第33話 彼女が残したもの
改めて頭を下げて、玄関を出た。
ドアを閉めた瞬間、あたしは全身の力が抜けてその場に崩れ落ちてしまった。
「兎羽ちゃん!?」
小枝が慌ててあたしの身体を支えてくれる。
「大丈夫、立てるよ」
自分でも思っていた以上に緊張していたようだった。震える脚をなんとか押さえながら、小枝の肩を借りて門まで歩いた。
「懐かしいな。あそこの庭で、私、シンバルを叩いたんだよ」
「そんなこともあったね。今思えばとんでもないことしてたな。たしか楽器も学校の音楽室から勝手に借りてたんだよね。ほんと、バカやってたな」
「でも、楽しかったよ」
もう、あんなことはできそうにない。やっていいこととやってはいけないことの分別が付いてしまったから、何をするにも直前に考えてしまう。
それが良いことか悪いことなのかで言ったら、きっと良いことなんだろう。
来たときとは打って変わって、空は完全な雪模様になっていた。
「今年もホワイトクリスマスだね」
「今年も?」
「去年も降ってたよ。ほら、昼間は雨が降って雷まで鳴ってたのに夕方になったら雪になって、覚えてない?」
「覚えてない・・・・・・」
そんなことがあったのか。
一年前のあたしにとって、人格更生プログラムが全てだったから、現実世界で起きていることになんか一ミリも興味がなかった。
「あ、あのさっ、兎羽ちゃん」
隣の小枝が、おっかなびっくり聞いてくる。その小さな鼻先に、雪が乗っかっていた。
「このあと、暇? よかったら帰りにケーキ買って、一緒に食べない?」
「いいね。せっかく電車で来てるんだし、駅前寄ってみたいな」
あたしが頷くと、小枝は嬉しそうに笑った。
電車に乗って、家の最寄り駅より二つほど前の駅で降りる。
そこは市内でも一番大きな街で、クリスマスということもあってとても賑わっていた。
ジングルベルのBGMを聞きながら、駅から出ると、街いっぱいを包み込む大きなイルミネーションが視界に飛び込んできた。
「あ、そうだ。先にヨド寄っていい? マレンカの代わりのやつ買いに行きたい」
「うん、いいよっ」
小枝と一緒に、家電量販店に向かう。店内もクリスマス一色に埋め尽くされていて、どこを見ても赤いリボンがくくりつけてあった。
あたしは店にあるなかで、一番高い音声認識サービスを内蔵した家電コントローラーを購入した。明日花の言うとおりなら、マレンカよりは長持ちしてくれるはずだ。
「それにしても技術の進歩ってすごいよね。声で電気を点けるなんて昔じゃ考えもしなかったよ」
「もっと未来には、今のあたしたちじゃ想像もしていない技術が使われてるのかな」
そう思うと、もっと先まで、生きてみたいという欲求が沸いてくる。
「一万年後には、どうなってるんだろう」
何気なく呟いたことだったから、特に返事はいらなかったのだけど、それに対して小枝は、
「そんな未来のこと、興味ないよ」
微かに積もった雪に付く自分の足跡を眺めながら、強い口調でそう言った。
「あそこのケーキ屋さん、すっごく有名なところだよ。私もまだ行ったことないから、あそこにしよっ」
小枝がめぼしいケーキ屋さんを見つけたらしく、指を指しながらあたしの手を引っ張る。
店に入ると、突然クラッカーが鳴らされ、意気揚々と入っていった小枝もぽかんとしていた。あたしも何が起きたか分からず右往左往していると、サンタのコスプレをした店員が近づいてきた。
「おめでとうございます! お客様!」
その店員はあたしを見ていた。あ、あたし?
