第十三章

第170話

***ゲラリオ①***


 最初の旅の記憶は、まだすね毛も生えていない頃のこと。

 魔法の才能があるかもと騒がれ、その話を耳にした領主の後押しで、帝都の魔法省に向かうことになった。


 おっかなびっくり旅に出て、どうにかたどりついた魔法省。

 そこではめきめき頭角を現して、貴族や現役魔法使いの子弟たちを抑え、たちまち将来の魔導隊候補と噂された。


 ああ輝かしき立身出世の少年の物語!


 もちろん、そうはならなかったのだが。


「……くそっ、嫌な夢を」


 ゲラリオが目を覚ましたのは、荷馬車の荷台の上だった。

 山ほどまぐさが積んであって、天気も良いので寝転がったらついうとうとしてしまった。


 ざわつく胸の中を鎮めようと、懐を探って煙草を取り出したところで、しまい直す。

 まぐさに煙草の匂いがつけば、馬が嫌がって食べなくなる。


 親切で乗せてくれた農夫の仕事を邪魔するわけにはいかない。


「大将! あとどのくらいだい?」


 ゲラリオが山盛りのまぐさ越しに声をかけると、気のいい農夫の声が帰ってくる。


「もう少しだーよ。着いたら起こしてやるさ。安心して寝てればいい」


 少し笑いを噛み殺すような声音だったので、居眠りしていたのがばれていたらしい。

 なんなら寝ている合間に、世間話でも振られていたのかもしれない。


 ゲラリオは農夫に軽く返事をし、ため息をついてから再びまぐさの山で横になった。

 一人旅が久しぶりなら、無防備に居眠りしてしまうなんてことも久しぶりだった。


 気を抜いてぼんやりするなど、故郷の村を出て以来、本当に数えるほどだろう。

 今までの人生、気の休まることなんて滅多になかった。


 そもそも魔法省に送り出されたところから、ケチのつきはじめなのだ。


 地味な村の生活は嫌いじゃなかったし、魔法に大して興味もなかった。

 けれど名誉なことだからと、ほとんど無理やりに家から送り出された。


 確かに田舎の村にいたら、貴族の位を賜れる可能性など万に一つもない。

 まだ幼かったせいもあり、周囲がそれだけ期待してくれているのだからと、気持ちを切り替え魔法使いになろうと決意したのだが、なんのことはない。


 地方領主というのは魔法省に魔法使いの卵を送ると報奨金がもらえ、両親もそのおこぼれに与れて、ついでに口減らしをできるというだけのこと。


 おまけに魔法省では選民思想が吹き荒れていて、貴族の級友からの嫌がらせは実にひどいものだった。


 なにくそと歯を食いしばっていたものの、ついに音を上げて魔法省を逃げ出した。


 どうにかたどり着いた故郷の村で、自分とばったり出くわした母親の顔を、ゲラリオははっきり思い出すことができない。

 ただ、その口から出た言葉だけは覚えている。


 ――なぜ帰ってきた? もうあんたを売った金は使っちまったのに。


 その時は、世界で一番自分が不幸だと思ったものだが、流れ流れてお決まりの戦場暮らしになる頃には、周りはみんなそんな連中ばかりだった。


 世界はこんなふうにできていて、すべてを真面目に受け取っていたらこっちが壊れてしまう。


 どんなことも受け流し、本気にならず、常にあらゆることと距離を開けておく術を覚えるのに、時間はかからなかった。

 それに、なんだかんだ戦場では、得難い仲間を得ることができたのだ。


 もちろん神というやつは心底意地が悪いので、戦場ではたくさん仲間を失ったし、まだしもましだからと鞍替えした冒険者稼業も、ほどなく廃業の運びとなった。


 故郷を追い出されて二十余年。


 冒険の果てに残されたのは、体のあちこちにがたがきている魔法使いと、まともに歩くこともできない獣人が一人。

 それと、なにを食ったらそうなるのか、いつも元気な体力馬鹿が一人。


 そんな三人で流れ着いたのが――。


「兄さん、着いたよー」


 また少しうとうとしていたらしい。


 ゲラリオは農夫の声で目を覚まし、大きく伸びをしてから、荷台を降りる。


「助かったぜ。これ、とっといてくれ」


 ゲラリオは適当に財布に手を突っ込み、帝国銀貨を握れるだけ握って、農夫の手に乗せた。


 農夫は驚き、ゲラリオの顔を見る。


 荷馬車に山と積まれたまぐさでも、帝国銀貨でせいぜい三枚だろう。


「多すぎるってんなら、村の皆に酒でも振る舞ってやってくれよ」


 魔法省での訓練を終え、正式な魔法使いとしての身分を手に入れていれば、俸給としてぴかぴかの帝国金貨を袋いっぱいに詰めて村に凱旋することができた。


 そんな人生の可能性がゲラリオにもあったろうが、それはあり得ないおとぎ話。


 だから、たまたま荷馬車に乗せてくれた農夫に幸運を授けようとしたのは、得意満面、実家の扉を叩けなかったかつての少年への、ある種の供養みたいなものだ。


「兄さん、あんがとなー!」


 いつまでも大きな声と共に手を振ってくれる農夫に、ゲラリオは呆れ笑いながら手を振り返していた。


 こんなところを嫌味なツァツァルに見られたら、一生こすられるな、と苦笑した。


 それからゲラリオは、頭陀袋ひとつ肩に提げ、山道に入っていった。

 荷馬車に乗せてくれた農夫の話では、そこには無数の狼を飼って狩りをする、変わった狩人が住むという。


 領主様もあまり干渉しないし、山ほどの毛皮を村や町に売りに来るので、かつては帝国中央で御用狩人だった人が住んでいるのではないか、というのが農夫の弁だ。


「御用狩人、ねえ」


 ゲラリオは少し伸びすぎた無精ひげをぞりぞり撫でながら、山道を進んでいった。

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