第98話 そこに雪が見えるならば
「おはよう、陽都。中園くんのお宅、家売らないんだって? お母さんが嬉しそうに教えてくれたわ」
「……おはよう」
「私も思い出がある家だから、残せると嬉しいわ。あそこに行く道って細くて車通れないでしょ? 再建築不可っていうの? よく分からないんだけど、とにかく工事の車が入れなくて取り壊すにもすごい金額がかかるんですって。はい、オレンジジュース」
「……ありがとう」
「だから中園くんが売りたくないって言ってくれたの、お母さん嬉しかったみたいよ。月に一度は掃除しなきゃ家が駄目になっちゃうらしいから、たまに陽都も掃除を手伝いに行きなさい。はい、パンどうぞ。……どうしたの? 眠たい?」
「……ううん。別に。少し疲れただけ」
母さんは焼いたパンを皿に置いて眉をひそめて、
「早く寝ないからよ! 昨日何時まで起きてたの? 一時すぎても起きてたでしょ」
「勉強してただけ」
「夜遅くまで勉強しても頭に入らないのよ。勉強するなら朝! はい今日も早く行くんでしょ?」
「うん」
俺はパンをかじって、こっそりと母さんを見た。
実は土曜日にばあちゃんに会ったことを、言えていない。
言おうと思ったんだけど、その前に説明しなきゃいけないことが多すぎて、もういいや……と思ってしまう。
天馬さんのこと、鍋川のこと。どこから話せば良いか分からなくて何も言えない。
母さんの出身、東京じゃないじゃん……とか言いたいような、そこが焦点じゃないような。
とにかく何も話せなくてモヤモヤする。
俺はばあちゃんが好きで、仲良くしてくれたら気楽に行き来出来るのにな……と思っている。
自分が好きだと思う人を、嫌われてるのが悲しいし、会っただけでこんな風に罪悪感を持たなきゃいけない今の状況がイヤだ。
それにばあちゃんの話を聞いてから、鍋川には少し行ってみたいなと思う。なにより天馬さんが頻繁に出入りしてるなら俺も! ……とは思うけど、この気持ちは、ばあちゃんと仲良しでずるい! という張り合う気持ちで、鍋川って所にそんなに興味もない。
でも真冬に雪が飲み込まれる海を、ばあちゃんと見たいな。その時にちゃんと母さんに話そう。そう決めた。
朝ご飯を食べていると、視界にグイとスマホが押しつけられた。
「ねえ陽都。文化祭のサイト作ってるって中園くんのママに聞いたんだけど」
「あ、ああ。中園が話すと思えないから、これはあれ? お母さんが言ったの?」
「そう。だってPTAだもん。ねえ、文化祭って中継できないの? これ親が見られないの去年も悲しいなあって思ってたの」
「中継なんて出来ないよ。でもダンスまとめた動画はアップするよ」
「じゃあそれを楽しみにしてるね!」
母さんは嬉しそうに言って、父さんにコーヒーをいれるために、ポットを取りに行った。
15で鍋川を出たなら、中三とか? 俺は中園と一緒の高校に入ったからすげー楽してる所がある。
親とかに高校生時代があったって考えるの、なんか怖い。妙にそんな気がする。
「おはよう、紗良さん」
「おはよう、陽都くん!」
紗良さんはふわりと微笑んで三つ編みを揺らして、俺の腕にしがみ付いてきた。
最近は朝30分早い電車に乗って、少しゆっくり歩きながら学校へ向かっている。
中園は俺にしたかった話をして落ち着いたのか、「俺を置いていくな!」と怒らなくなった。
紗良さんはため息をつき、
「見た? 匠さんの動画」
「見た見た。いや、ヤバかった。体育祭で見かけた時は爽やかイケメンだと思ったのにな」
昨日の夜インスタを見ていたら、匠さんが女の子に無理矢理お酒を飲ませる動画が流れてきて驚いてしまった。
そのアカウントはすぐに消えたけど、あれが紗良さんがバイト先からすぐに帰った理由だろうと分かった。
俺はカバンを持ち直し、
「俺ミナミさんに聞いたんだけど、顔が良い人のがストーカーになりやすいんだって」
「へえ」
「顔が良いって自分で分かってるから、自分を好きにならない人が理解できないんだって」
「なるほど……匠さんは地位もあったし、良くしてもらって当たり前だと思ってたのかな」
紗良さんはうつむいて小さくため息をついた。
俺は紗良さんの顔をのぞき込み、
「友梨奈さんはああいうことされてないんだよね?」