「本日333人目のご来店ということで、お客様にはクリスマス記念サービスを実施しています! ささ! こちらへ!」
店員があたしを何度も手招く、他の客までも、その熱気にあてられたのか拍手をしていた。
「この中からお好きなケーキをお選びください。対象商品三つまで、無料とさせていただいております!」
「す、すごい! やったね兎羽ちゃん!」
「う、うん」
なんだか突然のことで頭がついていかない。店員と、それから小枝だけがはしゃいでいた。
フルーツケーキとロールケーキ、それからショートケーキを選んで、袋に入れてもらう。
小枝は何も買わないで出るのは申し訳ないからと、モンブランを一つ買っていた。
「食べきれるかな、これ」
「が、頑張って食べよう」
ケーキ四つ。昔なら簡単に平らげただろうが、今となっては胃が心配だ。
「でも、よかった。やっぱり兎羽ちゃんと一緒にいると、いいことばっかり起きるね」
「たまたまでしょ」
「ううん、そんなことない。昔から、兎羽ちゃんはそうだった。そういう人だった。だからね、これまで、一緒にいてくれて、ありがとう」
熱を持った小枝の視線に、思わず声を失ってしまった。
「これからも、よろしく」
なんとか声を絞り出すと、小枝は「こちらこそっ」と言って雪の上をスキップした。
「そんなことしてると転ぶぞー」
なにがそんなに楽しいのだろうか。小枝はさっきから妙にはしゃいでるように見える。
切奈の母親は小枝を見て大人っぽくなったと言っていたが、あたしにはまだ、昔の小枝の面影は消えていないように思える。
でも、確かに小枝は昔と比べて自分の意見を言うようにはなったと思う。それはここ最近、そう、切奈が死んでから、小枝は変わった。
ふいに、あの病室で嗅いだアルコールの香りが鼻腔を突き抜けていく。
顔から血が引いていくのが分かった。
ほぼそれと同時、向こうから救急車の音が聞こえてくる。
赤いサイレンが街を抜けていっても、クリスマスというものを楽しむ幸せな人々は、今にも命を落としそうになっている人間のことを気にも留めていない。それは、今のあたしも一緒だった。
「兎羽ちゃん?」
足が止まる。
本当に、これでいいのか?
あたしは、欺されているだけじゃないのか?
生きるのは素晴らしい。
死ぬことは怖くない。
そうやって自分を誤魔化しながら、周囲の優しさと幸せに目くらましされているだけで、結局死ぬ。その事実は何も変わってはいない。
「兎羽ちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」
「小枝、あたし」
この幸せしかない空間に、誰もが忘れている事実を雫のように垂らしてもいいのだろうか。淀んでしまいはしないだろうか。
「死ぬのが、怖いんだ」
はじめて、小枝に言った。
小枝の前では強くありたかった。小枝に弱い自分を見せたくなかった。そういう意固地な自分がいたから、これまでずっと隠していた。
小枝はこんなあたしを見たら、失望するだろうか。
小枝は、あたしの手をギュッと握ると、肩をすり寄せてきた。
「そしたら、私が先に死んであげる」
言っていることに反して、小枝の声色はいつも通りだった。
「それで証明してあげる、死ぬのは怖いことなんかじゃないんだって」
小枝の吐く白い息が、空に昇っていく。
「でも、兎羽ちゃん。私が死んでも泣いてくれるかなっ、それがちょっと心配」
「泣くよ。きっと、大泣きすると思う」
そう言うと、小枝は目尻に少し涙を溜めながら、
「そっか」
と呟いた。
小枝は、切奈の死に何を見たのか。
あたしは切奈の死を見て、この世には奇跡なんてもの一つもないんだと知った。
良くも悪くも、切奈は関わった人すべての人に影響を与えていった。
もしあたしが死んだら、小枝はどう変わってくれるんだろうか。また一つ、大人になるのだろうか。
あたしが、死ぬことによって。
もう少しで、答えのような何かにたどり着けそうだった。けれど、鳴り響く救急車のサイレンがそれをかき消していく。
顔をあげれば赤いサイレンの光と、黄色のイルミネーション。
あたしはやっぱり、クリスマスが嫌いだ。
切奈の命日。切奈の訃報を聞いて走ったあの日、あの街。
赤い光があたしに止まれと言っていた。
黄色い光があたしに危険だぞと言っていた。
それ以来、あたしはクリスマスを彩るこの色が嫌いになっていた。
「小枝」
そのことも、相談してしまおうか。そう口にしたときだった。
「きゃっ!? な、なに!?」
街の光が一気に消えたのだ。
暗くなって足元すら見えない。あたしと小枝は半ば抱きつくような形になった。
