第176話 夜が明けて

朝日が眩しかった。

珠城山古墳に設けられた陣地では、一晩中戦い抜いた妖怪や人間たちが思い思いの場所でひっくり返っている。力を使い果たしたのだ。

「じゃあ、悪いけれど後はお願いね」

真理に運ばれ、千代子がスマホの画面に吸い込まれていく。中国生まれの吸血鬼である千代子は太陽の光に弱いのだ。普段ビルをあまり離れないのもそれが原因である。

残された者たちは撤収の準備が整うまでの間、しばし休息の時だ。現在は主だったコミュニティ間でこの事件の後始末をどうするかの会議が行われている。さすがに規模が大きすぎた。妖術で復元するにも限度というものがある。人払いが間に合わず事件を目撃した人間の数も十では効かない。フォローが大変どころの騒ぎではない。

「うへー。疲れたよー」

ばたんきゅー。とひっくり返っている法子の呟きが、皆の心境を代弁していた。

そうしている間に、また画面が輝いた。これも一晩中酷使されたので電池切れ寸前である。

飛び出してきたのは、看護師と医者二名。一人は十月医師であり、もうひとりも法子の顔見知りだった。

「あ。ドクターじゃん」

「おう。生きとったか。助けに来てやったぞい」

ドクター・アキレス。グレイと結託し、法子を改造した張本人だった。今は十月医院で雇われているらしい。大丈夫なのだろうか。医師免許とか。

その後続々とやってきた看護師らによってたちまちのうちにテントが設置され、野戦救護所が完成する。

そうして十月医師は宣言した。

「さあ。これからが私たちの戦いの始まりだ。負傷者を片っ端から連れてきてください」


  ◇


「あー。これ、勝ったんか……」

静流は疲れ切ってぶっ倒れそうだった。ノドカと背中合わせで座り込んでいる。ノドカも通信担当として死力を尽くし、戦いを支えたのだ。

忘れていたがトイレに行きたくなってきた。立ち上がる。周囲を見回すと半壊した民家が目に入った。あれを借りよう。

「静流。どこ行くの?」

「ちょっとトイレなー」

「あ。じゃあ私も」

締まらないな。などと思いながらふたりして古墳から降りると、向こうの道から見覚えのある二人組が、肩を支え合いながらやってきていた。

竜太郎。そしてマリアだった。生きていたのだ。

手を振る。叫ぶ。相手も手を振り返してきた。互いにズタボロだったが。

そして、今度はY字になったもう片方の道からも。バイクに跨った雛子だ。彼女がすぐ近くで停車したとき、その後ろに跨っていたものの存在に静流は初めて気が付いた。

能見刹那だった。

両目の瞳が真っ白になった彼女は、よたよたと降りると膝から座り込む。恐ろしく消耗していた。

「お前生きとったんか」

「……ああ。何とか。

その声は天乃静流か」

「お前やっぱり、目やられたんか」

「そうだ。だが心配しなくていい。たぶんそのうち治る。ボクは人間じゃあないから」

この時点で静流は初めて、彼女の左腕が失われていることに気が付く。そこから零れ落ちている呪符の存在にも。

「お前……」

「天乃静流。お前が正しかった。ボクの力なんて全然大したことはなかった。ボクは弱い。無力だ。慎ましやかに生きていくことが大切だと分った。そうできなかったから一族は滅んだんだ。

悔い改めたとして、ボクは許されるんだろうか」

「……せやなあ。それは難しい話や。けど生きてくしかあらへん。そうちゃうか」

「そうだな……ありがとう」

そして刹那は、雛子に担がれると救護所へ連れていかれた。それを見送る静流。

「あの子、昨日の?」

「せや。これからたいへんやろうな。けど俺らにはどうにもでけへん。あいつ次第や」

「うん」

「さ。みんな無事やったんが分かったこっちゃし。とりあえず行こ。一晩中戦ってたからな」

そうして民家に駆けこんで行く静流。不法侵入だがさすがにこれは許されるだろう。状況的には。

ノドカは、静流が出てくるのを待った。今回も無事に生き延びた。家に帰るのだ。後始末をして。

そうそう。四季も生き返らせなければならない。マネキンが必要だと聞いていた。オーナーに相談すれば手に入るだろうか。

そうして、明日のことに想いを馳せた。


  ◇


【奈良県桜井市 能見屋敷の外れ】


「これは……」

地面で砕け散った鏡に、何人もの妖怪や人間たちは眉をひそめた。

スーツを着た若い女が額から斜めに生やしているのは角。彼女と仲間たちが訪れていたのは、能見一族によって妖怪たちが封印されていたと目される大きな洞窟の前である。現場検証に訪れたのだった。

