第81話 紗良の告白

『友梨奈、説明しなさい。匠さんは挨拶を頼んだだけだと言ってるけれど?』

『お姉ちゃんも聞いてたから』

『友梨奈に聞いてるのよ』


 私はぼんやりとふたりが戦っているLINEを見ていた。

 どうやらお母さんの仕事先に合流した匠さんが、友梨奈と別れたことを話したようだ。

 なんだか匠さんは人を使って気持ちを動かそうとしていて、それは良く無い気がしてしまう。

 部屋でも突然私に話を振って同意を求めてきた。あれは話し相手を孤立させるから良く無いと思う。

 でも政治家は、それが基本といったら、基本ね。

 私は「家で話しましょう」とだけ返信した。その後友梨奈からは個別LINEに「お姉ちゃんごめんね、大好き!」というメッセージが入る。 


 それにしても友梨奈が私に対して『運命共同体』そんな感情を持っていると知らなかった。


 一瞬、友梨奈も私のように頑張って優等生を演じているのかしらと思ったが、全く違うわ……とすぐに思い直した。

 だったらお母さんの仕事先の人と付き合って三ヶ月程度で別れる事などしないだろう。友梨奈は本当に自分の思ったまま生きている。

 でも、昔のことを思い出すと全く気持ちが理解できないわけではない。

 我が家の家族LINEのアイコンは、私が年長、友梨奈が年中、お父さん、お母さん、四人で撮った最後の写真で、ずっとこれに固定されている。

 お父さんが死んでしまってから、私たちは三人の家族になった。

 お父さんの意志を引き継いで立ち上がっていくお母さんをみて、私は泣くのをやめた。

 お母さんが笑顔だから、私たちも笑顔でいられた。友梨奈が頑張ってるから、私も頑張った。

 三人が同じ方向を向いて走っていたからこそ、我が家はずっと仲良くいられたのだ。

 友梨奈が言っているのは、なんとなく、そういうことかな……と思う。

 だからって、もう二度と政治活動をしているお母さんと行動を共にしたくない。そう強く思える。

 私はきっと、周りを見すぎる。お母さんがどう考えてどう動いてほしいと思っているのか、この人は何を考えてお母さんに近付いてきているのか。どうしてこういう行動をするのか、その結果何を求めているのか……先を先を思惑を考えを思考を読んでその先へ行こうとする。

 そしてそれに答えられなかった時、失敗しそうだと思ったとき、実際失敗した時、単純にまっすぐに死にたくなってしまう。

 よく思われるのに必死で、取り繕い、それに答えられない自分が何より嫌いなのだ。

 期待に応えたくて仕方ないのに、期待に応えられないと自分の存在価値がないように感じる。

 それは学校でも友達関係でも、多かれ少なかれあるけれど、政治の世界は私が見ている限り、それが多重構造になっている。

 あの世界にいたら、私は早かれ遅かれ、病んで死ぬ。

 今まで出来たのは、必死にやっていたからだ。

 結果別の自分を生み出さないと生きていけないほど精神が参ってしまったけれど。

 でも家族なのに頑張れない私は、間違ってるんだろうか、逃げてるんだろうか。

 でも……。頭の中がぐるぐるして気持ちが悪い。




「紗良ちゃん、おはぴー!」

「結乃ちゃん、おはよう。すてきなワンピース。新しいわね」


 夜間学童保育所にいくと、結乃ちゃんがデニム地の可愛いワンピースで私の前でくるりと回った。

 私が見て褒めると、結乃ちゃんは小首を傾げて微笑んだ。


「そう、ママの新しい恋人が買ってくれたの」


 その言葉に私はエプロンをしながら結乃ちゃんを見た。

 結乃ちゃんはこのマンションにお母さんとふたりで住んでいる。お母さんはシングルマザーで夜のお仕事をしているので、日中はほとんどここにいる。


「あら、お母さん再婚するの?」

「いや、ただの恋人。再婚したらここでなきゃいけないから、しないと思う。私もう二度と引っ越ししたくないから、小学校の間は絶対再婚しないで! って言ってるし」

「そうね、引っ越しはイヤよね」

「そうだよーー。私幼稚園の時の友達と同じ小学校に行きたかったのに、離婚したから引っ越したんだよ。友達もたくさんいて、すっごく楽しかったのにさあ。お父さん全部お金持って逃げたんだって。クソすぎる~~~」


 そう言って結乃ちゃんは口を尖らせた。

 結乃ちゃんのお父さんは浮気して離婚届だけ置いて家の金を全て持って出ていたと結乃ちゃんのママは言っていた。

 すぐに家に来るようになった借金取りから逃げるようにキャバクラで働き始めてここにたどり着いたと聞いた。

 それを聞くとお母さんがこの前の選挙で訴えていた公約を思い出す。

 お母さんは次の選挙、突然生活費が途絶えた人たちが人手不足の店で働くことを条件に、生活費をまとめて貸し出す生活特化型の奨学金を公約に掲げて戦うようだ。

 企業側にも突然生活費が途絶えた人たちにもメリットがあり、実際テストパターンとして何人かが家賃を保証された状態で働いている。

 お父さんとお母さんが持って居る地元の地盤にある地元大手スーパーと組み、市議会議員から国会議員になるために数年後の選挙に向けて動いている。

 権利と利権が絡み合う世界の中、それでもそれは生活に密着していく。

 お母さんが求めている生活型奨学金は、結乃ちゃんのような子も対象なのだろう。

 地元に残り続けられる仕事とお金があれば、結乃ちゃんは引っ越しをする必要は無かった。

 

