第13話 その氷が溶けるように
マックで商品を受け取って願い石の所に戻ると、吉野さんはまだ石をせっせと投げていた。
たくさんの石を拾ってから投げる作戦に変更したのか、左手に石を握って、右手で「エイ」と投げている。
ぴょんぴょん跳ねている後ろ姿も必死で、可愛すぎる。
「吉野さん、マック持って来たよ」
その声に吉野さんは振り向いて、
「わあ、ありがとう、ごめんね、取りに行ってもらって」
「全然良いけど……どう?」
「ぜんっぜん無理だよ辻尾くん!!」
「あはははは!!」
ぜんっぜんと言うときに顔を歪ませて目を固く閉じて首をブンブンと振る顔が可愛くて思わず笑ってしまう。
吉野さんは「むうう」と口を膨らませて右腕の二の腕を左手で揉みながら、
「あの石にかすりもしないよ。もう腕が痛くなってきちゃったーー」
「そんな、ちょっとまって大丈夫? 投げすぎだよ。ってこんな言葉久しぶりに言った」
「見て! 指に泥がすっごく入っちゃったー」
そう言って俺に見せた指先はツメに泥が入ってしまっていた。せっかく桜色に可愛く塗られてるのにその奥に黒い泥が入っているのが見える。
あまりにも本気すぎる。まだ諦めきれない吉野さんは持っていた石を全部なんとなく葉の下に隠して(必死に探したらしい)歩き始めた。
また後でトライするらしい。宝物を隠すネコのようで可愛くて仕方が無い。
吉野さんはトイレで念入りに指先を洗って出てきた。
その口はまだ尖っていて、完全に不満げ。真面目と本気が入り交じっていて笑ってしまう。
でもお腹はすいたようで、キョロキョロと見渡して空いたベンチを見つけて笑顔になった。
「空いたよ、行こう!」
「……うん」
俺は目を細めた。公園の新緑と、どうやら楽しいとすぐにスキップする吉野さんが愛おしい。
吉野さんはベンチに座ってハンバーガーを取りだして、大きな口でパクリと食べた。
「ん~~、いつも適当にコンビニのおにぎり買って食べてたから、嬉しい」
口の横にケチャップが付いたので、俺は袋から紙ティッシュを取り出して渡した。
吉野さんはそれを受け取って、もう一口大きな口をあけて食べた。
どうやらかなりお腹がすいていたようで、ハンバーガーふたつを一気に食べてオレンジジュースを飲んで、やっと落ち着いたようで息を吐いた。
俺はチキンナゲットを食べながら、
「日曜日はいつもこんな感じ? 朝から勉強してお昼食べて……みたいな?」
「もちろんこんな風に遊んだのははじめてだけどね。日曜日は朝早く家を出たいの。うちのお母さんが政治家目指してる話はしたよね? 政治家は支援者が大切なの。支援者がどれだけ多くて強いか……が大切みたい。日曜日はその人たちが家に来る日で、朝9時からチャイムがピンコンピンコン鳴るの」
「それは騒がしいな」
休日に誰か家に来る時点で正直げんなりしてしまう。
うちは朝と昼さえ休日はセルフサービスで、のんびりすごすことになっている。
吉野さんはダブルチーズバーガーを食べ終わってゴミをクシャクシャッとまとめて、
「ね。早すぎだよね。家にいると『皆さんにご挨拶に来なさい』って言われるから、勉強してくるって言って毎日8時に出てるの。イヤだよ、ほんと……。朝の9時までに優等生メイクして、家なのにシャツ着てパンツ穿いて、髪の毛きっちりして」
「げ」
「『げ』でしょ。でもね、妹の
そう言って吉野さんはポテトを食べた。
俺はふと思い出して、
「LINEのアイコンに一緒に写っている子?」
「そう。友梨奈。ひとつ年下なんだけど、高校は
「げ。偏差値78の国立」
「そこに去年トップ入学して、医者を目指してるの。私の家ね、お父さんが幼稚園の時に病気で死んじゃったの。友梨奈はそこからずっと医者を目指して勉強してる」
「へえ、なんかすごいけど……正しすぎて息苦しそう」
俺がそう言うと吉野さんはきょとんと目を丸くした。
俺はハンバーガーを食べながら続ける。
「お母さんが政治家目指してて、妹はお父さんのことを思って医者になりたいって、みんな正しすぎるじゃん。朝8時には家を出たいって、どんな環境なんだろうと思ってたけど、それはきついな。だってみんな正しいもん。文句のつけようがない。たぶん皆がすげー頑張ってるんだろ? だから悪口も言えない。吉野さんだって頑張ってるのに、それ以上に正しい人がいると自分で居られる場所がないじゃん。いっそ悪人なら憎めたのに」
うちは母さんが口うるさいけど、父さんはのんびりしてるし、全体的に俺の味方だと思う。
この前遅くなった時も「もう高校生だ。陽都の話を聞け」と母さんに言ってくれた。
