1-3
「あんた、あんたの名前は、玲仁だろう」
「はあ、そうですが」
彼が返事をするまでに、だいぶ間があった。まだ店員としての体裁は保っているが、不審者を見る目をしている。無理もない。しかしクエイスは言葉が止められなかった。不思議な気持ちだ。まるで、生き別れの兄弟に偶然再会した瞬間のような。冗談じゃない。なんて奇跡なんだ。クエイスは悪態を飲み込んだ。
「俺も鐘霧 玲仁だ」
「はあ」
「間違えた。何故か君と同じ名前をつけられた、別の世界の別人のレイジ……という人間だった。元人間で、今は人間じゃない」
「はあ?」
「言ったよな。いつか必ず助けに行くって、」
「あのー、並んでるんすけど」
背後から飛んできたのは、少し苛ついた男の声だ。クエイスは振り向いて、頭上に小さな星があるか確認する。その若い男には魂がなかった。頭上には星の代わりに、 No Soul の文字。
「ただのデータは黙っててください」
彼は魂の抜けたような、まあ元からないのだが、そういう顔をした。怒りよりも何よりも、圧倒的に戸惑いで埋め尽くされていた。突拍子のない言葉をかけられた事に対する。変な人間をつついてしまった、と後悔でもしているのだろう。
いや、データ人間に感情などない。この場の魂に見せるための、ただのデータだ。気にする事はない。分かっていても、気になってしまう。コンビニ内には魂のある人間が少しはいるし、ごく普通の一般人は他人を捕まえてデータ人間などと言わないのだ。後悔しているのはクエイスの方だ。おかしな言動をしている自覚はあるので、突然猛烈にいたたまれなくなってきた。しかし、ここで逃げ出す訳にはいかない。
後ろにもう一人、客が並ぶ。すかさず新たな店員が現れて、別のレジに誘導する。データ人間だ。仕事をしながらも、こちらを気にしていた。無理もない。端から見れば、言動のおかしい中年に仲間が絡まれているのだから。クエイスはもう一人の、本物の鐘霧 玲仁を信じるしかなかった。彼もこの世界に違和感を覚えている事に、賭けるしかなかった。
「何でこんなところでこんな人生歩んでるんだ、自分はこんな風じゃないのにって思ってないか? それは多分、多分……、俺の人生だったものだ」
「コンビニのバイト店員がですか?」
「いや、コンビニのバイトはやってなかったかもしれない。多分。性格的に」
どうでもいい質問に、大真面目に答えてしまった。玲仁の表情からして、事態の大変さにまだ気づいていない。もっと押さなければ。
「あんたは本物だ。俺とは違う。本物の、鐘霧 玲仁だ」
玲仁の顔色が変わった。クエイスの言葉のおかげか、ただのきっかけなのかは分からない。今まで忘れていた薄ぼんやりとした何かを掴みかけている、そんな顔になった。彼は朦朧として、クエイスの言葉を繰り返す。
「本物の……」
もっと会話をしたいが、これ以上続けるには迷惑がかかる。このコンビニにも、玲仁にも、その他の客にも。一刻を争う状況だが、焦ってはいけない。例え歪な偽りの世界でも、やるなら失敗したくなかった。世界が滅びる様子を見届ける、というのは、酷く気分が落ち込むものだ。自分だけ生き残るというのもよくない。
生きている事は、いつか死ぬ事だ。死なない事は、寂しい事だ。頑張れるのは、終わりが見えているからだ。それをすっかり忘れていた。
「あなたは一体誰ですか? 初めて会った気がしない。小さい頃生き別れた父親に、突然会ったみたいな気分だ」
玲仁がぼんやりと呟く。クエイスは返事をしなかった。レシートの裏に、自分のスマホの電話番号を書いた。
「後で電話してください。明日……ああ、なるべく明日、できれば午前中がいい」
とだけ言い残して、逃げるようにコンビニを出た。大股で歩きながら、クエイスは大きな溜め息をつく。ようやくこの場から離れられる。今日のところは、とりあえず休みたい。風呂に入って、一杯やって、早めに寝てしまおう。誰にも邪魔されずに。
