第73話 この感情に名前を付けるなら
「久しぶりのシャバだ~~~~」
「シャバって言うなよ、ヤバいヤツだと思われるだろ」
「ちゃんと着替えて出かけるの久しぶりなんだよな~~」
と中園は背伸びした。
数珠をくれた品川さんに何かお礼をしたい。
でも塾では全く近づけない所か、コマも取れない、というか見かけない! と中園に言われたのは数珠を渡してすぐの頃だった。
品川さんは今、夜間学童保育所の隣の塾で、すげー量の仕事をしている。
長期の休みだけでも子どもを塾に入れよう、時間があるんだからコマを増やそうと考える親たちで、長期の休みは大変なんだと気分転換に肉を揚げにきた品川さんは嘆いた。
だから中園の塾のほうには「どうしても!」と頼まれた時だけ行っていると言っていた。
品川さんの教え方は本当に上手だから、人気があるのは頷ける。
俺としては紗良さんの近くに品川さんがいるのは安心出来ることなので、中園の塾より、紗良さんの近くの塾にいてほしい。
だから何かお礼の品を渡すなら持ってこいよ、俺が渡してやるよと言ったんだけど、そうではなく「食事をおごりたい」のだと言う。
めめめめ、めんどくせええ~~~。
でももう夏休みも中盤だというのに、中園はどこにも行かずひたすらあのマンションにいる。
さくらWEBで「夏といえばプールでしょう!」みたいな企画をやっていたが、ナナナ姉妹に頼まれても中園はマンションから出なかった。
だから自ら「出たい」というなら、まあ一回くらい付き合ってやるかと品川さんに言ったら「アフタヌーンティーならいいかも! あそこひとりだと行きにくいのよね~。食べてみたいスコーンもあるし!」と快諾してくれた。
俺と中園と品川さん……なんだか変な3人で気が重くて紗良さんも誘おうかと思ったけど、その場合品川さんと紗良さんの関係までバレてしまう。
もう面倒になり今日だけ付き合うことにした。
中園は財布しか入らないような小さなポーチ? を持って俺のほうを見た。
「ど? このスーツ。貰ったのにさすがにスーツ着て配信はないわ~と思って着てなかった」
「完全にホスト。しかもナンバーワンじゃない、ナンバーツーのホスト」
「マジか、めっちゃ売れてるじゃん!」
そう言って中園は丸いサングラスをクイッとあげた。
電車の中で俺の横に立っていた女の子たちが「かっこいい~」と小声で言っていて、中園は手を振って答える。やっぱりホストだ。
今日の中園は紫色のスーツを着ている。夜の街調べの俺から見ると、まあまあ高いものだ。
何より裏側に『我が道』とデカく刺繍が入ってるのがヤバイ。この刺繍は結構な値段がする。
中園は「せっかく貰ったし写真撮っとくか!」と俺に何枚か撮らせてTwitterにアップしていた。
ストーカーが怖いのか、怖くないのか、よく分からないけど、俺が知ってる範囲で想像するならマンションから出るのが面倒なんだと思う。
一度会社を通るから安心なんだけど、逆にそれが一手間すぎる。
俺はスマホで品川さんと連絡を取りながら、
「夏休み終わったらあそこ出るの?」
「出たい。実のところ、もうすぐに出たいんだよな」
「やっぱりお前、あそこ全然気に入ってないだろ」
「陽都には言うけどさ、マジでダメだわ。俺やっぱすげー家が好きなんだなー。わりと縄張り意識強いって自覚した。これで一回落ち着けばいいけど、家の場所バレてるからどーすりゃいいんだか」
「駅前のマンションの話は生きてんの?」
「ありあり。俺と母さんしか居ないから一軒家の必要ないし、マンションのがセキュリティーいいからそうしようって母さんには話してる。俺も金出せるし。金なんてあってもやっぱそんな使わねーわ」
そう言って中園は眉毛を上げた。
GPSを送りつけられて自宅がバレしてしまった以上、一時的に避難しても解決策にはならない。
でも中園の母ちゃんはあの街が地元で長く暮らしているから、離れるつもりはない。困っていたら自治会長が駅前のマンションの口利きをしてくれるという話が出てきたようだ。最近建ったヤツでセキュリティーが良いらしい。やっぱり一軒家はそういう意味で危なすぎる。
しかし金なんてあっても使わねーって……。
