第80話 祝祭の終わり
私は紅茶の缶を棚から出して匂いを嗅いだ。うん、良い香り。
頂いたもので、高いと分かっているから中々飲めずにいた。
せっかくの来客だし、出してしまいましょう。
頂いたスコーンもクロテッドクリームもあるし、それを出して……でも優雅に紅茶を飲んでする話なのかしら?
私は手に持った紅茶の缶を片手に首を傾げた。
竜上生活の配信は無事に終わり、夏休みもあと少しで終わる。
今日陽都くんは夏休みスペシャルの総集編を作るために1日さくらWEBに行くと言っていた。
私は午前中に勉強をして夕方からバイトに行く……そんな普通の日にするつもりだったのに友梨奈がまたも突然部屋に入ってきて「今日たっくんと別れ話するから、お姉ちゃん立ち会って」と言うのだ。
ええ、なんで? と思ったけれど、一歩も引かない、引く気もない気合いに負けて立ち会うことにした。
どうやら匠さんが家に来て別れ話をするらしいんだけど、そういう時って何を出せばいいの?
分からないことはインターネットで調べれば良い。
えっと、別れ話……『熱い液体はかけられたら火傷するから、冷たいものがよい』……えっ?! そうね、その可能性もあるわね。
だったら紅茶はやめて、家にあるアイスティーにしましょう。今は何でもインターネットに書いてあるから助かるわ。
友梨奈はリビングの椅子に座ってスマホをいじり、一言も話さない。
私は恋愛経験が乏しく、別れ話を聞かされるのははじめてで、全く落ち着かない。
あれちょっとまって。そもそも別れ話って強制的に聞かされるものなのかしら?
落ち着かずにスコーンを温めようと冷蔵庫から出していたらチャイムがなり、匠さんが顔を見せた。
スーツに手土産……たぶんケーキ。私は「じゃあそれを食べましょう」とスコーンを冷蔵庫に戻した。
友梨奈はため息をついてスマホを机に置いて、玄関に向かった。そして匠さんを家の中に入れて、リビングに連れてきた。
「部屋じゃなくてこっち、リビングで話そう」
「え、そうなの?」
リビング前で立ち止まった匠さんは、入り口でキョトンとしている。
いつも家に来る時は部屋に直行していたみたい。私は家に来てたことも知らなかったけれど。
匠さん……ちゃんと見たこと無かったけれど、確かに顔が整っている。言われてみたら友梨奈が応援している韓国のアイドルに似ているかもしれない。
身長が高くて身体がしっかりしていて短髪で黒髪、目もキリッとした一重。ああ、似てるわ。あの顔が好きなのね、なるほど。
私は台所の椅子にちょこんと腰掛けて入り口側を見て納得した。
友梨奈は入り口で、
「今日お母さんは仕事でいないから、お姉ちゃんにそこにいてもらう事にしたから」
「ふたりで話したいんだけど」
「証人がいたほうがいいわ」
そういって友梨奈はリビングの椅子をさして「どうぞ」と言った。
そして手土産のケーキを受け取り、私に渡した。
「お姉ちゃんもこっちの椅子に座ってよ」
私は友梨奈に耳元に顔を近づけて小声で、
「(さすがに落ち着かないから、ここにいるわ。よく分からないけれど、それで良いんでしょ)」
「わかった。じゃあそこにいて。アイスティーでいいよ、私出すから」
友梨奈は箱の中からケーキふたつとアイスティーを準備して、お盆に載せてリビングのテーブルに置いた。
我が家はアイランドキッチンで、作業台のような場所があり、そこには段差がある。そこには座れるスペースがあり、簡単に食事が取れる。
朝時間が無いときは重宝するような空間なんだけど……まさかここに隠れることになるなんて。
私は居たたまれなくて、台から少しだけ頭を出して匠さんに頭を下げた。
匠さんは私を見て、丁寧に頭を下げた。あああ……なんでこんなことに。陽都くんのお手伝いに呼ばれたといって家を出るのが正解だった気がする。
時すでに遅し。私は頂いたケーキと温かい紅茶を入れて、食べながらスマホで本でも読もうかと思ったけれど、集中できず、竜上生活を立ち上げた。
廃校は巨大な町として機能していて、私は小さな家を作った。そして配信で知り合った人とフレンドになり、ひたすら採集生活をしている。竜付近にあるレアアイテムを集める日々はとても楽しいし、隙間時間を埋めるには最適。
無心になれる所も向いていて、電車に乗っている間、ほんの少しの待ち時間などによく立ち上げている。
ゲームをしているから私はここにいるだけよ……という雰囲気を出したくて、片耳だけイヤフォンを入れてみる。
というか、この冷たい空気に背筋が凍りそう。あああ……竜上生活の聞き慣れた音楽が癒やしすぎる。
そわそわしながら再び背を伸ばしてリビングテーブルを見ると、ふたりは無言で向き合っている。空気が痛い、いやあああ早く終わらせて!!
