第96話 思い出と共に

 お母さんはよく電話をしてくる。

 でもそれはスマホで文字を打つ時間を短縮するためで、留守番電話に用件を話すだけ話して切れることが多い。

 だから私はお母さんから電話が来ても「何かメッセージがあるんだな」と思って、出ないことも多い。

 でもさっきは何度も電話がかかってきていて、すごく珍しかった。

 今日は陽都くんのおばあさま……綾子さんにやっと会えたのもあって、陽都くんとゆっくり話したいと思っていたのに、あそこまで動揺したお母さんははじめてで、すぐに家に帰ってきた。

 玄関を開くと、靴があっちこっちに転がっていた。

 お母さんは礼儀に厳しくて、はじめて行く家には靴下を持参させて、玄関で履き替えさせるほど玄関でのマナーに厳しい人だ。 

 だからこんなのすごく珍しい。

 私は転がっていた靴を整えて家に入った。


「ただいま、お母さん、どうしたの?」

「紗良おかえり。今から三重に行ってくる」

「今から?! 土曜日の22時だよ?!」

「そうなの、でも行かなきゃ。今日藤間議員のお誕生日会だったんだけど、松島建設の松島さんがいらしてなかったの」


 え? お誕生日会……?

 お誕生日会に松島さんが来ていなくて、なぜお母さんが土曜日の22時に家を出て三重に行かなきゃ行けないのか分からない。 

 私が不思議そうにしているとお母さんは荷物をどんどんカバンに投げ込み、


「議員の誕生日会は『支援の意思を確認する会』なのよ。花輪があるか、出席しているか、それで今年の支援が決まるの」

「そうなの?」

「松島さんは毎年一番大きな花輪を出して出席もしてたのに、今年は花輪もないし、本人もいない。そしたらさっき多田議員から電話があって、松島さんいま、三重で多田議員と会ってるっていうの。今から来られるかっていうから、もう行くしかないわ、電車乗り継げばギリギリ着けるの」