こんなホストみたいな格好して欲にまみれてるように見えるのに、中身が質素すぎる。俺は思い出して笑う。
「中園はカルビ苦手だしな」
「そうなんだよ!! 高級肉が食えないんだよな、高校生だからってみんな俺に焼き肉おごろうとするんだけど、三枚も食うと気持ち悪くなるんだよなーーー」
「身体が貧乏すぎる。ホストになれないな」
「チキンカツとか唐揚げならいけるんだけどなー。この前すき焼きも気持ち悪くなった」
「ショボい。俺の所にもって来いよ、カルビもすき焼きも大好物だ。ステーキも食いたいなー」
「ステーキも無理なんだよなーー。メンチカツは好きなんだけどな。半分キャベツにしてほしい」
「ダイエットする乙女かよ」
「油吸ったキャベツがウメーんだよな」
俺たちはあれは食べたい、コレは無理、住んでるビルの近くに旨いカレーの店があるから帰りに買おうと話しながらホテルに向かった。
品川さんが行きたいと言っていたアフタヌーンティーは都内では有名な所らしく、三ヶ月前から予約必須だった。
だから無理なんじゃね? と思っていたらさくらWEBが大人の力で予約を取ってくれた。大人の力すげーな。
ホテルのラウンジに入ると、中に深紅のワンピースを着た品川さんが座っていた。ショートボブの髪の毛も美しく整えられていて大きな真珠のピアスが美しい。
そして真っ黒なハイヒールを履いていて……いやはや、肉を揚げている時とも、夜間学童保育所にいる時とも別人だ。
一応ドレスコードがあると聞いて俺もシャツときれいめのジャケットを羽織ってきたけど、俺だけダメすぎる。
先日平手に偉そうなことを言ったけど、品川さんの美しさと中園のピシッとさ(まあホストみたいだけど)を並べると俺だけ中学生のお出かけみたいになってしまった。反省。
中園は表情を緩ませて駆け寄り、
「品川先生、すごい……めちゃくちゃ美しいですね。嬉しいです」
「中園くん。久しぶり。って塾に来てる時と全然雰囲気違うのね。英語頑張ってる?」
「はい! TOEICの模擬A判定です」
「あら、いいじゃない? リスニング取れてる?」
「はい!!」
中園がワンコのようだし、品川さんは塾の先生(美人バージョン)だ。
俺はふたりの後ろにぽつんと立つ。
……なんかあれだよな。こう……ふたりとも知ってて、そのふたりの距離感はよく分からなくて、でもそのふたりと俺は別々に仲が良い時って、ポジション取りが難しいよな。
とりあえず服装のこともあって、俺はなんだか間に入りにくくて距離を取って歩いた。
ふたりはホストと上客……もしくは少し年が離れた恋人同士に見えて、どう考えても俺が邪魔。
せめて店長に借りてツヤツヤした上着を着てくるべきだったか? いやいやマジで似合わないから。
ラウンジから出てブッフェに向かおうと歩き出すと、目の前に見たことある人が居た。
スーツを着て日に焼けていて、スーツケースを持っている……中園のお父さんだった。
横には外国人の方が三人いる。中園のお父さんが貿易関係の仕事をしているのは知っている。大きなホテルだし、有名なブッフェだから、接待だろうか。
中園のお父さんは中園を見てにっこりと笑顔を作り、
「達也、偶然だな」
中園は目を逸らしながら、
「ん」
とだけ呟いた。
外国人の方は、中園のお父さんと軽く話して、外で待ってるわねというアクションをして出て行った。
なんという偶然。中園とお父さんの仲は良くない。そしてこの前聞かされた義妹からの色紙。それをきっと中園のお父さんは知らないわけで。
ふたりとも挨拶はしたけど黙っている空間が居たたまれなくて俺が一歩前に出ようとすると、品川さんが声を上げた。
「はじめまして。中園くんのお父さまでいらっしゃいますか。私、中園くんの英語塾教師をしている品川と申します」
「そうか、塾。なるほど。頑張ってるんだな」
「中園くんは英語をすごく頑張っていて、苦手だったスピーチとリスニングもかなりよくなってきたんです。お父さまも海外の方とお仕事……」
「ごめんなさい、達也のことはアイツに全部任せているので俺は分からなくて。でも気になってたからな。……幸せそうで良かった」
幸せそうで良かった。
????????????
