第102話 みんなで一緒に
きっと時が止まっている。
窓の外。夕日に照らされている雲は動いているのに、風にそよぐカーテンは揺れているのに、恵真先輩の時間だけ止まっているように見える。
天井に届きそうなほどまっすぐに伸ばされた指先、すべて計算し尽くされたような背筋。
もうずっと、それこそ校舎が出来た100年前からそうしているかのように、微動だにしない。
そしてきっかけとなる音と共に崩れ落ちるように動き出した。床に膝をついていた穂華さんを、恵真先輩の影が飲み込んで襲いかかる。
それを切り裂くように穂華さんが地面を這いつくばるように動きはじめて、ふたりの踊りはまるで光と影。
後ろに膝をついて座っていた熊坂さんがそこに華を与えるように見事に舞う。
一通り踊って、恵真先輩は顔をクッと上げた。
「……うん、穂華ちゃん。今までで一番良かった」
「はあっ、はあっ……はいっ、ありがとう、ございますっ……でももうこれ以上は、無理ですっ!」
「穂華ちゃん、頭上げて動き出す時さあ、ちょっと動きが雑じゃない?」
「じゃあ熊坂先輩が白やってくださいよ、もうこれ以上出来ません!!」
穂華さんは叫びながら床に転がった。それを無視して恵真先輩と熊坂さんは軽く復習を始めた。
俺と平手はそれを無言で撮影している。
旧スパイダーの仕上がりはかなり良い感じになってきている。
来週にも通しの撮影をしてアップ。同日にダンス部のほうも撮影することになっている。
そして次の日に投票があり、スパイダー役が決まる。
文化祭はまだ先だけど、もう全体練習がはじまるので、スパイダー役を決めないといけないからだ。
熊坂さんは器用に穂華さんのパートを踊り、
「ここがピシッと決まると良いと思う。てか、たぶんここだけでかなり印象違う」
「上手いなあ、熊坂。マジですげーよ」
「え~~~っ、中園くんに褒められるとすっごくやる気になるぅぅぅ!」
熊坂さんはかっこ良く穂華さんに指示を出していたのに、中園に褒められた瞬間にキュルンと向きを変えて目を輝かせた。
一緒に踊っていた恵真先輩がスンという表情になり、
「熊坂さんは中園くんが好きなんですか? 彼はさくらWEBでも学校でも、あまり良い評判を聞きませんが」
「ぶっ……くっ……あはははは!!」
俺と平手はその言い方に我慢が出来ずにカメラを持ったまま笑い出してしまう。
熊坂さんは「中園が好き」と直接言わないし、これはなんというか一応公然の秘密というか、空気を読むべきなのに、恵真先輩はそこら辺が崩壊している。
熊坂さんは恵真先輩に駆け寄って、
「え、ちょっとまって? 彼女でもない女の子をこんな風に褒めてくれる男の子って全然いないのよ? 顔も良いしゲームしてる時はカッコイイし、付きまとっても嫌がらずに相手してくれるし嘘つかないし皆に平等。マジでレアキャラだよ?」
「趣味はそれぞれだと思いますが、事務所の人に中園くんにだけは近付くなと言われました。下半身が怪獣だからと」
「あははは、あははははは!!!!」
キングギドラ伝説広がってるわ、これ。
俺と平手はもうカメラから距離を取って爆笑した。あー、ここそのまま使おうっと。
学校の許可が取れて、スパイダーの練習動画をさくらWEBの恵真先輩のチャンネルに上げることになり、安城さんに見てもらったら「オモロ。特に恵真ちゃんと中園くんの最悪の相性が」という反応だった。分かる、本当に水と油。
常に本音で剛速球を投げ込んでくる恵真先輩と、まるで気にしない中園のやり取りは、会話が常にかみ合わず面白すぎて、チャンネル登録者数は、新人にしては良さげと安城さんに褒められた。
そして、もう少し長い動画を学校のスパイダーのページにもアップしている。
むしろさくらWEBでサイトの存在を知った人たちが見に来てくれるようになった。
PVがあるだけで、やっぱり気合いが入るし楽しい。
「はい、色々買ってきたよ。ちょっと休憩する?」
恵真先輩と熊坂さんが踊りながら動きを確認して、もう一回……という空気になってきたころ、買い出しに行っていた紗良さんが戻ってきた。
両手にコンビニ袋を持って笑顔で、超可愛い。
ふてくされて転がっていた穂華さんはくるりと回転して膝をついてススススと紗良さんのほうに近付いて泣きついた。
「紗良っちいいいい……うええええん……私もやらないって言えば良かったあああ」
「穂華、おつかれさま。はい、じゃあメロンソーダあげるから」
紗良さんはコンビニ袋の中から、ペットボトルのメロンソーダを取りだした。
