第59話 私だけの甘え方
「企画書って、どうやって書けばいいのかな」
放課後の映画部の部室で陽都くんは首を傾げた。
企画書を書いている状態なので、他のメンバーは部室にいない。
私は周りをキョロと見て、
「……陽都くん。みんな企画が決まってないなら……って来ないけど……私たちが付き合いはじめたから気を遣ってこないのかな」
陽都くんは私を見て目を細めた。
「逆の立場になって考えてみてよ。もし中園と穂華さんが付き合いはじめました! って言われてふたりでいる所にいく?」
「行かない。ふたりが楽しくしてるなら、それでいいって思う」
「そうだよ。みんな気を遣ってるというより、自分が邪魔モノ扱いされたくないだけ」
「そうね……そうだわ。なんかダメね。気を遣うのは慣れてるけど、気を遣われるのには慣れて無くて」
陽都くんは椅子の上であぐらを組んで、
「だから気を遣ってんじゃないけどね。でも公言したことで、こうして部室でふたりっきりになれるのは、すげー嬉しい。はい横に座って。俺の相談に乗って?」
そう言って陽都くんは横の椅子をぽんぽん叩いた。
呼ばれて嬉しくなって横に座ると、陽都くんが私の指の間に手を入れて、自分のほうに引き寄せた。
目の前すぐに優しい顔をした陽都くんがいるのに、手は温かいのに、外から聞こえてくる野球部の掛け声とか廊下をはしゃぐ声は学校で、ドキドキしてしまう。
陽都くんは目を細めて私を見て、
「……今までコソコソ触れてきてたけど、これからは誰に見られても『付き合ってるし』って言えるの、すげーいい。紗良さん好き」
「あのね、あのね……すごく慣れないし、落ち着かないの……」
そう言うと陽都くんは私の手を優しく握って、
「少し気がついてた。隠してた時のが大胆だった気がするのは俺の気のせいかな」
「なんか……公共でみんなが見てると思うと、ものすごく悪いことしてる気がするの……見られてないと思うと大胆になれるんだけど」
「……? 露出狂的な観念……?」
「違う違う、違うんだもん!! そんなんじゃないもん!!」
私が叫ぶと陽都くんは私を腕ごと引き寄せて、
「紗良さんは今まで隠してきたから、外で本当の自分を見せるのが苦手なんだね。じゃあ学校でふたりのときは今まで通り、誰も見てないって思い込むのはどう?」
「……こっそりだと思うと、なんか平気なの。よく分からないの」
そう言って陽都くんの腕にスリ……とすり寄った。
もう夏が始まるから誰もジャケットを羽織っていない。陽都くんもワイシャツ一枚で、陽都くんの腕の感覚が近くにあって嬉しい。
手を握りしめると、陽都くんは優しく私のおでこにキスをした。
「俺はもう誰に知られてもいいと思うと、すげー大胆になってきて、正直めちゃくちゃイチャイチャしたい。キスしたい」
「!! ダメだよ。学校だもん!!」
「ちょっと待って。その学校でずっと俺を煽ってたの誰? あああー……紗良さん可愛い。真面目に戸惑ってるの、すごく好き。ていうかさ、さっきから一行も書いてないな。何をしにきたんだっけ、俺は」
その言葉に私は吹き出してしまう。
本当にその通りで「バイトに行くまでに企画書を書く」と言って部室にきて30分、陽都くんは私の手を握って机に頭をつけてイチャイチャしているだけだ。
私は陽都くんが乗せている机に、自分の頭も置き、目を合わせる。
「ダメだねえ」
「ダメで何か悪い? 可愛い紗良さんが悪い」
「陽都くん……私思ったんだけど、ふたりっきりで部室にいても……こうしてイチャイチャしちゃうだけで……何も進まないよ?」
「何が悪いんだーー! そのために始めた部活だーー! やってられっかーーー!!」
陽都くんは企画書に『紗良さんとイチャイチャする』と書いてまた机に頭を付けた。なんというか、すごくダメだと思う。中園くんの言う通り何か進めたいなら誰かの監視が必要かも。
だって私もやっぱり嬉しくて注意なんてできない。手を繋いでたまにキスしてのんびりしてしまう。
「オラオラオラオラ夏休みがくるぞーーーー!!」
17時をすぎた夜間学童保育所。
品川さんの叫び声を聞きながら私は床を拭いていた。
ここに来るのは小学校三年生くらいまでの子たちが多い。四年生くらいになるとひとりで居たい子が増えて、ここに預けられるのをイヤがるという。
だから勉強内容は非常に簡単だ。むしろ保育園や幼稚園を終えた小さな子どもたちが怪我をしないように見守るのがメインの仕事。
叫んでいた品川さんが私に気がついてサササと近付いてきた。
「紗良ちゃん、仕事には慣れた?」
「はい。本当に雑用しか出来なくて申し訳ないんですけど」
「何言ってるのよ、それがメイン業務よ。下は赤ちゃんから上は三年生までいるんだから、もう毎日が戦争よ。更にこれから夏休みがくるから人が増えるのよ。本当に助かったわ。学校の学童は行きたくないって言って、夏休みだけこっちに来る子も多いの」
「なるほど。夏休みだと朝から来る子が増えるんですね」