俺の頭の中にハテナマークが踊った。
びっくりするほど空気が読めない言葉にポカンとしてしまった。
離婚して放り出してあっち逃げて、たぶん何も知らせず再婚してて義妹からサイン頼まれてることも知らず、なかなかこれは。
あまりに何も知らない言葉だと思って、一歩前に出ようとしたら、これまた俺より先に品川さんが中園のお父さんの背広を引っ張った。
そして顔を上げる。
「あの、お父さま……でいらっしゃいますよね、中園くんの」
「あ、ああ、そう言っている」
「私、塾講師としてお母さまと何度か面談させて頂いてるんですけど、お母様はおひとりでしっかりと中園くんを養育されています。中園くんの頑張りや、成長を少しでもご存じの上で、そう発言されていますか? 離婚していても親は永遠に親です。気にするというのはその場限りの良い顔のことを言いません。何度も行われる面談、話し合い、教師との関わりから見えて来る子どもの姿。それが育児です。知って、関わって、そこから幸せそうだという妄想を吐いて貰えますか?」
あまりの迫力に俺は一歩引く。
……すごい、けど、めっちゃたぶん、正しい。
間違いなく塾講師として正しいことを言っている。
中園のお父さんはその迫力に驚きながら、
「あ……ああ。そうだな。だからすべてアイツに任せてるから。では失礼します」
そう言って足早にホテルから出て行った。
俺はやり取りを見ていて心臓がバクバクしてしまい、目だけ動かして中園を見た。
中園は何も見てなかった。その場を、地面を、やたら豪華な絨毯をぼんやりと見ていた。
品川さんは出て行った背中を見て口を尖らせ、
「か~~~~っ!! 何もしてない親のが偉そうなのはどーーーしてなんだろ。どいつもコイツもみんなそうよ。何もしてないほうが偉そうに語るの。はあああ~~~礼のじじいとかぶっちゃった。ごめんね、塾教師ごときが偉そうなこと言って。礼のじじいも今頃になって『礼の幸せはここにない』とか言うのよ。お前に! 何が! わかるんだ~~!! はあああ~~~もうシャンパン飲んじゃう、あ、ダメか午後授業だ。でも一杯くらいならいいでしょ! さ、行きましょう。は~~~両手に花よ~~」
そう言って品川さんは中園と俺の腕を引っ張って歩き始めた。
中園はぼんやりしていたが、やがてペースを取り戻し、評判通り旨いブッフェを楽しんだ。
品川さんは美味しそうに一杯だけシャンパンを飲み、お腹いっぱい食べて礼くんに高級チョコレートを購入して帰って行った。
帰り道、中園は完璧に自分のペースを取り戻していた。
磯臭い匂いと灼熱の太陽。八月の日差しで肌がじりじりと焼ける。
中園は暑くて脱いだスーツの上着を振り回しながら、海沿いの道を歩き、口を開いた。
「はあああ~~~。親父に会ったのはびっくりしたけど、魚が旨くて最高だったわ。やっぱ旨い飯はいいな」
「思ったより量が多かったのに、品川さんすげー食ってたな。いやすごいわ。俺も腹パンパンだ」
きれいめの服を着てきたこともあり、パンツがキツい。
早く中園の家に帰ってどうでもよいジャージを借りよう。
歩いていたら中園が木陰のベンチに座り込んだ。
「……ヤリたい、じゃないんだよな」
「はあ?」
「いや、別に全然できるけど、ビンビンやれるけど、そうじゃなくて」
「はあ」
「ヤリたいより、より、関わりたい、話をしたい、横にいてほしいって思う感情って何?」
「親友じゃん?」
「じゃあ俺、品川先生と親友になりたい」
突然何の話が始まったかと思ったけど、そんなことを考えていたのか。
俺は横に座って最近読んだ本のネタを早速披露する。
「残念ながら勝手に片方から始められるのが恋で、お互いの信用がないと始められないのが友達らしいぜ。品川さんはお前を生徒としてしか見てないだろ。前提条件がぶっ壊れ」
「陽都は、どうして俺と親友やってるんだ?」
「一番弱った時に横にいたから」
「そっか。俺もそうだった。……今さ、クソむかつく親父のことより、品川先生のこと考えててモヤモヤするんだけど」
「今日の中園も弱ってて、品川さんに甘えれば第一段階クリア出来そうだったのに強がるから」
「……いやいや……そうだな、その時点で難しいのか、なるほど」
そう言って中園はスマホを取りだして電話をかけ始めた。
「もしもし親父。あのさ、再婚したんだろ? そんでその妹らしき人から俺のところに色紙が送られてきてる。住所バレてんだ。マジでウザイし、キモイからやめさせて。あとやっぱ、もう会わない」
そう言って中園はスマホを切り、少し考えて品川さんにLINEを打った。そしてスマホをポケットに入れて伸びをした。
クソみたいに暑くて、俺と中園はカレー買って帰り、マンションでシャワーを浴びてそれを食べて昼寝した。
弱った時に食べるカレーは蜜の味って言うじゃん。言わない?
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