第109話 亡霊は雪解けを知る
「うお、すげ! これ学校の文化祭だけじゃ勿体なくね?」
「神事的な意味を含めてるみたいで、公開してないんですよね。すごい大変なのに」
「こりゃ恵真ちゃんもやりたがるわけだ。あ、青味がキツいね。これあれだ、カメラの色温度合わせたほうがいいよ」
「色温度」
「設定あるから。ほらこのカメラだけ青がキツい。カメラ切り替えるなら揃えないと違いが気になるから」
「なるほど」
俺は動画を見ながら頷いた。確かにカメラによって色が少し違う。
安城さんはその場にあったカメラを手に取り、設定の変更方法を教えてくれた。
今日は「クリスマスブッフェのチケット渡すから来いよ」と安城さんに呼び出された。
動画を見せるとこうしてアドバイスを貰えるのが楽しくて仕方が無い。
文化祭が終わり、季節は秋から冬に向かう。この後にあるのは期末テスト、模試、模試……勉強の日々が始まる。
品川さんからは「もう本腰入れないとダメよ」と言われているけど、たまにさくらWEBには来たいし、なにより紗良さんの誕生日のクリスマスブッフェは外せない!
服はもう買った。プレゼントは中園のお母さんに目星を付けてもらっていて、なんとかなりそうだ。
紗良さんも「すごく可愛くするから楽しみにしててね」と言っていて、もうそわそわしている。
もうテストとか全部ぶっ飛ばして時間を早送りしてほしい。
紗良さんとオシャレしてデートするの楽しみすぎる。
俺は安城さんに向かって、
「安城さんって彼女とか……あ」
口に出した瞬間に「離婚」「嫁は観念」と言っていたことを思い出した。
安城さんは目を平らにして俺を睨んで……と思ったらケラケラ笑って、
「彼女って言葉がもう懐かしいよ俺は。てか、俺が彼女とか言ったら、パパ活の領域だろ」
「すいません」
なんだか謝ってしまった。
安城さんは目を細めて、
「離婚したけど、今も元嫁さんとは会うよ。仲良しだし。てか俺の嫁さんも高校の同級生だし」
「えっ、高校の同級生、そうなんですか。えっ、でも離婚ですか。えっ、俺の未来って」
「そうそう。そういう意味で陽都から目が離せないわ。同じ修羅の道を歩む者として……」
「修羅?! アドバイス出来ることが多い立場ってことですよね?!」
「アドバイス……自分が存在しなくても良い家庭を作れ……」
「えーー?!」
「冗談だけどさ。高校生の時にこうやって俺も嫁さんと学校で色々あったなーって思い出したわ。最高に楽しそうだわ」
そういって安城さんは目を細めてスパイダーの動画を見た。
「結局恵真さんを勝たせることは出来なかった。それは残念でしたね」
安城さんと話していたら、編集室のドアがノックされて天馬さんが入ってきた。
それを見て安城さんはスマホを掴んで部屋から出て行く。
「じゃ、おつかれさまでーす。俺一回出ますね」
「あっ、安城さんっ!」
「話終わったら飯いこ」
そう言って安城さんは手を振って出て行った。
そういえば「どうしても今日取りにこい」って言ってたけど、明後日4BOXの定例会議あるから、そこでチケットくれれば良かったのでは。
これ俺……売られてね……? と思うほど、あまり天馬さんが好きではない。
どうしてそんなにと言われても、その思いはばあちゃんと話してから増した。
それでもホタテさんと話して、天馬さんが俺と別の世界の人だと理解してちょっと溶けたけど……やっぱなんだかばあちゃんに俺より近く詳しい人がいるのは、単純に面白くない。
天馬さんは俺の横に座り、軽く笑顔を見せて、
「恵真さんの件、助かりました」
「……え? 負けましたけど」
「打ち合わせ時も表情ひとつ崩さず、部屋から一歩も出ず、食事も出かけず。プロデューサーやディレクターからも、扱いにくさを指摘されていました」
「ああ、なるほど」
そういう話か。