「て、停電?」
「でも、お店の電気は点いてるよ」
たしかに、店の電気は消えていない。消えたのは、この街を彩るイルミネーションだけ。
「明日花ちゃんが言ってたのってもしかしてこれかな」
「明日花が?」
「うん。最近は明かりをスイッチじゃなくって、電気信号を使って操作することが増えたんだって。そのおかげで色を変えたり強弱を付けたりを自動にできることも増えたんだけど、そのせいで不具合も多いらしくって。なんだっけ、周波数?」
あたしも今日、明日花の口から聞いた単語だ。
「だからときどき、周囲の電波と混じって誤作動を起こしちゃうことがあるらしいの。これもそれなのかなって」
「たしかにそうかも。店の電気だけが点いてるなんておかしいもんね」
停電でないのなら、あまり気にする必要はないのだけど。
こうして真っ暗な中を歩いていると、まるで自分の人生の縮図を見ているようで、落ち着かない。
何も見えない。そこに何があるのかも、そこまでどれくらいの距離があるのかも分からない。なのにゴールだけが定められていて、いつか終わることだけを知っている。
この道を、あたしより前に歩んだ人が何人もいる。けれど、その人たちは、もうこの世にはいない。
いいのだろうか。あたしはこのまま、目を瞑ってしまって。
苦しんだ人もいるはずだ。悲しんだ人もいるはずだ。
その事実から目をそらして、自分とは関係ないことだと知らないフリをして。
あたしだけが、幸せになってもいいのだろうか。
あたしは自分の足元を恨めしく思いながら、歩き出すことができなかった。
「わあ」
小枝が、うっとりするような声をあげた。
「な、なんだこれ。なんかのイベントか?」
「初めて見た! きれーい!」
周りにいた人たちも、驚いたように声をあげていた。
あたしの暗い足元も、僅かな光で明るくなる。項垂れた自分の影が、薄くなっていた。
「兎羽ちゃん兎羽ちゃん、見て見てっ! すごいよ!」
小枝があたしの手を取って、ぶんぶんと振ってくる。
それに釣られて、あたしも顔を上げた。
「ねっ、キレイでしょ?」
視界いっぱいに広がった景色に、思わず口から息が漏れた。
「うん。すっごくキレイだ」
奇跡なんてこの世には存在しない。
死んだら終わりだ。
命は尽きて終わりじゃないなんて、ただの詭弁だ。
そう思うことで、自分の命に特別な価値を付与していようとしていたのかもしれない。
だけど、そういえば一人、あたしの人生に、当たり前のように死んでいった、特別な奴がいたのを忘れていた。
ただ外に出て遊ぶなんて当たり前のことが誰よりも楽しそうで、そのくせ奇跡だの魔法だのを無駄に信じているような奴だった。
「ケーキはあたしの部屋で食べよう。確か紅茶もあったはずだから」
小枝の手を引くと、小枝は驚いたような素振りを見せたが、すぐに顔を綻ばせた。
視界が滲んで仕方がない。
切奈が死んでもう四年も経った。
それなのに、どうしてあたしは切奈にまだ泣かされなきゃならないのだろう。
切奈の命も、意識も、もうどこにもないのに。
どうして切奈という存在は、こうもあたしの人生を支配しているのだろう。
「分かってるよ」
言いたいことは分かってる。
そんなの、考えたところでしょうがない。
あたしは立ち止まっていた脚を動かして、前に進んだ。
正解や最善手みたいなものは、きっとあるのかもしれない。でも、あたしの人生は切奈に支配されている。だから、切奈が望んでいるように、生きなければならない。
あたしも、こんな風に、誰かの人生を支配できるだろうか。
あたしが死ぬことで、前を向ける人がいるのだろうか。
「行こう、小枝」
「うんっ」
人生っていうのは物語みたいなものだ。
こんなあたしの作る物語を見て誰かの人生を変えられたら、それは素晴らしいことだ。悲しい物語を作るのか、切ない物語を作るのか。それはその人次第だけど。
少なくともあたしは、楽しい物語を作っていきたい。
終わらない物語なんてきっと誰の心にも響かないから、どこかいいところでケリをつけて、あとは、切奈みたいに「充分すぎるほど人生を満喫した」って言いながら、目をつむれるように。
切奈。
切奈が伝えたいことって、これだったんでしょ?
死人に口なし。
でも、想いだけはここにある。
あたしは小枝の手を引いて、歩き出す。
これでいいはずだ。だって。
街のイルミネーションが、こんなにも青く輝いている。
お願いだから死んでください 野水はた @hata_hata
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