1-3


『イルカたち にんげんと ちがって ひとりでも ひかりのばしょ いけるがな こうもぎっちり とじこめられてはな』

『どのひれも だせない といいますか』

 一体何の話だろうか。高次元領域の事かもしれない。とにかく、出すというからには、ここからどこかへだ。保護対象のミカはあてにならないし、イルカに詳しく聞く必要がある。レイジは軽く水槽をノックして、二匹の気を引こうと試みる。

『詳細』

『むり あしたも しごと』

『もう ねます』

『さすがに ねむい おやすみ』

 イルカ達の身体の力が少し抜けた。そしてすぐに動かなくなる。動かなくなる、というのは、死んだという意味ではない。水の中でゆらゆらと浮遊している。レイジは少し足を動かして、イルカの顔の前へ出る。もう一度ノックしてみるが、イルカ達は二匹とも沈黙を続けていた。面倒だから無視しているのか、本当に深い眠りに入っているのか。次の覚醒は何時間後か分からない。完全に野生を忘れた怠惰な生命体だ。レイジは諦めた。明日も仕事があるなら仕方がない。

「あ、寝ちゃったの? 夜だもんね」

 ミカは相変わらず呑気なものだ。静かになった水槽に向かって、おやすみ、と優しく手を振る。


『レイジ、今そこにいる?』

 エテルの念話だ。レイジはイルカから視線を離すと、急ぎ周囲を見渡す。相変わらず声はすれども姿がない。右の踵を床から離しかけた瞬間、動くなと注意された。もちろんエテルにだ。

『実はね、わたしもほぼ同じ場所に立っているんだ。奇跡的に』

 馬鹿な。レイジは動揺を内心に隠した。制御輪が一瞬強く光ってしまうのは、やはり免れなかった。ミカに見られたところで特に不都合はないが、突然の眩しさに驚いているようだ。少し恥ずかしい。

『それでレイジの位置が分かった。君は今、私のいる世界から少しずれたところにある、別の世界にいるらしい』

 少しずれたところ。つまり、世界は同じで別の階層、という意味だ。念話ができるなら、遠くはない。レイジが考えるに、たった一枚向こうだ。エテルと同じ場所に転送されたはずだし、途中で別の階層に行った覚えはないのだが。平行移動をミスしたところで、そうはならない。

『そこ イルカ 白?』

『そこにいるイルカは白いか、って事か。いいや、バンドウイルカだね。白イルカは、昔に死んでしまったんだって』

 細かい情報が違う。やはり別の世界だ。恐らくは、あちらが本来任務で行くはずだった。

『巨大崩壊体が出た時、近くにいたかい?』

『肯定』

『なんて事だ。やっぱり、あれに見つかったのかな? 君が飲み込まれてたら、かなりまずいよ』

 見つかったか見つかっていないかで言えば、確実に見つかっていた。巨大崩壊体は、レイジが隠れているシートを見下ろしていたのだから。レイジはこの件で、初めて自分の頭を疑った。実は顔を見てしまったのかもしれない。隠れていた時、気が遠くなった瞬間があった。巨大崩壊体がこの世界の管理者ならば、少しくらい内部情報を改編するのは容易い。つまりレイジを体内に入れた情報を隠し、代わりの情報として、上手くやり過ごした展開を用意した。もしそうなら、エテルとの認識のズレに説明がつく。


 二頭の白イルカは、レイジと同じく閉じ込められている。今までレイジが出会った生命体が、小さな世界に住む全ての生命体が、源流にも還れず彷徨っている。昆虫、植物、動物、そして人間。

 元の世界に帰らなければ。エテルのいる、本来の世界の上へ。閉じ込められている彼らを、全て解放しなければ。腹の外へ、あるいは魂の源流へ。しかし、どうすればいいのか。巨大崩壊体を探そうにも、その腹の中ではどうしようもない。意志の疎通ができる端末でもあれば、話は簡単だが。いや、簡単でもない。むしろ難しい部類だ。暈人は、存在自体が崩壊体を破壊する者も同然なのだ。崩壊体は誰でもレイジ達に対して、敵意か害意を少なからず持っている。近くにいると分かった時には、もう行動を開始しているはずだ。

 奪われたくないものがある。それを奪える能力を持つ存在が現れた。レイジが同じ立場なら、どうするか。戦力を分断した後に各個抹殺する。できれば弱い方からがいい。弱い方を人質に取るのもいい。どれもできなければ、とりあえず弱い方を確保して時間稼ぎをするはずだ。世界の主なら、ある程度自由な手が使える。


 なるほど、時間稼ぎか。レイジは思い至った。今まさに、説得しなければならないらしい。たった一人、敵陣の真ん中で。上手く動かないこの喉で。

「レイジさん、聞いてる? 夜が明けたら、最後に行って欲しいところが……」

 レイジはゆっくりと、ミカへ顔を向ける。己の制御輪が、微かに震えているのが分かる。それを見て、ミカから表情が消える。察しがよすぎるのは困る。それに思いの外顔が近くにあったので、レイジの体は強張ってしまった。少女の指先が、腕辺りに触れる。そして、


 彼女が誰かを思い出した。





 鐘霧かなぎり 玲仁れいじは困惑していた。綺麗に保っているはずの靴箱に、見知らぬ紙が入っていたからだ。やけに小さく畳まれていたのでゴミかと思ったが、一枚のメモだった。こっそり開いてみると、可愛いデザインの紙だ。女子の使うような丸っこい文字が書かれている。ゴミ箱に捨てなくてよかった。いや、何も知らずに捨ててしまった方が幸せだったかもしれない。書かれている文面を見て思い直す。



『放課後、第二体育館の裏に来てください』



 落ち着け。これは何かの間違いか、もしくは罠だ。

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