「私はここに引っ越せてマジで命拾いしたからなあ~~~」

「あ、利香さん、こんばんは」

「紗良ちゃん、大丈夫? 風呂に沈んでない~~?」

「今の所大丈夫です」


 私は微笑んだ。

 結乃ちゃんと話していると、利香さんが来た。

 利香さんはここに子どもを預けているシングルマザーで、キャバクラで働きながら子どもを育て、行政書士の勉強もして資格を取ったすごい人だ。

 この夜間学童保育所に出入りしているママさんたちの無料相談的なことをしていて、個人的に尊敬している。

 挨拶のように「風呂(風俗)に沈んでないか」と確認してくるので毎回笑ってしまうけれど。

 利香さんは机の上のお菓子を食べながら、


「私は元旦那がストーカーになっちゃってここに来たから本当に助かってるの。ここにくるのが1日遅かったらマジで元旦那に殺されてたし」

「えっ……」


 突如始まった恐ろしい話に机を拭いていた手が止まる。

 利香さんは手をヒラヒラさせながら、


「アパートの管理人がね、前の旦那がカマ持って家の前で暴れてるって通報してくれたのよ」

「えーーー……」

「私と息子を出せって暴れてお縄。私その時、資格取ろうって決めたの。もう絶対ひとりで生きていこうと思って。危なかったの~~カマよ、カマ!! 死神かよ!!」


 はいこれが利香ちゃんの持ちネタです~~と結乃ちゃんは横で笑った。

 引っ越ししたくなかった結乃ちゃん。どうしてもシェルターのように男を寄せ付けないこの場所が必要だった利香さん。

 私は仕事をしながらずっと友梨奈が言っていたことを考えていた。

 『お母さんとお姉ちゃんは求める方向性は同じなんだよ』って。何かモヤモヤして分かりそうなのに分からなくてため息をついた。

 今日はもう朝から色々あって考えすぎで、疲れてスマホを見ると陽都くんからLINEが入ってきた。

 そこには『今日少しでも会いたい。漫画喫茶はどう?』と入っていた。

 ものすごく嬉しくなり、すぐに返信した。会いたいって思ったときに、会いたいって思ってもらえるなんて嬉しい。

 私はすぐにバイト終わり次第会いたいと返信した。




「紗良さん!」

「陽都くん」


 バイトを終えていつもの漫画喫茶で待っていると、部屋に陽都くんが入ってきた。

 陽都くんは靴を脱いですぐに私を膝の間に入れて抱き寄せてくれた。ああ、すごく落ち着く、安心する。私は抱き寄せられた熱い身体にただしがみついた。

 陽都くんは私を優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。もうこれだけで張り詰めていた神経がまあるくなって、眠くなってきてしまう。

 なんだかたくさん話したいことがあったのに、もうこのまま抱っこされてたら、それでよくなっちゃう。

 私が顔を上げると陽都くんは視線に気がついて頬にキスしてくれた。嬉しくなって顎の下に頭をぐりぐりと押し込むと陽都くんはケラケラ笑ってひっくり返った。

 陽都くんは私を抱っこしながら身体を起こして、鞄から箱を取り出した。


「安城さんから美味しいクッキーもらった。紗良さんとどうぞって」

「さくらWEBは美味しいものばかり出てくるのね」

「たくさん貰うけど余るんだってさ。これからも俺が運んでくるよ」

「余るなんてもったいない。オレンジジュースもってきましょう」

「俺もいく」


 陽都くんと私は手を繋いで漫画喫茶のカップルルームから出て飲み物を持って来た。

 箱に入っていたクッキーは口の中に入れるとほろほろと溶けてすごく美味しかった。

 一息ついて、私は陽都くんの膝の間に入った。

 そしてLINEの画面を見ながら、


「さっき友梨奈にね。『お母さんとお姉ちゃんは向かってる方向は同じ』だって言われちゃって。たしかにお母さんは高架下や大学に保育園を作る活動をしてるし、私は興味を持って働いてるのは夜間学童保育でしょ。友梨奈は逃げるなって怒るのよ。それにお母さんがしてる活動が全く意味がないとは思わない。むしろ今になると有効性がよく分かるの。なのにお母さんを手伝いたくない私って、間違ってるのかなって」