 お母さんがスーツを掴んだのでカバーを取り出して中に入れて渡した。

 家の前にタクシーが到着した音がして、お母さんはスマホを掴んだ。

 そして落ちかけたメイクもそのままに、まっすぐに私を見て、


「藤間さんは市長候補から下ろされる。明日の商店街の打ち合わせ、たぶん多田議員の娘さんの旦那がくるから、よろしくね! それを伝えたくて」

「分かったわ、いってらっしゃい」


 お母さんはタクシーに飛び乗って消えていった。

 松島さんは地元の地主さんで、駅前の多くの土地を持っている人だ。

 地元に会社をたくさん持っていて、その中の松島建設は駅前の再開発を全て請け負っている。

 松島さんとお父さんは繋がりが深く、奉仕清掃に行っているお寺も幼稚園も、松島一族のものだ。

 この町で何かをしたいと思ったらすべて松島さんに繋がる……そういう人で、その松島さんに切られてしまうと、もう市長選を戦うのはほぼ不可能だと思う。

 何かあったのは間違いないけど、権力者の人のさじ加減ひとつで人生が変わるように感じて、そんな政治の世界が、やっぱり私はどう考えても好きじゃない。




「はじめまして。多田康彦ただやすひこです」

「はじめまして、吉野紗良です」


 次の日。商店街の秋祭りの打ち合わせに行くと、多田さんの娘さんの旦那さんが来ていた。

 多田さんの娘さんは政治に興味がなく、娘婿さんが後を継ぐとは聞いていたけど、好青年で、商店街のおばさまたちに挨拶をして回っている。

 ここはずっと藤間さんのポジションで、入り込むことが出来なかったけどチャンス到来なのだろう、力仕事も精力的にこなしていた。

 市議会議員は、こういう地元密着型のイベントに顔を出していくことが最も大切な仕事。

 下は千票程度で当選する市議会議員だからこそ、選挙にいく人たちが集まる会で顔を売るのは大切なこと。

 投票する人たちだって知らない人に投票などしない。自分たちのために何かしてくれた人に気持ちや希望を伝え、この町のために働く人たちを選ぶのは当然の心理。

 だから地元の祭りは、すべて参加して手伝う必要がある。

 ここで手伝うことにより、選挙の時に駅前の空き店舗を出張事務所として貸して貰えたり、街頭演説の時に場所を貸してもらえたりする。

 何の活動もなしに自分たちの大切な店の前を貸してくれる人などいない。

 すべての活動は選挙のために。そしてこの町のために。

 新人議員さんが頑張ってるなら、私は何もしないほうが良さそう。

 だったら……と銭湯のおばあちゃんの所に向かった。

 おばあちゃんは私を見て顔をほころばせて、


「あら紗良ちゃん。秋祭りのお手伝いに来てくれたの? 会えてうれしいわ」


 と言ってくれた。

 この銭湯はお父さんがすごく気に入っていた所で、子どものころによく連れてきてもらっていた。

 でもすぐ裏に、私のトラウマになった通っていた幼稚園があり、それもあって足が遠のいていた。

 でも多田議員に連れてきてもらって、再び来るようになり、たまにお風呂に入りにきていた。

 おばあちゃんは掃き掃除をしながら、


「匠さんはどうしたね。いつも風呂に入りに来て、片付けの掃除も手伝ってくれてたのに、最近は全然来なくなったよ」

「色々とお忙しいのかも知れないですね」


 私はそう答えておくことした。

 実際、松島さんが切ったからなのか、友梨奈と別れたからなのか、理由が分からないから余計なことをいうのはやめておく。

 おばあちゃんは私を銭湯に置いてある椅子に座らせて、


「まあええよ、多田さんの所の子も、紗良ちゃんも来てくれて嬉しいし。それで今年は足湯をしようかなと思ってるの」

「いいですね、足湯。大好きです!」

「若い子がねー、もっと来てくれたらと思うんだけど、やっぱり敷居が高いみたいだから」

「家にお風呂がある人がほとんどだから、やっぱり理由がないと来にくいですよね、だから足湯すごく良いと思います」


 商店街の秋祭りは、色々なお店がアイデアを出して、その日だけ可能なことをする。 

 それはお店のアピールにもなって大切なことなんだけど、銭湯で今日だけできる足湯はすごく良いアイデアだと思う。

 やっぱり全身脱いで入るお風呂は敷居が高い。そして私だけのことを言うと、外で髪の毛乾かすのが時間かかって好きじゃない。

 足湯なら足だけ入れて気楽だし、どういう場所か分かって良いと思う!


「紗良ちゃんだ! 久しぶりだね~」


 銭湯に入ってきたのは、目の前にあるジャズバーの店長、楠木くすのきさんだった。

 楠木さんはお父さんの同級生でお友達だ。お父さんはピアノを弾くのが好きで、仕事の隙間を縫って楠木さんが経営するジャズバーでピアノを弾きながらお酒を飲んでいた。私も幼稚園の時からこの店に通い、楠木さんからピアノを習っていた。

 楠木さん、昔はピアノでご飯を食べていたくらい有名な方だったようで、柔らかくて甘い曲を弾く。

 私は楠木さんのピアノを聞いているのがすごく好きだった。

 楠木さんはおばあちゃんの横に座り、


「秋祭り、うちの店と銭湯がコラボしてさ、夜は銭湯で演奏して足湯に入って、ビールを飲む会にしようと思って」

「銭湯の中って天井が高いから音が響いてとっても素敵なんじゃないですか」

「そうなんだよ~。それに足湯に入って暑いでしょ? ビールも進んで、楽しく歌も歌える」

「いいですね」

「紗良ちゃんも久しぶりに一曲弾いてみない? ピアノじゃなくてキーボードだけど」


 楠木さんは演奏する予定の曲リストを見せてくれた。

 ピアノは基本的にこのジャズバーで楠木さんに習っていた程度で、もう弾けると思えない。

 私は左右に首を振って、


「もう忘れちゃってますよー! 弾けません」

「そう? 昔、勇ちゃんともやったのよ、銭湯で演奏」

「え、そうだったんですか」

「何十年前だろ、ばあちゃん分かる?」

「あーー……市議会議議員になる前の話じゃないか、それ。大学生とか」

「俺が店やる前?! いやいやばあちゃん、俺が店始めてからだって!」

「10年前も20年前も30年前も、そう変わらん」

「変わるって~~~!!」


 銭湯のおばあちゃんと楠木さん、そして実行委員の人たちも来てワイワイと打ち合わせをした。 

 意見を求められるのも、前に立つのも好きじゃないけど、こうやって裏方で、楽しい人たちに囲まれて何かをするのは全然嫌いじゃない。

 打ち合わせが終わって帰ろうとすると、楠木さんが私に声をかけた。


「紗良ちゃん、久しぶりにお店にちょっと寄っていかない? 見せたいものがあるんだ」

「はい!」


 ジャズバーは銭湯の斜め前にある半地下の店だ。

 ここは半分はレンタルスタジオとして機能していて、おばあちゃんたちのカラオケ大会から、おじいさんたちのギター演奏会、若い人たちのバンド、そして子どもたちのフラダンスと、音楽が関係あるなら誰にだってスペースを貸すし、演奏も気楽に請け負う。

