第480話 明石海峡大橋の決闘

【兵庫県神戸市垂水区 明石海峡大橋】


嵐が、吹き荒れていた。

身長100メートルとなった敗走ポボスはそれを心地よいと感じる。海の上に伸びる長さ数キロもの橋の上で戦うというのは神にとっても初めての経験だ。橋を吊り下げるワイヤーの束。巨大な主塔。軋みを通り越して悲鳴を上げる足元。前方の主塔上に立つ女と側の海上から上半身を出した、東慎一変じる巨人。そして、それらを守るように布陣する天乃静流たち。

あの少年の力は分かった。剛力に関わる神力を、それも神の水準で行使している。油断すれば今の敗走ポボスですらやられるだろう。足で踏みつぶすのは無理と見た方がいい。槍では躱される。跪き、安定した姿勢から拳の一撃を叩き込むしかない。故の徒手空拳。

敗走ポボスは、前に踏み出した。二歩。三歩目で速度が乗り、四歩目でトップスピードになる。天乃静流も走り出した。真正面から受け止める気か。面白い。それしかあちらには手がない。主塔の女を守るためには。走る。走る。

互いの攻撃が、交差する。


  ◇


静流の踏み込みはトップスピードに突入していた。時速四百キロだ。作用反作用の法則を鑑みれば、質量の足りない静流は速度で補うより他はない。小さき神々を呼び集める。神力が膨れ上がっていく。生まれたを束ねる。以前素戔嗚尊が水や風を巨大な力として束ね、扱っていたのと同じだ。やろうと思えばどこまでも膨れ上がらせることができるだろうが、それを整列させ、しかるべき時に突撃させることが出来ねば何の意味もない。これこそが神の相撲、千人力の神力の要諦。今の静流ならば、素戔嗚尊の助けがなくともヤマタノオロチ相手の戦いに加われるだろう。

両腕の正体を現す。刃が重なり合ってできた剣の右腕と、氷でできたつるつるの左腕の。敵の動きを見据える。100メートルの身長が馬鹿みたいに素早く動いている。ビルがあんな速度で動いたら大惨事だ。それを止めようとしている。相手が跪いた。やはり蹴ってはくれないらしい。安定した姿勢で来た。右ひざが道路についている。右の拳が凄まじい速度で迫って来るが、あまりの巨体にその躍動感をじっくり観察する暇さえある。もう避けられない。避けたら後ろについてきている火伏がやられるからどちらにせよ避けない。神力を前に押し出す。前へ。前へ。前へ!!

そして衝撃がやってきた。

激突。

明石海峡大橋が揺れた。道路がひび割れ、凄まじい振動が発し、敗走ポボスの巨体の全身にまで振動が伝わり、拳が止まる。対する静流は激突の瞬間に完全に静止。運動エネルギーのすべてを、敗走ポボスの阻止に費やしたのだ。

神と人の力は、完全に互角。敗走ポボスの攻撃を、静流の前に伸ばした両手は完全に受け止めたのである。

そこで背中に、手が当てられた。追走しながら術を詠唱し、印を切り終えた火伏の掌が。

西の空が輝く。細く絞り込まれた流星が、ただ一点。敗走ポボスの膝目がけて。敗走ポボスは気が付いたらしい。しかしもう遅い。離れることもできない。静流はがっしりと敗走ポボスの拳をいる。静流の背には火伏が触れている。術者が接触している限り、矢除けの加護は働かない。

流星は、巨人と化した神の膝を確かに貫いた。


  ◇


巨大な体が、横倒しとなった。地響きの代わりに大きく橋全体が揺れ、軋むことで抗議の声を上げる。橋に宿る小さき神たちの声が静流には聞こえてくる。もう限界が近い。それでも敵はまだ、諦めていないようだった。

『おのれえええ!!』

敗走ポボスより伸ばされた手を静流は回避。火伏が飛び上がった。足をやられたのだ、まともに戦えまい。

間合いから離れた静流は、再び神力を膨れ上がらせた。今度こそこいつにとどめを刺さねばならない。剛力を司る小さき神々が束ねられ、形成されたはまるで一対の腕のよう。そうして生まれた不可視の千人力の神力が、うねりをあげて巨神を組み伏せて行く。このまま四肢をへし折ってやる!!敗走ポボスの腕関節がぎしぎしと悲鳴を上げ始めた。左手でを掴み返してくるがうまくはいっていない。

へし折れる。まさしくその瞬間、叫び声が最高潮に達した。

『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

敗走ポボスの巨体が。100メートルを超えてなお。主塔同士をつなぐもっとも強靭なワイヤーの束がとうとう、まとめて千切れる。がくん!と橋が沈みこんだ。反対側ももうすぐ切れるだろう。そうする間にも敗走ポボスは巨大化していく。

それは、200メートルに至った時点でようやく止まったのである。最初の2倍。質量で言えば8倍だ。

急に太くなった敗走ポボスの腕をしまった。何という神力か。

「嘘やろ……!!」

『くくく……見事である、天乃静流……そして火伏次郎よ。しかしここまで巨大になった私を止められるか……!?』

太く長くなった左腕をてくる敗走ポボス。これでは逃げられない!!