俺たちの教室に来た頃の恵真先輩は、まるで機械のようだった。
今も学校で移動してる時の恵真先輩はひとりだけど、穂華さんといる時は笑顔を見せている。
そして穂華さんに付き添われてダンス部に入部届を出しに行き、無事に入部が決まったと聞いている。
目指している所があり、それに対して自分を律して生きていくのは、きっと変わらない。
恵真先輩ってどんな人? と聞かれたら、本音は変人と答えたい。変わった人であることは間違いない。
でも、信頼できる人がいると違うのだろう……というのが、さくらWEBにアップされる動画で分かる。
俺は、
「そう思うなら穂華さんを一緒に売ってあげてください。あれを引き出してるのは穂華さんですよ。穂華さんがいるから少し丸くなったんです」
「私は付け合わせの野菜を売るほど暇ではないので」
「……はあ……」
穂華さんのことを付け合わせの野菜扱い……これは横に平手がいたらガチキレする。
こういうのを裏で言うならまだしも、俺に直接言うところも含めてやっぱり好きになれない。
結局主役になれる商品としての人間しか興味がないのだ。
でもその商品のためになら、一ヶ月サバを煮られる……そこが天馬さんのすごい所だと今は分かる。
俺は口を開く。
「サバを煮て、恵真先輩のお母さんを口説いたんですか」
「ああ。安城に聞きましたか。そうです、あの子がほしくて。良いでしょう、あのエネルギー」
「いや……、かなり怖い爆弾としか感じなかったですけど。危なくないですか、あの凪琉聖に対する感情」
「人を追い詰めたい、貶めたい、その感情が活動の源のほうが強いです。これは断言できる」
「俺は人に対してそんな風に思ったことがなくて。だから正直怖いし、そこの部分であんまり関わりたくないのが本音ですね」
俺がそう言うと天馬さんは薄く微笑んで、
「それは陽都くんがぬくぬく幸せに育った子だからだよ。素晴らしい両親、素晴らしい環境、そこでぬくぬく育った子だから」
俺は天馬さんのその言葉に視線を向ける。
「……棘しか感じられないんですけど」
「俺の祖父と母は、綾子さんに鍋川から追い出されたんだ」
「え……?」
突然の話に何が始まったのか困惑する。
でも綾子さんとは俺のばあちゃんのことだ。
俺のばあちゃんに、天馬さんのおじいちゃんとお母さんが鍋川から追い出された……?
どういうこと……?
「俺の母は15で鍋川を出て、16で俺を産んだんだけど、鍋川にいた時は、君のお母さんと親友だった。君のお母さんとの話をね、俺はたくさん話を聞かされたよ。同じ小学校、中学校。家が近くて毎日一緒に通い、休みの日は自転車で釣りに行ったのだと」
俺は聞きながら思い出す。
そうだ、母さんも鍋川出身で、天馬さんも、ばあちゃんもそうだって言っていた。
「綾子さんが鍋川で仕事してたのは聞いてる?」
「いいえ」
「湊不動産会社から鍋川のリゾート計画を任されていたんだ。最中にトラブルになって、漁師だった祖父と母は鍋川を追放された」
ばあちゃんは水商売をしていて、その時に湊不動産の社長に見初められて、そこから成り上がっていった人だ。
湊不動産の社長が、ばあちゃんの手腕を試すために鍋川に連れて行ったのかも知れない。
天馬さんは表情ひとつ変えず、
「俺も大人になって色々調べたけれど、綾子さんはうちの一家を守るために鍋川から出してる。悪の方が正しいと誰もが分かっていても、そうできない歴史があるのが古い町だ。誰かが悪人になることで町が100年生きることもある。現に鍋川は綾子さんが持ち込んだ観光で生きてるんだ。生きがいを失った祖父は酒に逃げて、母も死んだ。そして綾子さんはそのことをずっと悔やんでいる。そして君のお母さんは綾子さんを憎み続けている」
ばあちゃんと母さんにそんな事があったのか。でも……聞いていて思う。