それを見て穂華さんは眉をひそめる。
「え? こんなの初めてみた」
「美味しそうでしょ?」
「えーー? アイスがないメロンソーダなんて、ただの緑の炭酸だよ。アイスボックスのがいい~~」
そう言って穂華さんはコンビニ袋の中からアイスボックスを出して食べ始めた。
俺は紗良さんに近付いて手元を見た。
「メロンソーダ売ってたの?」
「陽都くん! そう。はじめて行ったコンビニなんだけどメロンソーダが売ってて。はじめて見たから買ってみたの」
そう言って紗良さんは笑顔を見せた。
有名な商品だけど、たしかにあまり置いてないかもしれない。
紗良さんは手下げ袋から、もうひとつメロンソーダを出して、
「前に陽都くんと飲んですごく楽しかったから、もう一回飲みたいなって思って私はこれにしようと思って」
「じゃあ俺もそれにする。ふたりで飲もうか」
紗良さんが買ってきたアイスとジュースとお菓子で休憩時間になった。
今日は四時間授業だったけど、この時間までひたすら練習して、もう夕方だ。
みんな疲れ果てて休憩に入った。恵真先輩は袋の中からポッキーを取りだして、
「……知らない味です」
そこにアイスボックスを食べていた穂華さんが近づき、
「コンビニ限定じゃないですか? 最近多いんですよ。あっ、ほらそうですよ。美味しそう~。開けて開けて~」
ジュースを飲んでいた熊坂さんが近づいて、一本引き抜いて食べて、
「いいなあ、恵真ちゃん、元中園くんが住んでたマンションに一人暮らしでしょー? 楽しそう」
中園はガリガリくんを食べながら、
「え、そうなん、今あそこにいるの?」
恵真先輩はコクンと頷いて、
「はい。タイミングが良いから二学期から急遽上京したんですけど、部屋がまだ無くて。再来月には寮に移動になります。それまで中園くんが住んでたマンションで一人暮らししてます」
「ひえー。あそこひとり、マジで病まない? 俺三日で駄目だったんだけど」
「さくらWEBの中を通ってから行く一手間が大変ですね。自炊は得意なのでキッチンをフル活用してますが」
熊坂さんは目を輝かせて、
「一人暮らし良いなあ~~。えっ、お泊まりに行きたい~~」
恵真先輩は静かに首を振り、
「昨日練習で入ったさくらWEBの練習場は関係者パスが必要ないんですけど、あの部屋はパスが必要なんです」
中園も深く頷きながら、
「あそこさくらWEBの先にあるから、すげーセキュリティー厳しいんだよ」
熊坂さんは唇を尖らせて、
「昨日入れたから、自由なんだと思ってたー。そっかあ~。さくらWEBって渋谷の真ん中でしょ? そんな所に家があったら遊びに行きたいところ沢山あるのに~~」
熊坂さんがそう言うと、恵真先輩は俯いて静かな声で、
「……駅前はうるさくて人が多すぎて他の店には一度も入ったことありません。出てきたくて出てきた都会なのに、あんなにたくさんある店の中でどこに行けばいいのか分からないんです。パン屋さんなんて一店舗もなかったのに、さくらWEBの周りには二軒も三軒もある。どうやって選べば良いのか分からなくて、結局どこにも行ってません」
それを聞いて熊坂さんと穂華さんは顔を見合わせて、
「もももも勿体ない~~~」
熊坂さんは胸を張り、
「え、じゃあ今日は練習ここまでにして、とりま駅前のエピオ行かない? 新しいプリクラ入ったって!」
「熊坂先輩、なんで急に言うんですかぁ。私今日ちょっとしかメイク直し持って来てないですよお」
「私がフルであるから!」
熊坂さんと穂華さんがワイワイと騒ぎ始めた横で、恵真先輩は正座して、
「プリクラは写真機……ですよね?」
その言葉に俺たちはポカンとしてしまう。まあ。うん、写真機だけど……写真機?? まあ写真機か。
俺の横で紗良さんが目を輝かせる。
「……プリクラ。ひさしぶりに撮りたいわ」
「紗良っち! そうだよ、中学の時に友梨奈と三人で撮ったきりだよね」
「あ、でも私もメイク道具ない……」
「えっ、吉野さんにメイクしていいの? 私、実は将来の夢が美容師&メイクさんだから、メイク大好きなの! 吉野さん素材が最高に良いのに、いつもナチュラルだな~~って思ってた。でも眉の整え方とか上手だから、家でメイクしてる?」
その言葉に紗良さんは少し考えて静かに「……ほんの少し」と曖昧に微笑んだ。
紗良さんはメイクがガチ勢で、変装してカラコンやウイッグだって慣れてる人だ。
俺は心の中でその答えに笑ってしまうけど、そんなことを知ってるのは俺だけでいい。
