第458話 敗走と恐慌

【コンピュータワールドのどこか "円卓"会議室】


「ダンタリオンめ。しくじったか」

アレス神は、天を仰いだ。

そこはコンピュータワールドにある会議室。組織の名そのままの円卓を囲む一席に、彼は座っていたのである。秒読み段階となった巨神戦争ギガントマキアのために。

円卓の中央には様々な報告が浮かび上がっていた。世界各地での破滅の怪物の復活度合や、善なる神々の動きについて。

円卓を囲む十数の神々の視線がアレス神へと集中した。オーディン神が疑問を呈す。

「失敗か。となればタコツボは敵に確保されたと?」

「いや。かくなる上はこの私の息子たちを派遣するとしよう。大ダコは重要な戦力だ。レアーイナンナ神をはじめとする極東の神々を脅かすのに、あれは必要だからな」

幸いなことに、瀬戸内海にはかつてないほどに濃い狂乱の気配が渦巻いている。大地震によって凄まじい被害が出たためだ。加えて、空から降って来る流星と、それに伴って円卓が流しつつあるデマの影響も大きい。世界的に巨大な不安が広がりつつあったのだ。

それを力の源として、アレス神は二柱の息子たちを召喚することができるだろう。敗走ポボス恐慌デイモスの二つの神性を戦場に降臨させることはこの戦神の権能の一つだ。

「山中竜太郎よ。見ているがよい。お前の打った手、我が息子たちが力で粉砕してくれようぞ!」

アレス神は、その場で瞑想に入った。


  ◇


【神戸北署前】


「凄い……っ」

雪は、目の前の光景に圧倒されていた。警察署前の緩やかな坂道に転がる無数の残骸。削り取られた道路。多数の自衛官の死体。それらに。

それを成し遂げたのはたった一人の男だ。東洋海事ビルヂングが総力を挙げても退けられなかった軍勢を、彼は滅ぼした。

坂道の上から戻って来るメタルヒーローの姿に、雪だけではない。沢田刑事ら何名もの警察官が呆然としていたのである。

「東さん!」

雪に呼びかけられた東慎一は顔をかすかにこちらへ向けた。

「無事だったか、三井寺雪」

「なんとか。東さんに来ていただかなければ全滅でした。タコツボも守り通せました」

「そうか。それはよかった。それでこれからどうするつもりだ」

「タコツボを梅田に運ぶつもりでした。悪天候の魔女に渡すつもりです」

「"悪天候の魔女"?そういう妖怪がいるのか。詳しくなくてな」

首を傾げる東慎一である。これほどの実力がありながら魔女ほどの有名人を知らないとは。ちょっと内心でびっくりする雪だったが、地元民ではないのだろうと勝手に納得する。

「まあいい。ならそこに運ぶぞ」

「はい。……あの、東さんはどうやって来たんですか。同じ方法で運べるなら安全じゃ」

「ふむ。俺はある妖怪の力を借りてやってきた。空間を飛び越えてな。だが以前、そのための場所が封鎖された上で襲撃されたことがある。早いがあまり安全な方法ではない。車で運ぶ方がいいだろう」

「分かりました」

雪は沢田刑事らの方を見た。車で運ぶなら彼らの力が必要である。

話を聞いていた警察官の生き残りたちはもちろん、頷いた。署長命令は撤回されていないし、ここまで来たら後は運命を共にするしかない。数人が無事な車の確認に走る。すぐに出発の準備は整うだろう。

しかし敵は、その時間を待ってはくれなかった。

東慎一が振り返ると身構える。そのただならぬ様子に雪も警戒した。遅れて、警官たちも。

「―――来るぞ!」

倒したはずのダンタリオンの気配が濃くなっていく。いや。そうではない。ダンタリオンのが強まっているのだ。吹き上がるそれは変質し、凄まじい神気と化していく。

敗走ポボスがやってくる。恐慌デイモスに先導されて。

光の柱が、道路に吹き上がった。ひとつ。またひとつ。

それが収まった時。

立っていたのは、二柱の神であった。どちらもよく似ている。共に黄金の兜と青銅の甲冑を身に着け、槍で武装し、盾で身を守っている。

その、あまりにも凄まじい威圧感に雪は後ずさった。警察官たちも。これはダンタリオンや今までの妖怪たちの比ではない。神そのものが降臨したのだ、ということをこの場にいる皆が悟っていた。

そやつらの発する狂気を浴びただけで心が屈しそうになる。跪き、泣きわめき、許しを請う事しかできなくなる。それが人に生まれし者の定め。あれに勝つことなどできはしない。そんなことをするくらいならまだ、夜空の星を突き落とそうとする方が望みがある―――

「吞まれるな!!気を強く持て!!奴らはただの強力な妖怪に過ぎん!!」

東慎一の叫びで、雪は正気に返った。警官たちもそうだろう。

「い……今のは?」

「ただの妖術だ。奴らはおおかた恐怖か何かを司る妖怪なのだろう。恐れるな。抵抗しろ。山中竜太郎ならそうしたはずだ。俺でさえできた。ならばお前たちにできん道理はない」

「は……はい!」

東慎一が腰を深く落とした。彼が今までにないほどに警戒している。やはり容易ならざる敵なのだ。それでも、彼は戦うつもりのようだった。

対する敵神どもも武器を構える。

「ほう。恐慌デイモスよ。こやつ、我らと戦うつもりのようだぞ」「面白い。どうやらこやつは人間のようだ。それが我らに歯向かおうとは。身の程というものを教えてやらねばならぬな、敗走ポボスよ」

兄弟のようにそっくりな二神のやり取りに、東慎一も割って入る。

「ポボス。それにデイモス。ギリシャ神話のアレース神が戦場に降臨する時、引き連れているという息子たちだな。お前たちはそれに関係のある妖怪なのか」

「ははは。関係があるどころではない。我らはアレスの息子、そのものである」「うむ。我らは神。その力を思い知るがいいぞ、人間よ」

「……」

かすかな音がメタルヒーローのマスクの下から漏れ出てくる。怪訝な顔をして見上げた雪だったが、すぐに理由は分かった。

嗤っているのだ。

「笑わせてくれる。アレスと言えばギリシャの神々の中でもたびたび人間にしてやられる神ではないか。その息子というからには似たようなものなのだろう。妖怪は人間が信じた通りに生まれてくるのだからな」

「貴様……我らのみならず父上を愚弄するか」「その首を切り落とし、晒しものとしてくれるぞ!」

「やれるものならやってみるがいい。お前たちの首を晒しものにする方が簡単だろうがな。

―――三井寺雪。俺が奴らを食い止めている間にタコツボを運べ。いいな」

「!!―――ご武運を」

雪は即座に踵を返した。警官たちも後ずさりながらそれに続く。速やかにタコツボを運び、逃れねばならぬ。

「さあ、来るがいい。悪しき妖怪ども。俺は相手が何者であろうが絶対に屈することはないと教えてやる!!」

東慎一の叫びが、灯りの消えた夜の市街地に木霊した。

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