「うん。そうだって言ってた。友梨奈はずっと『ざまあみろ』を連呼してて。あんな動画もう見なきゃいいのに、わざわざスマホに保存して、何度も見てずっと文句ばかり言ってるの」
「強がりに感じる。友梨奈さん、怪我して帰ってきた時も言葉だけはすごく強かったから」
俺がそう言うと紗良さんはコクンと頷いて、
「そうね。昔は友梨奈のことをそんな風に考えたこと無かったけど、強い言葉を何度も口にしてる姿を見ると、言葉にして自分を納得させてるみたいに見えて心配。でも、久しぶりに商店街に顔を出したらね、お父さんの古い親友さんが相談に乗ってくれて嬉しかった。それに、秋祭り、銭湯でピアノを弾かないかって言ってくれて」
「え、銭湯でピアノ? 面白い」
「お父さんも昔弾いたんだって。なんか私もしたくなっちゃって一曲弾こうかなって思ってる」
俺は速攻スマホを取りだしてカレンダーアプリを立ち上げて、
「いつ? 何時何分? どこの銭湯で?」
それを聞いた紗良さんは俺から少し離れて手を口元に持って来て、眉毛に皺を寄せ、
「……えー……? 見に来るの? 来なくていいよお」
「行く。絶対見たい」
「えー……恥ずかしいなあ。すごく恥ずかしいなあ。二週間後だけど……恥ずかしいなあ。ええ~~」
恥ずかしいなあを連呼する紗良さんが可愛すぎて腕ごと引き寄せる。
紗良さんは少し唇を尖らせた状態で、
「すごく久しぶりにピアノ弾いてるんだけど、もう全然指が動かないんだもん。簡単な曲なのに。イヤになっちゃう」
「俺は見たいだけ。曲を聴きに行くっていうより、紗良さんが地元の人たちと楽しくピアノ弾くのを見るってだけで楽しみ。見たいよ」
「……そっかあ。そうだよねえ、久しぶりだから、なんかまた頑張ろうーーって思ってたけど、お祭りだもんね」
「そうだよ。しかも銭湯で弾くんでしょ。すごいな。俺、銭湯行ったことないな」
それを聞いた紗良さんが目をキランとさせて、
「そんな陽都くんに質問です。じゃあどうしたら銭湯に行ってみたいと思いますか?」
「えーー。家に風呂があるからなあ。外で風呂に入るのが面倒だよなあ。だって着替え持って行かなきゃいけないんだろ? めんどくさい」
「サウナは? 今サウナがあるなら行きたいって聞くけど?」
「あの息苦しい感じが無理。頭だけ外に出せるなら入りたい。身体が熱いのは全然大丈夫なんだけどなあ」
俺がそう言うと紗良さんは目を細めて笑って、
「わかるーー。私も息がくるしくなっちゃって、あまり長く入れないの」
同じ意見なのが嬉しくて手を優しく握って近付く。
「大きな風呂は楽しいけど、普段は家の風呂でいいやって思っちゃう」
「う~~~ん。じゃあ足湯は? 今度の秋祭りはね、足湯に入りながら音楽を聴いて、大人はビールとレモンサワー。子どもはジュースを飲むんだよ」
「おお、それは良いかも。あ、電気風呂。電気が流れる風呂があるんだろ? それはちょっと興味ある」
「なるほどー。やっぱりSNSにアップできるネタみたいのが強いのかあ。最強の電気風呂とかどう?」
「いや、その前に電気風呂に入ったことないし。想像もできない。痛いの?」
「ビリビリしてちょっとだけ面白いよ? なるほど。銭湯のおばあちゃんに相談してみる。歴史がある秋祭りで今年20周年なの。お父さんが銭湯で歌を歌ってる10年前の動画を見せてもらったんだけど、すごく上手で楽しかったわ」
そう言って紗良さんは笑顔を見せた。
俺は紗良さんの手を優しく握り、
「紗良さんは商店街がすごく好きなんだね」
「お父さんが産まれ育った町だから、知り合いがすごく多いの。ほら駅ビルのオムライスとか」
「あれすごく美味しかった」
「私、あの町が大好きなの」
そう言って紗良さんは小さくピョンと跳んだ。緩く編んだ三つ編みが揺れて可愛い。
銭湯で聞く紗良さんのピアノすごく楽しみだ。
俺と紗良さんは昨日の夜遭遇したばあちゃんの話をして盛り上がりながら学校に向かった。
どうやら紗良さんが仕事していたら、品川さんが髪の毛振り乱してきて「ツチノコ並みのレアキャラよ!! いますぐ行きなさい!!」と言ってくれたので、大急ぎで顔を出しに来たようだ。ツチノコ存在するの? UMAじゃない? ばあちゃん一応存在するけど?