やがて熊坂さんがカバンを持って来て、どう考えてもカバンの八割をしめている巨大なメイクボックスを取りだした。
穂華さんが目を輝かせる。
「熊坂先輩、えぐい~~~! この量エグすぎです~~!!」
「これでも減らしてるんだけどお。ほらほら。可愛くメイクしてプリクラ行こう! 最近あそこヘアアイロン入ったよ」
「激熱じゃないですか~~~!」
ふたりがワイワイと話し始めた所に、紗良さんもスススと近付いてメイクボックスを見て、
「……すごい、ファンデ四色……あっ、これ新作」
「おお~~? 吉野さん興味ありまくりじゃん! 可愛くして皆で撮ろうよ~。はい、じゃあまずは恵真ちゃん!」
呼ばれて恵真先輩はおずおずと椅子に座った。
そこに熊坂さんがどんどんメイクを施していく。俺は他の男子よりたぶん化粧に詳しいけれど、熊坂さんはガチで詳しいタイプに見える。
メイクが好きな人は下地にメチャクチャこだわるんだよな。何種類も使って顔を作り上げていく。
そしてポイントメイクを施して……。
「はい、どう? ん、めっちゃ可愛く出来た」
「本当だーー! 恵真先輩、ほらほら。かわいい系になりましたよ。元がいいからハンパない。やっばぁ!」
熊坂さんがフルメイクした恵真先輩は、元々の顔の良さに加えて、丸くて華やかな雰囲気が加わり、本当に「可愛い」人になっていた。
元々がハーフで金髪で、目立つけれどメイクは全くしてなかったけど、そこに淡い色を中心にのせた結果、ふんわりした雰囲気になっている。
「次は吉野さんだー! 吉野さんにメイク出来るなんて楽しい~!」
熊坂さんは紗良さんにも楽しそうにメイクを始めた。その仕上がりは夜の街の紗良さんより大人っぽくて、俺は心の中で「おおおお違う人がメイクすると、こんなに違うのか」と思っていた。
そして映画部メンバーと恵真先輩、そして熊坂さん全員で駅前のエピオのゲームセンターに行くことにした。
エピオはうちの高校から最も近い場所にあるショッピングセンターだ。
普通の服屋から本屋、飲食店や100均も入っているし、それこそこの前紗良さんと来た日本手ぬぐいのお店のように、少し変わった店も入っていて、学校帰りに寄る子が多い。
ここの地下に、かなり大きなゲームセンターがあることは知ってたけど、まだ来たことは無かった。
熊坂さんは部活メンバーと遊びにくるらしく、慣れた足つきでゲーセン内を歩き、プリクラコーナーに入った。
そして中園の腕を引っ張り、
「中園くん、一緒に撮ってくれる?」
「もち」
まずはふたりで楽しくプリクラを取り始めた。
これが目的だったのは間違いないけど、部を盛り上げてくれてるのを中園も分かってるし、楽しそうにそれに応じていた。
穂華さんは恵真先輩とふたりで撮影機に入り、そこに平手も呼ばれていた。
平手は「イヤ俺は撮影したい。これはさくらWEBで使える」とプリクラに入るのを断り、ふたりの動画を撮影していた。
筋金入りの撮影者になってきたな、平手。俺たちはPVの奴隷だ。
俺はウロウロしていた紗良さんに声をかけた。
「紗良さん、一緒に撮らない?」
「陽都くんっ、見て。よく分からないの。潤る盛り? あっちは乱れ盛り? こっちは美し盛り。どの盛りが一番可愛く写真撮れるのかな」
「あはははは! よく見たら名前がすごい」
プリクラのマシンは、とにかく「盛り」と書かなきゃいけないみたいで、商品名は全部○○盛り。
これを考えるの、絶対楽しい。俺は紗良さんと潤る盛りされるプリクラマシンに入った。
潤る盛りって……と思いつつ、ふたりでプリクラを撮るのははじめてで、なにより横にいる紗良さんが制服姿なのにフルメイクで楽しくて仕方が無い。俺は耳元で、
「(いつもと違うメイクの紗良さんもめっっちゃいい。すごくいい)」
「(えへへ。私こんなにアイライン入れないの! どう? 良い感じ?)」
「(すごくいい)」
紗良さんは俺の耳元に近付いて、
「(じゃあ今度は大人メイクして、ロングスカートでスリットでハイヒールで大人デート。どう?)」
「!! よろしくお願いしますっっ!!」
「仕事みたい~~」
そう言って紗良さんは大人っぽい顔をクシャクシャにして笑った。
最後にはみんなで一台のプリクラに入って撮影した。
狭っっ!!! でも戸惑っていた恵真先輩も写真を見て笑顔で、なんだかそれは安心した。
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