それに俺にはばあちゃんという最強に味方がいる。俺がどんなになっても、ばあちゃんが居れば……そう思っている所はある。
味方がいるから強気に出られるんだ。
それなのに吉野さんの周りは、吉野さんより頑張ってる人ばかり。そんなの絶対にツライって分かる。
いっそ自分を罵ってくれる悪人なら、もっと嫌いになれるだろうに、ナチュラルに頑張れる人がいるとキツそうだ。
小学生の時に月曜から金曜日まで習い事してたのも、この環境が大きいんだろう。
自主的に頑張るのが普通の環境。それはかなりキツそうだ。
ポテトを食べようと手を伸ばしたら、袖をぎゅっと握られた。
顔をあげると、吉野さんが前を見たまま、動きを止めていた。
……ん? 腕を掴まれたまま前に出ると、吉野さんの大きな瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちて、一緒にマスカラも、アイシャドーも、ラメファンデも、つけまつげもボロボロと顔から落ちていく。
俺は慌てて立ち上がった。
「あーーっと、ちょっとまって。ティッシュあるから」
「抱っこ」
「えっ」
「甘えてもいいって言った」
「は、はい」
「もう全部取れててイヤだから、隠して、ブサイク!! 抱っこ!!!」
「はい!」
もやは甘えているのか、キレているのか分からない。
俺は慌てて着ていた上着を脱ぎ、吉野さんの頭にかけて、そのまま前に立ち、服の上から吉野さんの頭を撫でた。
ここは願い石の家に近いので、たくさんの人が池の近くにいる。
その人たちが吉野さんに気がついて「泣かせて……」「こんなところで……」という顔で俺たちを見ている。
あああ……そんな……泣かせるつもりはなかったんです……。
ただ吉野さんの今を想像したら、キツそうだなって、そう思って素直に口に出しただけなんです。
吉野さんは涙を拭わず、そのまま泣き続けた。
声を出して泣くような派手な泣き方ではなく、ただ目からこぼれ落ちる涙をそのまま落としている……そんな泣き方だった。
そして数分後に泣き止み、俺はその顔を上からチラリとみて……思わず目を逸らした。
吉野さんは俺の服に頭を包んだ状態で「むう」と睨んで、
「顔見て笑った。ひどい」
「……いや、あのさ。つけまつげが頬にぶら下がってるんだ」
「えっ」
吉野さんは慌てて自分の頬に触れたが、それは反対側。
俺は自分の頬を指さして知らせた。吉野さんはそれを手に取って「むう」と唇を尖らせた。
その顔を見て俺は、
「アイラッシュ持ってる?」
「……なんでそんなにお化粧に詳しいの」
「風俗店で働いてる女の子たちに買い物に行かされるんだ。アイラッシュもこの前買いに行った。おつりを全部くれるからソレ目当て」
「……全部持って来てるから、そのまま待ってて。直すもん」
そう言って吉野さんは俺に服を持たせて、その包まれた空間で器用にメイクを直していった。
たっぷり時間をかけて、吉野さんは化粧道具を戻して、俺のお腹の前に服を引っ張った。
「……直った」
「じゃあ服戻して良い? さすがに腕が疲れた」
「どう考えても辻尾くんが悪い。ぜったいに辻尾くんが悪いんだから!!」
「おけ、もう言わない。時間がわりとないからさ、食べたら行こうか」
吉野さんは俺の言葉を聞いてスマホを見て目を丸くした。
「わーーー……、ごめんなさい。もうこんな時間だ」
「大丈夫? 間に合う?」
「もう全部詰め込んじゃうっ、行こっ!」
吉野さんはパクパクパクッと残ったものを食べてオレンジジュースを手に取って走り出した。
俺も慌ててその後を追う。
吉野さんはスッ……と歩く速度を落として、俺の横に立った。
「……今日はすごく楽しかった。来週も、こんな風にすごしたい、石が入れられなかったのがすっごく悔しいの。夢に見そう」
「うん」
「それに月曜日も。私、学校なんて大嫌いだったけど最近は委員会があるから楽しいの」
まだ目が少し赤い吉野さんは俺のほうを見ずにポツポツと気持ちを吐き出すように言った。
俺は吉野さんの顔をのぞき込んで、
「一緒に行こう」
と伝えた。
すると、真っ赤な目を細めてゆっくりと吉野さんが微笑んだ。
吉野さんが素直に言葉を伝えて、俺がそれを受け取るたびに、吉野さんが安心していくのが分かる。
冷凍庫の一番奥にあった氷が、ゆっくりゆっくり溶けるように。
俺は、吉野さんが吉野さんでいられる居場所のような人になりたい。
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