間章 ないない
第177話 ないない尽くしと裁縫道具
そいつにはたくさんの名前があった。妖怪パーツ隠し。借り暮らし。小人さん。部品持ち去り魔。ないない。どの名前で呼ばれても本人は気にしない。人間たちが自分を呼んでいると分かればいいのだ。
そんな彼は、何もなくなった部屋でちょこん。と座っていた。住人が引っ越したのだ。
家具と家具の間やちょっとした隙間に暮らす彼には、これはあまりにも広すぎる。住処を失ってしまった。長年溜め込んだ小物も全部持っていかれた。
これから、どうしよう。
呆然としていた彼は、やがて立ち上がった。新天地を探さねば。
生まれて初めて部屋の外に出た彼は、しばし固まった。朝日に照らされる広大な世界は、彼の世界観とは相容れぬものだったからである。
たちまちのうちに恐慌状態に陥ったないないは、周囲を見回すとすぐさま隣の窓に目をつけた。しめた、小さく開いている!
飛び込んだ先の部屋は、家具はあまりないが人の住んでいるところだった。ひとまずここで我慢するしか無い。
部屋の中を見上げる。ないないは小さい。人間たちは危険だ。キッチンからは調理の音。近付かないようにしよう。反対側。部屋の隅に行くと、箱の上に小さな携帯用の裁縫セットがあった。しめた。これならないないにも運べる。隠さなければ。それが本能のようなものだから。
ないないは裁縫セットを背負うと、隣の部屋に飛び込んだ。子供が寝ている。家具がやはり少ない。押入れを発見。小さく開いている。あそこだ!
駆け込んだ先には既に畳まれた寝具がいくつも詰め込まれていた。狭くて心地よい。奥に隠れる。裁縫セットを置く。
ひと仕事済ませたないないは腰を下ろした。住めば都だ。しばらくこの部屋に住もう。
疲れ切った彼は、うとうとし始めていた。安心しきっている。隣に置かれた裁縫セットが目をギョロリと見開き、足を二本伸ばして逃げ出そうとしているのにも気付かない。このまま逃げ出せるかと思えた時。
裁縫セットは躓いた。ないないが投げ出した足に引っかかって。
転ぶ裁縫セット。目覚めるないない。両者の視線が合う。
か細い悲鳴が上がった。両者から。
こうして、人間には気付かれぬ攻防が始まった。
◇
「ほら、ミナ。朝だよ。起きましょうね」
「……やだー」
「もう。起きないとご飯冷めちゃうよ」
「やだー」
ミナは布団の中で丸くなった。この間は“ひぶせのおじちゃん”の“かいふくいわいパーティ”をする筈だったのに、ミナは行けなかった。ママが帰ってこなかったせいだ。その日だけじゃない。次の日も。たまり場ではみんな忙しそうで遊んでくれなかった。“りゅうたろ”も勉強を教えてくれなかったのだ。みんなひどい。だから抗議してやるのだ。布団の中で。
と、そこへ。
「ほーら、こちょこちょこちょ〜」
「きゃはははははは!」
脇の下をくすぐられた。とても布団の中にいられない。脱出する。
外は、共同住宅の一室である。
ミナを追い出したママはたちまち布団を畳むと片付けてしまった。早業だ。
「さ。朝ごはん食べよ」
「はーい」
ちゃぶ台を囲む。お気に入りのキャラクター座布団の上に座る。今朝は目玉焼きとご飯。海苔にお味噌汁だ。
「おじいちゃんはー?」
「仕事行っちゃったよ」
箸がまだうまく使えない。頑張って食べる。お茶碗に米粒が残ってると、ママが全部取ろうねと言う。悪戦苦闘して食べ終わる。
「ママー。ズボン直ったー?」
「ごめんね。もうちょっとだけ待ってて。すぐに直してあげるから」
走り回っていて膝に穴の空いたズボン。直してくれると約束していたのにまだらしい。ざんねん。
食器を片付ける。お手伝いだ。ミナ、えらい。
着替える。もうママの手助けなしでも出来る。えへん。
そこで、ママが声を上げた。
「あれ?お裁縫道具知らない?」
「知らないよー」
とてとて。と見に行くと、ママが困った顔をしていた。
「ママどうしたの?」
「うーんとねえ。お裁縫道具がないと、ズボンの穴直せないの」
「えー。やだー」
「じゃあ探そっか」
「はーい」
宝探しだ!
