いて私達大人がまた考えるわ」


「かーしゃま……とーしゃまは皇帝陛下の弟なんらよな」

 

 リヒトの母が温かい目で黙ってハルの話を聞いてくれる。ハルは続ける。そんな身分の人の家に、どこの誰だか分からない自分が世話になっても良いのか。

 リヒトもルシカもミーレもこの家の人達も好きだ。だから余計に迷惑をかけたくない。自分がいる事で足を引っ張る事にならないか心配だと。


「確かにハルちゃんは何処から来たのか分からないわね。本当のご両親を思い出してみて。」


 ハルはなんとも言えない複雑な表情をした。


「ハルちゃんを見ているとね、とてもマナーが良いの。お行儀が良すぎる位よ。ちゃんと『ありがとう』を言える子なのね。それはとても良い事なのよ。でも、気を使い過ぎる事や、遠慮しすぎる事もあるわね。何よりハルちゃんは甘え慣れていないでしょう? そうなるまでにどんな思いをしてきたのかしら?」


 ハルは黙って俯いてしまった。

 リヒトの母が近くに来て膝をつきハルの両手をそっと取る。


「迷惑なんかじゃないのよ。むしろハルちゃんが来てくれて嬉しいの。ハルちゃんさえ良ければ、本当のお父様とお母様になりたいの」

 

 ハルは驚いて顔を上げた。


「でもね、大切な事だからハルちゃんがもっと大きくなって、ちゃんと理解してからでないとと思っているのよ。陛下には、そんな大切な子なんですよ、てご挨拶に行くの。分かるかしら?」


 ハルは眼をウルウルとさせながら、頷く。


「長老に会ったらハルちゃんが知らない事も分かるかも知れないわ。何より、これからこの世界で生きていく為に必要な情報を知る事ができるわ。お父様やお母様、お兄様やリヒトも、みんなハルちゃんが大事なの。応援しているのよ。忘れないで、ハルの味方なのよ」


 そう言って、リヒトの母はハルをフンワリと大事そうに抱きしめた。


 この世界に来て直ぐのハルだったら……

 口では何とでも言える。大人はズルい。信用できない。と、でも思って冷めた目で見ていたかも知れない。

 だが、ほんの少しの間にもベースの皆に甘やかされ構われ、リヒトやルシカ、ミーレに世話を焼かれ、話をし一緒に食事をし一緒に風呂に入り、人の腕の中で体温を感じながら眠り、前世にはなかった何気ない毎日を過ごしてきたハルの心は少しずつ確実に解けていたのかも知れない。頑な心が、凍りついていた感情が溶け出していたんだ。そして……少し溢れ出した。


「かぁーしゃまぁ……うぇぇん……」


 リヒトの母に抱きしめられて、ハルは涙を流していた。この世界に来て初めて流した涙だ。いや、前世でも久しく流した事がなかった。


 心が辛くて笑えない人はもちろん辛い。しかし、泣けない人も辛いんだ。

 リヒト達とベースで過ごすようになってハルは笑えるようになっていた。そして、リヒトの母の気持ちによってハルは泣けるようになった。ハルが前世1番苦手で嫌悪感を抱いていた母親という立場の人の気持ちでだ。辛かった前世ではもうないんだ。


「ほら、もうお昼よ。ミーレが呼びにくるわ。泣いていたら揶揄われちゃうわ」

「ヒック……かーしゃま、ありがちょ」


 ハルはニッコリと笑った。


「まあ、ウフフ。ハルちゃんは可愛いわ。本当に、今すぐ母様の子供にしようかしら」


 いやいや。今さっき大きくなってからとか、めちゃ良い話をしたとこだろう。


 ――コンコン


「奥様、ハル。お昼ですよ」

「ほら、ミーレが来たわ」

「うん」

「さ、お昼にしましょう」

「あい!」

「ミーレ、お願いね」

「はい、奥様」


 ミーレが待つ部屋の入り口に行こうとしてハルはもう一度リヒトの母に向き合った。


「かーしゃま、ありがちょ!」

「もう、ハルちゃん! なんて可愛いんでしょう!」

「奥様、キリがありません。ハル、行くわよ」


 おやおや、ミーレはクールだ。ミーレに手を引かれて食堂に向かうハル。


「みーりぇ、りゅしかはまら?」

「ええ、今日は1日かかるんじゃないかしら?」

「しょっか」


 確かに、後始末が大変そうだ。

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