第56話 これから先に(陽都視点)
っ……緊張した。
人生でこんなに緊張したことないってくらい緊張した。
心臓がバクバク言い過ぎて最後には視界も揺れてた。
俺身体全体が揺れてなかったかな?! 自分が怖い。
でも、挨拶に行くと分かった時、品川さんが「高校生の付き合い程度で挨拶に来いっていう親なんてね、先制パンチしたいだけなんだから~。路地にいるネコと同じよ、ネコパンチよ、ネコパンチ」と笑ってくれたのが大きかった。
そして店長が「大人への対応は撮影で慣れてるだろ。ただの大人だよ」と言ってくれて、撮影先と同じ態度で良いと落ち着けた。
吉野さんから「お母さんに紹介したいの」と言われたのをきっかけに、俺の親にも「彼女ができた。この前一緒に写っていた吉野さん」と伝えたら、母さんは「あらららら、まあああはああああ~~。あらそう、まあ、いいじゃない、あらあら」と突然家中のシーツを洗濯しはじめた。
動揺してるんだと思う。母さんは動揺すると洗濯機を回す。
父さんは「いやいやいいね、すごくいい。彼女が出来たって話してもらえるのが嬉しいな。そっか、うん、大切だ」とカメラを磨いてたけど、次の日新しいカメラのレンズが届いたから、やっぱり動揺してるんだと思う。
うちは「挨拶に来い」という家じゃないのは知っていた。
話が大きくなるのは、吉野さんのお母さんと、うちのばあちゃんが、それほど遠い関係じゃないってこと。
これが表に出てきたら、母さんはもっと顔を突っ込んでくると思う。
でもそれは、結婚とか……そういう次元の話だ。
今はこれ以上何か言われると思わない。
でも吉野さんの家はそうじゃないって、最初から分かってたから……ものすごく緊張した。
二階に上がっていくと、手前のドアが少しだけ開いていて、そこから友梨奈さんがニヤニヤしながらこっちを見ていた。
吉野さんが叫ぶ。
「あっ、友梨奈、もう部屋にいてよ、絶対入って来ちゃだめなんだから」
「……うひひひ……そんなことしないでござるよ……」
「そんなこと言って、いつも勝手に部屋に入ってくるんだから」
「入らないよお。ただ見たいだけ……むふふふ、ごゆっくり……って言いたい所だけど、ぜんっぜん我慢できそうにないから友梨奈塾行ってくる」
「助かるわ。行ってらっしゃい」
そう言って友梨奈さんは「チクショーー」と部屋から出て行った。
友梨奈さんは体育祭の時に会ったのと、動画を見たのが最後だったけど、本当に『強い・自由』という印象だ。
思うがままに生きていて、小さなことを何も気にしないように見える。
「どうぞ。この部屋なんだけど……」
そう言って吉野さんはドアの前に立った。
そして俺のほうをチラリと見て、
「もしかしてお母さんが良いって言うかもと思ったら簡単に片付けたけど、でもやっぱりゴチャゴチャしてるかも。うう……とにかくどうぞ」
「お邪魔します……」
そう言って入れてもらった吉野さんの部屋は、もうとにかく入った瞬間から吉野さんの香りが充満していて、立ち尽くした。
シンプルなデスクに本棚、そして鏡台と洋服棚。いつも着ている制服がかけてあると興奮してしまうのは、どういうことだろうか。
そしてモコモコのショーパンパジャマが脱ぎ捨てて置いてあった。
「あっ、バタバタしてて慌てて着替えたから」
そう言って吉野さんはパジャマを抱えた。とりあえず真ん中にあった机の横にスルスルと膝をつくとサッと吉野さんがクッションを出してきて、そこに座った。
すわるとふわりと吉野さんに香りが広がって……俺は大きく息を吐いた。
「……すげぇ緊張した」
「わーー、ごめんね。そうだよね、すごく緊張するよね。私もこんな空気になると思わなくて、なんかもう……すっごく緊張したっていうか、今も緊張してる。辻尾くんが私の部屋に座ってる……はああ……どうしよう。すっごく……どうしよう。あっ、お茶とお菓子取りに行ってくるね。お母さん準備するって言ってたから」
そういって吉野さんは部屋を飛び出していった。
吉野さんの部屋にひとり。身動きのひとつもできない。
でも……ベッドを見ると、そこはいつもビデオ通話で話している時背景に写っているピンクのストライプの柄。
勉強しながら話していた時に見えていた本棚。少し落ち着いてきて棚を見るとぬいぐるみとか置いてあって……すごく女の子の部屋だ。
