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 幸いにも上層部は、巨大崩壊体を倒せとは言っていない。目的が討伐ならば、討伐課の部隊を編成するはずだ。レイジ達の任務は変わらない。巨大崩壊体に接触しないようにしながら、ここに迷い込んでしまった魂を救助して行けばいい。

『互いの位置が分からないね。全然感じ取れないのは初めてだ』

『肯定』

『私は空から、隠れ家にできそうな場所を探すよ。日が沈む前には、見つけられると思うから』

『理解』

『じゃあ、いったん切る。君は声が大き過ぎる時があるから、緊急以外は控えてね。私の方から定期的に連絡する。ちゃんといい子にして待ってるんだよ?』

『理解』

 レイジがしっかり返事をすると、エテルの気配が遠ざかった。念話が終了した証だ。



 さてと。レイジはひとつ、伸びをした。スーツでは動きづらいが、制御輪に記録されている仕事着といったらこれしかない。いや、これしかないと言っては嘘になる。エテルと同じ活動服も入っているからだ。しかし、これは絶対に着たくない。そんな事を考えながら、ざっと体を解した。次に、左手首の腕時計を確認する。降り立つ世界に合わせてくれる優れものだ。ここでの一日は二十四時間。秒針が六十回動くと一目盛り進む。一時間は六十分。という事は、太陽はひとつで、月もひとつだ。針は、朝の八時半頃をさしている。


 微力ながら個人調査に出てみよう、とレイジは考えた。仕事は手分けしてやった方がいいに決まっている。本当は上司と行動するのが規則だが、何もせずじっとしているのも性に合わない。一、二時間くらいならまだしも、最長で夕方までかかるのではさすがのレイジも精神的にキツい。

 そうと決めたら、行動は早い。レイジは表通りへと歩き出す。崩壊体は夜に活発になるため、日中出くわしたとしても小さい者しかいない。そのていどを処理するだけなら簡単だ。何度もやった事がある。勝手な個人行動も、日常茶飯事だ。

 エテルからすれば、困った相棒になるだろう。彼女は同業者から、出来の悪い問題児の面倒を見る苦労人と認識されている。しかしレイジからすると、エテルは全く困った先輩なのだ。小さな子どもの相手をするような態度が、正直少し不満だった。あれでは相棒というより親だ。喋り方や運動能力から幼く見られがちだが、レイジはれっきとした大人なのだ。エテルはそれを忘れているか、気づいていない。もう少し信頼してくれてもいい。

 サンフォスもサンフォスだ。他のひとつ輪達よりも能力が低いのは、怠けているからではない。エテルの足手まといである事は、レイジ自身が一番分かっている。


 思い出してしまった。これが苦痛のひとつだったのを。

 いつの間にか足が止まっていた。賑やかになりつつある、朝の表通りを目前にして。


 レイジは、いつまで経っても満足に仕事ができない自分に焦り、そして腹を立てていた。色々と限界が来てしまった時に、一度海に入水した。あの、何もない海へ。世界に溶けてしまえれば楽になると思った。しかしレイジは溶けなかった。幸か不幸か、ボロボロの状態で浜辺へ打ち上げられた。何度も。だから、歩き続けなければならない。



 ニ、三歩進めば、たちまち朝の通勤通学ラッシュの中だ。右を見ても、左を見ても、人間だらけ。久しぶりに出会った大量の人間だった。多くの色や匂いや音に、レイジは圧倒される。

 近代的な造形の服だ。人々の装いや街路樹の様子からして、季節は秋あたりだろう。高いビルも多いし、道路は全てコンクリートだ。なかなか発展している。これだけ高い文明を持つ街なら、道路標識があるはずだ。少し視線を動かせば、難なく見つける事ができた。阿列丘通り、神隠区役所、聖海高校、白鳩駅東口。まずは駅へ向かってみようと判断する。空を飛べなくても、この辺り一帯を把握できるだろう。



 駅に向かう道には、多種多様な店がある。チェーンのハンバーガー屋。食べたい。流行りのらしきドーナツ屋。美味しそうだ。有名コーヒーチェーン店。いい匂いがする。向こうでろくなものを食べられないせいで、食べ物屋ばかり見てしまう。三次元世界の素晴らしさを堪能していると、前から男が歩いて来る。正面を見ているにも関わらず、こちらに気づいていない。しかしレイジは立ち止まらず、ついでによそ見もやめない。ぶつかる心配はないし、避ける必要もないからだ。男はレイジをすり抜けて、何事もなかったかのように歩き去った。暈人はこの世界の異物であり、霊魂と同種の存在なのだ。遭難者も同じ状態で……。