「PV3。これはすごい。すごいよ陽都くん、マジで誰ひとり見てないよ」
「うーーーん。これでいいのか、さすがに悩むなーーー」
授業終わりの放課後。俺と平手は文化祭のサイトを作っていた。
中園と穂華さんと紗良さんは廊下を挟んだ所にある旧音楽室でダビング作業をしている。
最初この部室でテレビに流して録画してたんだけど、話し声が全部入って、使い物にならないから移動してもらった。
中園と穂華さんだけだと、まったく何もしないことが実証されているので、紗良さんも一緒だ。
そして俺と平手はひたすらサイトを作ってるんだけど、恵真先輩がひたすら踊る動画の再生数がマジでヤバい。
PV3……これは……サイトを作る意味があるのだろうか。
最初は冷房のためにやれば良いと思ってた。でも出身地の話を聞いてから俺の頭の中にはずっと鍋川が浮かんでいた。
恵真先輩は青森だと言っていたから、鍋川ではないけれど、きっと同じように雪が降るだろう。
冬の海、鉛色の空に吐き出される白い息。ひとり雪が降る砂浜で金色の髪の毛をした恵真先輩が踊っていたら、恐ろしく美しい。
そこで踊っているのは恵真先輩のはずなのに、なぜかすぐ横にばあちゃんが座り、母さんが座り、それを見ている。
俺は大きな黒い傘を持って、寒くも無い想像の世界でそれを見てしまう。
でもどこか傘は雪で重くて、白い雪が足元に落ちる。
俺は肘をついて頭を斜めにして画面を見て、
「……こんなに上手いんだもんなあ……誰にも見られないの、もったいないと思うんだけど」
「見て。これが先週陽都くんが編集したやつ。これが今朝送られてきたやつ。ふたつ重ねて再生すると……」
「おっわ……嘘だろ、完全にカブってる。やばい、カメラ位置も同じだからだ。やべえ」
ふたつの動画を曲のウエーブに合わせてレイヤーで並べて、上を半透明にしてみたら、なんとほぼ同じ動画が流れた。
つまり寸分違わぬ動きをしてるということだ。これは穂華さんが言う通りマジですごい才能だけど、PV3。これはもう俺たちが再生したかもしれない数。
そもそも練習動画をアップしてることを宣伝もしてないから、投票前までこんなもんか。
転校してきたし、ここ数年なかった投票からのスパイダーだから、紹介も含めて練習風景も上げてるだけで、神経質になる必要はない気がするけど、ここまで見られてないなら、インスタで流したほうがまだ見られる気がする……って、PV勝負じゃなくて、学校内での投票だもんな。俺はため息をつき、
「……あれだな。JKコンとか、さくらWEBで、浴びるようにPVを求めちゃったから、やり甲斐を感じないな」
「わかる。せっかく作るなら見てほしいと思っちゃう病気にかかってる。承認欲求ってヤツなのかな、これ」
「いや、ていうか。普通に空しくなる」
ため息をつきながら背もたれに身体を預けると、背中の棚に置いてあったHDDがカタンと倒れた。
これはもう取り込んだヤツだし、屋上に……と思ってふと朝の会話を思い出した。
紗良さんが出る商店街の秋祭りは、歴史がある秋祭りで今年20周年。10年前の動画を見せてもらったんだけど、すごく楽しかった……と言っていた。
紗良さんはその姿を、昔のお祭りを知らないけれど、それを見て過去を知っていて、そこから発展させた企画を今年する。
俺はむくりと身体を起こして、
「……歴史だ。平手。歴史の授業をはじめよう」
「陽都くん大丈夫? 歴史の田無先生に似てないけど」
いや違う、モノマネじゃない。
思いついたんだ。
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