女性は目を閉じると精神を集中。過去半日の内に何が起きたかを霊視していく。老人の霊魂が結界をあっさり破ってここに侵入してくる様子。彼が社の封印を破壊した瞬間。そうして飛び出してきた多数の強力な妖怪たち。老人が最期に残した言葉。

時間を逆にたどり、彼女らは能見屋敷があった場所へとやってきた。酷い有様である。肉が焼ける臭いが今も漂い、破壊された屋敷跡には死体が散乱されている。

その一室にたどり着いた一行。女が集中し、そして目を開けるまでしばらくかかる。

霊視を終えた彼女に、同僚の男が問いかけた。

「何があった」

「宗主親子のいさかい。息子が一族の運営方針を巡って親を殺した。親は死に際にあそこの洞窟の封印を解いた。息子に復讐するために。要約すればそれだけです。馬鹿な話。無関係な人間や妖怪がどれだけ死に、復興に何百億円、何千億円かかるか」

「まったくだな……」

「今回の件、どう片付きますかね」

「地震あたりだろうな。犠牲者は倒壊した建物に挟まれた。そうとでも書くしかあるまい。書類上はな」

「仕方ないんでしょうね……」

「今回の件で人間を救うために血を流したのは妖怪たちだ。元凶となったのも人間。となれば彼らの顔も立てるしかない」

「分かってます。そうしてこの国では昔からやってきたんだから」

そうして検証を終えた彼ら。皇宮警察と宮内庁、掌典職の内廷職員から選抜された合同の調査チームは、現場を立ち去って行った。


  ◇


【兵庫県神戸市中央区 三宮 旧居留地東洋海事ビルヂング】


「3万……マネキンって高いねんなあ……」

スマホで値段を調べていた静流が呟いた。

ビルの一階、ブティックの奥にある倉庫でのことである。

普通の人は入ってこないのに採算が取れるのか謎だが、一階には他にもいろんな店舗が入り、普通に営業している。その一角で、古くなり使われなくなったマネキンをもらえることになったのだった。こんな高いものを、中古品とはいえタダでもらえるとなるとちょっと腰が引けてしまうが。

床にシートを敷き、店の人や居合わせた常連にも手伝ってもらって慎重にマネキンを横にする。ノドカがウィッグをマネキンの頭に付けた。そして最後に、顔へ呪符が張り付けられる。

たちまちのうちに、樹脂製のマネキンが赤みを帯びた。生気に溢れ、血が通い出す。肉と皮膚に代わっていく。その身体が裸身の女性へと変わっていく。ウィッグも生身の髪の毛になった。

「あー静流、ちょっと後ろ向いてて」

「う、そうやな」

男どもが後ろを向く間に、慌ててノドカが上から布を被せる。そうこうしているうちに生身の体へと完全に変化し終えたマネキン人形は、頭を動かすと微笑んだ。たぶん。顔が例によって見えないにしても。

「はぁい。

ありがとう。生き返らせてくれたのね。ちゃんと」

「あー。ちゃんと生き返るかどうか心配やったんやけど、大丈夫みたいやな……」

元通りになった四季。その様子を見て、静流はようやく安堵した。これで本当に、今回の事件は終わったのだ。途中色々大変なことがあったにせよ。

四季は、自分を見下ろしている人たちの顔を見渡した。静流。ノドカ。他数名は知らない顔だ。そして特徴的だったのが、白髪に白い肌、紅の眼を持つ白子アルビノの少女だった。

「あなたは?」

「ボクは……能見刹那。能見玄馬が作った使鬼だ。あなたに会いたくて、無理を言って立ち会わせてもらった」

「そっか。やっぱり能見は使鬼を作ってたのね。大丈夫だった?あいつらにひどいことされなかった?」

「え……酷いこと……いや、ボクは自分が人間だと思い込まされていただけで、そこまでは……」

「いやいや、酷いでしょそれ。どうせろくでもない理由で術の資料を奪って行ったんだなと思ったけど、やっぱりあいつら悪いことをしてたのね。なんてこと。

私の妹に」

「妹……ボクが?」

「そ。玄弥の編み出した術で生まれたんだから私たち姉妹でしょ。あいつらが私の妹や弟たちに酷いことをしないか心配だった。だから術を取り返そうとしてたんだけど。

御免なさい。助けてあげられなくて」

「そんな……ボクは」

こたえようとして口ごもる刹那。全部失ったと思っていた。けれど、こうして自分を助けようとしてくれる人がいたのだ。

四季は、視線を静流たちの方へ向くと尋ねる。

「それで、あの後どうなったの?能見一族は?」

「あー。それがもう、ほんまに大変やってなあ。話すと長くなるからまず服着てもらおか」

「それはそうね。こんな格好なのもなんだし」

そうして、むくりと起き上がる四季。男どもが退出し、着替えが終わるとノドカが告げる。

「じゃ、行きましょう」

ノドカの後に続き、四季は倉庫より出ていった。

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