ママが箱の裏やちゃぶ台の下を探している間にミナは色んなところを探した。トイレ。冷蔵庫の中。窓の外。お風呂場。そして、押入れ。
開けると、中ではお裁縫道具と小人さんが取っ組み合いの喧嘩をしていた。クレヨンで描いた線にぎょろりとした目玉と髪の毛があって、赤い服を着た小人さんだ。
ふたりはびっくりしたらしい。両方捕まえる。
「喧嘩したらだめだよ?」
しゅんとなる二人。仲直りしたみたい。両方連れてママに見せに行く。
「ママー。いたよー」
走る。ママのところにふたりとも持っていく。
「あー。えらいねえミナ。ありがとう。これねえ。ママのお母さんのそのまたお母さんが使ってたの」
「そうなのー?」
「うん。ミナのひいおばあさん」
「すごーい。
それでねそれでね。こっちもつかまえたんだよー」
お裁縫道具を渡し、小人さんも見せようとして気が付く。いない。
「あれえ?」
「どうしたのミナ」
「小人さん、消えちゃった」
「そっかー」
いなくなったものは仕方ない。
「じゃあミナ。出かける準備しよっか」
「はーい」
とてとてと駆けだす。部屋に行って、リュックを背負う。帽子を被る。準備完了だ。
戻ると、お母さんは制服に着替えていた。
「ちょっとだけ待っててね」
「はーい」
ミナは、元気に返事した。
◇
ないないは心臓がバクバクとしていた。人間に捕まったのは初めてだ。それもあんなにあっさり。危なかった。逃げ出せたからよかったものの。
もう押し入れには戻れない。咄嗟に逃げ込んだ小さなリュックの中で待つ。と思ったら背負われてしまった。逃げられない。どうしよう。
ピンチを感じていると、子供が体を大きく曲げた。靴を履いているらしい。隣ではもう少し大きな女の子がいる。こちらも靴を履き、手を繋いで家の外に出た。
「静流。おはよう」「おはよー」
「おう。おはようノドカ。ミナも元気やなあ」
「げんき!」
何やら隣の家から出て来た男の子と併せて三人になった。
三人組は家を出ると太い道の横をずっと歩き、横断歩道をいくつもわたってアーケードがあるところまでやってきた。更に少しばかり進んだところにある、開店前のお店の半開きのシャッターを潜る。
「文枝のおばちゃん、おはようさん」「おはようございます」「おはよー!」
三者三様の挨拶をして入っていくと、眼鏡をかけた女が待っていた。その視線がこっちに向きそうで咄嗟に頭をひっこめるないない。
会話だけが聞こえてくる。
「ほんじゃああとお願いするわ」
「はーい。行ってらっしゃい。学校頑張ってね」
男の子と女の子が出ていき、子供と眼鏡の女だけが残ったようだった。
「さて。ミナ。リュックの中ちょっと見せてくれる?」
「いいよー」
ギクッ。これはまずい。見つかったら大変なことになる。しかし逃げ道はなかった。
リュックが開かれ、上から巨大な人間の顔が、ないないを覗き込んだ。
「やっぱり。ビルの子かなあ。いつの間に逃げ出したんだろ。でも見た覚えがないのよね」
「あー。さっきこのこいたよ!」
眼鏡の女に子供が叫ぶ。そうこうしている間に摘み上げられた。かと思うと、そばにあった空っぽの瓶の中に放り込まれるないない。蓋が閉められた。もう逃げられない。
「ミナ。この子家にいたの?」
「うん!お裁縫道具と喧嘩してた!」
「そう。悪い子ね。ビルに連れて帰らなきゃ」
「連れて帰る?」
「そ。連れて帰るの
君。もう逃げちゃだめよ?」
ビルから逃げた記憶などないないないは、首を傾げた。
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