 おっと、仕事を忘れていた。レイジは食べ物屋から視線を引き剥がす。移動中でも、念のため遭難者を探さなければ。迷える魂かどうかは、頭の上に光る星が浮いているかそうでないかで判別する。肉体を失った者、あるいは別世界に迷い込んだ者は、未成熟な情報構造体から魂が飛び出している。星のように光っているのは、その周囲だ。光の正体は形成初期の制御輪である、とレイジは教わった。四次元情報構造体……つまり暈人に進化すると、星が輪になる。



 該当者を一人も発見できないまま、白鳩駅前まで辿り着いた。清潔感のある外観だ。地面は白を基調としたレンガが敷き詰められており、等間隔で街路樹が植えられている。誰かを待つ人、早足で急ぐ人、悠々と歩き回る鳩の群れ。一際目につくのは、駅前広場の中央。右手に天秤を持ち、左腕に鷹を乗せた、勇ましい女性の石像だ。誰かの作ったアートだろうか。

 その足元に、小さくか弱い光を見つけた。星の真下には、カーディガンを羽織った少女がうずくまっている。下には洒落たデザインのセーラー服。肩下くらいまでの柔らかい栗色の髪。学生鞄につけられているのは、丸い青色のサメ縫いぐるみと、パステル調に輝く星型キーホルダー。全体的にどこかで見たような気がするが、すぐには思い出せない。彼女は精神的に参っている様子だ。毎夜、崩壊体から逃げ回っていたせいだ。しかし、もうその心配はない。話を通して魂を回収する仕事は、レイジ一人でもできる。


 よし、行ってみよう。名誉挽回のチャンスだ。レイジは制御輪の下辺りに手を入れ、メモ帳とボールペンを出した。制御輪中央の穴からは、各々の仕事道具が取り出せるようになっている。よく分からないが、自分専用の四次元空間に繋がっている、らしい。

 少し迷った後、当機は あなたを助けに来た者です、と書く。言葉は自動で現地語変換されるが、短い文の方が正確に伝わる。レイジは、慎重に対象へ接近する。気を使いながら彼女の肩を叩き、さきほど書いたメモを差し出す。自分にできる限りの、優しい笑みを浮かべながら。

「ひっ」

 顔を上げた女子高校生の表情が、恐怖に歪んだ。慌てて学生鞄を抱えると、流れるように立ち上がって逃走する。レイジは予想外の反応に戸惑い、体が固まってしまう。我に返った頃、少女の背中はだいぶ小さくなっていた。そんなに不審者の雰囲気が出ていたのだろうか。ショックだ。


 仕方ない。彼女を助けるべく、レイジも走り出した。少女は一瞬後ろを振り返り、逃げる速度を上げる。もしも叫ぶ事ができれば、待って欲しい意図や、何か誤解している旨を伝えられる。もしも自由に飛ぶ事ができれば、先回りして身柄を確保できる。だが、どちらもレイジにはできない。


 少女はもう半泣きだ。見知らぬ者に無言でしつこく追いかけられたら、誰だって恐怖を覚えるに決まっている。さらに悪い事に、彼女はメモを見ていなかった。視線の流れから考えるに、見たのはレイジの顔だけだ。こちらが喋れないのを知らないのだから、当然だ。失念していた。

 彼女は急に右へと曲がり、商店街へ駆け込んだ。ちらと確認した看板には、阿列丘通りとある。ここがそうか。レイジも後を追うが、飛び込んだ瞬間少女を見失った。まだ遠くへは行っていないはずだ。



 広めのアーケード商店街だ。見たところゴミや落書きの類はなく、シャッターの下りている店はない。綺麗な外観だ。駅も近いし、昼夜問わず賑わっているに違いなかった。だが。

 様子がおかしい。全体的に妙に薄暗い上に、人間の姿がない。通行人も、店員も、人っ子一人いない。制御輪から警告音。なるほど。生前からの癖で、意味もないのに眼鏡の位置を整える。そして、自らの制御輪に向かって心で語りかけた。



 要請:意識領域拡張

 《承認。知覚可能次元を一段階解放》

 要請:第一ロック解除

 《承認。干渉可能次元を一段階解放。戦闘モードへ移行》


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