第19話 先に君とふたりだけで

「どこで? どこでなら許されるの?」

「どこでなら許される……言い方がすでに面白い」

「ねえ、辻尾くん、どこで?!」


 昼下がりの公園。

 吉野さんは上着をベンチに投げ捨てて、シャツをまくり上げて髪の毛をキュッと縛った状態で叫んだ。

 興奮しすぎて笑ってしまうが、吉野さんの表情は真剣そのものだ。

 そして俺のほうを見て再び叫ぶ。


「ねえってば! どこでなら許されるの?!」

「あははは!!」


 その真剣さが面白くて声を出して笑ってしまう。

 俺たちは学校が終わってすぐに着替えて、願い石がある公園に集まった。

 水風船騒ぎがあった後、すぐ吉野さんからLINEが入った。

『あの水風船、私と遊ぼうと思って買ったの?』って。

 もちろんそうだ。

 俺は小学校の時一番ハマっていたのが水風船で、一年生で100円、二年生で200円になるお小遣いをすべて水風船につぎ込んでいた水風船好き。

 あの頃は10個しか入ってない水風船が宝物だった。


「辻尾くん、これ無理じゃない?! ねえ、蛇口の口に入らないよ、絶対無理」


 袋をあけてトイレの手洗い水道で水を入れようとしていた吉野さんが戻ってきた。

 作り方を教えるまえに即行動。その行動力、さすが吉野さんって感じだ。


「こっち、こっち」


 俺はひとつ持って、トイレではない、公園の真ん中にある普通の水道に向かった。

 昔の蛇口は全部細かった気がするけど、最近の蛇口はものすごく太い。それにセンサーで止まったりするので水風船に水を入れるのに適さない。

 ここは去年の夏、礼くんが犬の散歩で使っていた水道で、基本的にはペットに水を飲ませる場所な感じがする。

 昔ながらの細くて長い蛇口で、礼くんは逆に「センサーじゃないんだ」と驚いていた。現代っ子すぎる。

 でも確かにここまでシンプルな水道も今は珍しいな……と思ったから覚えていた。

 俺は水風船の口を開いて、蛇口にセットして、ゆっくりと水を出した。

 タプン……と水風船に水がたまり……大きさ5センチくらいまで待つ。

 そしてゆっくりと取り外して指先に風船の入り口を巻き付けて……慎重に結んだ。

 それを吉野さんに手渡すと、目をパアアアアと、本当に音が聞こえそうなほど目を輝かせて、


「すごい!! 重たい」

「水が入ってるとわりと重たいんだよね。それにちゃんと割れるサイズにしたから」

「えっ?! 今ここで?! どれくらいの衝撃に耐えられる設定で作られてるの?」

「設定? いやちょっとまって。水風船に設定って何だ?」


 吉野さんは、両手の真ん中に水風船を大切そうに持って、学校みたいな真面目な顔をしている。

 俺は、トイレの裏側の壁に吉野さんを連れて行った。

 ここも礼くんと犬の散歩をしていて気がついたんだけど、野球少年たちがボールを投げているようで、○に得点が書き込まれている。真ん中が50点でその周辺が10点のようだ。

 かなり大きな公園のふちにある小さな広場のようなところで、他に遊具もない。

 まわりに民家もすくない場所なので、球技をしていても怒られない場所なのかも知れない。

 吉野さんは、


「投げて良い? 中園くんが投げても割れてなかったから、結構強くないと割れないってこと?」

「あれはかなり小さく作ったんだよね。それは五センチまで大きくしたから、それなりに……」

「っ……いやああああ!!! なんで?! どうして?! 私なにかした?!」

「あはははは!!」


 突然水風船は投げようとしていた吉野さんの掌でブチャアアと割れてしまった。

 吉野さんは目を大きくあけて口も開いて、手を広げた状態で、そこから水が垂れて、その水を避けようと両足を開いて膝を曲げた状態……完全に絶望の人だ。

 俺は爆笑して、素直に謝る。


「ごめん、ちょっと水を入れすぎたかも知れない。商品によって薄さが違う気がする。これは割れやすいんだね。すぐに作ってくるよ」

「ちょっとまって辻尾くん、これは『なんでもできる学級委員』そして『実行委員』として、作り方を、サイズを、ちゃんと知る必要があると思うの。こんな風に個数を減らしていたら、完成しないわ」