しかし敗走ポボスの狙いは静流ではなかった。火伏でもない。主塔の上の無防備な、四季を狙ったのである。まずい!!

だから静流は神力を最大限とした。敗走ポボスを即座に捻じ伏せることはできない。しかしその足場を破壊することはできる。もう一方のワイヤーをねじ切ることで。

刃の右腕に神力を集中させる。腕を伸ばす。それに従うように小さき神たちが動き、ワイヤーを。人間には不可視である刃の千人力が、残るワイヤーを切断する。

とうとう、道路が完全に破断した。そこへ、再び流星。天狗落としの術が道路へとどめを刺す。

『ぬあああああああああああああああああ!?』

巨体に比して短い距離を落下していく敗走ポボス。それはすぐに止まり、上半身がこちらを覗いていた。身長200メートルでは、大橋から落としてすら不足するのだ!!

そのことに気付いた敗走ポボスは再び腕を伸ばす。巨大な力を振るって隙だらけの静流目がけて。

今度こそ掴まれると確信したときだった。敗走ポボスの手が逸れる。何事かと見上げ、静流は事態を悟った。闇が、敗走ポボスの顔を覆っている。視界を何者かが遮ったのだ。一体誰が。

追及を後回しにして、静流は再び神力を集中した。左腕に宿る氷の力を膨れ上がらせる。それに連なる神力が増幅されていく。隙だらけの敗走ポボスの右腕を神力で。たちまちのうちに氷漬けとなっていくそれを、フルパワーで


―――GYYYYYYYYAAAAAAAAAAAA!!!


獣のような絶叫が上がった。腕を押さえてのけ反っていく敗走ポボスの上半身が見える。そこへ、本日四発目の天狗落としの術が叩き込まれた。胸が大きく穿たれる。それで矢除けの神力が損なわれているのに気が付く。200メートルに巨大化するには神力のすべてを注ぎ込む必要があったのだろう。静流も攻撃に加わる。いつの間にか闇が消えている。問題ない。もはや敗走ポボスに反撃の力はない。相手がデカすぎて投げられないが、小さき神々を集め、束ねる。その力を持って。ありったけの神力を出し切るつもりで攻撃する。

やがて、敗走ポボスは息絶えたようだった。動かなくなる。こっちに倒れてきたら危ないので横へ。横倒しになっていく巨体が明石海峡の水底へとひっくり返った。デカすぎて水面上に見えている部分はあるにしても。死体はそのうち消滅するだろう。

「……勝った?」

呆然と、静流は呟いた。跪く。力をほとんど使い果たした。危なかった。だが、勝ちは勝ちだ。上を見上げると、火伏がゆっくりと舞い降りて来るところだった。無事な四季やタコツボのカード、東慎一の姿も。

そして、破断した橋のこちら側。

一匹の狸が、そこに座り込んでいた。

「―――芝右衛門?」

火伏の言葉でようやく正体が分かった。生きていたのだ、彼は。淡路島も流されたであろうに。

芝右衛門は、力なく手を振った。

「よう。やったな」

「無事だったか。よかった」

「他はみんな死んじまったけどな。俺だけだ。運よく生き残ったのは。それでも、そのままなら津波か嵐で死んでたろうな。もう駄目だ!って時に橋が光ってるのを見かけて慌てて駆けつけた。間に合ってよかったぜ」

さっきの闇に化けたのは彼だったのだ。敗走ポボスの視界を遮り、静流を助けてくれた。。そこで気付く。これもまた、イナンナ神となった雛子の幸運の加護なのだろう。彼女には助けられっぱなしだ。

「あー。ありがとうな。助かったわ」

「おう。で、今どうなってる」

「えっとなあ。あれがうまいこと行ったら、俺らの勝ちや」

皆が主塔の上を見上げる。そこに佇む、顔に呪符を張り付けた女を。

儀式は最高潮に達しようとしていた。

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