第10話 次の約束をして
「陽都。ちょっと話をしましょう」
「ごめん、母さん。昨日は遅すぎた」
「23時は高校生には遅すぎると思うの」
次の日の朝、俺は朝ご飯を食べながら母さんにこってりと絞られていた。
いつもより帰りが遅くなる時点で連絡したし、店長と母さんは顔見知りで、昨日はトラブルがあったから陽都くん帰るの遅くなります……と電話もしてくれた。でもそんなことで「はい、わかりました」と引き下がるほど、俺の母さんは甘くない。
そもそも今のバイト先……引いてはばあちゃんの息がかかった領域にいることを良いと思ってないんだ。
なにかひとつでもキッカケを掴んでバイトをやめさせたい、ばあちゃんから遠ざけたい、そう思っている。
でも、昨日の俺はなにひとつ間違ってないから、譲れない。
細かいこと説明すると「やっぱりそんな危ない場所! すぐに辞めなさい」と叫んで更に面倒なことになる。
だから何もいえないけど……俺はパンを食べて顔を上げた。
「中間で80以下は絶対取らない。それに俺、ちゃんと体育祭の委員会やってるよ」
「テストを頑張るのは学生として当たり前のこと。委員会するのはすごくいいことよ、それをすることに母さんは何の文句も言ってない。とにかく最大限に許容して22時なのよ。高校生がそれ以上遅く帰宅するなんて普通じゃないわ」
出た、普通じゃない。
その普通ってのがどれだけのサンプリングを元に出てるのか。
中園みたいに朝までゲームしてても早く帰ってきてたら普通なのか?
俺は椅子にもたれてため息をついた。
じゃあ俺も最終カードを切るしかない。
「あのさあ、あの店でバイトしなかったら、俺今も引きこもってるかもよ」
「……」
「人間いろいろ居るってことも、勉強が何の役にたつかも、あそこに行くようになってから知ったんだ。それまでずっとなんでこんなに勉強しろって言われるのか分からなかったんだ。母さんはばあちゃんに感謝するべきだろ。それとも俺が今も家で引きこもってゴロゴロしてたほうが普通だったかよ?」
「母さんは、陽都のことを思って言ってるの!!」
出た、伝家の宝刀『陽都のことを思って言ってるの』。
俺は残ったパンを口に全部入れて立ち上がった。
「昨日は事情があったんだ。何も悪いことはしてない、テストも点を取る、委員会も頑張る。それでいいだろ」
父さんと俺とばあちゃんはよく一緒に飯を食ってるけど、母さんは絶対に来ない。ほぼ絶縁状態だと思う。
父さん曰く「人間には相性もタイミングもある」。
色々知ってるんだろうけど、俺には何も言ってこない。
俺は鞄を持って外に飛び出した。最近は家にいるより外にいるほうが気楽だ。
昼休みの委員会準備室。
俺は布にアイロンをかけていた。最初こそアイロンが熱くて怖かったけど、何枚かやったら慣れてきた。
やっぱりこういう地味な作業は全然好きだ。
吉野さんは一番奥でひたすらミシンで布を縫っている。
俺はスマホを取りだして吉野さんに近付いた。
「あの。ミシンの作業を動画に録画しとくのはどうかな。そしたら来年の参考になるかも」
「そうですね。そういうのが今まであまりに残ってないかも知れません。私の作業風景で良ければどうぞ」
吉野さんはそう言って小さく頷いた。
許可を取った俺はスマホのカメラを立ち上げて、吉野さんが作業している所を撮影しはじめた。
旗なので、棒をいれる部分があって、そこは太めの筒にする必要がある。吉野さんはなんとなく説明しながらミシンで縫っていく。
もちろん……本当に資料として残したほうがいいと思って声をかけたけど、俺はただ吉野さんの近くで見学したかっただけだ。
それを公式に仕事している風に見せたかっただけ。
それにさっき少し離れた場所から見てたけど、凜とした背中とか、押さえている指先とか、少し緊張した表情とか、全部すごくかっこよくて可愛い。
この景色を動画に収めたいと思ったんだ。
「先にこっちがわを縫ってしまったほうが、結果的に楽になります。それでここを追って……」
吉野さんは縫いながら丁寧に説明していく。
俺はそれをなんとなく聞きながら、ずっと吉野さんの横顔を撮影している。
すごくキレイだと思う。
よく見るとまつげがすごく長いんだな。外で会う時はいつも付け睫毛してると思うけど、そんなの要らないんじゃないかな?
くるりとカールしててきれいなまつげ。それに目の下にほくろがあるんだな、気が付かなかった。
いつもメイクで消してる? 可愛いのにな。泣きぼくろ……泣き虫なのかな?