「……その後ばあちゃんは天馬さんを引き取って、育てて、今ここにいるんですよね。それを母さんに伝えたら、和解……」
天馬さんは「はは」と空気を吐き出すように軽く笑い、
「それを言いたいと思うことこそ、君の甘ちゃんの精神がよく分かるね」
「甘ちゃん……」
「事実はなにひとつ消えない。それは君が楽になりたいだけ。誰も楽にならない。今もあの頃の不甲斐なさを悔やんでいる綾子さんも。誰も生き返らない。でも伝えたいと思うのは、君が楽になりたいだけだろう」
そう言われると……本当にそうだ。
とにかく全部ぶちまければ、ばあちゃんと母さんが和解……しないな。
むしろ親友の子どもが生きていることを、今まで知らなかったことを悔やみ、なぜ言わなかったのかばあちゃんにキレそうだ。
……分からなくなってきた。
「……というか、なんでこんなこと俺に言うんですか」
「俺は亡霊の子だと君には知ってほしかったんだ。亡霊だけど今生きてて、偶然同じ業界にいる。俺は嬉しかったんだ、君に会えて」
そう言って天馬さんは俺を見た。
そして髪の毛をサラリと揺らして目を細めて、
「鍋川は良い所だよ。毎年、母の命日には必ず雪が降るんだ。一度来るといい」
それはばあちゃんが言っていたことと同じで……。
俺はそれを思い出して俯いた。
あれは天馬さんのお母さんが亡くなった日のことだったのか。
あの時ばあちゃんが言っていた言葉が、やっと少しだけ理解できた。
家に帰って靴を脱いで二階にあがり、カバンを置いて椅子に座った。
この前ばあちゃんに言われて、ずっと忘れられない言葉があった。
「語らんことで、消せる過去はある」。
ばあちゃんも、母さんも、きっとこれからも多くは語らない。きっと語らないことで消せる過去だと思っているからだ。
でも天馬さんは俺にわざわざ全部ぶちまけて話した。
知りたく無かったと思う反面、むしろ前より、天馬さんを身近に感じる自分がいる。
帰り道に気が付いてしまったんだ。
恵真先輩と、天馬さんは同じなんじゃないかって。
どちらも亡霊の子。いや……厳密に言うと違うけれど、きっと同じだ。
恵真先輩はそれを黙って心の中で燃やし続け、天馬さんは俺と仕事をしたいから、全部言った気がするんだ。
それはきっと。
俺と何か作って、何か残したいんじゃないかな。
過去が亡霊なら、未来に何か作りたいんじゃないかな。
亡霊だけど今生きてて、偶然同じ業界にいる。
だからそんな風に言ったんじゃないのかな。
これから先、俺と天馬さんは、きっとそれが出来る。
その能力をお互いに、違う所で持っているんだ。
亡くした過去も、忘れられない痛みも消えないけれど、それでもつくれる未来がある。
そのためにあの人は俺にこれを教えて、近付いてきた気がする。
そんなのなんか、ちょっと熱いと思っちゃう俺がイヤだ。
ぼんやりしていたら部屋のドアがノックされて母さんが顔を出した。
両手に洗濯物を持っている。
「おかえり!」
「……ただいま」
「今日の晩ご飯はシチューよ。パンとピラフ、どっちもあるけど、どっちが良い?」
俺はスマホを置いて、身体を持ち上げた。
「母さんは……後悔してること、ある?」
母さんはキョトンとして、それでも真顔になって、
「山ほど。だから今、息子に愛を注いでる」
その言葉になぜか喉の奥がぐっとなって、それでも気が付かれたくなくて。
俺は息を必死にすって、
「……ピラフにする」
「おっけー! はいこれ自分の分は自分で畳む! 一人暮らしするんでしょ!」
そう言って母さんは、俺の分の洗濯物を部屋に投げ込んで、一階へ下りて行った。
投げ込まれた洗濯物は太陽の匂いと、うちの洗剤の匂いで。
分からない、全然分からないけれど、そこには明日があって、俺はなぜか泣いた。
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