正座して周りを見ていると、吉野さんがジュースとお菓子を乗せたお盆を持って入ってきた。
そしてそれを机に置いて、
「……はああ。多田さんを呼んだのは私なんだけど、呼ばないほうが良かったかな」
「ううん。ばあちゃんとのことを期待されても困るって話は、今日しようと思ってたから、スムーズに話が進んで助かった」
「そうかなって思って。なんか多田さんはすごく期待しちゃってたけど……悪いけどお母さんの反応をよくするために利用しただけだもん」
「……いや、悪い印象より、良い印象のが、ありがたい、と思う」
「ううう……ごめんね、辻尾くん、私が我慢できなくなって話しちゃったから」
「……陽都、って呼んでくれたの、嬉しかったから、陽都、で」
「!!」
吉野さんはパッと俺のほうをみて目を丸くした。
そんなこと言っても、俺も全然吉野さん呼びが頭から離れない。
今日だって来る前に、家にいるのは全員吉野さん、紗良さんって呼ぶ、紗良さんって呼ぶ……と思ってきたから、なんとか呼べたけど、吉野さんしか部屋にいない状態だと吉野さんと呼んでしまう。
でも吉野さんが「陽都くん」って呼んでくれて嬉しかったから、今日からちゃんとする。俺は吉野さん……じゃない、紗良さんのほうを向いて、
「今日から、紗良さんって呼びます」
「!! あ、はい。つじお……陽都くん」
俺たちは机を挟んでお互いに正座してこんなことを宣言しあって、もう何をしているのか全く分からない。
いつものほうが全然自然に出来ているのに、なぜかもうカチカチに緊張して……ふたりで目を合わせて笑ってしまった。
紗良さんが持って来てくれたのは、俺が手土産に持たされたマドレーヌだった。
母さんに「吉野さんの家にご挨拶にいく」と言ったら「言ってくれた助かったぁぁ!」とお気に入りのお店のお菓子を持ってきてくれた。
こういうときに何を持って行ったら良いのか、そもそも持って行くべきなのか、全然分からなかったから助かる。
紗良さんはそれを一口食べて、
「……美味しい。すごくふわふわなんだけど、さくりとしてる」
「母さんがよく行くお店のマドレーヌなんだけど、ベタベタしてなくて旨いんだよな」
「これを陽都くんはいつも食べてるのね。そういうの知れて嬉しい」
「……そんなこと言ったら、もうこの紗良さんがたっぷり詰まってる部屋にいるのが、もうちょっと……すごいよ」
紗良さんは甘い物を食べてオレンジジュースを飲んで少し落ち着いたのか、勉強机に座り、
「ここ。ここにね、いつもスマホを置いて話してるの」
「紗良さんがお茶を取りに行ってる時に気がついた。この角度、見覚えあるなって」
「陽都くんと通話繋いで一緒に勉強するの、すごく好きだから」
「うん、俺も。こうなってさ、親にも挨拶すると……更に成績落とせないって感じがする」
「わかる。でも……もう下手に勘ぐられることもないし、バレて困ることもないの」
紗良さんは俺の横にちょこんと座った。
俺は思い出して口を開く。
「そういえばバイト先変えるのはいつから?」
「来週からだよ。あっちは先週いっぱいで辞めたの」
「そうなんだ。いや……驚いた。紗良さんがあそこで働くなんて。何度か手伝ったけどの俺の感想だと……すげー疲れるから」
「女の人が多い環境だし、男の人はそれだけでキツいかも。何がしたいかなんて全然分からないけど、色々やってみようとおもって。それに時給も変わらないの。ほんと色々やらなきゃいけないんだけど」
そう言って紗良さんは苦笑した。
紗良さんに「カフェのバイトをやめて夜間学童保育でバイトする」と聞かされた時……実は安心した。
やっぱりあの街は危ないんだ。この前も同じ系統の店が姉の身分証明書で潜り込んでいた中学生を雇っていて、店側が摘発されていた。
同じことが紗良さんが働いている店で起きても変じゃない。だから少し心配してた。
品川さんも最近ガサ入れが増えたのを聞いていて、紗良さんを夜間学童保育のバイトに積極的に声をかけたんじゃないかと思ってる。
ありがたいし、何より安心した。
俺はオレンジジュースを飲み気になっていたことを口にした。
「変装は、もう、しない、の?」