撮影していると、吉野さんがミシンをとめた。
そして俺のほうを見て、むう、と口を尖らせた。
「(……?)」
俺は不思議に思ったが、その表情さえ可愛くて、録画を続けていたら、布の上で裸の指先がチョイチョイと動いた。
さすがにこれは呼ばれている。撮影したまま近付くと、吉野さんは俺のほうに身体を寄せて、
「(作業風景じゃなくて、私を撮ってませんか?)」
「!!」
その言葉に俺は驚いて吉野さんを見た。すると吉野さんは眉毛をクイとあげて目を細めて口を猫のようにふにゃりとさせ「もう仕方ないなあ」という表情になり、再び作業を開始した。
……撮影したままだけど、ここはカットして……家のPCに移動させよう。
いや、切り出してdrop boxに保管しよ、今しよう。
ていうか作業動画としてアップするのはやめよう。
正直吉野さんしか映ってない。
放課後には作業を終えてミシンをかけ終わった布を各クラスに運んだ。
自分たちでアイロンをかけて縁を縫ったと思うと、なんだかすごく大切なものに感じる。
去年は「旗って何だ? これに絵を描けばいいの?」程度しか思わなかったのにな。
俺が布を持って、吉野さんは作り方のアイデアが書いてある紙を持って(まあこれも俺が作ったんだけど)一緒に廊下に出た。
先生に挨拶しながら、一年の教室に向かい、机の上に布とプリントを置いた。
放課後の学校の空気は独特で、外から運動部のかけ声が聞こえてきて、教室には誰も残っていない。
ついさっきまで皆が走り回っていた空間に夕日の始まりしかない教室が、俺はわりと好きだ。
「帰りましょうか」
夕日が入ってくる廊下で髪の毛をサラリと揺らす吉野さんと、もう少しだけ話したくて俺は普通に戻る道ではなく、校舎の外の渡り廊下に吉野さんを誘った。
うちの学校は小学校中学校高校とあり、敷地がかなり広い。
私立ということもあり、体育館はふたつ、温水プールもある。
それらは雨を防げる渡り廊下で繋がっていて、延々と木の板のようなものが置いてある。
古い木の板は乗るとギイと音をたてて、そのポイントを探しながら歩くのがわりと楽しい。
運動部専用の部活棟が少し離れたところにあるんだけど、建物の老朽化がすごくて、取り壊しが決まっている。
そっちに続く渡り廊下は、誰もいなくて渡り廊下の木もかなり古くなっていて、少し楽しい。
俺に連れられて歩いてきた吉野さんはキョロキョロして周りに誰もいないことを確認して、
「こっちのほう……はじめてきた。取り壊される部活棟しかないよね?」
「ここら辺は誰もこないから、いつもの吉野さんでも大丈夫だよ」
その言葉にキョトとして目を丸くして、ゆっくりと微笑んだ。
「……どっちの私が『いつも』なのか、私も分からないけど冒険みたいで楽しい」
「ちなみにそこの木は真ん中が腐ってるから、その上でジャンプすれば一気に折れる」
「え?」
「雨で濡れて腐ったみたい。誰も来ないから用務員さんも見てないみたいだ」
「ええ? 知っているなら伝えたほうが良いのでは? 誰かが怪我したら大変なことになりますね」
「一瞬で優等生に戻った」
俺は渡り廊下の木に座り、笑ってしまう。
吉野さんは折れている木を確認して「あらら……これはあとで用務員さんに伝えておきましょう。運動部の人が足首を怪我したら大変です」と言っている。
だからこっちの部活棟は誰も使ってないから来ないと思うけど、やっぱり吉野さんは根が真面目なのだ。
俺はここで話そうと思っていたことを口にする。
「あの、吉野さん。土日ってバイト行ってる?」
「うん、土日は8時に家を出て午前中は図書館で勉強して15時から20時までバイトしてる」
「朝8時?!」
学校と同じ時間帯に土日も家も出てるの?!
俺が驚くと吉野さんは、一瞬で表情を曇らせて、
「家に居たくないから、出ちゃうの」
「あ、ごめん」
ここで聞くことじゃなかった……と俺は少し反省して座り込んだ場所から立ち上がった。
「あのさ、俺は土曜日は集中して勉強する日だけど、日曜日はバイトしてるから……その朝の図書館勉強とか……一緒にしない?」
「する! いいの? うれしい。いつも一人だったから、そんなのすごくうれしいよ!」
吉野さんの曇った表情が一瞬で明るくなり、その場でピョンとジャンプした。
その瞬間に腐っていた渡り廊下の木がボキッ! と折れた。
「……あ」
「あははははは!!」
俺は思わず爆笑してしまう。でも吉野さんは「どうしよう……怒られちゃう……」と優等生の顔で本気で落ち込んでいたので、俺がそれを持って用務員さんの所に行った。
用務員さんは「ありゃりゃ、こんなに腐ってるの? 教えてくれてありがとうね」とすぐに向かってくれた。
俺と中園たちは、あそこでゲームよろしく腐った木の上をジャンプして遊んでたんだけど、これで当分入れないな。
なにより俺は吉野さんと日曜日の朝、約束を取り付けたことが嬉しくてワクワクしていた。
8時から15時なら、一緒にお昼も食べられるかもしれない。
服……なに着ようかな。やっぱり新しい靴がほしい。いや鞄がない、何もかもがない。
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