 吉野さんは俺のほうをキリッとした目で見た。


「突然、学校バージョンの吉野さんが現れた」

「濡れちゃったらヤダって話ーーー! しかも本番は色水でやるんでしょ? 靴がビショビショになるし、たぶん掃除も私たちの仕事よ?!」

「ごめん、そうだね。じゃあ一緒に作ろうよ。俺たちが仕切ることになるんだもんな」


 俺たちは再び水道の前に移動した。

 この蛇口は筒の先に段差みたいなものもない。


「ここに水風船をさして」

「ふむふむ。すでに難しいですよ、辻尾先生」

「うむ、吉野くん、続けるぞ」

「なんなのそれ、誰先生?」

「いや、乗ったほうがいいかなって。……わりと広がらないんだよな。むしろここが最難関な気がする。ていうかさ、学校のどっかにさ、こういうストレートな蛇口ある?」

「そんなの覚えてるわけない……あっ、体育館に続く渡り廊下の所の水道はどう?」

「あ、あそこまっすぐだ。用務員さんがホースつなげてる所、いつもあそこだな」

「そうよ……って、えええええ……破れちゃったぁぁ……」

「あははは!! そうなんだよ、入り口の部分が破れるんだよなあ」


 入り口を開きすぎたせいで、水風船の入り口がビリビリに破れてしまった。

 吉野さんは小さくなってしまったそれを掌に乗せて、


「これはもう使えないの? 半分くらい残ってるよ?」

「もうダメだなあ。残りかすみたいな感じ」

「ええええー……、水風船、本当に子どもの遊び? 高度すぎない? 作業開始して15分、ひとつも出来てないよ?」

「時間もまだあるし、頑張ろうよ」

「うん! 今日が水曜日で良かったー!」


 今日は四時間授業の水曜日で実行委員会が終わり次第、速攻抜け出してきた。

 そしてここで水風船を試している。吉野さんは「ここが破れやすいってことは分かったわ……」と真剣な表情でそれを蛇口に挿した。

 成功だ。そしてゆっくりと……本当にゆっくり少しずつ水を入れて、さっき俺が作ったのより少しだけ意識して小さくした。


「……んで、これを?」

「さっき挿すのが最難関って言ったけど、実はここのが難しい」

「やっぱり水風船、レベルが高くない?! 本当に子どもの遊び?!」

「よく考えたら幼稚園の頃は自分で作れなかったかも。まずはゆっくり外す。水が入っているから、重力を考えると、わりと動かしやすいかも」

「なるほどなるほど……外せたわ。すごい、水が入った風船!」

「学校でやるときはこのタイミングでスポイトで色入れるしかないよな」

「そうね、そうね、そうだわ。んで、これ、どうやって結ぶの?!」

 

 吉野さんは水風船を手に持って叫んだ。

 俺は指の先に巻いて……重力を使って、水風船が常に下にあるようにして……と指示を出すと、吉野さんは学校みたいに真剣な表情になり、指先を器用に動かして水風船の入り口を縛った。


「出来た!!」

「おお。ここを一発で突破できるのはすごいよ」

「割れない? 大丈夫? どこを持つのが正解?」

 

 吉野さんは水風船を掌にのせてソロソロと移動した。さっき掌で割れたのが怖いのか、少し身体から離して持ち運んでいる姿が可愛すぎる。

 そしてさっきの壁の前に来て、俺のほうを見て、右手の水風船を持ち肩の高さまで持ち上げた。


「野球みたいに?」

「そうだね。願い石の時みたいに下からより、野球の球みたいに投げるのが正解だと思う」

「んじゃいくよ。ほりゃーーーー! あああああれえええ落ちたああ割れた、辻尾くん、割れたよ!!」

「あはははは!!」


 吉野さんは野球のように水風船を振りかぶって、投げるというより、1mほどの距離の地面に思いっきりたたきつけた。

 水風船は無事に割れたが、壁の前に移動した意味は一ミリも無かった。

 でも吉野さんは割れた水風船に近付き足をタンタンさせて、


「辻尾くん、見て見て、割れた割れた、すごいね、ちゃんと割れたよ、これくらいの大きさにすればいいのね?!」

「うん、そうだね、割れたね。なんていうか、吉野さんって基本的に球技苦手?」

「苦手だよ、超嫌い。ていうか運動は全部好きじゃないよ。体育でやることは全部習っててね、標準レベルまで持って行ってるけど、体育で評価されないことは全部苦手。それに習ったことをしてるだけだから、楽しいと思ったこともないの。でも!」


 そう言って吉野さんは地面に落ちた水風船のゴミの所に膝を抱えて丸くなって座った。

 そしてゴミを指先で拾いながら、


「今はすごく楽しい。だって失敗してもいいんだもん。失敗してよくて、何しても辻尾くんがケラケラ笑ってくれる。昔ね、ひとりだけずっと逆上がりが出来なくて。お母さんにそれが言えなくて、テストが怖くて、泣きながら練習したの。それでも無理でね、体育は2だった。友梨奈は当然全部5だったよ。私だけ2でね。通知票みた時のお母さんのため息が忘れられないよ。でも、今は失敗してもいいんだもん。それが嬉しい」


 その言葉を聞いて、俺も吉野さんの横に膝を抱えて丸くなり、一緒にゴミを拾った。


「はじめてやって上手くいくはずないじゃん。俺だって一袋全部ダメにしたことあるよ。でもさ、投げ方がちょっと……なんていうか……癇癪おこして地面にボール投げつける子どもだったよ」

「もおおおおおお、次作ろ!! 次!! バイトまで時間ないんだから!! 練習しないと無駄になるんだから!!」

「オッケー。バンバン作って行こう」


 俺が立ち上がると、吉野さんも立ち上がり、そして俺の服の袖をクンと引っ張った。

 そして一歩近付いて、


「私のために駄菓子屋さん行ったの?」


 と言って俺をじっと見つめてきた。その近さと、少し水で濡れた髪の毛が頬にくっ付いて可愛くてドキドキする。

 俺は恥ずかしさから何となく視線を外して、


「あ、ああ。そうなんだよ。久しぶりに行ったんだけど、まだあったよ。種類も変わってなくてさ。……今度さ、駄菓子屋でお菓子買って、山に遠足に行かない?」

「!! すっごく楽しそう!!」

「久しぶりに金額制限して袋に詰めたくなったよ」

「200円までってやつだ! やりたい、行きたい!」


 そう言って吉野さんは俺の制服を掴んでぴょんぴょんと跳び跳ねた。

 吉野さんと一緒にいるとしたいことが次から次に生まれてきて、あそこも吉野さんと行きたいな、あんなことも、こんなことも。

 吉野さんならきっとこういう風に目を輝かせて楽しんでくれるんだ。

 色んな吉野さんを見たい、一緒に居たい、素直にそう思う。


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