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 最後の居残り教師が帰りそうになっていたので、慌てて呼び止めた。そして、アークライトタワー近辺に違和感を覚えないか聞いてみた。彼は全く意味不明だといった顔をして、首を捻りながら退出した。言い方が遠回しすぎた、と表現するには手応えが薄い。確かに言い方は遠回しだったが、見えていれば察せるような表現はしたはずだ。


 やはり誰も認識していない、と判断していい。授業中も同じだった。どの教室の生徒達にさりげなく外を見せても、巨大崩壊体に気がつく者はいなかった。クエイスも制御輪で視覚を拡張して、やっとはっきり見えたくらいだ。たとえ霊感があっても、なんとなく嫌な感じがするていどだろう。そして嫌な感じと言えば。

 数時間前、クエイスの制御輪にメッセージが届いていたのだった。例によって上層部からで、やはり電子メールの様相をしている。未読の欄に1の数字。意識を向けてファイルを開ける。視界に滑り込んで来た封筒マークを、意識を向けるだけでクリック。開封する。

 巨大崩壊体を討伐せよ、とある。詳細がないなら、手段は問わないと解釈していい。たった一文だけでありながら、恐ろしい文章だ。現場に丸投げする奴が宇宙の彼方にもいる、これが何より恐ろしい。

「いや無理だが?」

 クエイスは思わず、やけくそ気味に呟いた。何が手段を問わないだ。あまりの理不尽さに、最初の一瞬沸いた怒りすら一秒で覚めていった。どうやら、お前が勝手にややこしくしたのだから責任を取れ、と叱られている。計画にない歪な思考機械の誕生は、上層部も歓迎していないのだ。理解はしている。

「帰るか……」

 溜め息のような呟きが、口からゆるゆると逃げて行く。その前に、スマホの家族グループを確認してみよう。鞄の定位置に手を入れると、見慣れないスマホが出てくる。不審な点はない。あれから六年も経っているし、買い替えていると考えるのが普通だ。絵瑠。海斗。湊。家族の名前があいうえお順に並ぶ。でたらめの数字ではなく、きちんと存在していそうな電話番号が登録されている。友達のグループ。翔利と穂乃火の名前を見つけて、クエイスは安堵した。多分まだ、どこかで存在している。他は知らない名前だった。情報としてそこにあるだけの、魂を持たない架空の他人が大半だ。

 よく見ると、LEENEの友達にメッセージが届いている。湊からだ。『集合権を使います 助けて』とある。それしか書かれていない。日付は今日、四時間ほど前。まだ誰も返信していない。数秒間逡巡した後、『どこに集合?』とだけ送る。緊急性がありそうだが、続きの言葉は他二人の様子を見てからにしよう。

 タスクを消して、画面をホームに戻して、元の場所にしまう。残りの私物を鞄に詰め込んで、退室しながら電気を消した。





 白鳩駅から電車に乗って、数駅先ので降りて、静かな郊外へ歩いて向かう。これが鐘霧 玲仁の、いつもの帰宅ルートだ。

 電車に揺られながら検索した制御輪情報によると、今年の春に湊とは離婚したらしかった。理由は分からない。彼女が湊の姿を維持出来なくなった、と考えるのが妥当だろう。元より夫婦ではない魂同士だから、元に戻ったとも言える。子ども達が大人になった後である事だけが、不幸中の幸いだ。海斗は県外で働いているし、絵瑠は県外の高校へ進学した。この世界における県外の意味するところは、外表面上でのデータ凍結状態だ。一度街の外へ出ると、出てから帰ってくるまでの記憶を持って、指定の時間に凍結解除される仕組みだ。


 湊は今どこにいるかと言えば、あたりはついている。アークライトタワーの隣の、巨大崩壊体だ。あれは湊と同一存在だから、よくて外か、悪くて中にいる。そして、助けを求めている。電話をかけてみる選択肢はあるが、今すぐに実行する勇気はない。