だというのに、何故か足音は迫って来る。背後に視線を向けると、玲仁が追いかけてきていた。つい早足になっているクエイスに追いつくには、走るしかないだろう。騒々しい音を立てながら、勢いのままクエイスの前に飛び出す。今度はクエイスが動揺してしまい、半ば無意識の内に後ずさった。とっさに両手を前へ出しす。その右腕を、玲仁が強く掴んだ。
「何ですかいきなり」
「逃げようとするから……」
「逃げませんって」
掴まれている腕を何度か振り回すと、玲仁はようやく手を離した。
「あなたもしかして、別の世界の僕とかですか?」
「いや、……うん。厳密にはその要素も少しあるが。でも、同じ名前の別人だ、と考えていい」
「じゃあ、ええと、分かった。思い出した! ああ、あなた! 天使さんですよね!」
眼鏡の奥の瞳には、理解の輝きがあった。これほど早く事情を把握してもらえるとは。コンビニの場所が世界の果てに近い事が上手く働いたらしい。クエイスの声は震えてしまった。頭のおかしい中年男として無視されると思っていた。
「そ、そうだ。そうだよ」
「光る輪っかは?」
「俺の輪っかの色を覚えているか?」
「緑ですよね」
「正解。今は隠してる」
「なんでおっさんになってるんですか」
「四次元情報構造体に今しかない現在はないから……」
「はあ?」
最後の質問には、別に馬鹿正直に答えるべきではなかった。この辺りは理解されなくても問題ない話だ。今考えるべきは、彼の理解の早さについてだった。
「そんな事はどうでもいい。俺の話をもっと聞かせろ、なんでこんな状況になっているか説明しろ、ってところだろう」
玲仁は無言で、しっかり頷く。彼がクエイスを天使さんと呼ぶ、制御輪の色を覚えている、外見年齢について言及している、という事はだ。世界が終わる日、廃墟と化したコンビニで、二人してコーヒーを飲んだのをはっきり覚えている。もしくは、クエイスのおかげですっきり思い出した。だとすれば、多少説明を省略しても大丈夫だ。簡潔に説明した方がいい。意を決して、クエイスは彼女の名前を出す。
「助けに行かないか。湊、さんを」
本物の玲仁の手前、何となく呼び捨ては憚られた。彼が世界の終わりにはぐれた彼女とは、湊に違いないのだ。
「助けられるんですか? 湊を、助けてくれるんですか?」
玲仁が距離を詰める。こちらの襟を両手で掴んで、何度も大きく揺さぶった。人目があるため下手に反撃できず、クエイスはされるがままだ。後頭部を壁に打ちつけそうになり、何とか直撃を回避する。噛み締めた歯の間から、短い唸り声が漏れた。背中が痛い。動揺はするだろうと踏んでいたが、予想以上に興奮させてしまった。彼の心を湊が占める割合は、こんなにも多く、そして重い。この男は、熱い感情を特定の他人に向けられるのだ。クエイスはその気迫に恐怖を感じた。眩しくもあり、羨ましくもある。
「たっ助けるというか、苦しみから解放するというか」
「どうやって!」
「それは、今から、考え」
いちいち揺らされてしまって、喋り辛い。
「ノープランって事ですか!」
「手段は、あります、ちゃんと、苦しい苦しい」
そこでようやく、玲仁は手を離す。そして息を荒げたまま、広めに一歩下がった。
「すみません」
「痛かったです」
「ごめんなさい」
非難は一度きりにして、クエイスは乱れた襟をわざとゆっくり直す。終わる頃には、彼も冷静になっているはずだ。数秒後に様子を見ると、玲仁は項垂れていた。今度は想定以上に落ち込んでいる。忙しい奴だ。
「で、助けに行くか、行かないのか」
「行きたいです」
「よかった。俺も行きたいから」
前向きな返事を聞いて、クエイスの緊張はようやく解けた。首を横には振らないという確信はあったが、一応言葉にしなければならない。
「どうして、そこまでしてくれるんですか。他人の僕らに」
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