「ううん。私ね、やっぱり好きなの、別人になれるのが。だからね、変装っていうか、変身はしたいなって思ってる」
「そっか」
「荷物全部持ってきてもいいけど、さすがにあの服装で家に帰ってきたらお母さん、泡ふいて倒れちゃいそう。さっきも多田さんに『お母さんめちゃくちゃ動揺してるよ。普段ならしないミスしてたからね』って言ってたし」
「そっか、変装は続けるんだ」
「……陽都くん……ひょっとして、変装してる私のが、好き? 明らかに安堵したけれど?」
そう言って紗良さんは俺のほうを目を細めてみた。
ぎく。俺は唇を噛んで……まあ、ここで嘘を言っても仕方が無いので、
「……実ははじめてあった時のミニスカとか、ウイッグとか、メイクとか……すげー好きです……」
「どこら辺り? あのベージュのが好き?」
「……黒のロングにメッシュも……」
「ふうん。スカートはやっぱりミニ?」
「スリットが入ってたスカートも……すごく……好きです」
俺がそう告白すると紗良さんは目を細めて俺のほうに近付いてきて、
「嬉しいな。また週末可愛くするね」
「……はい。あの……今日のワンピースもすごく可愛い。クラッシックな感じも……いいです……」
「そう? そうなんだ。これ家で無理矢理渡されてるってイメージだからあんまり好きじゃないけど、陽都くんが良いなら、いい。これで駅まで送る?」
「はい……すごくいいです……」
俺はコクンと頷いた。
実は玄関を開けたときに顔を見せてくれた紗良さんの服装がすごく可愛くて、ドキドキしていた。
白と黒のクラッシックなワンピース。膝下までふわりと広がる品の良さで、お嬢さまという感じがすごい。
紗良さんは「そう?」と不思議そうにワンピースの裾を持って俺の方を見た。
そして俺に一歩近付いて、
「これで家には堂々と入れるんだから、今度誰も居ないとき来てね」
と袖を引っ張った。
俺は紗良さんのおでこにトスン……と自分の頭をぶつけた。
「あのさ。家に入れるようになったからちゃんと言うけど。紗良さんに触れたい……のももちろんあるけど。いやすげーーあるけど、それより。すごく甘えさせたいし、甘えて、全部をふたりで満たしたい。細かいこと全部、紗良さんと満たしたい。まずはその場所にこの部屋が入ると、嬉しい、と思います」
これも今日紗良さんにちゃんと言おうと思っていたことだ。
紗良さんは若干、そんなことしたら普通の男がどうでるのか全部無視して煽る時がある。それは頭のどこかで「エッチなことをしなきゃダメ」と思ってるんじゃ無いかと思っていて。
別にそうじゃないと伝えたい。そんなことをしなくても俺は紗良さんが好きで、その先に、したい、とは思う。
そうしないと紗良さんは「しないと嫌われる」と思いそうだ。
そうじゃなくて。今の時点でものすごく好きだ。
俺がそう伝えると、紗良さんは嬉しそうに俺にしがみつき「うん」と何度も頷いた。
そして俺の腕の中で、
「……細かいことってどんな?」
「紗良さんと手をつないで買い物いって、ご飯つくったり」
「私料理好きだよ。店長さんから貰ったスパイスで何か作ろう?」
「紗良さんのモコモコショートパンツも堪能したいし」
「えへへ」
「そういう紗良さんに繋がるカケラと、俺の何かを、たくさんしたいな、と思う」
そういうと紗良さんは目に少し涙を浮かべて、
「なんか、すっごく大切にされてる」
「すごく、大切なのでここまで来ました」
「すっごく大切にされてる! すごい、すごいなあ……」
そういって紗良さんは俺にしがみついた。
そして俺の頬に優しくキスをして、
「私のはじめての彼氏が陽都くんで良かった」
と微笑んだ。紗良さんはその後も俺の真ん中に座って抱きついて甘えて「嬉しい、好き」と何度も胸元にぐりぐりした。
俺はそんな紗良さんをただ抱き寄せた。可愛い、本当に可愛いけど……今日はもう本当に疲れた。
俺たちはリビングでお母さんと多田さんに挨拶をして外に出て、ゆっくりと確実に、指と指を絡ませるように手を繋いだ。
そして明日の朝、一緒に学校にいくことを約束した。
今までしたかったことを、これから先の紗良さんとたくさんしたい。
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