 もやもやとした頭でも、クエイスは考えずにはいられなかった。分からない。どうして自分だけが、全てを知った状態で、一人取り残されているのか。幸い今日はテストの最終日で、金曜日だ。エテルがいなくても、やれる事はやらなければならない。明日は早めに起きて、タワー周辺の調査に出掛けると決めた。何らかの計画を立てられる段階でもないので、ざっくりでいい。



 白鳩駅周辺の商店街で何か買っておけばよかった、と思ったがもう遅い。最寄り駅の改札を出た後だ。この辺りにはコンビニくらいしかないし、大きい商店街で買った方が安い。スーパーはあるが、歩いて行くには遠い距離にある。

 全てに気づいた後も、何となく真面目に人間として、鐘霧 玲仁として生活してしまう。この街は巨大崩壊体の見ている夢で、いつか消滅する運命なのだが。


 クエイスは交差点で、信号が青になるのを待つ。人々の頭の上には小さな星、もしくは No Soul の文字。ここでも星の方が少ないらしい。往来を見ているうちに、どこかで見た国道だと気づいた。確か、こことよく似た世界が滅びかけていた頃。どこかで拾った黒いバイクに乗って。右から来て、左へ向かった。真っ直ぐ行かずに左に曲がれば、あのコンビニがあるかもしれない。ここはあの塔京がある第三十六番地球ではないが、行ってみる価値はある。少し迷った後、クエイスは行く道を変えた。入る予定だったコンビニを通りすぎる。



 あまりに出て来なければ、今日のところは引き返そうと考えていた。薄紫の靄が滞留しているし、そろそろ世界の果てが近い。危険な地域だ。しばらく歩くと、交差点の向こうにコンビニが現れる。見慣れないチェーン店だ。ビルの一階が店舗になっているタイプの。クエイスは、懐かしい光に吸い込まれて行く。入店チャイムも、聞いた事がない音楽だ。しかし彼には既視感があった。全て知っている。


 あの時と違って店内放送は賑やかだし、何ヵ月も前の雑誌や期限が切れたキャンペーンもない。それに商品は十分に並んでいる。しかし、どの表面もボヤけていた。具体的には、商品の表示シールや写真が。中身はあるらしいが、細かいところにまで容量を割く余裕がないらしい。判別するのが困難だ。目を細めても意味がない。クエイス以外には普通に見えている、と言うよりは見えている事になっている。一人だけ、やたら目が悪い人間になってしまうクエイスだった。世界の真実に気づいたのが自分だけとは辛いな、などと斜に構えてみるが、すぐに空しくなった。クエイスは若くなかった。


 冷凍のハンバーグと、冷蔵棚のポテトサラダを何とか探し当てる。一種類だけやけに解像度が高いと思えば、玲仁が好きな銘柄の発泡酒だ。文字やデザインに西側諸国の雰囲気がある。度数が分からない酒を買うのが怖いので、とりあえずそれを二本。酒のつまみとして、恐らくピーナッツの小袋と、何だか分からない平たい茶色の小袋。二つ目の小袋が、ナッツ類でない事を祈る。新商品らしき菓子パン。つい多めに買ってしまうし、余計なものも買ってしまう。一人しかいないのに自炊するのは面倒で、最近はいつもこうだ。スマホ決済は便利でいい。買ったものをエコバックに詰め込んで、いる途中で、店員の方を何気なく見直した。


 背の高い男だ。海斗が人間だったのなら、今頃彼と同じくらいの歳だろうか。クエイスよりも二十歳以上は若いが、クエイスと似たような背格好。クエイスと違って洒落た眼鏡。全体的に明るい色の髪。いつかどこかで見たコンビニの制服。そして宮本という名札。クエイスは何とか、声を絞り出す。いざ目の前にすると、上手く声が出ない。

「あ、あんた、は」

 店員は若干面倒そうにこちらを見る。何か小さなミスをしたか、それともクレームでもつけられるか、とでも思っている雰囲気だ。クエイスはそれどころではない。そんな生易しい事態ではないのだ。彼は突然身を乗り出したクエイスに驚いて、少し身を引いた。


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