もう学級委員長の血が騒ぎ司会をしたくなる。「はい友梨奈さん意見をどうぞ」……絶対に違う。
私は竜の口で集めた菌を木につけて作ったキノコを採集しながらチラチラと友梨奈たちを見た。
たっぷり10分ふたりは黙っていたけれど、匠さんが口を開いた。
「……もうダメなのか。これは別れ話ってことだよな」
「そうね。私いままで、全部自然消滅で、ちゃんと別れ話ってしたことないの。だからどう話し始めるのが正解か分からなくて黙ってたけど。とにかくもう終わりにしましょう。ていうか別れ話ってこれで終わりだから、何を話すんだろうって思ってたのが本音」
「松島さんに会う時に一緒にきてほしい。そう言っただけなのに、どうして別れ話になるんだ」
匠さんは声を荒らげる。
松島さん……松島不動産の松島さんかしら。私は片耳で聞きながら思う。
松島不動産は鉄道関連事業に深く関わっている企業で、お母さんが今活用を目指している立体交差化で生まれた高架下の有効活用事業に関係がある。
元々お父さんと付き合いが長い企業で、その地盤をお母さんが引き継いでいて、お母さんと松島建設は仲が深い。
匠さんは今大学生で、市議会議員であるお父さんの仕事を手伝っている。
数年後には卒業して議員に立候補するため、関係作りが必要だ。
松島建設と仲が深いお母さんの娘である友梨奈と共に挨拶に行く……それは『僕にも繋がりがある』と示す行動だ。
友梨奈は首をふり、
「思惑が透けて見える会に同席したくない。それにその日は再生医療の学会があるから出たい。会いたい教授がいるの」
「君のそういう所がすごく好きなんだ。自力で進む強い力」
「だったらどうして挨拶に同行しろとか、服はこういうのはやめろとか、大学で付き合う人を選べとか、外人と付き合うなとか言うの? 言ってることとやってることが違いすぎない?」
「なあ。俺たち、結婚前提の付き合いじゃないのか」
なるほど。友梨奈は本当に顔が好きで匠さんと付き合いはじめた。そして基本的に鬼のように自分勝手だから、思惑が透けて見える会より学会に行きたい。
でも匠さんは友梨奈と一緒に行きたい。友梨奈を婚約者として扱っているのだ。
匠さんは私のほうを振り向き、
「お姉さん。僕と友梨奈さんは婚約関係だと思いませんか?」
私は突然話しかけられたことに驚きながら、ひょいと背を伸ばして目を合わせて、
「えっ。どうかしら。でも匠さんはそう考えて、友梨奈と付き合っていたってこと、よね? それくらい真剣に」
「そうです!!!!」
そういって強い視線で私を見て頷いて友梨奈に視線を戻した。
私はスススと再び背中を丸めて、正直……ここには思惑の違いがあったとしか思えない。実は私も友梨奈と匠さんは婚約状態にあると思っていた。
お母さんもそう言っていた……気がする。
匠さんの父親も市議会議員。そして匠さんもきっと議員になる。そして友梨奈はお母さんの娘だ。
そんなの言わなくても結婚前提の付き合いだと、みんな思う気がする。そして友梨奈は医者の卵。何の文句もない。
「何言ってんの、それはそっちが勝手に思い込んでたことじゃん。キモい」
……このキツすぎる性格以外は。
友梨奈は続ける。
「ちょっとまって。私がおとなしく結婚して家に収まって、挨拶回りするような女に見える?」
匠さんが黙る。
う、ん……? 私も宙を見て考える。言われてみれば同意見かもしれないわ。
婚約状態だと思っていたけれど、結婚からほど遠い人間としか思えない。
匠さんは顔を上げて、
「じゃあなんで俺と付き合ったんだよ。俺は誰かと付き合うときは、必ず結婚前提だと思っている。それくらい君を大切に思ってるんだ」
「私を大切に思ってるなら、勉強のために通ってるカフェに乱入してきて騒ぐとか、最低だと思うんだけど」
勉強のために通ってるカフェに乱入してきて騒ぐ……これははじめて聞いたわ。
友梨奈は高校を出たらアメリカに留学して医療を学びたいと言っている。そのためには生きた英語が必要だと考えて、外国の人しか出入りしてないカフェに通い、そこで簡単なバイトをしているはずだ。オール英語対応で、友梨奈はほぼネイティブなレベルに達していると自慢してたけれど、そこに匠さんが……?