「うちはこれでも綾子さんの店で働いてる子限定にしてるからなんとかなってるの。この括りを外したら事故が起きると思う。塾の夏期講習の申し込みも増えてるから私も身動き取れないし、働かないとお金がないし……!! 分身したいっ!!」
「母さん。今日の練習、北中までいくからおにぎり貰っていって良い?」
品川さんと話していると身長がかなり大きな男の子が顔を出した。
正直私とそれほど身長が変わらない気がする。
端正な顔つきで長い前髪で表情はあまり見えない。
品川さんはおにぎりを包んで作り置きしてあった唐揚げを数個アルミホイルに包んだ。
「礼、これも一緒に持って行って。あとコーチに遠征のお手伝い行けますって」
「わかった」
そう言って礼と呼ばれた男の子は私のほうを見て立ち止まり、丁寧に会釈して背丈より大きなリュックサックを背負って出て行った。
ひょっとしてこれが噂の品川さんの息子、礼くん。
私は品川さんの方を向いて、
「息子さん。すごく大きいんですね」
「六年生なのにもう165あるのよ。中学校レベル。朝から晩までバスケ漬けで、宿題もせずバスケバスケ。この前、プリント探すために学校に持って行ってる鞄開けたら教科書一冊も入って無くてバスケットボールが出てきたのよ? どこいったのよ、教科書は!!」
「すごいですね。でも得意なことがあっていいですね」
「私ね……ずっと勉強ばっかりしてきたのよ。勉強こそ全て。だってわかりやすいじゃない、範囲を与えられてそれを学んで、違ったら覚え直す。すごくシンプルなのよ」
「わかります、品川さん、わかります」
「紗良ちゃんなら分かってくれると思った~~。だからね、あの身体を使う事に対して応援方法がよく分からなくて。鶏胸肉はアミノ酸であるイソロイシンが1,800で、ロイシンが3,100と高スコアで、ロイシンは必須アミノ酸のなかでも強い筋たんぱく質同化作用があって筋肉を作る礼の身体には最適……とかなら分かるんだけど」
「品川さん、わかりますー……数字気持ちが良いですよね……」
「練習したらボールが必ず入るわけじゃないのよ? そんなのイヤじゃない? ってスポーツ全体に対して疑問が……」
「わかりますーーー!」
私は何度も深く頷いてしまった。
夕方、陽都くんは結局何も書かずにバイト先に向かった。でもあれから二時間……陽都くんが映画部のグループLINEに企画書を出していた。
それはものすごくちゃんとした文章で、どうしてこういうことをしたいのか、見ている側のメリットはなにか、明確に書かれていてすごかった。
さっきまでずっと私とイチャイチャしていたのに。
陽都くん曰く「バイトして走りながら考えたら書けた」って言ってたけど……こんなのスゴすぎる。
ずっと思ってた。企画の話をしていた時、平手くんの案でも全然良いと思ったのに、陽都くんはすんなりと進化させてきた。
乗っかるだけじゃなくて、その先に行こう。
どうしてそんな風に物事を発展して考えられるんだろう。
私は小さくため息をついた。
「私は、物事を発展させるとか、新しいこと考えるとか……すごく苦手です。数字の方が好きです。しっかりかっちりなら得意なんですけど」
「分かる、分かるよ紗良ちゃん~~~」
私は色々しながら陽都くんとのことも話した。
「……なんか……すごく自分が真面目すぎるなって思ってて。他の人の目が気になっちゃうんです。私もそうやって他の人たちを見てきたから。私たちが付き合ってるのをみんなに言うのも……ちょっと怖かったんです。どう思われるかな、怖いな、が抜けません」
「紗良ちゃん可愛いーー……」
「ただ怖いんだと思います。優等生のふりしてやることやってたのね……とか思われないかなとか。結局私がそう思っていたと気がついたのも結構ショックで。でも周りの子みたいにイチャイチャしないと陽都くんに嫌われちゃうかなとか。人目に晒されることの全てが怖いです」
「紗良ちゃんは嫌われるのが怖くてずっと良い子してきたんだもんね。解答と正解がない恋は怖いよね。だったらちゃんと聞こう。たくさん聞こう。そこは勉強と同じだよ。わかるまで聞く。問題を解く、間違ったら直す、再びやる。……ね? 陽都くんを信じるんじゃない。紗良ちゃんが好きになった陽都くんを信じよう。自分を信じよう。信じた自分がする勉強時間は成績に直で表れる。自分を信じてない状態で勉強しても入らない。はいここ、大切。まずは基本から、はい問題集三周するわよ!」
「はい、わかりました、先生」
私は聞きながら笑ってしまった。
品川さんの教え方、塾の先生みたい。
……塾の先生なんだけど。
きっと心が急激な変化に戸惑ってる。だから周りの目が気になって仕方が無い。
でも不安になったら、周りじゃなくて、陽都くんの目を見よう。
私が好きになった、私を大切にしてくれている陽都くんを。
帰り道にそう伝えたら、陽都くんは私を全力で抱きしめてキスしてくれた。
不器用だけど、少しずつ。
きっとこんな私でいい。
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