第479話 吊り橋と巨神
【兵庫県神戸市垂水区 明石海峡大橋】
清岡四季は、遥か遠方を見据えていた。そこで蠢く、あまりにも巨大な明石の大ダコの姿を。
今、父たる清岡玄弥の遺した秘術が求められている。人類を救うために。遠い昔に失われた術を復元再構築した、式神創造の秘術が。
天を見上げる。人間の想いが渦巻いている。この絶望的な状況を覆す希望を求める力が。まだ小さい。ここはその中心ではないからだ。しかし中心である大ダコの近くではある。これから四季が変えて行く。印を切る。呪を述べる。形はどうでもいい。自らの精神を整えるためのものに過ぎない。それより重要なのは自らの想いを制御すること。妖怪が生まれる環境を人工的に再現するのが神降ろしの秘儀の術理だ。それと式神創造の術は原理的には全く同じ術に属する。四季が使役している家鳴りも何割かは人間の想いから作り出した存在だ。残りはその辺にいるのを呼び出しているが。
死んだ妖怪が蘇るように、タコツボの存在が蘇り始めた。もちろんそんなに簡単には行かない。人間を生むのは簡単でも、人間を工学的に作るのは極めて困難なように。やろうとしていることの難易度を、膨大な想いで無理やり補おうとしている。欠けた部分を復元し、失われたタコツボの生命を新たにする。
巨大な想いの流れがうねりとなって、タコツボに集まり始めた。タコツボが日本中の明日を信じる想いの中心となった。あとは流れ込んで来る想いを制御しなければならない。
息をつく。勝ち目が見えてきた。あとどれだけの時間がかかるかは分からない。四季もこれほど大きな術の経験はない。大ダコを阻止している神々がやられる前に終わるかどうかはまさしく神のみぞ知る、だ。
安堵しかけたところで、向こうから雷が飛んできた。それは東慎一が展開したバリアーに直撃すると、凄まじい轟音と共に海を蒸発させ、天を焼くほどの破壊力を発揮。余波で陸の方が山までえぐり取られる。大ダコなのか味方の流れ弾なのか。分からないが、余波を喰らっただけで跡形もなく消し飛ぶに違いない。それを防ぎ切った東慎一の恐るべき妖力に感服しつつも、四季は術を続けた。
◇
「何とか行けるか、あれは」
静流は、主塔の四季を見上げて呟いた。
傍らにいるのは火伏だけだ。半ば破壊され、人っ子一人いなくなった明石海峡大橋は大きい。それすら、東慎一の力はカバーしている。あの分ならしばらくは大丈夫だろう。
「順調にいけば恐らく大丈夫だろうな」
術者としての年期がある火伏が答える。よれよれな上にびしょ濡れのスーツ姿だ。静流もハーフパンツとTシャツのまんまである。昨日の魔縁と呼ばれる天狗たちとの戦いからまだ一晩しか経っていない。これが片付けば風呂に入り、着替えるだけの暇はできるだろう。数時間仮眠を取り、帽子の中に入れてあった非常食(前回のブラジルの時の残りだ)をみんなで分けて今日の戦いを迎えた。自分やノドカ、家族が心配だ。姉やケンスケ氏は妖怪についての知識があるから大丈夫だと思いたいが。何も知らない看護師の母どうしているか。分からない。逃げ遅れているかもしれない。病院で働いていたはずだから。
ふと火伏が見ていた方を静流も見る。酷い有様になった淡路島だ。山々の土砂が樹木ごと流されたか。もちろん家屋や風車、港湾などの人工物も見えはしない。全部破壊されたのだろう。山の頂上付近の裏側にあったものは生き延びているものもあるかもしれないが。こっち側から見える範囲は全滅のはずだ。そこに住まう妖怪たちごと。芝右衛門も恐らく生きてはいないだろう。
これが、神話の時代の当たり前なのだとふと気が付く。
上古の時代にはキロメートルサイズの怪物が地上を闊歩し、神々が争い合っていたという。今起こっているのはその再現なのだ。こんな光景がいいというのか、円卓は。
そのことに、ふつふつと怒りがわいてくる。奴らは来るだろうか。タコツボを破壊して安心していてくれると楽なのだが。
静流の願いは、叶わなかった。橋上で巨大な光の柱が降り注いだからである。
咄嗟に戦闘態勢を整える。
光が晴れた時。そこに立っていたのは一人の男の姿をした妖怪だ。鎧兜に身を包む、古代ギリシャ風の装いであった。
そいつは槍を振り上げると、叫ぶ。
「東慎一よ!!
◇
たちまち100メートルの巨体となった
橋の上を走る。一歩ごとに軋みが凄まじい。千切れたワイヤーが飛び跳ねる。床面が陥没する。それでも明石海峡大橋は驚くべき強度を発揮し、100メートルの
結論から言えば、それは早合点であった。何故ならば橋の上で待ち構える少年は、体内から神力を膨れ上がらせたからである。呼応するように橋から。その土台である島や、陸地や、海底から巨大な神力が集まり出した。束ねられたそれは
『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』
槍と盾を手放す。空中で身を捻る。受け身を取る。
100メートルの巨体は橋に墜落すると冗談のように転がり、そして姿勢を正した。これですら軋むだけで、まだ橋はかろうじて無事だ。奇跡と言っても過言ではない。
そのまま
南の空が輝き、急激に落下してきたのは巨大な流星。村落一つを吹き飛ばせる威力のそれは直撃すれば
改めて敵勢を確認する。巨大化した東慎一は昨夜見た。顔に呪符を張り付けた女が儀式の要か。そしてそれを守るように橋の上に展開する、二人の男たち。一人はまだ年端もいかない少年であり、もう一人は錫杖に鳥の頭部と翼を備えた人型の妖怪に変化していく。日本の天狗であろう。恐らくあれが神戸コミュニティ最大最後の戦力、天乃静流と火伏次郎。となれば今の反撃も得心がいこうというものだった。
あれが、敵の全力。ここで仕留めればもう奴らに打つ手は無くなる。
◇
「うわあ。あのガタイに矢除けの神力まで持っとる。マジか」
冗談のような光景であった。静流の視線の先。嵐に見舞われた明石海峡大橋の道路上に、100メートルもあるギリシャ彫刻のような巨人が立ち上がったのだから。そいつはすぐに身構えると、こちらをじっと見据えている。昨日の巨大天狗とはわけが違う。今度は先ほどのように投げられないだろう。火伏の天狗落としの術も防がれた。矢除けの力を持っているのだ。あれが東慎一の言っていた
「いや。手はある。奴に天狗落としをぶつけるならな」
火伏の声に、静流は聴覚だけを向ける。火伏は続けた。
「矢除けの加護は触れた相手には通用しない。坊主。奴の動きを止められるか」
「できると思う。止めるので精一杯で他のことは何もでけへんやろけど」
「それでいい。やってくれ」
「おっけーや。来るで」
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