 その時にお酒や食事を取って貰えたら良いな……というスタンスで営業していて、私もお父さんも、この気楽なお店に何度も来ていた。

 店内はちょっとしたスペースがあるだけで、そこまで広くないけど、ピアノだけはピカピカに磨かれていてライトの下で輝いている。

 その奥のバーに楠木さんは入って行って、大きなボックスをテーブルの上に置いた。

 その中にはファイルや楽譜、そしてウクレレも入っていた。


「これさ、勇ちゃんがうちの店に隠してた荷物なんだよね」

「えっ。お父さん、こんなのずっと隠してたんですか?!」

「ほら、花江ちゃん捨てちゃうから」

「あはははは!!」


 お母さんはお父さんが音楽を好きなのを、あまり良く思っていなかった……と思う。

 私が楠木さんにピアノを習うのをやめたのも、お母さんが「人生の役に立つのは音楽より勉強なんじゃない?」と言ったから、習うのを辞めて中学受験に向けて塾に入ったのだ。

 実は私がメイク道具とかを隠しているトランクルームにも、お父さんの本の奥に楽譜やCDとかが置いてあるのは気が付いていた。

 でもあそこは湿気もあるし、楽器はここに置いてあったようだ。

 楠木さんはウクレレに触れて軽く弾きながら、


「紗良ちゃん高校出たら家を出るって前に言ってたよね」

「あ、はい。そのつもりです」

「もう二箱くらいあるからさ、その時にこれ持って行ってよ。俺も捨てられなくて困っちゃうんだ」

「あはは! はい、分かりました」


 このウクレレは、お父さんが気に入っていたもので思い出があるから、部屋に飾ろうかな。

 昔の私は無理だったけど、今なら置ける気がする。


「ウクレレ……可愛いし、懐かしいので、これは私が部屋に持っていきます」

「お。これだけはたまに弾いてたから今も使えるよ。家で弾きなよ」

「弾く……はい。でもどうせなら」


 もう10年くらい触れてないから、弾き方なんて忘れてるけれど、見るとコロンとしてて可愛いな……と思う。

 そしてファイルや楽譜はトランクルームに持っていくために一緒に引き取ると決めた。

 中のファイルを見ると、そこに有名アニメの主題歌の楽譜が入っていた。

 大きな狸みたいな生物と、小さな子たちが、小さな村で暮らすお話。お父さんはあの曲が大好きだった。

 そして楽譜に落書きしてあるのに気が付いた。このアニメに出ている生物を描いたものだけど、全然似ていない。

 それらしい何かになっている。すごく下手な絵が二個。たぶん……鉛筆で描いたのがお父さん。その横に描いたのが私。

 ふたりして下手で笑ってしまう。でもあのトランクルームに大切なものを隠してるのも、全部同じ。

 私は楽譜を撫でて、


「……この曲だけでも、楠木さんと演奏しようかな。懐かしくなっちゃいました」


 そういうと楠木さんは「わー!」と嬉しそうに手を叩いて、


「嬉しいな! じゃあ打ち合わせのあとにここで練習しようよ。それなら花江さんにもバレないんじゃない?」


 その言い方が怒られるから逃げ出す子どものようで、私は口元を押さえてクスクス笑ってしまう。


「……楠木さん。ひょっとして、お母さんのこと苦手です?」

「そんなことないさ~~~。ただ紗良ちゃんに楽しくピアノ教えてたのに、塾に行かせたのはちょっと今も怒ってるかな」

「小学校三年生くらいの時に辞めたから……かなり長く怒ってますね」

「そうだよ、10年経っても忘れない、怒ってるよ」

「銭湯のおばあちゃんと同じじゃないですか」

「さすがに30年前のことと同じとか言わないよ~~」


 私と楠木さんは箱の中身を見て笑いながら話した。

 あの曲くらいなら、きっと今も弾けるし、ちょっと弾きたい。

 懐かしいなと、ウクレレに触れながら思った。







 

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