 陽都くんは私の髪の毛を優しく撫でながら、


「さっきさ。俺さくらWEBでめんどうな会議に出されたんだけど」

「え? また? だから会いたかったの? 疲れちゃった?」

「ううん、企画会議じゃなかったんだけど。同じ方向を向いてるんだけど違う仕事をする人たちの会議でさ。俺たちはとにかく面白いものを作りたい。でもテレビ局はそれを生かしたまま商品にしたい、芸能人を使う人は企画を活かして人を売りたい。みんなしたいことが違うんだけど、テレビ局で映像を流してお金にしようっていうのは同じでさ。面白いなってさっき思った所なんだ」

「陽都くんは面白いものを作るのが好きだものね」

「そう。安城さんみたいに好き勝手作っていたい、一番憧れるよ。でもテレビ局は全然違うんだ。プロダクションの人なんて人をロンダリングすることしか考えてなかったよ。でも、映像でお金儲けして生きていきたいんだ。たぶんそれは一緒で。それって紗良さんとお母さんと、友梨奈さんも同じなんじゃない?」

「え?」

「同じ方向向いてるけど、別の考え方、別の人。出来ることも辛いと思うことも違う。でも家族。それで良いんじゃないかな。俺も映像でご飯食べて行きたいけど、テレビ局もプロダクションも、絶対無理だって分かったよ。よく分からないけど、そんな話かなって思ったんだけど、違ってたらごめんね」

「ううん……でも……そういう話かも……」


 お母さんみたいに表に立ちたくない、政治家は絶対向いてない、したくもない、考え方も違う。

 友梨奈みたいに自分勝手にも生きられないし、バリバリと前にも進めない。

 状況や人の感情を無視しても自分のしたいことを優先したいと思えない。

 でも夜間学童保育所は好きで、人の役には立ちたいと思ってる。

 私はきっと、誰かのために何かをするのが好き。

 それはきっと、ひとつの答え。


「……同じ方向を見てても、別でいい」

「まあただ俺が思ったことなんだけね。誰を使うとか、禊ぎとか、CM枠とか、俺はそんなの考えて何かできると思えなくて。でも俺が向いてて出来ることあるなって思ったんだよね。で、安城さんと同じ大学のゼミ目指そうと思って。結構大変。紗良さんと勉強しなきゃダメかも。それを話したかったんだ」

「……陽都くんといると、私は私を好きになれるわ」

「うん? 俺も紗良さんといるの好きだけど?」

「違うの。陽都くんといる私が好き。やっと私分かったの」


 友梨奈と話して、なんだか自分の中がぐるぐるして、お母さんに協力したくない私は間違ってて、友梨奈みたいに頑張れない私も間違っている気がしていた。

 でも夜間学童保育所は好きで、よく分からなくなっていた。陽都くんと話をして、シンプルに自分の気持ちに、状態に気がついた。

 私は陽都くんにしがみついて、両頬を包んで、キスをした。


「陽都くんといると、私は私を好きになれる。陽都くんと話すと、別の方向から良い考えが浮かぶの」

「それは嬉しいな」

「だから迷ったら、困ったら、悩んだら、陽都くんと話したい。陽都くんにもそう思ってほしい。そういう人になりたい。これが私の大好き」


 私がそういって陽都くんに抱きつくと、陽都くんは嬉しそうに私を抱き寄せて、優しく甘く口づけをしてくれた。


「じゃあ、ここが俺の居場所だ」

「うん、ここにいて」


 私たちは今日あったことをたくさん話して、ゆっくりと何度もキスをした。

 そして時間も遅くなり、私たちは帰ることにした。

 家に帰ったら友梨奈が待ち構えていて、たぶんお母さんもいる。

 陽都くんといて心が満タンとはいえ、気が重い。

 ため息をつくと、陽都くんは私の手を握り、


「俺思ったんだけどさ。外人さんがメインでいるカフェで匠さんが騒いだって……本当に騒いだだけかな」

「え? どういうこと?」

「中園は女の子と別れる時、絶対ファミレスでするんだって。それは一回殴りかかられてたのに、殴られたって嘘つかれたからなんだ」

「え……中園くん、相変わらずバイオレンスな恋愛してるわね」

「そうなる前に何とかしろよって思うけどね。でもファミレスなら、誰か見てるから、別れ話をするのに最適だって。だからこれは俺の想像だけど、友梨奈さん……匠さんに何かされてないかな」

「え……」

「わざわざ家で、しかも紗良さんがいる所で話す理由ってそれくらいしか思いつかないな」


 私はそれを聞いて陽都くんの方を見た。


「だったら、私は匠さんを許せない」

「ふたりしかいない所でされたとしたら、立証は難しいかな。だからもう二度とされないために紗良さんに一緒にいてほしかったのかも」


 私は唇に手を置いて考える。

 友梨奈は最後に『これが最後の優しさ』だと言っていた。

 これ以上言わないでいてあげるから、もう別れてくれ。そういうことだったのかも知れない。


 家に帰るとやっぱりお母さんは本気でキレてて、友梨奈は全部聞いてるのに無視して地獄絵図だったけど、別れました、もう無理よ。私はそれだけ伝えた。

 分からないこと、知らないことを、無駄に言わない方がいい。

 私はそう思ったから、そう決めた。

 そしてまっすぐに自分の意見に自信を持てる自分が、好きだと思えた。



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