「心配だったからだよ。それにやっぱり男たちに囲まれていた」
「お客さんだから」
「君に触れて、距離も近すぎたよ」
「そんなの『貴方のお嫁さんになる人がする行為じゃない』そうよね?」
その言葉に匠さんはグッと強い視線で友梨奈を見た。
「俺の嫁になる女って言葉、マジでキモい。つまりあれでしょ、自分の周りの人間を管理したくて仕方ないのよ」
「心配なんだよ、どうして分かってくれないんだ!!」
「私は、あなたの顔が好き」
「え、……ああ、ありがとう」
「あなたの付属物でも、立場でも、何でもなく、顔が好き。それなのに、あなたは私の付属物しか好きじゃないのよ。自由で強く生きる女が好きなんて嘘ばかり。あなたは自分に従う地位が合致した女が欲しいだけ。私のことなんて一ミリも好きじゃない。私は何も持って無くても、その顔で優しくしてくれたら、それだけで好きだったのに」
匠さんは黙る。
私はスプーンで生クリームを舐めながら、主張と思惑がズレまくった結果、これはもう別れても仕方が無いわね……と思った。
婚約者として医者の卵であり、市議会議員の娘が欲しかった匠さんと、顔しか好きじゃなかった友梨奈。
長く付き合えるはずがない。この顛末をお母さんに話したら「挨拶くらい付き合いなさい」と怒られるのが分かってて友梨奈は私をここに置いたのだろう。
お母さん、このふたりはもう無理です。私はキノコを集めながら思った。
友梨奈は続ける。
「これが最後の優しさ。もう出て行って。さようなら」
匠さんは結局別れに同意して家から出て行った。
友梨奈は見送りもせず、ため息をついて私をテーブルに呼んだ。
「お姉ちゃん助かった。ごめんね、ありがとう。ね、無理っしょ」
「……そうね。やっぱり一緒にいたいと思ったら、お互いの要望はそれなりに飲み合うのが付き合いだとは思うけど、それをしたいと思えないなら、人生を共に生きたい人じゃないのかも知れないわね」
「そういう意味じゃ、私が人生を共に生きたいのはお姉ちゃんだけだよ」
「……え?」
意外な言葉に私は片付けようと思っていたお皿を再び机に置いてしまった。
友梨奈は私のほうを見て、
「私とお姉ちゃんって運命共同体だって思わない?」
「どういうこと?」
「市長になる直前でお父さんが死んじゃって、その遺志を引き継いで国会議員直前のお母さん。お父さんの無念の死を抱えて医者を目指す私と、お母さんの意志を継ぐお姉ちゃん。同じ方向を向いて生きていく仲間だよ」
「ちょっとまって、友梨奈。私はお母さんの後なんて継がない。政治家なんてなりたくもないし、向いてないのよ」
「出来るよ。出来てた。少なくとも、辻尾っちと付き合う前、半年前のお姉ちゃんは出来てた。そういう人だった」
私は椅子に座った。
前に言っていた事はここに繋がるのか。
いや、むしろこれを言いたくてここに座らせたのかも知れない。
私は改めてしっかり話すべきだと友梨奈の顔を見た。
「あのね、友梨奈。今までが無理してたの。すごくつらかった。ちゃんとしなきゃいけないプレッシャーで胃が痛くて、薬ものんでいたわ。人の期待に応える、人前に立つ、目立つのが好きじゃないの。でもお母さんの子どもだから、必死にしていただけなの。陽都くんに会って、本当の私になってるのよ」
「お姉ちゃんって、努力できるクソ真面目の取り繕う天才じゃん」
なんだろう、そのオンパレードは。
違うと言いたくなるけれど、まあその通りだと思う。
友梨奈は続ける。
「お姉ちゃんがバイトしてるのって、夜間学童保育だよね。お母さんとお姉ちゃんは向かってる方向は同じなんだよ」
「まあそうだけど……」
「お姉ちゃんはヤラされてたから、イヤだっただけ。お姉ちゃんはすごく政治家に向いてるよ。男とイチャイチャしてヒヨってないで、自分の向いてることとか、やれば出来ることとか、そういうのから逃げるの良く無いと思う。もったいないよ。努力できるのって、突き詰められるのって才能だよ。お姉ちゃんはその才能あるのに、家柄も立場もあるのに、ヒヨって人生生きるのもったいないよ。もっと前にたって人生生きていけるよ、お姉ちゃんなら!! 私は好きでやってるけど、やっぱりお姉ちゃんが一緒に頑張ってるのがいいよ。一緒に前線でバリバリ戦おうよ、それが家族じゃん!! 前のお姉ちゃんが好きだった。今のお姉ちゃんは好きじゃない」
私はとりあえず友梨奈の手を握って、目を見た。
「まずひとつだけ言わせて。私は陽都くんと会ってヒヨったんじゃない。やっと自分が見えてきたの。やっと息が出来てるのよ」
「じゃあ見えてる自分が違うわ。私のがお姉ちゃん長く見てるもん。絶対私のが分かってる。とりま今日は助かった」
そういって友梨奈はリビングから出て、家からも出て行った。
はあああ……ちょっとまって。何なの、よく分からないわ。
とりあえずバイトの時間になり、私は慌ただしく家を出た。
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