第471話 感染爆発

ローマ人の土地ルーマニア トランシルヴァニア地方ブラショヴ イズ家】


電話がかかってきたのはまだ深夜であった。

相手も確認しないまま寝床から手を伸ばし、クリスティアンは電話に出る。誰だろう、こんな早くから。

『ようクリスティアン。大変だ』

「ラルか。どうした」

『始まった。ギガントマキアだ』

飛び起きた。電話をハンズフリーにし、即座に身支度を始める。

「どこだ?」

『日本。それからイタリアでデカブツが出やがった。日本のは全長10キロメートル越えが、なんとかってー内海に出たとか。イタリアの奴は火山を押しのけて立ち上がったってよ』

「後者はギガースだな。前者は心当たりはないが……内海か。まさか瀬戸内海?」

クリスティアンは眉をひそめた。昨日、現地時間の夕方には瀬戸内海全域で大地震が起きた。神戸コミュニティとも連絡が取れない。自然災害ならば東洋海事ビルヂングは無事なはずだ、と自分を納得させようとしてはいたが、まさか。

ラルの方は言葉を濁す。

『ちょっとそれは俺には分からん。あっちの地名とか詳しくなくてな』

「分かった。他には」

『北極海ではスルトへの攻撃開始時刻を繰り上げたそうだ。速攻で片付けてよそに援軍を行かせるつもりかもしれねえな。もちろん勝てるとは限らんが。他にもいろいろ話は出てるが混乱気味だ。この調子なら朝になる頃には怪物のニュースが増えすぎてニュース番組がパンクしちまう』

「同感だ。この国も無事で済むかどうか。そっちに向かう。あとでまたかける」

シャツを着替える。ズボンをはき替える。ベルトを締める。ここもいつまで安全か分からない。ラジオのスイッチを入れる。やはりラルが言った通りのことを叫んでいる。当然か。

着替えが終わる。手早く荷造りする。母やイレアナを起こさなければ。コミュニティに向かう。いや、その前に三人組に連絡が先か。

部屋を出ようとした段階で、クリスティアンは異変に気付いた。悲鳴が外から聞こえたのである。何事か。

「母さん、イレアナ。起きるんだ。何か起きている」

妖力で声を家族の耳元に送り込む。これで目を覚ますはずだ。窓から外を警戒する。耳を澄ませる。

外では、暴動が始まっていた。

「―――!!」

気付かなかったということはたった今始まったばかりのはずだ。暴動?こんな深夜に突然?

それは暴動と呼ぶしかないものだったが、異様だった。人間たちが暴力を振るい、家々に押し入っている。叫びが聞こえる。破壊音。自動車のスリップ音。牙が、人間の喉笛に喰らい付く音。

音を司る魔神の血を引くクリスティアンは、聴覚だけでも必要なすべての情報を取得することができた。だから混乱する。これは一体!?

外に出ると、人間が人間を襲い、生き血をすする地獄絵図が広がっていた。

血を吸われた人間が起き上がる。止まっていく心音。にもかかわらず動く肉体。人間が動く死体になっている―――いやまさか。

「クリスティアン?何がどうしたの!」

家の玄関から母の声。それに反応したか、暴徒のひとりが顔を上げた。たった今倒した近所の隣人の喉から顔を上げ、牙から血を滴らせながら。こいつは人間ではない!?

飛び掛かって来るそいつに、クリスティアンは強烈な音波をぶつけた。吹っ飛んでいく。地面を転がったそいつは、首を振りながら再び立ち上がる。凄まじい頑強さだ。普通の人間なら脳震盪でしばらく動けないはずなのに。

その様子があまりにもフィクションの吸血鬼のようで、クリスティアンは身震いした。青白い顔。伸びる牙。口からしたたり落ちる血。紅い虹彩。すべてがこいつは人間ではないことを示している。

吸血鬼は、そいつだけではなかった。たった今血を吸われていた犠牲者が立ち上がる。喉にぽっかり二つの穴を開け、虚ろな瞳で。その血色のない顔はまだ、人間だと言い訳もできただろう。しかし口から伸びる2本の牙は明らかに人間のものではない。吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼となる。そんな伝承を思い出す。こいつはそのものだ。

だから叫ぶ。

「母さん!吸血鬼だ。吸血鬼が町中にいる!イレアナの側から離れるな!!」

クリスティアンは思い出した。以前戦った円卓の最高幹部を名乗る男の正体は吸血鬼ドラキュラだったということを。奴はまさか、血を吸って吸血鬼にした人間を大量に国内へ放ったのでは。潜伏していたそいつらは、巨神戦争ギガントマキアが始まると同時に正体を現したに違いない。ここブラショヴにも大勢の吸血鬼が潜んでいた。自分たちはそれに気が付かなかったのだ!!

吸血鬼の感染爆発パンデミック

ルーマニア国内は大変なことになるだろう。すべての人が不安にさいなまれるはずだ。一見して人間と区別のつかない吸血鬼がそこら中に入り込んでいる。自分自身を含めて誰がいつ吸血鬼になるか分からないという恐怖。隣人がそうかもしれない。軍は市民が変じた怪物を撃てるのだろうか?撃てたとして、それと人間を区別できるのか?たちまちのうちに増える吸血鬼に対処できるのか?そしてそれは国内に留まるのだろうか?

思考がぐるぐるする中でも、吸血鬼は増えつつあるようだった。何匹もこちらにやって来るのだ。近所で毎朝挨拶する老婆。気のいい商店主。何をしているかよくわからない隣家のおじさん。少し離れた角に住んでいる女の子。どれも目を爛々と輝かせ、青白い顔でこちらを見ている。元から半妖怪であるクリスティアンやイレアナが吸血鬼になることはない。しかしただの人間である母は違うし、クリスティアンもこいつらに襲われれば無事では済まない。

だからクリスティアンは覚悟を決めた。こいつらを排除し、家族を守り、そして翠の願いを叶えねばならない。彼女は自分に三人組を頼むと言って去った。ならばそうするべきだろう。

その姿が変化していく。角が伸び、服装が豪奢なものとなる。手に短杖が握られる。

「どけ!!」

強烈な音が発せられた。弾き飛ばされていく吸血鬼。生じた隙に後退する。玄関を潜る。そうして狭い入口から突入しようとして来る吸血鬼どもを一体一体吹き飛ばしていく。たちまち数体を倒し、近くにいる奴は一掃できたようだった。

「クリスティアン」

振り返れば、イレアナに付き添われた母がいた。まだ二人とも寝間着だ。だから告げる。

「急いで着替えるんだ。ギガントマキアが始まった。荷物は最低限。緊急用に詰めてたやつを持ったらすぐに出るぞ」

「どこへ?」

疑問を発したイレアナに答える。

「たまり場のホテルだ。あそこなら仲間が集まって来るし情報もあるだろう。その後は国内から脱出する必要があるかもしれない。どうなるか分からない。

私は知り合いのところに寄ってから行く。日本から来た三人だ。きっと混乱しているはずだから」

「待って。それなら全員で行く方が安全だわ。私たちも一緒に」

「―――分かった。準備を早く。出来たら出発だ」

母へ頷く。今は言い争っている時間も惜しい。

「見張ってる。急いで」

部屋にかけて行く二人に背を向け、クリスティアンは外の光景へ目を向けた。混沌の様相を示している外界を。スマートフォンを取り出す。かけるのは三人組だ。誰でもいい。ひとまず樹里の番号を選ぶ。

夜明けは遠い。三人組が無事生きていることを祈りつつ、相手が電話に出るのをクリスティアンは待った。

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